第116話 ~怪物化の片鱗~
サニーが動けないのはダメージのせいだけではない。凄まじい勢いで樹に叩きつけられ、立つのもやっとというのはある。だが、それ以上に身動き取れずにいるのは、離れた前方で戦う二人に、割って入る隙すらもないからだ。
重装戦士の動きは速い。本当に速い。クラウドに大剣を振り下ろし、回避したクラウドに腕めがけての手刀を迫らされても、即座離れる方向に跳ねて逃れる。しかもそのまま体を回して、尻尾を振り回すように放つ回し蹴りで、クラウドの側頭部を狙っている始末。あれだけ大きな図体かつ、重々しい全身鎧を身に纏いながら、あの機敏さや身のこなしは信じられない。
それと真っ向から張り合っているクラウドにこそ、サニーは恐れすら抱きかけている。鋼鉄のブーツに包まれた大男の回し蹴り、踵のハンマーのフルスイングを、クラウドは裏の拳二つを構えて防御する。落盤が鉄床に激突したような轟音、大気の震え。クラウドが、踏ん張って吹き飛ばされずにいるのがおかしい。ぶつかり合ったインパクトだけで、岩石をも砕く重装戦士の蹴りだとわかるほどだったのに。
食い止めた重装戦士の足を、次の瞬間に蹴り上げたクラウドにより、片足を跳ね上げられた重装戦士がぐらつくはずだった。だが、進んで沈めた上体、伸ばした手を地面に着き、前方に宙返りする要領ですぐに立姿勢を取り返し、さらには体をひねってクラウドに向き直る。最短の動きと速さ、さらにはすぐに迫ったクラウドに大剣の薙ぎ払いまで返している始末。普通は放てないようなカウンターを成立させる重装戦士の身のこなしだが、それに虚を突かれることなくかがんでかわし、一気に迫るクラウドも普通の戦闘勘じゃない。
引いた拳を突き出すクラウドの攻撃が当たらなかったのは、重装戦士がクラウドを跳び越える方向へ跳んで逃げたからだ。空を切る拳、すぐに振り返るクラウド、自らの後方に落下直前の重装戦士。しかし、すぐさま地を蹴って迫ったクラウドの動きには、空中で身をひねって向き直っていた重装戦士も舌打ち。頭上を跳び越えられたクラウドが、少し離れた位置に着地する重装戦士に、敵が着地するよりも早く至近距離まで迫っているなんて、どんな速さで走れているのだろう。
地に足着く前の重装戦士が左手を開いて突き出し、クラウドの突撃正拳突きに張り手を突き返す。カウンターでもあり盾を突き出した防御でもある。手甲に包まれた重装戦士の掌と、手甲を纏うクラウドの拳が、鉄棍棒で鋼の壁をぶん殴ったような衝撃音と金属音を伴わせる。接触の瞬間、あまりの衝撃に重装戦士もクラウドも、一瞬時間が止まったかと思ったほどだ。二人の怪物だけの世界。
重装戦士の重い体も突き放すクラウドの一撃だが、重心を沈めた重装戦士は程なくして地に足を着け、短いブレーキののちに静止。巨体の重みと低くした重心は、あれだけの勢いで突き放されてもすぐに体のバックスライドを止めてしまう。そして後方向きのベクトルがゼロになった瞬間、すぐさまクラウドへと身を投げ出す重装戦士が、迫るクラウドと正面衝突寸前。歴然の体格差がぶつかり合う光景は、サニーの本能的な直感にクラウドの死を思わせ、ようやく前に駆け出そうとする彼女を叶えた。
殺されるどころか。重装戦士の大剣の大振りを、身をひねってかわしたクラウドが、さらに踏み込んで突き出す拳で、重装戦士の構えた腕をぶん殴る。響き渡る轟音に混じり、鋼の鎧がまたひび割れた音がする。頭に血が昇ったクラウドには聞こえていないが、重装戦士も鉄仮面の奥で小さく呻いている。しかし、痺れる腕を押し返した重装戦士がクラウドをよろめかせ、一歩下がって大剣を鞘の中に収めた。
「行くぞ……!」
大振りの武器などこいつに当たらない、そう判断した重装戦士が再びクラウドに迫り、前蹴りひとつを仕切り直しに放つ。クラウドが体の外側にかわすのは織り込み済み、振り抜く肘でクラウドの頭を狙い、かがんだクラウドの足払いを、自らもかがんで腕を挟んで防ぐ。クラウドの脚と鎧に包まれた腕がぶつかり、クラウドの脚の方が砕けていない時点でおかしい。だが、そんなことにもう怯みもしない重装戦士は、体勢を低くした者同士の距離をゼロに仕掛け、頭突きに近い体当たりでクラウドを襲う。
交差した腕で防ぐクラウドにぶつかった、暴れ猪相当の衝撃は、怒り狂うクラウドも頭が冷えかけるほど凄まじい。殺意しか感じられなかった表情が、ついに率直な苦痛に歪む少年のそれに変わった気配に、重装戦士も喉輪の手つきで追撃する。
交差させたクラウドの腕の交点を掴み、一気に魔力を流し込む。火の魔力、すなわち熱を司る魔力だ。
「ぎが……っ!?」
「ぐゴ、っ……!」
重装戦士の握力で捕えられた腕に、超高熱を発する魔力による流し込まれたクラウドが絶叫しかけた瞬間、重装戦士の側頭部にサニーの膝が突き刺さった。的確なる一撃を、投石のような勢いでぶちかましたサニーが、クラウドの腕を焼き尽くそうとした重装戦士の体をぐらつかせる。その一瞬に力が緩んだことに、クラウドもその腕を大振りし、腕の交点を掴んでいた重装戦士の手を振りほどく。
すぐさま地を蹴り脚を突き出し、よろめいた重装戦士の額にクラウドが蹴りを突き刺す。クラウドをして苦し紛れに近い攻撃だが、彼の速度で激突した一撃には、重装戦士もふらつき気味に数歩後ずさる。地に足着けて構え直したクラウドとサニー、数歩ぶん離れた場所で重心を前に傾けて睨みつけてくる重装戦士。きつけをかますように、右の掌底で自分の頭を殴る重装戦士の姿は、さして今の一撃を致命的なダメージと取っていない証拠だ。
「……クラウド、落ち着けそう?」
「何言ってる……!」
「話せるなら、まだ落ち着いてる方ね……!」
ファインをあんなふうにされて、お前は何も思わないのかよというクラウドの激情が、一言の中にすべて詰まっていた。だが、サニーは張りのある声でクラウドの冷静を肯定し、また一段階クラウドの心を鎮める。周りが見えなくなるほど怒り狂う者に、冷静な口をひとつ挟むだけで、ほんの僅かでも思考を促し頭を冷やせることをサニーは知っている。彼女がやろうとしたのはそれ。
血に塗れた手をクラウドの肩に置くサニーの横顔は、鋭くも冷静に正面の重装戦士を見据えている。彼女の手が僅かに震えているのは、恐怖からか、傷ついた体の苦痛からか、最愛の親友を叩きのめされた憤りのあまりか。触れて彼女の想いを受け止め、一度後方離れのファインを振り返ったクラウドが、すぐに再び正面の重装戦士を睨み付ける眼差しは、負けられない想いをそばのサニーと共有したものだ。
「私が、あんたに合わせてみる。気にせず戦って……!」
「あぁ……!」
それが開戦前に交わせた最後の対話。ずん、と大音の第一歩を踏み出した直後、クラウド達に猛突進する重装戦士の姿は、覚悟を決めていたサニーも体を後ろに逃がしてしまいそうになる迫力。真っ向から一歩踏み出し、応戦しようとするクラウドの度胸が普通じゃない。掌を振るってクラウドを横殴りに吹っ飛ばそうとする一撃を、ふっと消えたようにかがみこんだクラウドが、回避直後に跳躍、重装戦士の顎元めがけて跳んで脚を振り上げる。最速のカウンターに上体を逸らし、顎を蹴り上げられるのを回避した重装戦士は、上方に跳んだクラウドよりも前方のサニーを、見ずしたまま警戒する。
やはり正解、既に重装戦士へと地を擦るほど低い体勢から突き進んでいたサニーは、体の上ずった重装戦士の膝を蹴り抜いている。鋼のブーツに包まれた上に、柱のように動かぬ重装戦士の脚を、脛で横殴りにしたサニーは、自分の体も壊れる覚悟で一撃を放っている。水の魔力を纏って重みを増し、かつ緩衝の力を乗せてなお、くぁとサニーが悲鳴を溢れさせるほどきつい。それでもその一撃は重装戦士の片足を僅か浮かせ、装甲の中身まで貫く衝撃で脚を打たれた重装戦士が、ほんの一瞬動きを止める結果を誘発している。
サニーを頭から押し潰し、粉砕する掌を振り下ろす重装戦士の反撃を、素早く後方に地を蹴ったサニーが回避できたのはそのおかげ。重装戦士の掌が、地面を砕いた光景からも、まともにくらえば命はなかっただろう。ぞっとする瞬間も一瞬、重装戦士の後方に着地したクラウドが、そのままとんぼ返りで敵を後ろから狙い撃つ姿がサニーには見えている。
接近気配だけで距離感を計ったように、裏拳を振るってクラウドを迎え撃つ重装戦士の隙の無さは圧巻、しかし振り上げた掌底で重装戦士の裏拳を叩き上げたクラウドは、向き直った重装戦士の腹部へ、駆ける勢い任せに拳を突き刺す。頑強で分厚い鎧を貫通する重みと衝撃が、重装戦士にくぐもった声を溢れさせてだ。
しかし、初めからその一撃を受けるつもりであった重装戦士は、すかさずクラウドの手首を掴みにかかる。はっとする暇もないうちに、重装戦士が勢いよくクラウドの腕を引き上げ、体ごと持ち上げる。そして既に引いていた頭を、がら空きのクラウドの体にぶつけてきたのだ。鉄の表面、中身まで詰まった重み、それを屈強な重装戦士の首の力で思い切りぶつけられたクラウドが、げはっと息を吐き捨てて目を開く。一瞬、意識が飛ぶかと思ったところを、精神力で持ち直しただけでもたいしたものだ。
それで終わらないのだ。左腕でクラウドを持ち上げた重装戦士は、既に握り締めた右拳を引いている。まずいと察して地を蹴ったサニーが、流星のような勢いで重装戦士へ迫り、触れるよりも一瞬早くのこと。ほぼ無抵抗のクラウドの腹に、重装戦士の全力の拳が突き刺さり、一気にクラウドの体をぶち壊した。
「え゛ぁ……」
「かっ、グ……!」
背後から重装戦士の延髄に蹴りを突き刺したサニーの一撃で、鎧越しでもその衝撃に重装戦士が意識を飛ばしかけ、クラウドを捕えていた左手の力を緩めてしまう。殴られた直後に手を離されたクラウドの体は、拳のパワーに押し出されて吹き飛ばされ、地面へと叩きつけられた。明らかに受け身も取っていない落ち方、死体のように転がったクラウドが、顔を地面に屈して動かなくなる。着地したサニーにとって、後ろにも前にも動かなくなった親友達の姿があることは、怒りよりも絶望を感じる現状だろう。
サニーを振り向く重装戦士だが、頚椎にきつい衝撃を走らされた直後だからか、その動きは慎重だ。クラウドを踏み潰しに行くでもなく、ファインにとどめを差しに行くでもなく、まず一歩サニーに近付く。震える体で唇を噛み絞り、構えるサニーの胸中たるや、姿を見れば推して知るべし。首を押さえてゆっくりと頭を傾け、今のは痛かったぞと訴えるような重装戦士の態度は、サニーへの殺意を表すに相応しいものだ。
「……貴様の友人は、やはりただの人間ではないな」
攻めるより先にそう言った重装戦士が、サニーに背を向けた。その目線の先にあるものをサニーも目で追えば、その言葉の意味するところがわかる。サニーも驚いたことだが、驚きを隠せないのは重装戦士も同じこと。その目線の先にいる人物は、一人しかいないのだ。
「げふ、っ……! かっ……けはっ……!」
土と血まみれになった口元を拭い、がくがくと震える体を立たせて、なおも敵を睨み付けるクラウドの姿を、最も信じられないのは重装戦士の側。大きな一枚岩さえも打ち砕く自分の拳を、まともにくらって生きていられるだけでも異常なのに、立ち上がってまだ戦おうとしている。
重装戦士は鉄仮面の奥、想像を超えた若者の底力に眼差しを鋭くする。ファインは倒れ、クラウドも瀕死、サニーとて立っているのもつらい状態だ。傷だらけの打ちのめされた二人の目の前には、そんな子供達の姿を見ても、驕らぬ歴戦の武人がいる。数度の手傷を鎧越しに浴びせられたとはいえ、致命的な傷はなく、動きを衰えさせる気配もない重装戦士には、その心構えにもつけ入る隙がない。
太陽が沈み始める時間帯だ。落日は、三人の命に終わりが近付いていることを示唆する、血にもよく似た空の色だろうか。
 




