第122話 ~二人旅:ファイン視点~
さて、ファインを気遣うことで頭がいっぱいだったクラウドだが、当のファインはどうだったのか。時は昼まで遡り、この集落に辿り着いた頃、ファインの機嫌はかなり良かった方である。
「ん……」
不意に遠くに向けて顔を上げ、鼻息をすんすんと鳴らし始めたファイン。何だろうと彼女を横目で見るクラウドだが、彼はファインよりも鼻が利くから、だいたい予測はついている。どこか少し離れた場所から、石焼き芋の匂いが漂ってきてますねと。
匂いの方角に少し足を早めるファイン。ああやっぱりそうだ、と、その後ろを追いかけていくクラウド。美味しそうな食べ物の匂いだけで、落ち着きを失って周りも見えていない歩き方をしてしまうファインの横顔は、クラウドも見ていて微笑ましかったものである。
「あの……ちょっとすいません、クラウドさん」
やっぱり石焼き芋の匂いだ、とはっきり確信したファインは、クラウドに一言断りを入れると、さらに早足に。美味しいものを見つけた時のファインはいつもだが、おやつの時間に家へ帰る子供のように、視野も思考も狭まって幸せへと一直線。やがて焼き芋売りの出店に到着だ。
「おじさん、おいくらですか?」
「おぉ、可愛らしい嬢ちゃんだな。ひとつ、これだけだが、いくつか買ってくれるなら割引するぞ?」
焼き芋一つぶんの値段と、3つ買うなら少々お得という割引を聞き、財布を取り出し中身を確認するファイン。旅をする身としてまだまだ貯えはあるが、その大きな額に比較して小さな焼き芋代、それを緻密に計算して、どうせだったら3つ買おうという計算に至るのも早い。まだ、それぐらいの買い食いをしても大丈夫。
だが、出店の主人の顔を見上げ、3つと言いかけたところで一瞬ファインが固まった。衝動買い気味に決めた3つ買いだが、その3つを誰と誰と誰が食べるのか。美味しい匂いに釣られて浮かれていた、ファインの脳裏に不意に蘇る、今は一人足りないという事実が、ここに来て唐突にファインの胸をずきりと刺す。
「……えっと、2つ下さい」
「ん、2つだと割引が利かんが、いいのかい?」
「せっかくですけど……はい、2つでいいです」
少し陰りのある笑顔で断るファインの表情は、事情を知らぬ店主には、旅人はやはり倹約家だなという程度にしか映らない。普段の買い食いなら、いつもそばにいてくれた親友と、クラウドと自分のぶん、3人ぶんの買い物が当たり前だったファイン。2人ぶんの焼き芋を購入し、クラウドのところへと駆け戻るファインは、すでに数秒前に感じた寂しさを表情から消し、無邪気を演じる笑顔に戻っている。
「お待たせしました。クラウドさんもどうでふか?」
「……それじゃあ、一つ貰おうかな」
「ふふ、美味しいですよ」
辛気臭い顔で帰ったら、心配させてしまうと思って。はしたないと思われようが、焼き芋を一足先に口にして、普段よりも表情を読み取りにくい顔を作るのも計算のうち。
作り笑顔って難しいのだ。下手者が作ったまがい物の笑顔は、親しい者にはその裏に隠された哀を透けさせてしまう。クラウドに気遣わせまいと、焼き芋を食べる顔の形を作り、表情から感情を読み取らせぬようにするファインの作戦は、しっかりクラウドを騙し通していた。
「寝て下さい」
「え……いや、そのつもり……」
「そうじゃなくて、うつ伏せに」
宿に着き、夕食を終え、最近恒例のクラウドの額の傷を治療する時間を終えた後、寝室にて布団を敷いたファインがクラウドを寝かせる。戸惑いながらも布団の上、言われたとおりにうつ伏せに寝たクラウドの腰元に、ファインはふんすと気合を入れて座り込む。
「や、ちょ!? な、何し……」
「じっとしてて下さい、マッサージしてあげますから」
軽く裏返ったびっくり声を放つクラウドの姿って、ファインにとっては中々見られないものだ。いきなり乗られたらびっくりするか、と、ちょっと唐突すぎた自分のアクションを反省しつつも、ファインは当初のとおりの展開を口にする。動かないで下さいね、というのを態度で示すかの如く、両手でクラウドの肩をぎゅっと押さえつける。
お婆ちゃんをマッサージしていた頃のことを思い出し、決して強くもない握力を全開にして、クラウドの肩を揉む。記憶や経験と大きく異なるのは、お婆ちゃんの体と違い、クラウドの体が堅いことか。筋肉質にはとても見えない、自分より背の高い普通の男の子の風体のクラウドだが、触れてみればこんなにたくましいのだ。
(……クラウドさん、やっぱり男の人なんだよね)
握るたび、揉みほぐすたび、強い筋肉の反発がファインの握力を押し返す。お婆ちゃんをマッサージするより手が疲れる。でも、負けない。肉体の疲労を回復させる、エネルギーを司る火の治癒魔力を淡く注ぎながら、クラウドの体をマッサージし続ける。魔力に呼応し帰ってくる、クラウドの体内に流れる鼓動の早まりなど、治癒の促す回復力を実感するファイン。同時に、異性の肌に触れていることを今さら意識したファインは、クラウドの見えない角度で口を絞っている。
余計なことを考えてちゃいけない。ある程度クラウドの肩がほぐれたと思ったら、座る位置をクラウドの太ももの辺りに移す。クラウドの脚に全体重をかけないよう、両膝に力を入れ、少し体を前に傾けることで、少しだけお尻を浮かせる。そのままクラウドの腰元に両の掌を添えると、体を前後させて揉みほぐす。これなら体重移動を伴う動きで、より力が入る。
「どうですか?」
「あ、あぁ……いいよ、すごく……」
「うふふ、私これには自信があるんです。お婆ちゃんにも好評なんですよ?」
服越しにでも、魔力への呼応でクラウドの体が温かくなっていることや、血の巡りが良くなっていることは、ファインにも通じている。全然違う事情から、心臓の動きが早くなっているクラウドの体の反応を感じ、今日は上手くいってるんだなとファインも自信を持つ。自分の柔らかいお尻で、クラウドの太ももを揺さぶる刺激を与えている自覚なんて、マッサージに全力投球中のファインには全然ない。
「――はい、終わりましたよ」
お風呂上がりで綺麗になった体なのに、また一汗かいてしまうほど頑張ったファインは、額をぬぐってふぅと息をつく。一方、マッサージ終了の宣言を聞いたはずのクラウドから返事がない。もう寝ちゃったかな、と一瞬思ったファインだが、何かを耐えるように小さくクラウドの体が震えているから、そうじゃないのはすぐわかった。
「……大丈夫、ですか? もう少し、続けた方が……」
ファインの提案の半ばにして、枕にうずめた顔をふるふる振るクラウド。もういいよ、というのを、必死なぐらいで訴えてくるクラウドの態度を、また気を遣って人を働かせないようにしてるんだ、とファインは解釈した。クラウドの下半身に乗ったまま、むぅと不満げな顔を浮かべるファインだったが、こうもはっきり拒絶を示されては、これ以上無理に続けるのも迷惑だと判断する。
「クラウドさん、あんまり無理しちゃ駄目ですよ。体、すごく疲れてるんですから」
「う、うん……気をつける……」
「素直でよろしい、です♪」
クラウドの頭の両サイドに手をつき、相手の後頭部に顔を近づけた状態で、少し叱るような声で釘を刺す。この時、少し火照ったファインの香りが近付いてきたことで、さらに一発心臓が高鳴ったクラウドのことなど、ファインには察せない。くぐもった声で返答したクラウドの態度を、流石に反省してくれたみたい、と解釈したファインは、満足げな声を発して立ち上がる。そばにあった掛け布団をクラウドに優しくかぶせた後、自分の布団を敷いて寝転がる。
「おやすみなさい、クラウドさん」
「お、おやすみ……」
消灯して暗くなった部屋で、一言だけの挨拶を交換。掛け布団を纏い、もう一度もそもそと額を拭いて。枕にうずめて息遣いを隠そうとするクラウドだが、静かな寝室の中では丸聞こえ。荒い息の真意を読み取れないファインは、変な呼吸音がなんだか可笑しくなり、掛け布団で覆った口元からくすりと笑い声を漏らしていた。
この日、頭の中が煩悩と使命感でいっぱいのクラウドは、なかなか眠りにつけなかった。だが、眠りにつくまで時間がかかっていたのはファインも同じだ。巡る想いは二つある。今は遠く離れてしまった親友サニーのことと、そばにいてくれるクラウドのことだ。沈黙の一室で体を休める中、一度想い馳せてしまうと、それはなかなか頭から離れない。体を回復させるために寝なきゃいけないのに、目が冴えてしまう。
実はファイン、サニーのことはさほど重く考えていないのだ。薄情な意味ではなく、何故だかわからないけど、きっと無事だと信じていられるから。希望的観測だと言えばそうかもしれないが、ファインにはどうしても、サニーが最悪の末路を辿ったようには思えなかった。今までも、自分の想像を超えた機転や知恵で、幾多もの危ない場面を自分と一緒に切り抜けてきたサニー。きっと今回も、自分の想像を越えた彼女が危機を逸し、どこかで生きてくれているはずだと、漠然と信じられている。会えないことは寂しいけれど、いつか会えるとわかっている気でいるから、嘆いたり絶望を感じたりするほど追い詰められた気の持ちようではないのだ。
それよりもクラウド。今のファインは、彼がそばにいてくれているから、何とか普通の自分でいられることを自覚している。たとえばあの日、仮面の男や重装戦士から自分だけ逃げ延びたとしよう。やっと逃げ切れた、だけど独りぼっち、もしもそんな状況に陥っていたらと思うとぞっとする。きっと自分は、その先どうすればいいのかわからず、山の中で身動き取れず、震えるばかりだったと想像できる。危機を逸したあの直後、何をすべきか、どう動くかを導いてくれたクラウドがいなかったら、自分はここにはいなかっただろう。最悪、追跡してきたあの二人に追いつかれ、今度こそ手も足も出ず、殺されていただろうとさえ思う。
そんな自分をここまで導いてくれたクラウドは、ここ数日でどれほどの無茶をしてきたか。戦いから逃れたばかりの傷だらけの体で、ファインを背負って山中を駆け抜け、連中からの距離を稼いでくれて。今にして思えば、昨日一昨日でクラウドの体が限界を迎え、二度と動かない彼になったりしなくて本当によかったと思う。自分がクラウドの立場だったら、あんな無茶を何日も続けたら、力尽きて死んでいたとしか思えない。
だから、この人里に着いた時のファインは機嫌がよかったのだ。クラウドには、少しでも休息の時間を作って欲しかったから。この日の朝、ファインが提案するより早く、今日はあんまり進まずゆっくり休もうと、クラウドの方から言ってくれたのは嬉しかった。もう、体を壊しかねない無茶をして欲しくなかったから。走らず、歩くだけの一日を挟むことさえ出来れば、体力に余裕の残るファインだって、夜には余すことなく治癒魔術に専念できる。マッサージだって何だって出来る。寝るのも普段より早めの今夜を経て、きっと明日には、今日より元気なクラウドさんに会えるはずだ。何事もそうだが、今日より良くなる明日が予感できれば、人は前向きに歩いていける。
今日はクラウドの小休止という、大きな意味を持つ一日だった。よかったと思う。だけど、いつまで彼におんぶにだっこでいていいのだろう。ファインは、自分に与えられた力をよく知っている。混血種に生まれ、人より多くを為せる魔術に恵まれている。良くも悪くも、他人よりも優れた能力を持つ人間であるはずなのだ。強くあることは不可能じゃないはず。なのに、いつまでも頼りない自分で心配ばかりかけて、クラウドの体と心に二人ぶんの負荷をかけ続ける、そんな自分でいていいとは思えない。クラウドは本当に優しい。お喋りな方ではないのに、昨日今日と口数が多いのは、退屈や寂しさを紛らわすために努力してくれてのことだと、ファインにだってわかるのだ。だってサニーがいた頃には、あんなお喋りなクラウドはいなかったんだから。
布団の中で、胸に添えた片手で握り拳を作り、ぎゅうっと握り締めるファイン。いつまでも、こんな自分じゃ駄目だって。守られ、心配されるばかりの自分を変えていくことを、静かに決意した少女の想い。それは誰にも知られぬまま、夜の宿で密かに光を放っていた。




