第136話 ~ラストスパート~
「絶対前からいった方がいいですって。その方が安全ですって」
「いや~、後ろからで充分なんじゃないの……別にレインだって……」
「気を付けて、付け過ぎることなんて無いんですから。どうしてそんなに嫌な顔するんです?」
「わかるだろ……いや、普通に想像つかねえかな、マジで……」
珍しく意見を真っ向から対立させ、お互い引かないファインとクラウド。並んで歩く二人だが、ずいずい距離を詰めて持論を押し通そうとするファインと、察しろよとばかりにげんなり顔のクラウドは、双方一切譲る気配を見せない。二人の後ろをおろおろしながらついていくレインの隣では、馬を引きながら歩く男が、痴話喧嘩じみた二人のやりとりを苦笑いで見守っている。この男は、クラウド達に馬を貸してくれる、町の馬小屋の厩舎員だ。
ファインとクラウドが揉めているのは、レインがどのように馬に乗るかである。クラウドが馬に乗り、ファインはそれについて行く形で低空飛行していく、ここまでは決定事項。あとはレインがクラウドと一緒に馬に乗るわけだが、彼女をクラウドの前に座らせるか後ろに座らせるかで、二人の意見がぶつかり合っている。
ファインはクラウドの前に、向かい合う形でレインを座らせたい。要するに、手綱を握るクラウドのお腹に、前からレインがしがみつくような形だ。この乗り方だったら、絶対にレインが落馬することはないはず。馬体に揺らされても、レインの後ろにあるのは馬の首根っこであり、万が一レインの体が横に流れそうになっても、クラウドが腕で支えればいいからだ。レインは体も小さいし、問題になるほどの邪魔にはならないだろう。
クラウドは、自分の後ろにレインを座らせたい。自分に後ろからしがみつく形で、充分レインも落ちたりしないだろと。乗馬にそこまで自信がないと言ったクラウドだが、片手で手綱を握る腕はあるし、レインが自分から体を離せば、片方の手で後ろをフォロー出来る自信がある。ファインの提案する、絵面的におかしな乗り方を選ばなくても、事故はないよとクラウドは断言できるのだ。
それでも安全第一を追究するならファインのやり方でいいんだろうけど、嫌なのはクラウドの方である。馬に跨る自分に前から、女の子が胸とお腹を押し付けて抱きついてくるシチュエーションって、まあ捉えようによっちゃあスケベなもので、それは駄目だろと。クラウドって良く言えば紳士、明け透けに言えば性が絡んだ途端に頭が堅過ぎる。
「たとえばさぁ、ファインが俺の前でそういう座り方すると思ったらどうよ」
「わかりますよ、不健全ですよね。でも、レインちゃんは子供ですよ?」
クラウドとファインが向き合う形で馬に乗り、肌を密着させる絵は確かにやらしい。ファインでもわかる。そんなの熱々のカップルでも、露骨すぎて無いだろうと思えるような絵だ。いくらクラウドに心を許しているファインとて、それはやっちゃいかんことだとわかっている。でも、レインは幼い。女の子なのはわかるが、安全第一という観点を加味していけば、少々不健全な絵になっても、子供なんだから仕方ないでしょうとファインは結論づけている。
「まさかクラウドさん、レインちゃんみたいな子に……」
「違っ……怒るぞ、ファイン……! いくらなんでもそこまで俺っ……!」
あんな小さな子、恐らく十歳にも満たない子供に欲情する男だと思われたら、いくらクラウドでも心外だ。ファインに声を荒げるのは初めてだが、こればっかりは譲れない。ロリコン疑惑は本気で嫌。
「お二人さん、もういいっすかねぇ。関所、着きましたよ」
「っ……すいません、見苦しいところ……」
「もう、クラウドさん。大事な話ですよ。私、真剣に話してるんですけど」
「あーうるさいうるさい。まずは話まとめるからっ」
馬とともに関所をくぐり、町の敷地外へ。町中で馬に乗られたら周りの人が危ないので、ここまでは厩舎員が馬を連れて歩いてくれた。ここから、馬に乗って野を駆けて南下していく旅を始めてよい。
「確認しますね。出発点はこの町、目標到達点はホウライ地方最北部の町のいずれか。まあ長く見積もっても3日あれば到着できるでしょう。猶予として4日の制限期間としますので、それまでに向こうの馬小屋に馬をお預け下さい」
「……はい、それでお願いします」
この町で借りた馬は、客の目的地まで辿り着いた後、その町の馬小屋にそのまま預けられる。貸し馬商業は、地方一帯を仕切る商業団体の管轄であり、馬は商業団体全体の共有財産だ。よその町に預けられた馬は、またそこでいつか他の客に貸し出され、商業団体の管轄下を巡り走る。馬ごとのホームなどは決まっておらず、そうして巡らせ地方全体で貸し馬という商売を成り立たせているのだ。
「それではお代金を――はい、ありがとうございます」
貸し馬のシステムは極力簡略化されている。どこかの町の馬小屋で馬を借りる際は、どこまで乗るかを事前に話し、その距離から料金が定められる。近い町まで渡るだけなら安く、許可される限り遠くまで乗るなら、そのぶん高くつく。まずはそうして定まった金額を前金で支払うのだ。あとはまあ、馬を駄目にしたりしたら、それなりに損害賠償を取りますよとか、常識範疇での約束がいくつかあるぐらい。
前述の契約内容は、馬の鞍に打ちつけられた契約板に刻まれる。クラウドが今回、厩舎員と交わした契約は、"4日以内にホウライ地方最北部の町、いずれかに到着する"という内容。これを守る限りなら、いくら寄り道しても構わないし自由にして結構。ただし、その期間内に契約が遂行されなかった場合、遅延金を請求されたり、度がひどければ最悪借り馬の盗難として扱われる。
「契約板、無くさないで下さいね? 落とすものではないでしょうけど」
「無くしたら借りパク認定でしたっけ」
「紛失宣言して頂ければ真摯に対応しますが、痛くない腹を探られると思いますので面倒ですよ。一度支払われた関税には、こちらも責任が取れませんしね」
契約板を鞍に背負った馬には関税がかからない。そうでない馬は、人里の関所をくぐるたび、関税がかかる。借りた馬の契約板を破棄すれば、それだけで借りた馬だという証拠を隠滅できるため、ある意味そのまま頂き放題であろう。ただ、そこまでして借り物の馬を盗んだところで、人里に出入りするたびにやたら高い関税を取られるのだから、果たして割に合うことやら。だいたい、そんな舐めたことをされた貸し馬商業団体が黙っていないし、そいつらに追われる日々を想像したら絶対に釣り合わない。
余談だが、本気になった商業団体ってやばいのだ。自分達の財産を盗もうとする不届きな輩など、団体の擁する大金を投じまくってでも絶対にとっ捕まえて、見せしめと言わんばかりに腕の一本は持っていくだろう。商売っていうのは舐められたら終わり、盗人一人に寛容でいると次々に模倣犯が出てしまうのだから。そんな連中の所有財産、たとえば馬を不当に頂こうなんていうのは、命知らずのやることである。
「それでは、よい旅を」
「はい、ありがとうございます」
クラウド達に馬を預けて、厩舎員は仕事場へと帰っていった。ぺこりとお辞儀して見送るファインだが、すぐにくるりとクラウドの方を向く。
「で、クラウドさ……」
「あぁもう、俺絶対に譲らないからな。それは倫理的に俺、受け入れたくないから」
「……わかりましたよ。もうそれでいいです」
頑なに退かないクラウドに、とうとうファインも折れたのか、少しむくれてクラウドの提案を呑んだ。よっぽどレインに、99%を上回る万全を提供したかったらしい。人の良さは元々知れた性格だが、小さな子供を守ろうという想いは、過保護にさえ思えるほど強そうだ。先に馬にまたがったクラウドの後ろに、ファインがレインを抱きかかえて乗せ、レインが後ろからクラウドの体にしがみつく。
「じゃあ私がクラウドさんの後ろを飛びますから、振り返らずに背中は任せて下さい。レインちゃんが危ないなと思ったら、私が手を入れますから」
「ああ、お願いする。レイン、しっかり捕まってろよ」
「……うん」
子供目線、馬の背に乗るというのは高く感じるものだ。大人でも、思ったより高いと思う高さなんだから。クラウドが手綱を握り、馬の横っ腹を踵で3度叩いて首を押すと、馬がいななき走り出す。小躍りするような最初のステップで、ゆっくりと前進する馬の横、ファインも自分の足で走り出す。背中に風の翼を生じさせながらだ。加速に乗った馬が、ファインの足で追いつけない速度になるのはすぐのことで、その頃には既に地を蹴ったファインが、クラウドの右隣に並んで滑空する形を完成させている。
「ついて来れそうか?」
「大丈夫です、もっと速くてもいいぐらいですもん」
スピードに乗った馬が快速を見せる中、その速度に置いて行かれない滑空速度を保つファインは、位置を整えクラウドの背後につく。揺れる馬の背上のレインは、初めての乗馬を怖がるかのように、ぎゅうっとクラウドにしがみついている。
「は、はやい……」
「レイン、大丈夫かー? しっかり捕まってろよー」
「ちゃんと捕まってれば大丈夫ですよー。安心してー」
「う、うん……」
素早く地上を駆ける中、風の音が耳をうるさがらせるので、クラウドもファインも普段より声が大きくなる。対するレインは萎縮して、声が震えていて聞こえにくい小ささだ。
だけど、彼女が怖がっていたのは最初の数分だけで。
「レインちゃん、楽しそうですね」
「…………」
「レイン、馬に乗るの初めてかー?」
「…………(こくこく)」
「クラウドさん、あまり飛ばし過ぎちゃダメですよー。レインちゃん楽しんでくれてるみたいだから、このスピードでゆったり楽しんでいきましょうー」
「あいよー」
きゅうっとクラウドにしがみついたレインだが、緊張感いっぱいだった顔も溶け始めている。風は涼しく気持ちよく、触れ合うクラウドの体は温かくて安心する。時々後ろから距離を近づけ、掌を背中に添えてくれるファインの行動も、レインにとっては安心できる一因だ。座ったままで、風を感じてすいすい進めるこの感覚も、子供心には無性にわくわくする。
ホウライ地方への旅、最後の遊覧紀行。心なしか楽しんでくれているレインを実感できれば出来るほど、ファインとクラウドもこのラストスパートが楽しくて仕方なかった。
「ターゲット確認、ホウライ地方行きってとこかしら。素直な軌道で予測しやすそうね」
「ひとまず騎兵の連中に伝えるか。ネブラ様への伝達は、そこからやってもらえるだろ」
だが、ラストスパートをかけているのはクラウド達だけではない。ずっと探し求めていた少女を包囲し、行き止まりを作ろうとする組織の動きは、極めて迅速に完成系へ近付いている。
"アトモスの遺志"に属するのは戦闘員ばかりではない。商人や羊飼いを装い、平原を駆けるクラウド達の動きを視認する者もいれば、そもそも普段から商人を本業として生きながら、その実アトモスの遺志の諜報員として活動するものもいる。
今しがたクラウド達がすれ違ったばかりの、馬車を引いて御者台に座る夫妻が、まさかレインを追う組織の一員であるだなんて、ファインもクラウドも想像すらしていない。すれ違って後方に去っていく二人を目で追う夫妻は、クラウド達との距離が充分に出来たと思った瞬間に、すぐさま馬車の中に乗っていた諜報員を呼び出す。
「後は任せたぜ。俺達も、包囲陣形には遅れて参加するからよ」
「わかった。何ならお前らは、南東の村にでも行って休んでろ。ネブラ様に連絡が伝われば、恐らくそこに指令が届くはずだからな」
「アジトだな? 了解した」
やがて諜報員は情報を騎兵に渡し、迅速に駆けられる者が一気に情報を拡散。その間にもクラウド達は馬の速度で南下していくが、この日クラウド達を捕まえられなくてもいい。夜になれば必ずクラウド達の動きは止まる。そして今からの一日通しで、周到にクラウド達の行く先々を阻める形を完成さえ、逃れられない包囲網としていけばいい。
功を急くより確実性。自分達を捕らえる網が、既に出来上がりに向けて編み込まれ始めていることになど、現時点でのファイン達が気付けるはずもない。




