第113話 ~前門の虎、後門の狼~
「炎牙」
仮面の男が一言唱えた瞬間に、テフォナス達の後方、ファインの周囲に一瞬で無数の火の玉が発生する。クラウドともども火の玉で集中砲火し、焼き払うべく発動させた魔術には、妨げるすべすら見当たらない。
憎々しげに舌打ちしたクラウドが、ファインを抱きしめ一気に地を蹴った。自分の体でファインを覆うように背中を丸め、火の玉がいくつか自らに当たっても、耐えて炎の包囲網を強行突破する。突然のことで、何をどうすればいいのかわからなくなったファインは、火傷まみれになったクラウドに遅れて気付き、抱きしめる彼の腕の中で顔色を真っ青にしている。
「いい加減にしろよ、てめえ……!」
滑空して仮面の男に迫るハルサが、何度もサーベルを振り抜いて仮面の男を連続攻撃する。仮面の男も杖を操り、サーベルをはじき、かわし、後退してダメージを回避する。術士に見えて得物の扱いは熟達、天界兵ハルサの迫撃さえ的確に凌ぐ仮面の男は、遠近共々不滅を思わせる最強兵のそれだ。
「早く行け! その子を殺させたいか!」
「っ……!」
だが、ハルサが仮面の男と接近戦をしているからこそ、ファイン目がけた魔術は飛んでこない。邪魔者がどこに立とうが、ターゲットのファインをどこからでも狙える魔術師を相手に、テフォナスはファインの活路を導いている。この隙に場を離れねば、いつファインの命が奪われてもおかしくないと、クラウドを駆り立てる。
「……行きましょう!」
クラウドとファインのそばに立つサニーの決断もまた早い。当然その表情は苦々しい。旅中ではテフォナス達との離別を望んでいたとはいえ、こんな形での別れは不本意なはず。ファインを守るために戦ってくれる騎士様達と、これ幸いという形で離れることを望むようなサニーではあるまい。
それでも、ファインを守るためにはそれが最善だから。クラウドも苦虫を噛み潰したような表情、ファインなんかもっとだろう。だが、ファインを抱きしめたクラウドは言葉なくうなずき、そのままファインを攫うような動きで彼女を連れ走る。きっとこれが最善の判断だと、クラウドも信じて。
「テフォナス様!? ハルサ様!?」
「逃がさ……」
「お前の相手は僕達だ!」
天界兵二人の名を叫ぶファイン、逃げていくターゲットへ魔術を放とうとする仮面の男、そしてその悪意に割り込むテフォナス。急接近からの剣のひと突きが、仮面の男の構えた杖と衝突し、その体を大きく後方へと突き放す。テフォナスから距離が生じた瞬間にも、すぐに魔術を展開しようとする仮面の男だが、迫るハルサのサーベルを杖ではじき後退する動きが優先され、駆けて離れるファイン達への狙撃がまた遅れる。
ファインを抱きかかえたクラウドは速く、それについて走るサニーも同じだけ速い。あっという間にファインを射程距離外に置かれ、なおも離れていく対象には、とうとう仮面の男も諦めたかのように、ハルサ達と距離を取って動きを止める。山道にて対峙する一人と二人、仮面の男と天界兵二人が、仕切り直す形のように睨み合う。
「お前の狙いはなんだ! なぜ、あの子を殺めようとする!」
地人と自称した仮面の男が、天界兵を狙うならわかる。地人が天人に殺意を芽生えさせる例は、この時代と前時代、少ないことではなかったから。それを飛ばして少女ファインを狙い撃ちにしようとした、仮面の男の真意を、テフォナスは問わずにいられない。
「最も価値のあるものを欲するのは、当然の感性ではないのかな?」
「何だと……!?」
「お前達の命など私は求めておらんよ。素直に回れ右をするなら見逃してやるぞ?」
敵対した5人、その中でファインの命こそ最も価値ありと評じ、テフォナス達の命が合わせてそれ以下だと評じる。何故ファインの命を狙ったのかの回答ではなく、天界兵を軽んじる発言を返す仮面の男は、挑発する意図を隠していない。血の気の多いハルサは既に怒髪天寸前だが、冷静さを優先するテフォナスは動かない。だからハルサもまだ攻め込まない。
「どうやらお前と話をしても無駄のようだな」
「驚きだな。地人を無条件で見下す天人が、それを相手にまともな対話が成り立つと思っている」
血筋だけで下に見てくる連中を相手に、誰がまともに対話するかと、仮面の男は嘲笑気味に返した。表情の見えない仮面の奥からも、天人を見下げ果てた思想がよくうかがえる。言葉を交わすことの無意味さを表明する、仮面の男の態度を見受け、耐え切れなくなったハルサが一歩目を踏み出そうとした時のことだ。
彼が思わず迫撃の足を止めたのは、仮面の男が足元に杖を投げ捨てたからだ。殺意を向けてくる天界兵二人を正面に見据え、臨戦態勢の構えすら解く姿には、歴戦の者であればあるほど戸惑うだろう。
「私は本当に、お前達なんかには興味がないんだ。生きて帰りたいと言うのなら止めないし、追いもせぬ。だが、お前達が私の命を狙うというのなら、私もそれなりの態度を取らねばならん」
無防備に二人を見据えた仮面の奥に、無機質な眼差しが透けて見えるようだ。声色からも嘘は感じられず、やる気はないからお前らの好きにしていいぞと、余裕と侮蔑がその語り口に含まれている。
「それでも、遊んで欲しいかね?」
もう限界だった。舐め腐った態度にぶち切れたハルサが、放たれる矢のように駆け迫っていた。少し離れた位置から一秒かかったか否か、そんな最高速で仮面の男の前に現れたハルサが、その首めがけてサーベルを振っている。微動だにしない仮面の男の頭が、体を離れて飛ぶ一瞬後が、誰の目にも確信できる光景だったはず。
目にも止まらぬ速さで低くから跳ねた何かが、ハルサのサーベルを叩き上げた。仮面の男の首を断つはずだった刃は逸れ、髪をかすめて頭上を通り抜けていく。何にそうさせられたのか、ハルサ自身も把握できなかった中、ゆらりと腕を持ち上げた仮面の男が、ハルサの胸の前に掌をかざしている。
仮面の男が掌から発した石の槍が、咄嗟に後方へと跳んだハルサの胸元へ突き刺さる。鎧に刺さり、ハルサを後方まで突き飛ばす強烈な一撃に、直撃の瞬間ハルサも表情を歪めた。しかし彼も、後退する速度に石槍で追いつかれた形にして、最もきついダメージをしっかり回避している。テフォナスの僅か後ろにまで退がり、前のめりに体を傾かせ、げほっと息を吐く彼は、致命傷を負った態度ではない。
「仕方あるまい。身の程を知らぬ子供には、少々の躾もあって然るべきだろう」
剣を構えたテフォナスには見えていた。仮面の男の腰元から伸びた、長い何かがハルサのサーベルを叩き上げたのを。まるで太い尾を、目にも止まらぬ速さで操った仮面の男の応戦技術には、テフォナスも再び気を引き締める。あれが魔術でなく、敵の肉体の一部なら、仮面の男もまた何らかの古き血を流す者だ。
「花盛りの春」
仮面の男が一言つぶやき、その場に腰を降ろした瞬間のことだ。あぐら座りの仮面の男が座る地面、そこを中心に放射状に広がった魔力。それは次々と地表に花を咲かせ、あっという間に獣道めいた山道から、道の脇の砂利を埋め尽くすほどまで、周囲一帯を花畑にする。状況を把握して一瞬遅れたものの、言い知れぬ危機感に地を蹴った二人が、翼を広げて空へ飛び立った。
敵の魔力が、唐突に無数の花を咲かせたのだ。そこからどんな行動に移るつもりなのか、二人の天界兵には全く読めない。そんな敵のテリトリーと化した地上を離れ、空から見下ろす天界兵を、仮面の男は顔を持ち上げ見上げている。
「死ぬまで遊んで貰えるなど、人生一度きりの貴重な経験だぞ?」
膝のそばに咲いた花を指ではじき、花弁を散らせる仮面の男。二人命が僅か後、この花のように散るのだと暗示するかの如く。戦いを戦いとさえ形容しないその態度は、はじめから揺るぎようもない勝利の中で、どのように相手を葬るかだけを思索する余裕の表れだ。
「クラウドさん……ねぇ、クラウドさん……!」
「黙ってろ……言いたいことはわかるから……!」
仮面の男から一定離れた場所で、ファインを背負う形に改めたクラウドは、全力で西への山道を駆けていた。少女一人ぶんの体重など重りにも感じない怪力少年は、一人で走るのと何ら変わらない速度だ。並んで走るサニーとて、人一人を背負って自分の全力近い速度と比肩するクラウドの俊足には、こんな状況でも驚かされる。
「テフォナス様達ならきっと大丈夫よ……天界兵様が、ぽっと出のならず者に負けるわけがないでしょう?」
走りながらファインの心配の種を読み取り、それを杞憂だと提言するサニーの声は落ち着いている。自分達を守るため、たった二人であの強敵、仮面の男と戦うことを選んだテフォナス達のことは、サニーだって心配なはずだ。守られた当人たるファインなんて、かつてないほど気が気でなく、遠く見えなくなったはずの二人を案じるかのように、しばしば後方を振り返らずにはいられない。
どうか二人ともご無事で。サニーの言葉を信じることも出来ず、不安いっぱいに祈るばかりのファインの想いは、クラウドもサニーも共有している。最悪の結末も容易に想定される中、今になって立ち返る選択肢もなく、がむしゃらに走るクラウドとサニーの胸中たるや。自分たちの選んだ道が、正しかったのかどうかもわからずに走るというのは、ひどく胸を締め付けて息苦しくするものだ。
「ッ……!」
人の心配をする前に自分達の、ファインの心配をしろというのは、あの場を離れてずっと自分に言い聞かせてきたこと。だが、正解の見えない逃亡路の中にあっても、その発想だけは間違いなく正解だっただろう。急ブレーキをかけて立ち止まったクラウドとサニー、急停止に体を揺らされて、痛みにうめき声を溢れさせるファイン。背負った少女も鑑みない乱暴な止まり方をしたクラウドだが、その行動の理由は真正面にある。
まずい、と思ったファインが、自分を背負ったクラウドの背中を乱暴に押して、強引に地面に降り立った。すみませんと短く謝ったファインだが、クラウドも彼女に呼応する余裕が無い。一本道の山道正面、道を遮るように立つ大きな影には、背負われたままではいけないとファインも確信したのだ。
「上手くやってくれたようだな」
棘の多い褐色の全身鎧を纏った人物が、低い男の声でそう呟いた。重装戦士と呼ぶにふさわしい、着るだけで動けなくなりそうな鎧を纏う巨漢は、十歩ぶんの距離があってなお大きく、遠き背景の山の影に並ぶ背丈が巨大さを物語るかのよう。クラウドを見下ろして頭を撫でた巨漢、闘技場チャンピオンのタルナダでさえ、あの重装戦士に並べば一回り小さいだろう。
両手持ちの大剣であるはずのツヴァイハンダーを、片手で平然と腰の横に持つ重装戦士が、一歩クラウド達に近付いた。思わず構えた三人にも、重装戦士に背負われた鞘が見えた。巨漢の背中からも見えた極太の鞘は、人の腕二本ぶんよりも太く、巨大なツヴァイハンダーの剣幅と一致している。普通、あんなものが人の手で振り回せるものには見えないし、それが目の前の重装戦士のパワーを一目で物語っている。
「貴様らに恨みはない。だが、ここで消えて貰わねばならぬ」
ツヴァイハンダーを一振りした重装戦士が、離れた位置の三人まで風を届けてきた。巨大な武器をも悠々と操る、鉄巨人のような敵を目の前にした三人の肌がちりつくのは、浴びせられた風のせいではない。今までに顔を合わせてきた敵、それらすべての誰よりも強い敵だとわかる。怪力無双を見せ付ける風貌の向こう側、その刃に葬られてきた無数の命の怨念すら、鉄仮面をかぶった巨漢の後ろに見えるかのよう。
先手必勝、それこそ愚挙。未知なる最強の敵を目の前にして、初手を取れぬクラウド達に、重装戦士がまた一歩近付く。開戦一秒前の所作であると、クラウド達もはっきりと確信し。
「いざ」
低く発した一瞬後、重装戦士が地を蹴った。落盤のような巨漢が凄まじい速度で迫る光景は、三人の心に死の予感さえ閃かせるものである。




