第133話 ~一歩前進お互いに~
日を跨ぎ、次なる小さな村での一角にて、屋台店で並んで夕食を取る三人。クラウドとファインの二人でレインを挟み、みんなお揃いの麺料理をすすっている。生麺を湯がき、醤油出汁がよく効いたスープに浸して、薄切りの肉と適量の刻みネギをまぶしただけのシンプルな料理だが、庶民的な味が旅人には心地よい。
「美味しいですか?」
「…………」
「うふふ、そうですか。おかわりしてもいいんですからね?」
無言でこくこくうなずいてくれるレインの反応には、ファインも、よかったと安心する。相変わらずレインの体はクラウドの方に傾きがちで、少しファインから距離を少しでも稼ごうとするような姿勢だが、もうファインもあまり気にしていないようだ。混血種であることを理由に避けられるよりは、自分の行動に原因があったと明確なぶん、ファインの中ではよっぽどましなのである。
「三人とも、よく食べるねぇ。特にあなた、太っても知らないよ?」
「え~、だって美味しいんですもん。旅中で出会えた、密かな穴場ですよ~」
「女将さん的には俺らがたくさん食った方が儲かるんじゃ?」
「あはは、そうだね。つまり私は人が良いのさ」
「自分で言うんですか」
店主の初老のおばさんは、気のよい笑顔で話しかけてくれる。既に替え玉2杯目のファインに、太らないよう気をつけなよと注意勧告する人の良さ、それを指摘されたら敢えて善人を自称、冗談への繋ぎ方も流暢だ。若いクラウドやファインにもよく伝わる軽口であり、客を笑顔にする語り口はさすが商人であろう。
「ああもう、レインちゃん食べ方が……口の周り、周り」
「よく水飲むなぁ。はい、おかわりどうぞ」
店主のおばさんと語らいながらも、自分達の間に座るレインへの目配りを、クラウドもファインも欠かさない。美味しい料理に夢中のレインの口周りが汚れているのを見て、紙ナプキンで拭いてあげるファインや、空になったレインのグラスにお冷やを入れてあげるクラウドの姿勢は、面倒見のよいものだ。見るからに一番年下のレインを気遣う若者二人の姿には、それで時々話の腰を折られるおばさんも、かえって見ていて気分のいいものである。
「その若さで三人旅なんて大変だねぇ。みんな、いくつだい?」
「俺? 16です」
「私も16歳ですよ」
「むぐむぐ……」
おばさんの問いにレインが答えないのは、食べ物に夢中で話を聞いていないからだ。返事が返ってこないが、だいたい10歳前ぐらいだろうなと予想もついているから、ファインもクラウドもおばさんも追及はしない。おばさんも、主にはクラウドとファインに聞きたかった質問でしかない。
「気をつけて旅しなきゃいけないよ、って言うのは無粋かな。きっと、承知の上での旅なんだろうしね」
「いえいえ、そんな。お心遣い、痛み入ります」
「女将さん、旅人見送り慣れてそうなこと言いますね」
「いやー、こんな小さな村に旅人様が訪れることはそう多くないよ。土地柄上、仕方ないことだけどね」
アボハワ地方の中央地域寄り、すこし北上ないし西へ行けば廃墟の多い、こういう場所に立ち寄る人は今やそう多くない。いわば人の住まう地域の隅っこで、交易ラインの繋がりも希薄であるからだ。この村で屋台を構えるおばさんも、村の中の客を相手に細々とやっている口だろう。それで戦後数年の時を経た今でも、こうした僻地で商売しているのだから、腕も確かで根も強い証拠である。料理が美味しいのも納得だ。
「結婚した娘は、この村を出ていっちゃったんだけどね。やっぱり若い子は、都会に憧れるんだなって思ったよ」
「でも、女将さんは出て行かなかったんですよね? この村が好きだからでしょう」
「あ、わかってくれるかい?」
「ええ、とっても空気もおいしいですし、私はこの村のこと好きですよ」
「嬉しいねぇ、そう言ってくれると。戦後みんなで一生懸命、存続のために支えてきた村だ。当時は交易路のいくつかも断たれちゃって、大変だったんだけどね」
近代天地大戦の煽りで、兵相当の者達が行き来することも多かったこの村だが、戦が終われば近隣の人里を失うと同時に、外来者もめっきり減って、大変な時期もあったはず。戦後の各地の復興が大変なのは、どこでも同じことだ。その上でこの村は存続し続け、おばさんからすれば息子を結婚する年まで育てられた故郷であり、愛土の心も強くなっているのだろう。だから、外来者も少なく商売上は強くないはずのこの村で、今でも移らず屋台を構え続けているのだろうと思える。
「あんた達を見てると、息子らのことを思い出すよ。最近は孫の顔を見せに来てくれたし、なんだかね」
水を飲んでいたクラウドの動きがぴたりと止まり、麺をすすっていたファインも箸が止まった。要するにおばさんが言っているのは、ファインとクラウドの二人が、結婚した息子とその妻の子連れ姿に似通うという話。まるで自分達を配偶者のように言われた形で、思わず二人が互いを意識する。
レインを挟んで、ちらりと互いを見たファインとクラウドが全く同時で、ばちんと目が合った瞬間に二人とも素早く目線を逃がした。ひゅんっと顔を前向き方向に逃がす二人の初々しさには、おばさんもくすりと笑わずにいられない。若さって、年配者にとっては微笑ましいものだ。
「二人は、もうそういう関係じゃないのかな?」
「わ、私達はそういうものじゃ……」
「と、友達です友達です……いやホント、ただの友達……」
額から溢れる脂汗を拭いながら、小声でぼそぼそ言うクラウドといい、顔を真っ赤にしてしどろもどろするファインといい、日頃っからプラトニックな二人なんだろうなとはおばさんにも思う。それに、あまり嫌そうな顔をしない辺りからも、二人が互いを悪く思ってなどいないのもわかるから、にこにこして見守っているだけでいい。これ以上踏み込んでも、からかうだけの結果になってしまう。
「あははは、わかったわかった。あんたも、仲のいいお兄ちゃんお姉ちゃんに大事にされて、幸せだね」
「……けふっ」
ちょうど食べ終えた頃合いのレインに目線を近付け、話しかけるおばさんに、げっぷ返しの返事もどうかとは思うが、レインもいまいち言葉が出てこないのか無言のまま。きょろきょろと左右のファインとクラウドを見比べて、なんだか気まずそうな普段と違う二人を見てから、すすっと体をクラウドに近づける。
「あら、この子はお兄ちゃんっ子なのかな」
「う~、そうなんですよぉ。この子、私には全然なついてくれないんです」
「意外だねぇ。お嬢ちゃんは優しそうな空気出てるし、小さな子には好かれそうだけど」
「いや、ちょっと前にいろいろあって……」
「あっクラウドさん、いちいち詳しく話さなくていいんですよ」
おばさんが話を逸らしてくれたおかげで、元の調子に戻るファイン達。頭突き事件に言及されると思ったファインが、クラウドに詰め寄ろうと近付きかけたが、盾代わりに座っているレインに近付くことをためらい、前傾できなくなる。体だけクラウドに向け、前後に体を揺らす姿勢がジレンマの表れか。
「ふーん、こう見えて怖いお姉ちゃんなのかな?」
「…………(こくこく)」
「ああもう、レインちゃんっ。あれはあなただって……」
「や……!?」
悪者にされる空気が嫌なのか、引け気味だった腰を上げたファインが、一気にレインに詰め寄った。両肩を掴まれたレインが、顔を伏せてファインの手首を握って抵抗。やめて虐めないで、と目をぎゅっとつぶったレインの態度を見て、またファインも軽くへこむのだが。
「ん、んんぅ~……! っ、聞いて下さいよぉ、女将さんっ! 最初はこの子の方がねっ……!」
年上だし、レインに乱暴するわけにもいかないし、だけどこんな小さな子に怯えられる姿だけ見られて、怖いお姉ちゃん扱いされるのってファインも心外。辛抱しきれなくなったファインがにわかにテンション上げて、おばさん相手の愚痴祭り開演だ。苦笑いでファインの切実な主張を聞くおばさんも、酔った客の愚痴を聞いた経験から、親身になるのは慣れたものだ。レインにされたことを話すファインも、乱暴に暴れたレインを叱った、程度にしか説明しないし、凄まじい威力の蹴りのことだの話してレインを貶めないあたり、理性はまだ保っている方だけど。
「まあまあファイン、女将さんもわかってくれてるみたいだし……」
「え~だって嫌ですよぉ、私ばっかりこんな風に見られてぇ……! レインちゃんがクラウドさんに懐いてるのはいいことですけど。私だってっ……!」
カウンターに片肘ついて、その手で額を支えるようにうなだれるファインの行儀悪い姿勢といい、つくづくレインに嫌われている今を嘆いているのがよくわかる。声も怒っているイントネーションではないものの、へこみっぷりが充分に込められた声色には、クラウドに寄り添うレインも複雑な顔。
会計を支払って屋台を離れる頃には、語り疲れて元気のなくなったファインがいたものだ。流石にこの時ばかりはクラウドも、自分に寄り添うレインをファインに近づけてしまう結果になろうとも、ファインに近寄り肩をぽんぽんと叩いて慰めていた。屋台の女将さんも、小銭程度だが軽く負けてくれたぐらいである。
「はぁ……おやすみなさい……」
「おやすみ、ファイン」
宿でお風呂に入ったら、布団を敷いてすぐ寝てしまうファイン。今日のあれこれで疲れたらしく、すっかりへこんで掛け布団の中で丸まってしまう姿は、クラウドも見ていて心配になる気分だ。レインはレインで二人の間に敷かれた布団に寝ており、クラウドに近い方向に体を寄せて、ファインから些かの距離を取る形。目に見えての二人の溝には、そろそろクラウドも頭を抱えたいところである。
「……お兄ちゃん」
「……んっ!?」
しかもこの日は、もぞもぞと自分の布団の中にレインが潜りこんでくる始末。夜中にいきなり、小さな女の子の体が自分の布団に潜入してきて、自分と肌を合わせてくる出来事には、クラウドだってびっくりだ。
自分の胸にぴたりとひっつき、動いてくれないレインにはクラウドも参ったもので、身動きが取れない。状況が状況だけに、誰かそばにいて欲しいという気持ちは想像で補えるけど、こんな露骨にしなくてもいいと思う。ましてファインから距離を取りたい態度を如実にしたようにも見えるから、これはこれで明日以降もまた思いやられる予感がたまらない。
「……なあ、レイン。あのさ……」
「ねぇ、お兄ちゃん……お姉ちゃんって、いい人?」
そろそろファインの気持ちもわかってあげて欲しいと、クラウドが切り出しかけた時のことだ。先に口を開いたのはレインの方で、意外な始まりにクラウドも言葉に詰まる。暗い部屋の中、目を伏せて自分の胸元に額を押し付けてくるレインに、クラウドもしばらく言葉を失っていたが。
「……いい人だよ、すごく。怖いお姉ちゃんじゃないぞ」
「…………」
どうしても、頭突きされた第一印象の悪さは頭に残っているし、そのイメージを引きずるのは仕方ない。だけど、今日のファインの態度を見てレインも、少しは考えようと思ってくれたのかもしれない。レインに一方的に嫌われて心外なファインの姿は、切実で、レインにも何かしらを伝えるに足りたのだろう。だからレインも、今は最も信頼しているクラウドに、確かめるように問いかけている。
臆病な子なのも確かだろうけど、こう見えて人の優しさには敏感なんだろう。優しくしてくれるファインの気持ちを無視しているわけでもないから、第一印象があれでも、ファインのことを見定めようと、幼いなりに努めている。こうした態度を見ていると、クラウドもファインとレインの溝が埋まる日も、遠すぎる話ではないように思えてくる。
「……まあ、急には無理かもしれないけどさ。レインも、ファインのこともう少しわかってあげてもいいんじゃないかな」
「…………」
かねてから思っていたことを、自然と口にすることが出来た。引き出してくれたのがレインというのは、非常にいいことだ。人と人との関係が一時よくない際、それを埋めるのは双方の歩み寄りあってこそ。ファインは現時点でもやっていることだ。レインもそうしてくれるなら、なおのこと良い。
せっかく巡り会えた三人なのだ。クラウドだって、ファインとレインが仲良く語らう姿を、早く日常風景にしていきたいと思っている。




