第135話 ~追跡者の見えない影~
「ホウライ地方の地人禁制って、そんなに厳しいんですか?」
「多分なぁ。俺が昔、傭兵やってた頃も空気厳しかったしさ」
アボハワ地方の旅も随分南下が進み、そろそろお目指しのホウライ地方が目前となってきた頃合い、クラウド達も行く先のことを話題にする機会が増えてくる。真昼どき、とある町の酒場のオープンテラスで、レイン含む3人でお茶でも飲みながら、ホウライ地方にどうやって踏み込むのかを話し合う。
ホウライ地方はそもそもにして、天人だけの楽園という名目で、地人の立ち入りをかなり制限されている。アボハワ地方とホウライ地方の境目、言うなれば広大な国境周囲には、広くホウライ地方の警備が張り巡らされており、その検閲を潜り抜けるのはまず不可能だ。一般には、そこで天人であることを証明するか、地人ならば商業許可書など、特別な国境越えに必要なものを見せ示す必要がある。そうした厳格さの果てに、地人禁制の天人の楽園というものは成り立っている。
「だって俺が護送してた商人様――その人は天人なんだけどさ。ホウライ地方の検閲に差しかかった時、俺は地人だからっていう理由でお払い箱だったんだぜ。そのまま俺、賃金だけ渡されてサヨナラってさ」
「え、そのまま帰れってことですか?」
「急なことでびっくりしたよ。マナフ山岳から何日も護送してきて、聞かされてた目的地に着かないうちから仕事終わり、さあ帰れだぞ? せめて先に言っておいてくれよって気分だった」
「帰りはヒッチハイク?」
「そうだな。っていうかよく知ってるな、そんな言葉」
「私もサニーと一緒に、傭兵仕事はちょっとだけやってましたからね」
ある場所Aからある場所Bまで誰かを護送し、地点Bで仕事を終えて解任、となった傭兵は、B地点からA地点まで旅する者を探して、また雇って貰えることが望ましい。その方が、帰りの足を進めつつ、稼ぎも足すことが出来るからだ。傭兵界隈では、これをヒッチハイクと呼ぶらしい。若い男女の会話で使うような単語ではないのだが、世知辛い場数を積んで来た二人が話すと、しばしばこうなる。
「まーホウライ地方に辿り着いてから考えればいいことだけど、どうやって検閲を抜けるのかも、ある程度は考えておかなきゃな。そろそろホウライ地方だし」
「はぁ、サニーがいてくれればって切に思います」
「そういえばあいつ天人だったもんな。気にしないからついつい忘れるけど」
「だからっていうわけじゃないんですけど……ほら、サニーって悪知恵利くとこありますし……」
「はは、別に頼りない認定された印象はないよ。そんな神妙な顔して言わなくても」
「あ、あははは……すいません、考え過ぎました」
サニーがいてくれればなぁ、という発言は、悪いように捉えれば、クラウドじゃ心許ないなぁとも取れる、かもしれない。そんなつもりで言ったわけじゃなくても、口にした直後、そういうふうに捉えられたら嫌だと、少し顔色変えて弁明するファインの態度には、クラウドも真意が見えて笑える。サニーに関して事実を述べつつ、クラウドを立てるような弁を敢えて作る辺りが、そういう時のファインの典型的な語り口だ。
「んで、これからのことなんだけどさ。馬、借りようと思うんだ」
「あぁ、いいですね。私もそれ、考えてました」
話を一転、これからの展望に向けて寄せれば、クラウドとファインの第一発想は始めから一致していた。どの町村にも馬小屋はあるもので、希望者はお金を払って馬を借りることが出来る。御者つきかそうでないかで料金も異なったり、場所によっては馬の頭数よりも利用者の頭数で取るなど、サービスの形体も様々だ。
言葉無く意図が一致しているから語られはしないものの、その判断は二人とも、レインの境遇を加味してのことだ。レインを戦闘要員として使役していた連中は、今もレインを探しているかもしれない。幸い連中にはレインを見つけられていないのか、今のところ妙な輩からのアクションはないものの、いつまでもゆったりとした旅をしていては、捕捉される可能性も高くなる。馬を使ってでも旅を急ぎたいというのは、理に叶った提案だ。ここまでは、出会ったばかりであるレインとの関係作りを優先して、ゆっくりした旅に徹してきたものの、ホウライ地方への到着も意識していい距離感になってきたし、そろそろ有用な手段を使って加速してもいい頃合いである。
「ファイン、馬には乗れる?」
「自信ないです。クラウドさんは?」
「自信あるかって言われたら微妙だけど……まあ傭兵時代に乗ってるし、一応は」
「じゃあ一頭借りでいいんじゃないですか? クラウドさんとレインちゃんが二人で馬に乗って、私は飛んでついていく形で」
「ファインって、馬のスピードについてって一日じゅう飛べるのか?」
「時々休憩を貰えれば」
「じゃ、馬借りずに俺がレイン背負って走るのとあんまり変わらなくね?」
「うーん、言われてみればそんな気もしますけど」
「万一のことを考えて、体力使わない方向でいきたいけどな。やっぱ二頭借りでいいんじゃないの」
「と言われても、私が乗馬できませんしねぇ……」
「なーんかファインにだけ飛ばせて、俺だけ馬で悠々走るのって気が引けるんだけど」
「あはは、それこそ気にして貰わなくてもいいですよ。以前はずっと、私がクラウドさんに楽をさせて貰ってましたからね。今回はクラウドさんが、ゆっくりして下さい」
ファインは馬一頭借り、クラウドとレインの乗馬で二人が楽をし、自分が飛翔魔術でついていくプランを提案しての一点張り。ここからの道中、もしも妙な奴らに襲撃を受けた場合を考えれば、こちら側に体力を余せる形を作りたいところだ。ファインが乗馬できるなら二頭借りで、どちらも体力も魔力も使わない旅路を作りたかったクラウドだが、ファインが乗馬を得意としないのであれば、彼女の提案が妥当だろうか。一頭の馬に三人で乗るのは、流石に狭いし危ないし。
「じゃーまあ、とりあえずファインのプランでいこうか。そろそろお会計してくるよ」
「あっ、クラウドさん、私が……」
「いいよいいよ、どうせファインの性格だから馬代も奢ってくれるんだろ。しかも譲る気ないだろ。ここぐらい俺が出すっての」
よくわかっている友人である。何日間も、自分を背負って走って楽をさせてくれたクラウドに、馬代ぐらいは奢って初めて恩返しとして成立、と考えるファインの性格を読みきっているのだ。ここの代金も馬代も支払う甲斐性を形にしたいクラウドだが、ファインってそうさせてくれないだろうし、無理に自分が全部お金をまかなっても気に病まれるだけ。金銭の絡んだ折衷って、思いのほか考えさせられることも多いのだ。
それに、クラウドが会計に向かっている間、ファインとレインが二人きりになれる時間が、短いながらも生じるのは悪くない。空になったグラスを握り、ファインとの二人きりに目を泳がせるレインだが、ファインは近付くことを敢えてせず、肩の力を抜いてレインを見守ることに徹している。
「おいしかったですか?」
「…………」
「ふふ、よかった」
目を合わせてはくれなかったものの、小さく一度うなずいてくれただけで充分だ。どことなく、昨日までより返答が素直になってきたし、距離が近付いているんじゃないかなという実感はファインにもある。ちら、ちら、とファインの顔色をうかがうような仕草は、まだ警戒している名残なのだろうけど、それでも徹底的に避けられていた以前と比べれば全然いい方だ。
クラウドが帰って来るより先に、自分からレインに近付いたファインが手を差し伸べると、恐る恐るだがレインも手を握ってくれた。その手を引いて、椅子から立たせたファインの姿を、遠目に見られたクラウドも、二人の進展を目にできて嬉しい。いい方向に流れは進んでいる。
繋がりつつある縁、悪い運命に追いやりたくないと思える間柄。ファインとクラウドは、馬を借りるための施設に向かって、レインを導いていく。無法者に悪事を強いられてきたレインを、二度とそんな奴らに渡さないため。それが、安くもないお金を払ってでも、馬を使おうと決めた二人の理由である。
あと一日、その決断が早ければ運命は違っていただろうか。あるいは、この日その発案に至れたからこそ、ぎりぎりでもっと悪い流れを絶つことが出来たと捉えるべきだろうか。
「……何あれ。あの子、身内にでも出会えたのかしら?」
「いや、あいつは天涯孤独のはずだぜ。逃げた先で、お人好しに拾って貰えたってとこだろ」
この村に立ち入った瞬間から、一般人に紛れて張り込んでいた何者かは、レインの姿を確認したのち、仲間とともに尾行してきた。オープンカフェで休憩していた三人を、カップルを装い別の席から見張っていた一組の男女は、席を立つ三人から意識を切らぬまま、話し合う。三人の尾行は他の仲間に任せ、すぐに席を立てば尾行を勘付かれるとして、ここ二人は動かない。
「あいつら、馬を借りるって言ってたわよね。どうする? 一気に仲間を呼んで畳み掛ける?」
「……いや、よした方がいい。見た目はガキだが、あの二人も腕に覚えがないわけじゃなさそうだ。そうでもなけりゃ、レインの境遇を聞いて一緒に旅しようなんて思わねえだろ」
「それはそうだけど……せっかく見つけたのに様子見に徹して、みすみす逃しちゃネブラ様も……」
「なに、ネブラ様率いる空中部隊は機動力が売りだ。それを知らせりゃ連中が馬を使おうが、そう簡単には見失わねえよ。焦って返り討ちになる方がよほどまずい」
ファインとクラウドの若さを見くびり、数に任せて押し切ってしまえとした山賊なんかよりは、よほど周到で念入りに動く組織。それがアトモスの遺志という、革命組織に属する連中だ。いかに二人が若く見えても、そう簡単に侮らず、功を焦らない動き方が、合理的にはたらいている。
「ザーム様の合流もそろそろだ。ネブラ様とザーム様がいれば、仮にあの二人が多少の手練でも潰せるだろ。ひとまずあいつらが馬に乗るらしいっていう報告を、ネブラ様の部隊に報告してこよう」
「わかったわ。騎兵隊にも、同じように伝えておこうかしら?」
「それも必要だが、運送部隊にも伝えて平原の見張りも強化しておいた方がいいな。あいつらがどんなルートで走るかわからん。包囲網は広く固めた方がいい」
「わかったわ。それじゃ、私は先に行ってそうしてくるから、あなたは後から動いて頂戴」
「おう、会計はやっておくから急いでくれ」
レインは既に捕捉されている。連中は、ホウライ地方へ向かうクラウド達を、道中で確保する道を選択した。近くなってきたはずのホウライ地方への旅路が、最後の最後で大きな障害物に阻まれていることに、クラウド達はまだ気付いていない。それを危惧しての馬を借るという選択肢ではあったものの、それがすでに実体化しているかどうかを、確信しているかどうかの差は事の外大きいものだ。
危機意識は、いよいよとなった時にこそその重要性がわかる。間に合ったとも、間に合いきれなかったとも取れる最後の加速路は、クラウド達の明暗を分ける分岐点となるか。あとは二人と、そしてレインの手に懸かっている。
 




