第125話 ~これが最初の"そばにいて"~
夕暮れ過ぎに、やっとマナフ山岳を越えたクラウド達。山岳のふもとには、山を越えてきた旅人達を迎える役目と、これから山越えに臨もうという人々を送り出す役目を兼ねた、少し大きめの町がある。辿り着いたクラウド達は、ひとまずの長い一路を終えたのを実感しながら、この夜を過ごすための宿を探し始める。旅人が訪れることの多いこの町で、一件目の宿で部屋を取れたのは、比較的幸運なことだった。
まずはお風呂。旅中でも、ファイン産の温水シャワーと乾燥風で体を綺麗にしてきた二人だが、やはり一糸纏わぬ姿で熱い湯に浸かるのが一番気持ちいい。その後は、宿の女将が部屋まで持ってきてくれた夕食を食べ終え、今日も一日が終わったと息をつく。湯浴み後のさっぱりした体、お腹もいっぱい。布団を敷いて寝転べば、すぐにでも心地よい眠りにつけるだろう。
「聖女スノウ様に出会えたら、その後はどうする? ホウライ地方に住むのか?」
「あー、あんまりお母さんに会った後、どうするかは考えてませんでしたね。会うことだけで頭がいっぱいでしたし」
寝る前にちょっとお喋りするのは、サニーがいる時からずっと続いている習慣だ。先に布団だけ敷いておき、それを座布団代わりにして座る二人が向き合って、今後のことを話の種にする。ホウライ地方まではまだ遠いが、マナフ山岳という一つ目の山を越えた後だから、以前よりも、先のことが意識しやすくなる頃合いだ。
「出来ればお母さんと一緒にクライメントシティに帰って、一緒に暮らしたいなあって思ってますけど」
「そうだな、出来ればそうなると一番よさそうだけど」
ホウライ地方は天人の楽園と言われ、地人や混血種には、他の地方と比べて一層蔑んだ目が強い地方。出会えれば母と一緒に暮らしたいファインだが、可能な限り定住する場所も、ホウライ地方から移したい。母スノウの生まれの故郷であり、ファインにとっても育ちの故郷である、クライメントシティあたりが一番理想的だ。
「そうなったとして、その後はどうする?」
「え? その後って……」
「ファインも自分で働き口見つけて、仕事するようになっていくんだろ?」
「あー、そういうことですか。今のところ、そこまで具体的に将来のことは考えてませんでしたねぇ」
「そうなんだ。料理も上手いし、そういう道に進めばいいんじゃないかなって、俺は個人的に思ってたけど」
「お、お料理ですか? いや、私のは趣味レベルですし、仕事にまでするほどのものじゃ……」
「そうか? 料亭で働くファインとか似合いそうだけどな」
出会ってこれまでファインを見てきたクラウドの目線、働くファインの想像図ってそんな感じである。素材も可愛らしい顔立ちだし、綺麗な服に身を包んで、ウエイトレスをやっても客を呼べそう。今の時点でも料理の腕は凄いし、本格的に修行したら、いずれは相当な境地に辿り着きそうだ。素直からそう思い、そんな未来図を提示してみるクラウドだが、正座した脚を崩してお尻を床に着けたファインは、少し首を傾けてうーんと悩みだす。
「いやー……私ドジですし、ウエイトレスなんてのはお客さんに迷惑かけそうだから……」
「じゃ、料理は?」
「お金を取れるようなものは、流石に……」
「なんでそんなに自分に自信ないんだよ」
苦笑するクラウドに、自覚があるのかファインも苦笑い。似合うだろうとせっかく言ってくれているのに、わざわざ切り捨てるなんて、あまり良くないとも思っているのだろう。その上でああ答えてくるんだから、自分に自信がないという想いは本当のようだ。でないと、ちょっと謙遜の域を通り越している。
「そ、そういえばクラウドさんは、自信っていう言葉好きですよね。ほら、いつだったか……サニーが何かクラウドさんに振った時……ええと」
「ん、ああ、えーっと……"人生を幸せに生きていくために最も必要なもの"、だっけ?」
「そうそう、それです。クラウドさん、その質問にも"自信"って答えてましたもん」
この手の話で迫られるのは苦手なのか、別の話題に転がして逃げるファイン。さりげに自分から離別した親友の名を出し、今はもう思い出してもへこまない精神状態だと物語る姿で、クラウドにとっても少し安心することが出来た。何気にクラウドもここ数日、自分からサニーの名を発することは控えていたので。
「うーん、なんだろな。漠然とだけど、自分を信じるのって大事なことだと思うよ。自分の選んだ道が正しいかそうでないかなんて、後からでしかわかんないんだからさ」
人生は、選択と決断の連続だ。人はみな、自分の選んだ道筋の向こう側にあるものが、正解か不正解かをはっきりとはわからないまま、人生という長き旅を歩んでいく。怖く思うこともあるし、不安を覚えることは少なくないだろう。だけど、自分が歩み続けた道が正しきものであったかどうかは、振り返る形でしかはっきりとわからない。答えを得られるのは前に進んだ者だけだ。だから、不安を覚えてもひとまずは前進し、振り返れる所まで進むことが大切だと、クラウドの言葉には含まれている。
「ほら、ファインがリュビアさんを助けてきた日、あっただろ。俺はあの時のファインの決断、正しいと思ったから支持したけど、結果が違えば後悔してたかもとは思うし」
「あー、まあ、確かに……ニンバス様との戦い、きつかったですもんね」
「俺、あの戦いの時、ファインやサニーが殺されやしないかって何度も不安になったんだぞ? もしもどっちかがあいつらに殺されでもしたら、俺すっげえ後悔してたと思うもん」
無法者に攫われたリュビアを守るために、難敵4人を相手取ることになったあの時のことは、誰も死なない結果になったから良かったようなものだ。極論だが、友達であるファインやサニーの安全を第一に考えるなら、救出したリュビアをさっさと役所にでも引き渡した方が懸命だっただろう。そうしていたならば、ニンバス達と戦うなんていう、とんでもないリスクはあらかじめ回避できていたのも事実である。当時からその選択肢は、クラウド達の中にも一応あった。役所にリュビアを預けたら預けたで、彼女の身が危ないという仮説もあったが。
「でも、クラウドさんは……」
「うん、止めなかったよ。だってリュビアさんを助けたファインの考え方、絶対にその方が正しいと思ったもん」
そうせず、自分達が危険に晒される可能性があってでも、自分達の手でリュビアを守るとクラウドのが決断したのは何故か。理不尽な不幸を強いられていたリュビアを守りたい、そう主張して行動に移したファインの思想を、肯定したいと思ったから。それが人として正しい道だと信じられたからだ。今でもクラウドは、自分を信じてファインの意思を尊重したことを、間違ってなんかいなかったと思っている。
だからあの時、いつよりもがむしゃらに戦えた自覚だってあるのだ。いかに美しい思想を行動原理にし、無力なリュビアを救うために戦うと言っても、友達の死と引き換えでは悔いが残らぬはずがない。そうなっていたら、ファインの目指したものを肯定できただろうか。犠牲者なく、三人揃って生き抜けるために戦い抜いたあの日のことは、クラウドの中でも忘れられない思い出だ。その苦心の末、今でもファインがそばにいるこの日を迎えられているからこそ、苦しかったあの時のことも、今となってはいい思い出だったと回想できる。
「やっぱさ、自分が信じた正義を貫いて、一番いい結果を掴めた時の方が、何より一番嬉しいだろ」
「自分が信じた……」
「自分の進む道が正しいのかも考えず、自分を妄信するだけで突き進むのはまた違う気もするんだけどさ。どのみち後にならなきゃその道が正しかったかなんてわからないんだから、せめて進む中では自分に自信を持って、胸を張っていた方がいいと俺は思うんだ」
間違いを犯さない人なんていない。大切なのは何かを間違えた時、それを間違いだと認識して学んでいくこと。そして正否の真実が、前に進んで振り返った者にしかはっきりとわからないなら、まずは一度前に進んでみるのも大切なことである。結果や教訓、己の是非は、いずれも後からついてくるものだから。簡単なように見えて難しいことで、それを少しでも前向きにさせるのが、いかに自分を信じられるかに由来する。だからクラウドは、"自信"という言葉を重んじる。
「もっとファインも自分に自信持っていいと思うんだけどな。リュビアさんを守ろうとしたのも、クライメントシティを守るために戦おうとしたのも、ファインらしくていい決断だったと思ってるし」
「じ、自信を、ですか……うーん、あーむ……」
まあ、自信を持てと言われて急に持てるものでもあるまい。逆さま振り子のように、ぎっこんぎっこん体を左右に傾かせるファインも、難しい顔をして悩み込んでいる。時間をかけて、そういうことに向き合ってくれるのなら、今は別にそんな感じでもいいのだ。急に彼女を変えられるとはクラウドも思っていない。
「――ファインは"人生を幸せに生きていくために最も必要なもの"、友達って答えたんだよな」
「ええ、はい。それが一番大切だと思ってます」
あんまりこの話で詰めてもファインがしんどそうなので、クラウドは同じ話題から別の方向へと切る。いくらか言いたいことも言ったし、今度はファインに言いたいことを言いやすい話題に変えている。この辺りの配慮は、クラウドも上手である。
「……昔からですけど私、周りに尊敬できる人が多いんですよ。クラウドさんやサニーもそうだし、お婆ちゃんだってそうでしたから。だからいつも気後れしてる部分は、なんとなくあるような気はしてますけど」
「尊敬……サニーやフェアさんはわかるけど、俺にそれはちょっと言いすぎじゃないか?」
「そんな、普通に尊敬してますよ。優しいし、強いし、私の知らないこといっぱい知ってるし、同い年とは思えないぐらいですもん」
ああ、でもちょっとファインの気持ちがわかる気がした。真っ向からこんな率直に褒められたら、そうかわかった嬉しいよとは言いにくいものだ。クラウド目線で、ファインが魅力的な人物であるからなおのこと、そういう人にここまで褒められると、照れるというかちょっと恐縮するというか。
「今までも色んなことがありましたし、きついこともありました。でも、そういう色んなことを乗り越えるのって、私一人じゃ出来なかったことばっかりだと思います。お婆ちゃんがいてくれたから、私はこの年まで育ってこられましたし、クラウドさんやサニーさんがいたから、命まで救われたこともありました」
炊事、洗濯、料理と家事を一手にこなせて、混血児としての魔術であらゆることを叶えられるファイン。そんな彼女が、自分は一人じゃ生きていけないって自己評価しているが、それは過ぎた謙遜なんかじゃないはずだ。ファインだって多くの人に支えられてきたから、ここまで来られたのは事実であって、彼女はそれを見過ごしたり、忘れたりしていないだけ。
「一緒にいられるだけで安心できる、友達がそばにいるのって、本当に幸せなことだと思ってます。自分に自信がないのは、クラウドさんの仰るとおり、私の至らない所なのかもしれません。そんな私でも、ここまで何とかやってこられたのは、クラウドさんやサニーが近くにいてくれたからに違いありません」
「…………」
混血児ファインの幼少の頃って、どんなだったんだろうとクラウドも考えてしまう。天人からも地人からも見放された孤独が長かったから、真理といえどこの結論に、16歳で辿り着いてしまうんじゃないかって、ついぞ思わずにはいられない。勝手な想像で哀れむような目を向けたりはしないが、この年でそこまでの答えに辿り着いているファインの姿は、同い年のクラウドにとって、彼女が自分より大人びて見える瞬間でもある。
「ですから、その……サニーが今、そばにいてくれないのは不安ですよ? それは本当ですけど……クラウドさんがそばにいてくれるから、まだ私も笑えるんだろうなっていう自覚は、ちょっとあるんです」
思い詰めて言う言葉ではないと強調するためか、張りはないけど笑ってそう言ってくれるファイン。完全な作り笑いというわけでもない、そんな顔。最愛の親友の不在を寂しがる想いと、目の前の友人がそばにいてくれる貴さを、等しく共存させた表情だ。
「大事なことだから強く言っておきますよ? クラウドさんには、いなくなって欲しくないって、ずっと思ってます」
「見放したりなんか絶対しないよ。友達だろ」
「そっちは信じられますけど、クラウドさん無茶すること多いから、死んじゃったりしないか私だって不安なんですよ?」
このタイミングでそれはずるいんじゃないかとクラウドも額を押さえた。良かれと思ってファインの安全を優先し、ここ最近は特に体を張り続けてきたクラウド。そばにいて下さいね、と言われた直後、ご自愛下さいのコンボを重ねられると、自分の命が二人ぶんの価値を持ってしまうから、今後はいっそう無理がしづらくなる。
「んー、あー……わかった、わかったよ、もう何日か前までみたいな無理はしないよ。あの時はあの時で、必要だと思ったからああしたんだけどさ」
「自分のことも大事にして下さいよ? クラウドさんまでいなくなっちゃったら、私本当にどうしていいかわかんなくなっちゃいますから」
頼られるのって嬉しいこと。同時に重いこと。見知らぬ者に期待を込められたところで、上手くいかなかったとしても、ごめんね期待に沿えなくてで済む。友達のファインにここまで言われたら、その信頼を裏切ることはクラウドには出来ない。今の約束、恐らくクラウドには破れないだろう。
「ああ、そうそう。おでこの傷見せて下さい。跡が残らない状態まで行ってるか、確かめますから」
「えぇ? もうそれ終わったんじゃ……」
「一応ですけどね。確認しておきたいですし」
立ち上がって近付いてくるファインの押しに負け、今日も額の傷跡を診察されるクラウド。結局この日も今までと同じように、向き合っての治癒魔術を施され、布団に寝た後も昨日のように、肩や腰をマッサージして貰う夜になるのだった。
最初はファインに、自信を持つようにしなよと説教していた立場だったのに、いつの間にかあなたこそ無茶はしないようにと説き伏せられて、どうしてこうなったのか。無垢に想いの丈をぶつけてくる子は、ある意味反則だろとクラウドは思っていた。




