第13話 ~開戦~
「クラウド。ファインのこと探しに行ってくれる?」
「は?」
カルムの側近、マラキアの強さを知るクラウドは、離れた位置の敵から目を逸らすことが出来ずにいた。そんな彼でさえ、サニーの思わぬ提案には、裏返った声とともに横を振り向いてしまう。
「あなたなら、私よりもよっぽど自由に動けるでしょう。私があいつの相手をするわ」
強い闘志を宿した瞳で、マラキアを鋭く睨みつけるサニーの横顔があるが、左腕が使い物にならない状態で何を言い出すのか。半絶句で言葉を失うクラウドの目の前、一歩前に踏み出すサニーの姿が続く。
「お前な……!」
「あいつ、天界人の上級魔術師でしょ? 知ってるわ」
不全の体で、敵の肩書きを知ってなお、毅然とした言葉をクラウドへと差し向けるサニー。未だにはずれたままの左肩、ぶらりと落ちた左腕を無視して、右手をぐっぐっと握り締めている。クラウドとしても当然、傷ついた彼女をマラキアの前に晒せる想いではない。敵の実力や肩書きのことを知っているクラウドにとって、マラキアという強敵は、手負いの女の子が戦って良い相手だとは思えない。
「心配しなくたって私ゃ負けやしないわよ。あんたはファインをお願い。ね?」
振り返って、にかっと笑うサニーの表情たるや、何の不安すら抱いていない自信にどれだけ満ちたものか。どう考えても、客観的にサニーの勝利を予感できない図式であるはずが、笑顔ひとつでその可能性を感じさせる説得力とは如何ほどに。人生を幸せに歩んでいくために必要なものは"対話"だと昨夜述べたサニーが、表情と併せてクラウドを、ベストの道に押し出そうとしている。
「……知らないぞ、本当に殺されても」
「心配無用。あいつなんか、片腕ありゃ充分ぶっ飛ばせるわよ」
左の側頭部からまだ流れる血を、右手の平手で拭ったサニーは、血にまみれた手を床で拭く。町長の豪邸の床に敷かれた絨毯を、己の血で汚すことに対して、サニーは全く気兼ねない。
「随分と舐めた口を利いてくれているようだが、二人ともここから逃がすつもりは無いぞ?」
「言ってなさい。あんたじゃ私一人すら止められない」
とんとんと右足の先で地面を二度叩いたサニーが、左脚を後ろに引いて構える。ふう、と一息ついたサニーの周囲を、無風のはずの室内で風が渦巻き始めたのがすぐのことだ。風の魔術の発動に、ファインの友人であるサニーを地人だと思っていた、マラキアの目の色が僅かに変わる。
「貴様……」
地を蹴ったサニーに、マラキアの言葉は届かない。数歩の距離を一瞬で詰め、マラキアの側頭部めがけて音速の如き回し蹴りを放つサニー。並居る男を一瞬で薙ぎ払う、瞬迅の一撃をしゃがんで回避するマラキアの強さも、その反射神経だけで充分に証明されたものだろう。跳躍して薙いだ回し蹴り、そのままかわされてマラキアに空中で向き直り、離れる方向に飛んでいくサニー。それに素早く後ろ手で掌を向けたマラキアが、掌から電撃を放つのも素早い。戦闘魔術師としての、攻撃手段の一つだ。
サニーが壁面に到達するのが、電撃が彼女を捉えるより早く、壁を蹴って跳躍したサニーは電撃の脅威から逃れる。豪邸の壁が電撃で真っ黒焦げになったことからも、直撃していればただでは済まなかっただろう。クラウドから目線を切らなかったマラキアに、背後から飛びかかるサニーの動きは、駆け出したクラウドを制止する魔術を放とうとしたマラキアにそうさせない。前方に跳んでサニーの接近を回避したマラキアが向き直ると、絨毯敷きの床を踏み砕いたサニーが、陥没した床から僅かに退がって構える姿がある。
不安を抱きつつも、強い自信と共に自分を送り出そうとしたサニーを信じ、マラキアが現れた方の道へと駆け抜けるクラウド。広間から彼が去った気配を感じ取ったサニーは、心の中で任せたわよと一言念じ、立ちはだかる障害に改めて目を向ける。
クラウドは強かった。きっとファインを見つけ、出来る限りの最善の結果を導き出してくれるだろう。マラキアという最大の障害をこの場に縛り付けることが出来た優勢を実感するサニーが、強敵を目の前にして小さく笑ったのは、現在の中での最善を形に出来たからだ。
「たった一人で私をどうにか出来ると、貴様は本気で考えているようだな」
「たかが天界人崩れの上級魔術師のくせに何偉ぶってんの? そんなだからあんた、"上級"止まりなんじゃない?」
的確にマラキアのプライドを逆撫でする言葉を紡ぐサニー。冷静な表情でふっと笑うマラキアの裏側、ふつふつと湧き上がる怒りが隠されているのは明白だ。あれは、格下のたわ言を余裕の表情で流す表面上を演じ、内では相手を八つ裂きにしてやろうという殺意を隠すものだろう。サニーにもよくわかる。
「地人と組して、天人である私達へのこれほどの狼藉。まあ、どんな目に遭わせたところで、周囲に説明はつくな」
「出来るものならこの処女どうぞ。何をされても仕方ないだけの覚悟はくくって来てるんだから」
マラキアを正面から見据え、胸を張って堂々としたサニーの姿。もう、賽は投げられているのだ。町長の家をここまで荒らした事実も踏まえ、マラキアの弁を持ってサニー達を悪者に晒し上げる手段などいくらでもある。その上でマラキアに敗れ、手中に落とされることあろうものなら、それこそ誇張抜きで何をされてもおかしくない。マラキアといいカルムといい、自分の気に入らない相手を自由にしていいという状況に至ったら、非道に容赦ない性格であるのは明らかなこと。
ファインのことも心配だが、サニーとてここで敗れようものなら明日は無い。親友を案じる想いも一度締め出し、両手で頬をパチンと叩こうとしたサニーだが、左腕が上がらないことを思い出して右手だけが浮く。あ、そうか、と痛みも忘れていた自分に苦笑しながら、改めて構え直すサニーの余裕ぶりは、なおもマラキアの癪に障るものだ。これは天然だが。
「さあ、覚悟して貰おうか……!」
「こっちのセリフよ!」
マラキアの両手に宿る風の魔力。天人の扱う魔力の色は、水、風、雷、そして光。同じ天人たるサニーもまた、同色の魔力を体内に練り上げて地を蹴った。
マラキアが来た方向に向けて駆け出したクラウドにも、それなりに張ったヤマがあった。マラキアは常にカルムのそばにいた人物だ。騒ぎを察して現れたマラキアだったが、今しがたまではカルムと同じ場所にいたはずだという推察も立つ。そして、町長室にいなかったカルムは今どこにいるのか。絶対ではないが、捕えたファインのそばにいた可能性が高い。クラウド目線でも可愛らしかった女の子、ファインを手中に収めて動かしたカルムのことだから、早速ファインにその歯牙をかけたがっても何ら不自然ない。
屋敷内で目にした使用人達も、近付いて来ないならば片っ端から無視。目に付いた扉を開き、ファインの名を大声で叫びながら、彼女の所在を探し求める。しらみ潰しに、しかし一度中を覗いた部屋は、扉を殴ってへこませてマーキング。広い屋敷内、一刻も早くファインを見つけねばというクラウドの焦りは、この程度走っても汗一つかかないはずの彼を、焦燥感による汗だくにしている。
「っ、危ないだろ……! この……!」
曲がり角を曲がった瞬間、そこで待ち構えていた使用人が、至近距離から棍棒を振るって襲い掛かってくる。賊に対抗するため、戦闘能力に乏しい使用人でも、当てれば相手を粉砕して無力化できる棘つき棍棒だ。卓越した反射神経でそれを回避したクラウドは、大振りの一撃の直後で体勢を崩した使用人の襟首を掴み、苦く呟き壁に放り投げる。肩口からすごい速度で壁に叩きつけられた、戦闘の素人は気絶こそしなかったものの、肩がはずれたのかうずくまって動かなくなってしまった。
肩を手ひどく痛めたら、あれこそ普通の反応だよなと思わず感じたものだが、余計なことを考えている場合ではない。雑念を頭から締め出して、先を急ぐ足を駆けさせるクラウドの行動は正しい。こうしている間にも、ファインがどのような目に遭わされていてもおかしくないのだから。
それだけ全力の足を駆けさせていたクラウドの足が、不意に突然止まったのは、目の前に立ちはだかった巨漢のせいだ。何人かの屈強なガードマンをぶっ飛ばしてここまで来たクラウドだが、これはそいつらより少し格上だろう。筋骨隆々の上半身裸という特徴だけでも特徴的だが、何より荒くれ者達を従えられそうなほどの尖ったオーラが、この男からは感じられる。荒事に生きる男連中の中でも特に自信がある、そんな男の顔つきに対しては、下町育ちのクラウドも敏感だ。
「子供は寝る時間だ……!」
獅子のように巨大な肉体が、馬のような速度で急接近してくる光景はとんでもない迫力だ。構える暇もなく、それを眼前から迫らされたクラウドめがけ、巨漢は突き上げる拳を振るい上げてくる。クラウドの顎元を的確に打ち抜くアッパーカットは、相手が彼でなければ反応する暇もなく、失神させていたであろう一撃。
かわすどころか身をひねると同時、手首をその手で握り締めたクラウドは、回転する体に巻き込むようにして巨漢の腕を引っ張り込む。振り上げるさなかにあった拳の進行方向を、強引に曲げられた巨漢が一気にクラウドに引き寄せられる。そしてそのまま片足振り上げたクラウドが、巨漢の足を払い上げ、同時に一本背負いの形で思いっきり投げ飛ばした。図体のでかい男が大きな弧を描いて投げ飛ばされる軌道は、長い脚の先が天井にこする寸前のものであり、それだけ豪快な勢いで投げ飛ばされた巨漢は、背中を下にして凄まじい勢いで床に叩きつけられる。
こうして投げられることになど慣れていないであろう大男が、それでも片腕で地面を叩いて受け身を取った姿からも、只者でないのは明らかだったことだ。しかし投げ飛ばされて動きの止まった巨漢の頭を、すかさず強烈に蹴飛ばしたクラウドの一撃には、いかに屈強な男といえども意識を保っていられない。自分よりもずっと大きな体躯を持つ男を、容易に投げ飛ばす足腰を持つクラウドなんだから、突発的に放った蹴りひとつでも洒落になっていない威力である。
ガードマンを統べる男なんていうのは、背後から頭を鈍器で殴られても、血を流しながら戦い続けるような奴らなのだ。それを投げ飛ばした挙句、蹴り一発で無力化してしまうクラウドのパワーを見て、ガードリーダーの勝利を信じていた使用人達も恐れ慄くばかり。卓越したパワーと快速である程度知られている運び屋クラウドではあったが、温厚に暮らしてきた彼が荒事に踏み出した時にこれほどまでとは、町の誰もが知らなかったことだ。
怖い者知らずで屋敷内を駆けるクラウドを遮ろうとする者はもういなかった。彼が近づいてきたと思えば、逃げ出す方向に走りだす者ばかりである。いかに主人の屋敷を荒らす者を鎮圧するのが仕事とはいっても、無策でこれに飛び込んで骨を折られる可能性を思えば釣り合うまい。悪人揃いのこの屋敷、そこまでの忠義を貫いてまで賊を止めようとする者などいないのが現実だ。
 




