第121話 ~二人旅:クラウド視点~
マナフ山岳を、東西に越えていくのは長い道のりだ。山の各地に点在する人里や集落、それらを繋ぐ山道を歩き、夜が来るたび宿に泊まりながら、山を越えていくのが一般的だ。例えるなら、人里という島を、賛同という航路で渡りながら、マナフ山岳という海を越えていく流れとでも言えるだろうか。
「思ったより早く着いちゃったな。どうやって時間潰そうか」
「そうですねぇ……まずは美味しいもの探したいなぁ」
「第一にそれか。相変わらず食欲旺盛だなぁ」
「ふ、太らない程度にね? 私だって、それぐらいの気は遣ってますよ?」
今朝、ひとつ前の集落を出発したクラウド達は、ゆったりとした足取りで現在地の人里まで渡ってきた。到着した今は、夕暮れもまだ先の時間帯。仮にこのままここを素通りし、次の山道を早足で歩いたら、夜がとっぷり更ける前に、次の人里にも辿り着けそうな余裕がある。
今日は、そう急ぐ予定ではなく、ここで一夜を過ごす予定だ。先日、仮面の男や重装戦士に急襲を受け、それから逃れるために数日間、随分無茶なダッシュで逃げてきた。ファインを追い、今も追跡して来かねない連中だが、ひとまずある程度の距離を稼げたはず。そろそろ一度、一日ぐらいは休みの日を作って、息抜きの時間を作ろうと決めたのだ。ずっと逃亡に躍起になって、気を張り詰めたままでいると、心も体も消耗していく一方だろう。
観光気分でのんびり歩いていると、不意にファインが鼻息をすんすんと鳴らし始める。ファインより鼻のいいクラウドにはわかる、確かに石焼き芋の匂いがどこかから漂ってきているのだもの。それを嗅ぎ付けたファインが、隣歩きのクラウドにすいませんと一言断り、とてとて匂いの先に駆けていく様なんて、見送るクラウドも微笑ましかったものである。
マイペースにファインを追いかけていけば、案の定焼き芋売りの出店の前、買い物中のファインの後ろ姿がすぐ見えた。きっと美味しそうな食べ物を目の前に、店主の前で目を輝かせているのだろう。そんなファインの顔を見てみたい気分にもなったが、覗き込むとファインが恥ずかしがるかなと思って、クラウドは遠巻き後方でファインの買い物が終わるのを待っていた。
「お待たせしました。クラウドさんもどうでふか?」
二つ買ってきたうちの一つを差し出してくれるファインは、とっくに自分のぶんの焼き芋をほおばって幸せそうな顔。美味しいもの食べてるだけでここまで無邪気に喜ぶ顔は、元から童顔の顔がさらに幼く見え、こいつ本当に俺と同い年なのかなってクラウドも感じるぐらいだ。
「……それじゃあ、一つ貰おうかな」
「美味しいですよ」
わかってる、その顔見てるから。再び歩き始める中、隣のファインをちらちら見やるクラウドだが、食べ急いで少し舌を火傷したのか、両目を><にしたファインが軽くむせている。ファインの一つ上の親友、あいつはいちいちファインへの面倒見がよく、お姉ちゃんか何かに見えたものだが、今ならあいつの気持ちがちょっとわかる気がする。手のかかる妹みたいに感じるんだろうなって。
「それ、美味しい?」
「ええもう、とっても。クラウドさんはまだ食べないんですか?」
「や、あの……俺、猫舌だから、少しだけ冷ましてから食べようかなって」
「あら、勿体ないですよ。熱いうちが美味しいのに」
横並びで歩く二人は、他愛ない会話を積み重ねながら進んでいく。話を切り出すのはだいたいクラウドだ。だんまりの二人歩きではファインも退屈するだろうしと、口下手ながらも何とか話を繋いで、あまり沈黙が生じないように努めている。今まで黙っていた猫舌も、話の種として使っていく。
「でも、初めて知りましたよ。クラウドさんが猫舌だなんて」
「まあ、内緒にしてたし……この年で猫舌って、かっこ悪い気がしてさ」
「あー、言われてみればクラウドさん、スープ飲む時にふぅふぅするの多かった気がしますね」
「あ、あんまり詳しくは言わないで? 恥ずかしいし……」
「別に猫舌なんて恥ずかしいことでもなんでもないですよ? 私だっていい年して、ピーマン苦手ですもん」
「好き嫌……えっと、その……ま、まあいいんじゃないか?」
「…………? ふふ、いいですよね、ちょっとぐらいの好き嫌いぐらい」
機転を利かせて、瞬時に舵を切るクラウド。好き嫌いはよくないぞ、と言おうとしたところ、その言葉は今のファインに対して禁句の予感がしたからだ。それって、何年もファインのそばにいた親友、お姉ちゃん気質のあいつが、ファインによく言いそうな言葉だったから。今はいない、ファインにとって最愛の親友の想起させる気がして、あわやのところでクラウドは出かけた言葉を食い止めた。
「……それにしても、風が気持ちいいな」
「そうですねぇ。草の匂いも、木の香りも、空気だけでお腹いっぱいです」
とっとと適当な話題を振り、今の話を流しにかかるクラウド。急な話の転換にも、無邪気についてきて話を合わせてくれるファインって、聞き上手なんだろうなってクラウドも思う。焼き芋を食べる口を止め、少し上を向いて深く息を吸うファインは、風の匂いを堪能しているのだろう。深呼吸気味に胸が少しふくらむファインの挙動、真横でそれを見たクラウドは、変なこと意識しそうになって顔をすぐ前に向け直す。
「……宿、探そうか」
「そうしましょうか。ちょっとしか歩いてないのに、なんだか今日は疲れちゃいました」
昨日までの急ぎ足が祟っているせいだ。今のファインの言葉を聞けただけでも、やっぱり今日はこういう段取りでよかったと、クラウドは改めて感じる。一方で、今日そのものは無理をしない歩き方を続けてきた甲斐あってなのか、昨日までよりファインも背筋が伸びている。疲れを自覚しつつ、前より体調を良くしてきた状態っていうのは、長い目で見て良い傾向だろう。
「今日は宿で料理なんかしちゃ駄目だぞ。なんにもしないで休む日なんだからな」
「スープ、怖いですか?」
「そうそう俺猫舌だから……って、そうじゃなくてだな」
調理場に立てば必ず温かいスープを作ってくるファイン、そんな彼女の遠回しな冗談を受け止め、乗り突っ込みを返せばファインも笑ってくれた。あははと声を出して笑ってくれるファインの姿を見るのって、なんだか凄く久しぶりな気がする。前のその時からそんなに日が開いたわけでもないのに、そう感じてしまうのは、やはりここ何日かのファインから、普段のような心からの笑顔をうかがえなかったからだろう。
あんなことがあったばかりのファインに、忘れて笑えと言うのは残酷だ。だけど、いつもどおり笑っている、元気な彼女でいて欲しいのもまた本音。クラウドも上手でない口を懸命に回し、並び歩いての会話を弾ませようとしている。
「はい、今日はここまでです。だいぶ傷跡も消えてきましたね」
「……ありがと」
宿を見つけたクラウドとファインは、夕食後、寝室にて二人きり。さあ寝ようか、という時間帯になって必ずあるのは、ファインによるクラウドへの治癒魔術の施しだ。特に、クラウドの額の傷を、顔に残る傷跡にさせたくないファインは、まず真っ先にクラウドの額傷を癒し始める。
あぐら座りで少し前のめりになって、額を差し出すクラウドの姿も相変わらずだ。普通にしてたらファインが身を乗り出してきて、体同士の距離が縮まるから、そうなるとクラウドは落ち着かなくなってしまう。特にこの時間帯はファインもお風呂上がりの体であり、距離が縮まれば余計に、ふんわりとした彼女の匂いが鼻を突いてくる。思春期の少年にとって、異性のフェロモンって割と冗談にならない。
ひと治療終えたファインが布団を敷いてくれて、ありがとうと礼を述べたクラウドは、敷いてもらった布団の上に寝転ぼうとする。だが、体を横にする直前、クラウドの肩を片手で掴むファイン。振り返ったクラウドの前には、四つん這いで片手伸ばしたファインが、気のいい笑顔で微笑んでいる。
「寝て下さい」
「え……いや、そのつもり……」
「そうじゃなくて、うつ伏せに」
何だ急にと戸惑いながら、言われたとおりに布団の上、うつ伏せに寝るクラウド。直後、えらく柔らかい何かが腰の上に乗っかってきたことに、ファインに見えない角度でクラウドもぎょっとした顔になる。振り返らなくてもわかることだが、ファインがクラウドの腰の上に、座り込むようにして乗っかっている。
「や、ちょ!? な、何し……」
「じっとしてて下さい、マッサージしてあげますから」
上にファインが乗っているから暴れられないクラウド。そんなクラウドの両肩に手を添え、ぐっぐっと力を込めてくるファイン。掌で肩の周りをほぐし、指の腹で肩を揉み、拳を握ってとんとん叩いて。しばらくそうしてある程度クラウドの肩をほぐしたら、今度は座る位置をクラウドの太ももの辺りに移し、両の掌で腰を揉んでくれる。非力な彼女にしては力が入っている方で、ここ数日の急ぎ旅で疲れていた体には、非常によく利くマッサージだ。ひっそりと、疲労回復の治癒魔力をファインが注いでいるのもある。
「どうですか?」
「あ、あぁ……いいよ、すごく……」
「うふふ、私これには自信があるんです。お婆ちゃんにも好評なんですよ?」
実家でもそういうことをしていて、手馴れているのは結構だが、クラウドは別のことが気になって。ファインが体を前後させ、うんしょうんしょと腰を揉む力を込めるたび、彼女のお尻がゆさゆさとクラウドの太ももを揺さぶるのだ。マッサージ単体は普通に気持ちいいのだが、それ以上に、女の子の体の一番柔らかい部分で体を撫でられる、その一箇所に集まる神経を鎮められない。意識するな意識するなと、枕に額を押し付けて念じるクラウドは、ファインに対する返事も少し震えた声だ。
はい、終わりましたよ、とファインがどいた後も、クラウドは固まった石のように動かなかった。もう少しやった方がよかったですか? と問うてくるファインの声にも、無言でふるふる首を振る後頭部を見せるだけ。今の赤くなってしまった顔で、ファインに振り返ることは出来ない。
「クラウドさん、あんまり無理しちゃ駄目ですよ。体、すごく疲れてるんですから」
「う、うん……気をつける……」
「素直でよろしい、です♪」
うつ伏せのまま動かないクラウドに、優しく掛け布団をかけてくれたファインは、自分の布団を敷いて床につく。先の思わぬ感触から、変な意味でむずむずするクラウドは、布団の中で体を横にすると、外からは見えない影で小さく丸くなる。片手で両目を覆い、さっきのことを忘れようとし、一秒でも早く眠りにつこうとする。それが、今の自分に必要なことだと信じているからだ。
何度も自分に言い聞かせる。ファインの状況を考えろと。訳のわからない怪物二人に狙われ、襲撃された末に親友とも離れ離れ、今だってあんな風に普段どおり振る舞っているけど、寂しさや不安が常にあるはずだ。クラウド自身でさえ、静かな夜に布団の中で動かずにいると、連中の夜襲がないかとふと不安になったりするのだ。仮面の男に、お前の命が狙いだと宣告されたファインなんて、もっとそうだろうと自信を持って考えられる。
それだけの境遇に追い込まれた女の子がそばにいて、自分がしっかりしていなくてどうする。口下手な自覚はあるし、面白い話で楽しい旅にしてあげることは出来ないけど、これ一つで生きてきた丈夫な体は残っている。どんな脅威がファインを襲っても、守り通せる自分でいることで、彼女の不安を少しでも和らげてあげることはきっと出来るはずなのだ。
自分にとってファインは魅力的な女の子で、時々胸が高く打つこともある。だけど今は、そんなことにうつつを抜かしている場合じゃない。しっかりしろ俺、と、目をぎゅっとつぶったクラウドは、やがて目の力を抜いて眠りにつくことに努めていく。休むことを選んだ今日を越え、明日は今より元気な体で、ファインのそばに立つために。




