第111話 ~マナフ山岳の潜まない影~
南のクライメントシティと、北の天界都市カエリスの間には、東西に長く延びるマナフ山岳がある。これを南北に1日かけて縦断すれば、クライメントシティとカエリスを繋ぐ山道となるが、その途中の岐路で西行きに曲がれば、ホウライ地方行きの方向となる。数日間、山の中を歩く長い道のりになるが、途中には山間の村もいくつかあるし、休み休みでホウライ地方へと歩いていくことになるだろう。ホウライ地方は、クライメントシティや天界都市からは結構距離がある。
ひとまずマナフ山岳の北のふもと、小さな村で宿を借りて泊まるファイン達。疲れを癒し、明日からの山道の旅に備える一夜という段取りだ。先日と同じく、宿の部屋を2つ借りての夜話の中、ファイン達の会話はいつもどおり弾んでいた。ホウライ地方に行けばお母さんに会えるね、という主題で、ファインがその日を楽しみにする想いを語るだけで、数分もつ話題になる。会えればお母さんと何を話す? とサニーが話を広げるなど、早いうちから宿に着いて、寝るまでの時間もまったく退屈しなかった。
「ふあ……そろそろいい時間ね。寝ましょうか」
「そうだね。それじゃあ、布団敷こっか」
毎日だいたい同じような時間に就寝してきた旅人は、体内時計で眠気が来るものだ。程よい頃合い、話もいい具合に落ち着いたところで、三人が消灯向けに布団を敷き始める。
「……あっ、そう言えばサニー」
「ん?」
三者三様、てきぱきと布団を敷いて、枕に頭を置く直前にクラウドが不意に口を開いた。寝転がる直前だったサニーは、自分の布団の上に立て膝で座るに留まり、クラウドも同じような体勢でサニーと向き合う。
「サニーってさ、やっぱりテフォナスさん達のことが嫌いなのか?」
「えっ、なんで?」
すっとぼけるようような顔のサニーだが、一足先に布団に寝転がっていたファインも、今の話題に食いついたように体を起こした。しゃなりと座り直したファインもまた、クラウドと同じで怪訝目でサニーを見つめている。
「ごめんサニー、私も同じようなこと考えてた。もしかして、ぐらいのそれでしかなかったんだけど……」
「ファインもそう思うよな。カエリスを出てから、明らかにサニーの様子おかしいもん」
「あー……流石に気になった?」
天界都市カエリスを出発して以降、テフォナス達と語らうサニーの態度自体におかしなところはない。むしろ積極的に話しかけにいくし、天界行きの旅と同じように、相手を楽しませることにも前向きに取り組んでいるように見える。問題はそこではなく、サニーがどこかやんわりと、テフォナスとハルサが自分達の旅に同行することを、拒んでいたかのように見える態度だ。
まず、ホウライ地方行きの旅に、テフォナス達が同伴すると言った時からそうだ。あの時は、護衛なんて少し心苦しいですよとサニーも言ったし、筋は通っているからそういう意図なんだろうと思えた。あれだけなら、サニーもそこまで気を遣わなくてもいいのに、ぐらいの認識でいられたのだが。
「ここに泊まる前もそうだったよな。サニーは正直、テフォナスさん達と一緒に旅するのは嫌だったりする?」
「ん~……んん~……」
ただ、今日の少し前にその続きがある。この宿に泊まろうとテフォナス達が提案した時、サニーは、天界への護送の旅でもないのにまた宿を奢ってもらうなんて、と断ろうとしたのだ。私達は別の宿に自分達で泊まりますので、とまで提案してだ。もっとも、大人のテフォナス達が二十歳も満たないサニー達に、甲斐性の無い泊まらせ方をさせようとすることもなく、まあまあいいからとテフォナス達が押し切った。結局サニーの提案は却下される形で、今日も5人で同じ宿に泊まる形になったのだが、あのやりとりは正直クラウドもファインも引っ掛かっている。路銀に関しては節制家であるはずのサニー、遠慮にしたって少々いき過ぎている気がしてならない。
「サニーがテフォナスさん達との話を弾ませて、場を温めてくれるのは助かってるんだけどさ。もしもサニーがあの人達のことを好きじゃないっていうんなら、無理しなくていいと思うんだ。そうだったら、俺も口が上手な方じゃないけど、話を繋ぐようには頑張ってみようとは思うからさ」
「あーいや、嫌い、とかじゃないんだけどさ……何て言ったらいいんだろ」
腕組みして考え込むサニーだが、クラウドが気遣おうとした方向、すなわちサニーがテフォナス達のことを嫌いでありながら、無理して場を温めてくれているとか、そういうことではないそうだ。だったらどうして、とファインが問いかけたところで、腕組みを解いたサニーが軽く肩の力を抜く。
「……邪推し過ぎだろうって言われるとは思うけどさ。なんかちょっと今のあの人達、信用できないの」
「なんで?」
「ファインごめんね。――"狭間"のファインに、天界兵の護衛をつけるなんて、天界王の判断にしてはどうにも考えにくいのよ。天界兵よ? 天人社会の貴族級の人材を、狭間のファインを守るために派遣する、って妙が過ぎると思うの」
「……でもそれは、テフォナスさん達がホウライ地方に行くついでっていうのも、兼ねてるんじゃないの?」
「理由付けとしては理に叶ってるけどさ。上手いことそうやって言い訳が用意されてることも含めて、普通じゃあり得ないことが合理的に行なわれてるのが、かえって私の目には怪しく映るのよね……」
サニーも今の自分の提唱している話が、少々穿って人を見すぎのものだとは思っているのか、ばつの悪そうな顔色だ。何かと言い訳つけて、テフォナスやハルサが自分達と一緒に旅する形を解消し、3人だけの旅の形に戻そうとしたのは、あの二人の天界兵が信用ならないからだとサニーは言う。それで何度か機会を見つけるたび、遠慮するような口で離別をテフォナス達に提唱していたということらしい。
「……考え過ぎだろ、ってのが本音だけど、敢えてそれは言わないようにしようか。でも、仮にサニーの言うとおり、あの二人が何か意図あっての俺達との同伴だったとしても、何が狙いだって言うんだ?」
「そこまではちょっと……いや、そこまで思いついたらむしろ、私もここまで悩まないんだけどさ」
確たる推測結論も無いまま相手を疑うばかりでは、邪推と言われる典型例。サニーもそれをわかっているから、自分が不必要に黒すぎる話をしていると自覚していて、腹を割って話していても楽しくなさそうだ。人を疑うことも時には必要だが、無意味にそれをすることの弊害だって、知らない彼女じゃないだろう。いたずらに疑念を持つことは、人間関係に不要なひびを入れるきっかけになる。
「私も、考え過ぎかなとは思ってる部分あるわよ。でも、私にとっては一番信用できるのはあんたとファインの二人だし、やっぱり私としてはこの三人で旅できた方が安心できるのよね。クラウドはあんまり実例見てないかもしれないけど、天人達のファインに対する差別的な目って、根源的に凄いのよ」
「それはまあ、俺にはなんとも言えないけど……」
「ファインに対して友好的にしてくれるのは嬉しいけど、急にああも優しくなるのも、かえって……ああもう、なんか私の方が歪んでる気もしてきた」
ふにゃりと全身の力を抜き、布団にくるまるサニー。自己嫌悪気味の声色も出てきたようで、あまりこの話をしたい気分ではなさそうだ。彼女なりに、今は表面化していない危うい何かを未然に防ごうと、想像力をはたらかせてくれているのだとはクラウドもファインも思うから、サニーを見損なったりはしないのだが。
「……あんまり、考え過ぎない方がいいと思うよ?」
「何かあったら、その時に何とかすればいいんじゃないかな。俺達、3人いるんだしさ」
「そうね。ごめんね、変なこと言っちゃって」
「いや、話を振ったのは俺だからいいよ。むしろなんかごめん」
「気にしなくたっていいわよ。私もなんか、聞いてもらえたら憑き物落ちたような気がするわ」
普段どおりの朗らかさには欠けるが、枕に顎を乗せてにへっと笑うサニーを見れば、ある程度気持ちの整理もつけられたように見えた。ひとまずこの話はここまででいいだろう。明日も朝早くからの出発になるしと、灯りを消して三人が眠りにつくまで時間はかからなかった。
マナフ山岳に北から入り、クライメントシティ行きの山道を半ばまで進めば、標高の高い位置まで至る。その途中、広く舗装された山道に目立つ岐路があり、クライメントシティへの南行きと、天界都市カエリスへの北行き、そしてホウライ地方行きの西行きに分かれる。ここを西に曲がったところで、いよいよファインにとっての、母の待つ地への足の始まりだ。
「みんなはホウライ地方に行くのは初めてかな?」
「初めてです。クライメントシティからは、随分遠い場所ですし」
「傭兵稼業やってた時にマナフ山岳越えて、アボハワ地方まで行ったことはありますけど。ホウライ地方にまでは行かなかったですね」
「ホウライ地方は地人の入域が許されない土地だからね。クラウド君は、確かに縁が薄かったかもしれないな」
「ああ、そんな感じでした。西に向かえばもうすぐホウライ地方ってとこで、ここまででいいよって雇用契約を終わりにされましたし」
ハルサが空から、今から行く方向の地上を見回ってくれているらしく、馬車の上では4人でお喋り。サニー一人に接待役を任せるのもどうかということで、今日からはクラウドとファインも、テフォナスとの会話に積極的だ。昨日の話があったからと言うよりは、元々そうすべきだったかなと二人とも考え、実行に移した形である。
長い旅路を暗示するかのように、クライメントシティと天界都市を含む南北結びの山道に比べ、ホウライ地方行きの山道はやや粗い。ある程度の舗装はされているものの、自然的な地面の凹凸に車輪がかかり、よく馬車が揺れている。マナフ山岳に入る前日、御者が馬車の車輪をこつこつ叩いていたが、長旅の中で馬車が駄目になったら困るから、獣道を想定して車輪の具合を確かめていたということだろう。さすがに天界兵様を乗せる馬車の御者、商売道具である馬車の点検技術にも秀でている。
「……ん? ハルサ、随分早く帰ってきたね」
「どうなんでしょうね。いちいち報告すべきかどうか悩ましいぐらい、小さな話っすけど」
ホウライ地方行きの道筋に入ってから、馬車を飛び立って空を舞っていたハルサが、テフォナスの予想よりも随分早くに戻ってきた。異変が見えれば帰ってくる、という取り決めの彼が戻ってきたということは、妙なものでも空から視認できたのだろうか。
「通り道に妙な風体の奴が座ってるんすよね。怪しい、とまでは言いませんが、一応報告しておこうかなと」
「……ふむ。荷物などは?」
「特には。ただの旅人っすかね?」
山道に腰掛けるような人物と言えば、旅人か行商人か。行商人なら荷物もあろうから、そうではないだろう。となれば、山越えを試みるテフォナス達と同様、マナフ山岳を横断しようとする旅人という線が強いが。
「カモ待ちの山賊、って感じでもなかったですけど……まあ、そんな奴がいましたよって程度の話っす」
「わかった、報告ありがとう」
最悪、あって賊ってなものだろう。どうしますか? と御者が問いかけると、そのまま進んでいいよとテフォナスは答えた。仮によからぬことを考える輩、たとえば野盗なんかであったとしても、こちらはそれに遅れを取るような顔ぶれではない。変に回り道をして、山中の村までの距離を長くしては、夜も近付き面倒だ。一応は厄介事も想定しつつ、大丈夫だろうと判断したテフォナスに倣い、5人を乗せた馬車は規定路線を進んでいく。
太陽はまだ高い。山に潜む賊が活性化する時間帯ではない。




