第11話 ~ファイトガール~
「いや、本当町長さんにお願いするだけなんですって」
「しつこいぞ! いい加減に帰れ!」
ほんの僅か時を遡り、カルムの豪邸の門前。罰金制裁の延長として、我が家をつまみ出される形になったクラウドが、情けを乞いたいという名目で、カルムに会わせて欲しいと門番に訴えかけている。天人の門番の態度は非常に頑固なもので、地人のクラウドに対する言葉遣いも高圧的だ。
クラウドの腕っ節が強いことは町でも有名なことであり、断固としてクラウドを通さない門番の姿勢は当然のものだ。もしもクラウドがカルムと顔を合わせて、乱暴な手段に出て町長を傷つけたとなれば、責任を問われる門番も立つ瀬が無い。たとえ現時点でクラウドにそんなつもりがなくたって、町長の屋敷の門を守る立場としてはあるべき対応だろう。クラウドがその手の人物でなければ、地人相手なんだから暴力のひとつでも振るって追い返したいというのが、肝の据わった門番の本音である。
町長への交渉なんてのは建前で、ファインやサニーのことが心配でここを訪れたクラウドは、拗ねた顔の裏で頭を悩ませている。カルムの性格の悪さも、マラキアの実力高さも町の住人として知っているクラウドは、もっと二人を強く引き止めてもよかったと、朝を少し悔いていた。恐らく二人を屋敷に受け入れたであろう門番が、これ以上の邪魔者を屋敷に立ち入らせない態度からも、あまり良くない予感がする。中で二人が苛烈な目に遭わされていないかと、ちくちく肌が泡立ちそうなぐらい心配だ。
その矢先、門の向こうからささやかな、しかしここまで聞こえるような音が聞こえてきた。大きなガラス窓が割れるような音は、発生場所からは遠く、クラウドや門番にも小さく聞こえたものだが、遠い距離でありながらはっきり耳に出来たその音には、荒事の発生を予感せずにはいられない。
「あの、今の音って?」
「……さあな。馬鹿なメイドが何かやらかしたのかもな」
屋敷からここまで聞こえるような破壊音を、女中や使用人がちょっとのドジで起こすわけがあるか。中での出来事、要するにファインやサニーの暴走ないし、マラキアの暴力によるものであると予感しておきながら、安穏めいた嘘っぱちを即興で口にする門番。波風立てない門番の態度としては満点だが、かえってクラウドの胸騒ぎは大きくなる。
「どのみちお前には関係のないことだ。さあ、帰れ!」
「…………」
作った拗ね顔も忘れ、憮然顔で門番の言葉に従って門前を離れるクラウド。そうですか、そういう態度で来るのなら勝手にやらせて貰いますよ、と、クラウドは覚悟を固めていた。
「っ、ぐ……! くそ、あいつら……!」
砂利の上で、サニーが体を起こす。3階の高さから、背中を下にして真っ逆さまに落とされ、固い地面に叩きつけられてなお、彼女は表情を歪めながら生きている。側頭部から流れる血は、落下によって負った傷ではないが、頭に響く鈍いダメージが大きいようで、歪む視界とふらつく頭で壁を支えにして立ち上がる。
魔術を駆使し、命を繋いだまではよかったが、地面に叩きつけられてすぐは動けなかった。それでも、死体になったであろう自分を片付けに来る使用人より早く動けたのは上出来だが、今のサニーにとっては遅い。カルムやマラキアの魔手に落ちたであろう、ファインのことが心配だ。連中が、若い女の地人を前にして、どんなことをしでかすかわからない現実を前に、サニーは壁を背にして必死で息を整える。一刻も早くファインのもとへ戻り、あいつらから救出しないとまずい。
「……おーい、大丈夫か?」
「へっ?」
そんなサニーに声をかけたのは、カルムの手駒の一人ではない。声の主がどこなのかわからず、きょろきょろ周りを見回すサニーだが、ある一点にようやく辿り着いたところでやっと目線が定まる。予想外の声の主、その立ち位置。カルムの屋敷を取り囲む外壁、その上に立つクラウドが、壁から飛び降りて敷地内に不法侵入する姿がある。
小走りで近付いてくるクラウドを前にして、目を丸くするばかりのサニー。一方で、駆け寄る中でクラウドも平静な表情ではない。見上げれば割れた窓があり、サニーのそばには固い地面がへこんだ跡、ガラスの破片、さらには砂まみれで壁を支えに立つサニーの姿。だいたい何があったのかを推察することは出来るものの、仮説が真とすればなお、それはそれでサニーが立っていることに驚きだ。
「く、クラウド……? あんた、どうしたの?」
「いや、どうしたのはこっちのセリフなんだけど」
予想だにしなかった人物との再会に、言葉を失っていたサニーだが、何があったか話せと表情にも表れているクラウドが目の前。事情を誰かに話すことは、明確に巻き込む行動だともサニーもわかるが、今の彼女は細かいことを気にしていられる近況ではない。
手短、最短に、マラキアやカルムに打ちのめされ、窓から突き落とされたこと。ならびに今、ファインだけが奴らの手元に残されていることをサニーは説明する。話を聞いたクラウドも、それは良くないと事の緊急性を理解する。あの高さから突き落とされてなお動けるサニーには驚くが、概ね実力高い天人サニーの魔術によるものだとは予想できるし、それは今たいした問題ではない。あの外道どもの手中に、地人の女の子が一人で収められている危うさの方が重要だ。
「……協力して、って言ったら怒る?」
そして、一刻も早くファインを助けに行きたいはずのサニーが、惜しい時間を費やしてまでクラウドに事情を話したのは、そうした願いもあったから。サニーは、クラウドがその辺りの通行人とは一線を画した、"出来る"人物であることを知っている。自分とファインを抱えてあれほどの跳躍と走りを見せた姿からも、この屋敷を取り囲む高い外壁を越えてここまで来たことからも。
「協力するよ。そのために来たようなもんだし」
「ありがとう……!」
そもそもファインやサニーのことが心配で来たこと、ガラスの破壊音を聞いて様子見に来たこと、どう見ても傷だらけのサニーがファインを助けに行こうなんて言うのを見過ごせないこと。何より元々嫌いだったカルムみたいな奴が、最近知り合ったばかりとはいえ、ファインを歯牙にかけようという未来を阻みたい想い。協力するとサニーの頼みに乗ったことには、いくつも決意に至った要素がある。そうした理屈をすっ飛ばし、短い返事で了承したクラウドの態度は、一秒をも無駄にしないための行動だ。そうしたクラウドの意図がわかるからこそ、力強い眼差しでうなずくサニーの目が語る、感謝の想いは殊更強い。
「サニーは休んでろよ。そんな体じゃ無理だろ」
「ファインがもっと危ない状況なのに、私がじっとしてられるもんですか……!」
「いやいや、その腕どう見ても……」
「へ……うわっ、何これっ!? あーもう、どおりで動かないと思ったら……!」
そのリアクションの方がクラウドには驚きだ。傍から見てもわかるぐらい、脱臼してるのが明らかな肩の形。力なくだらりと下がった左腕を見て、他者のクラウドでさえ重症だとわかるのに、当人であるサニーが気付いていなかったっていうのが絶句ものである。で、気付いたら気付いたで何をするのかと思ったら、右手で左の二の腕を握り、ぐいっと肩に向けて押し込むのだ。まさか、骨をはめようとでもしてるのか。
「っ、ぐ……う゛あ~、ハマんない……っ! もういいっ!」
脱臼した肩を自分でぐいぐい動かすなんて、男でも悲鳴をあげそうな痛みであろうに、涙目になってでも何とかしようとするサニー。おい馬鹿やめろ、とクラウドが止めるより早く、使えない左腕に見切りをつけたサニーは、動かない片腕を放置して、ある方向へ向き直る。その瞳の先には、やや遠くからこちらを目にした、カルムの使用人が2人。サニーの死体を片付けろ、と言われてここまでやってきた男達だ。
「貴様! 何者……」
「っさいわね……!」
サニーが立っていることに驚きはしたものの、そばに立つクラウドという不審人物に、遠くから使用人の一人が声を放った。その言葉が途中で途切れたのは、ひと蹴りでその方向に飛び出したサニーが、使用人達が言葉を失うレベルで急接近したからだ。あれだけ遠かったサニーが、突然目の前に。それに驚愕して絶句した瞬間には、既にサニーの空中回し蹴りが、一人の使用人の頭を捉えている。
蹴飛ばされて吹っ飛ばされる使用人が地面に転がった直後、もう一人の使用人にも一気に距離を詰めたサニーが、動く方の右掌で胸を打ち抜いた。まるで大砲の弾で胸骨を粉砕されたかのような衝撃とともに、殴られた使用人は後方遥かまで吹っ飛ばされる。遠い外壁に背中から叩きつけられ、首を持っていかれて後頭部を壁面に打ちつけ、失神した使用人はそのまま動かなくなった。初手でサニーに頭を蹴られた使用人も、あの当たりでは当然だろうけど、倒れたまま全く立ち上がってこない。
「っあ゛~、もう~……! クラウド、行くわよ!」
脱臼したままの左肩が痛くてたまらず、苦痛いっぱいの表情でクラウドを振り返るサニー。しかし動く方の右手を、大きく下から手を振り上げて、来てとクラウドを招き込む。わかりやすく常人離れした、し過ぎた彼女に駆け寄るクラウドも、短い今の間に限り、ファインよりもサニーに意識を奪われていた。
「っ、う……?」
薄暗い空間内で目を覚ましたファインは、ようやく開いた瞳に周囲の光景を映し出す。しかし、周囲に何があるのかを、はっきりと視認することは出来ない。鈍色の壁に囲まれたその光景は、暗がりのこの場所において闇一色だ。
体を起こそうとした瞬間、ファインはすぐに異変に気付いた。腰の後ろで、金属の何かが自分の手首を拘束していて、体を起こそうとした矢先、じゃらりと鎖の音がした。体をひねり、首を回し、後ろで固定された自分の手首を見れば、枷に縛られた自分の手首が、床から生える鎖と繋がっているのがわかる。
その状況を理解した時点で、まずいということはすぐに理解できた。体を起こし、前方に目を凝らしてみれば、暗い一室の光景に紛れた鉄格子だって見える。薄暗い檻の中、両手を後ろに固定され、身動き取れない状況には、ファインも慌てたように周囲を見渡さずにいられない。最も頼れる親友サニーの姿も無い。
脳裏に蘇る、サニーが側頭部を蹴飛ばされて自分の方にのしかかってきた、気を失う前の記憶。彼女と隔離され、たった一人で身動きも取れない中、冷たい空気はその冷気以上に、少女の全身の鳥肌を立てる。強い危機感から体を動かそうとしても、がちゃりと強く彼女を拘束する手錠が、僅かな挙動も封じようとしてくる。
座ったままの姿勢で囚われたファインは、心中にあふれ出す恐怖と焦りを拭い去るように、目をぎゅっと閉じて首を振る。まずい状況だ。それでも、パニックに陥りそうな精神状態を何とか留まらせ、ゆっくり目を開けると、はあっと息をつく。不安げな眼差しは決して治っていない。それでも、これから起こり得る事象を想像力に描き出し、出来る限りの手を尽くさねばならないことを、自分に言い聞かせる。
鉄格子の向こう側から、かつん、かつんと誰かが近付いてくる音が聞こえ始めた。心臓が高鳴る。悪辣だと知る者に囚われ、ろくに身動きも取れないこの状況下、全身から冷や汗が溢れるのも当然だ。それでもファインは足を畳み、拘束された手元に足先を持っていくと、もぞもぞと腰を揺らし、スカートのように脚を包んでいた衣服をたくし上げる。太ももが空気に触れる形での崩し正座、人前に見せればはしたなく、羞恥で顔が真っ赤になりそうな姿だ。それでも体の動きを制限された今、いよいよとなった時に動きやすい形を作ったファインは、場合によっては抗う覚悟を決めている。
どんどん大きくなる足音、近付いてくる何者かの気配。今の状況でやれるだけのことは出来たはず。ごくりと生唾を飲み込んだ少女は、冷たい床に脚を冷やされながらも、強い光を眼差しに取り戻していた。




