第130話 ~名前も知らない女の子だけど~
絡んで押さえてしばらくして。何度も呼びかけたファインの努力と、その隣からあやすクラウドのサポートの甲斐あって、ようやく女の子も落ち着いてくれた。しゃなりと部屋の真ん中に座り、ぐずるように泣く女の子の前、こちらも姿勢よく座ったファインとお話だ。
「えぇと……つまりあなたは、怖い人達に嫌な仕事をさせられてて」
「それがもう嫌で、逃げてきたってことか」
「うん……ぐすっ……」
しばらく話してわかったことがいくつか。十歳にも満たないかもしれない、小さく幼いこの女の子だが、こう見えて天性の身体能力に恵まれているらしく、それに目をつけた悪漢達が、女の子に"悪い仕事"を強要してくる毎日だったという。規格外のパワーで蹴られたファインも、女の子の脚力については体験済みなので、説得力のある話だ。女の子が装備している爪型の武器も、悪漢達に与えられた武器らしい。
悪い仕事というのは要するに、刃のついた武器と身体能力を使ったものだから、人の生き死にに関わる血生臭いものなのだろう。悪漢達に脅されて、怖くて仕方なかった女の子は、嫌々ながらもずっとその強要に従ってきた。だが、とうとう嫌な想いを抑えられなくなって逃亡し、アボハワ地方を駆けた末、この野良小屋で一夜を過ごしていたという。
「ということは、私達があなたを追ってきた、悪い人達だと思った、っていうことですね?」
「う、うん……」
「だ、大丈夫ですよ、そんなに怖がらなくても。私達はそうじゃないですから」
話をしてはくれたものの、今も真正面に座るファインから少し逃げ腰の女の子。今でもファイン達が、自分を追いかけてきた悪漢の手先である可能性を否定しきれていないのだろう。苦笑いを浮かべ、なんとか女の子の警戒心を和らげようとするファインだが、まだいまいち信用されてはいないようだ。
「ま、まあその境遇で目を覚ました時、目の前にいきなり人がいたらびっくりするよな。蹴るのはさすがにやり過ぎだとは思うけど……ファインも、な?」
「あはは……もう何も言いませんよ?」
誤解で蹴られて、今も懐疑の目で見られるファインとしてはたまったものじゃないが、女の子の事情を聞けばまあ、事情も理解できる。失神するほどの頭突きもかましていることだし、ひとまずファインも苦笑しつつも女の子を許すことにした。仲介役に挟まっているクラウドも、これ以上話がややこしくならないよう両者の和を保ちたいところ。ファインが大人になってくれると助かる。
「……蹴っちゃって、ごめんなさい」
「うん、よろしい。謝ることが出来るのは、いい子ですよ」
敢えては求めていないのに、謝罪の言葉を向けられたことは、少なくともファインにも気持ちのいいことだ。頭を撫でようと手を伸ばしただけで、びくっと肩を跳ねさせる反応からも、今でも女の子はファインのことを100パーセント信用しているわけではなさそう。それでもちゃんと、自分からごめんなさいって言えるんだから、根は悪くない子なんだろうなってファインも思えるのだ。
他にも詳しいことを聞きたいところではあるが、ここまででもいくつか質問を重ねて時間がかかったし、ひとまず折り入った話は中断である。顔を見合わせたファインとクラウドの間でそれは合意され、ふぅと息をついたファインが、女の子の手を握る。
「さて、ひとまず体を洗いましょうか」
「え?」
「え、じゃないですよ。女の子が、そんな汚い格好してちゃいけません」
身寄りもなく、悪漢達から逃げてきたと自称する女の子の説明は、そのみすぼらしい風体からも説得力のある話だ。大きな布切れ一枚纏っただけのような、上下一体の砂埃まみれの服、玄関口にあった靴もぼろぼろだ。見えている腕も足も砂っ気混じりで、孤児の風貌と比喩して差し支えなさすぎる。そんな女の子の手を引いて優しく立たせたファインは、一緒に小屋の外へと歩いていく。
「クラウドさん、出てきちゃダメですよ?」
「あーうん、わかってる」
二人を見送るクラウドを置いて、小屋の外へ出て扉を閉めるファイン。連れて行かれる女の子は、えっどうやって体を洗うのと戸惑っていたが、外に出てファインが温水を生み出す魔術を展開すれば、その疑問もすぐに晴れたようだ。
「わ、わ、凄い……」
「それじゃ、一度全部脱ぎましょうね」
「えぇ~、やだぁ……そんなの恥ずかしいよぉ……」
「誰も見てないですから、ほら脱いで。服も洗ってあげますから」
「うぅ~……」
扉の向こうでのファインと女の子の会話が、ぼろの多い野良小屋の中にも筒抜け。耳がいいのも良し悪しで、拗ねたように観念した女の子の声が、裸になっている彼女を示唆する言葉としてクラウドに届く。あんまりそういう刺激の強い発言を、いちいちこっちまで届く大きさで発さないで欲しいのが、クラウドとしては本音なのだけど。
いやいや待て、あんな小さな女の子が裸になってる姿を想像しても興奮するわけないだろ、と、一人でぷるぷる首を振っているクラウドの心境やいかに。俺そんな性癖ないはずだろ、落ち着け俺と自分に言い聞かせるクラウドは、勝手に自爆して自責し始めている。そんなクラウドの若い葛藤なんかいざ知らず、外で温かいお湯を降らせる雲を女の子の頭上にセットしたファインは、女の子から受け取った服をその中で洗い始める。両手で握って布と布を擦り合わせながら、ぎゅうぎゅうと何度も絞るだけの作業だが。
「うわぁ、すごい汚い。ほら、こんなに土色の水ばっかり出てきて」
「あ、あんまり見ないでよぅ……恥ずかしいから……」
「服を洗ったら体も洗ってあげるから。風邪ひかないように、お湯の中から出ちゃダメですよ?」
胸と股を両手で隠して、お湯のシャワーの中で顔を真っ赤にする女の子と、自分もびしょ濡れになりながら女の子の服を洗うファイン。ある程度、絞っても土色の水が出ないようになったなと思えたところで、洗った服を野良小屋の軒先に置いて、ファインが女の子の体をさすり始める。道具もないから、体を洗ってあげようと思ったら、手でこすってあげるしかない。
「かゆい所とかないですか?」
「な、ないけどくすぐったい……」
「我慢我慢、背中には手が届かないでしょう? 前は自分で洗ってね?」
素っ裸で体をさすられることに萎縮しっぱなしの女の子と、服を着た自分ごと濡れながら、悪意ゼロで体を洗ってあげるご奉仕モードのファイン。ファインって手つきが優しいから、触られる側からすればくすぐったくて仕方ない。ファインも女の子、どこを触られたら嫌かはわかるから、脇だとかお尻だとか、特に前だとかには手を伸ばしてこないので、そこは特に良心的なのだけど。
しばらくそうして、体が綺麗になったと思えるところでおしまい。あとは温風を生み出す魔力で女の子の全身と、びしょ濡れになってしまった自分の体を乾かして湯浴みは完了だ。丸裸の女の子が、へくちっ、と小さくくしゃみしたことも見受け、洗いたての服はちょっと高温の風で捕まえて高速乾燥。その間、風邪をひかないようにと、女の子を後ろから抱きしめて体温で温めてあげるあたりが、ファインの気の利きようか。
「ただいまです、クラウドさ……って、どうしたんですか?」
「べつになんでもない」
綺麗になった体、乾いた服、さっぱりした女の子と一緒に小屋の中に帰ってきたファインだが、三角座りでうなだれたクラウドの姿を見て少し心配になる。あんな女の子が裸になったぐらいで、いちいち変なことを考えてしまう俺ってロリコンなんだろうか――って激ヘコみしているだけだから、別にほっといていい。そういう悩みは本人が勝手に解決すればよろしい。
野良小屋の中に布団を三枚敷き、クラウドが一枚に、ファインと女の子が隣り合わせに近い布団に寝る。寂しかったら来てもいいよ、と一言断ったファインだが、女の子もまだファインのことを警戒しているのか、各々一枚ずつの布団で普通に寝る形だった。
さて、翌朝。今日はファインが早起きだ。クラウドも朝早くに目を覚ましたのだが、彼が目覚めた頃にはすでにファインは顔を洗い、髪を整え綺麗な姿である。さすが女の子、身だしなみを整えるのが早い。
きっと疲れも溜まっているであろう女の子は、すぅすぅと寝息を立ててなかなか目覚めない。改めて見ると、やはり可愛い顔立ちをしていると思う。今は恐らく十歳に至るか至らないかという顔だが、数年後にも可愛らしい顔をしているだろうなと思える、小顔でバランスのいい顔つきだ。柔らかそうなほっぺたを、ファインが指でつんつんしたそうだが、やめておけよとクラウドに笑いながら制され、我慢しますとファインも残念そうに返していた。
「クラウドさん、どうしましょうか……?」
「やっぱりそうだよなぁ。俺も同じ事は考えてたけどさ」
話は単純、ここでこの女の子とお別れという形でいいものか。聞けば、確かに優れた身体能力の彼女だが、それに目をつけた悪党どもに、人殺しまがいの仕事を強要されているという話。それから逃げ出し、ひとまず嫌な仕事から離れられたものの、これからこの女の子はどうやって生きていくのだろう。見たところ、お金どころか財布すら持っていないようだし、食にすら困る今日からが傍目からも明らかである。
お金がなければ食べ物を買うことも出来ない、だったら"買わずに"お金や食べ物を、この子はその身体能力を使って"得て"いくしか生きていけまい。それってあまりに不憫な話だと思う。ついこの間、山賊に囲まれたばかりの二人だが、あんな生き方をこんな幼い女の子が、それしか選択肢のない状況に追い込まれて、歩んでいくというのだ。このままお別れすれば、ほぼ間違いなくそうなるだろう。
「一応さ、確認するぞ。その子を連れていきたいって言うんなら、今までみたいに速い移動はしづらくなる。俺が気になってるのはその辺りなんだけど」
「……そうですね」
何も具体的に言われないうちから、女の子を自分達の旅に連れて行きたいと思っているファインを予測し、言い当てる辺りはクラウドも正解。もっとも、クラウド自身も同じことを一度は考えたから、というのも大きいのだが。一方で、そうすることによって生じる弊害もあるため、それは未然に確認しておかなくてはならない。
二人は今も、マナフ山岳で襲われた連中に追われる幻影が拭いきれていない。ホウライ地方への旅を急いでいるのは、ファインを狙っていると思しき連中に、追いつかれるのを避けたいからだ。女の子を連れての三人旅になれば、ここまでやってきたように、ファインを背負っての早馬移動が出来なくなる。必然、旅の足は遅くなるだろう。
加えてクラウドも、わかっているだろうから敢えて言っていないが、女の子に汚い仕事をさせていた悪党どもが、動かずにいるとは考えにくい。逃げた女の子を探す連中がいるなら、それと敵対することになる。いつぞやの経験上からも、気の毒な境遇の誰かを匿おうと思えば、守るための血を流す覚悟が必要なのは知れたことであろう。
「それでもいいなら、俺も乗るけど」
「……クラウドさんが、いいって言ってくれるなら」
「うん、いいよ。じゃ、そうしよう」
二人の旅だから、何か決断する時には合意が欲しいところ。ファインの希望にクラウドが乗ってくれたことは、迷いを打ち消す光のようなものだ。話のわかる友達の二つ返事には、ファインもくしゃりと顔をほころばせる。
「まあ、その子にも聞いてみてからかな。その子もいいって言ってくれるなら、三人旅っていう方向で考えとこう」
「そうですね……」
恭しい笑顔ひとつで、同意してありがとうございますの言外を語るファインの一礼には、クラウドも少し誇らしい気分になる。クラウドに背を向け、女の子の寝顔を覗き込むファインの顔は、今のクラウドには見えない。でも、なんとなくその角度でも、幸せそうな顔をしているのは想像できる。
可愛らしい寝顔、ともすれば天使のそれとさえ思えそうなほどに。指先をそーっと女の子の顔に近づけるファインを、こらこらとクラウドが改めて引き止める。そんなにつつきたいのかと。可愛い寝顔だし、気持ちはわかるけど。
でも、確かにこんな寝顔の女の子を、賊めいた生き方しか出来ない未来に放り出すのが嫌だという、ファインの気持ちはよくわかる。いくつもの不安要素を認識しつつも、ファインの望んだ提案に同意したことは、正しいことであるはずだとクラウドも、確たる自信を持つことが出来た。




