第108話 ~天界都市カエリス~
「わあ! 真っ白!」
「白いなぁ」
「白いですねぇ」
天界へと向かう旅を数日続けてきたファイン達。辿り着いたこの場所は、空に天人の王おわす聖域、天界を見上げる街だ。天界都市カエリスの名で知られるこの街に到着したファイン達は、口を揃えて同じ感想を言わずにいられなかった。
石畳、建物、公共物、それら一切すべてが真っ白塗りである。白でないのは道行く人々と街路樹ぐらい。調和や色合いもへったくれもなく、意図的に白に染められた街のカラーリングには、初めて訪れた誰もがファイン達と同じ感想を抱くだろう。とにかく白い、あらゆるものが白い。
「天界に最も近い都市として、色んなものが雲を模して白に統一されてるんだよ。最初は落ち着かないかもね」
「夜になって光を失えば、真っ白な街も黒に染まるが、それも雲の色だ」
まるでこの街そのものが、空の上にあるようだと例えれば、ある意味的を射ているだろうか。三角屋根や平面屋上の代わりに、きのこの傘のように丸みとゆるやかな斜面を屋上に持つ、角の除かれた白い建物の数々。道案内の標識ひとつ取っても、分かれ道を指し示す矢印の先は丸みを帯び、それらも白。特に意味もなく置かれたような白いオブジェも、空の上に浮かぶ雲のように、角はなくもこもこした形である。白い建造物の数々が雲を模しているなら、池や湖は空の色を表したように青。揺れる植物は空を躍る風の目に見える形で表し、街を行く人々は空を往来する鳥に例えられるのだろう。
地上にありながら、空の上にいる心地をそのデザインで表した天界都市は、初めて訪れる人々の目には奇抜に映るものだ。馬車に乗って街の中央に向かっていく中で、ファインもサニーも街の眺めに目を奪われて仕方がない。瓢箪のような形をしたへんてこな建物や、背中を丸めて眠る猫のオブジェなど、撫でても痛くなさそうな形の建造物は、初見の旅人には新鮮なものばかりである。
「テフォナス様もハルサ様も、人気ありますねぇ」
「今までの自分が評価されているのなら、それは誇らしいことだよ」
「俺みたいなちゃらんぽらんでも、こうやって支持してくれる奴らがいるんなら、あんまり仕事もサボろうって気分にはならねえんだよな」
「よく言うよ、君は天界を離れたら時間を見つけてナンパばかりじゃないか」
「え、そうでしたっけ。記憶にないっすなぁ」
すっとぼけるハルサだが、サニー達から見ても彼は遊び人オーラぷんぷん。テフォナスとハルサの凱旋に通行人らも振り返り、天界兵様のお帰りだと敬意の眼差しを向けてくるが、女にばかりに笑顔で手を振るハルサのスタンスが露骨なんだもの。分け隔てなく、自分の凱旋を歓迎してくれる人々に笑顔を返すテフォナスとは大違いである。
天界都市カエリスに住まうことが許されるのは天人のみ。そして天人たる民にとって、天人社会の貴族階級にあたる天界兵は、それこそ悪を穿つ勇者のように讃えられるものだ。特にテフォナスとハルサの二人は、天界を離れて手広く活躍する人物であり、顔が広く知られる上にその功績も多い。人々の敬意を勝ち取ってきた二人へ向けられる眼差しは温かく、生来遊び人のハルサもそういう目で見られる自分を自覚すると、頑張らなきゃって思うのだろう。15年前には血の気も多く、喧嘩ばかりしていた不良少年のハルサだったそうだが、良くも悪くも環境は人を変えるものである。
「剣術ぐらいしか取り柄のなかった俺だけど、天界兵に志願したのはよかったと思ってるよ。でなきゃ今頃俺なんか、喧嘩っ早いチンピラ天人にでもなってたような気しかしねえしな」
「そうだな。天界兵になったばかりの頃も、君は血の気が多くてよく周りと揉めていたね」
「へぇ~、ハルサさんにもそんな頃があったんですねぇ」
「お恥ずかしながら、ってとこかな。恥ずかしいと思える今の自分があるのも、当時の俺には想像つかなかったような気がするよ」
これは、良い方。血気盛んさと喧嘩の腕を、敬ってくれる人々の安寧を守るために戦う、戦士の腕として前向きに使えるようになった。31歳、まだまだこれから働き盛りのハルサだが、そんな彼だからこそ天人の貴族から庶民まで、広く彼を支持する人々は多い。品行方正、天人の規範として非の打ち所無く誰からも好かれるテフォナスとは違う方向から、彼もまた尊敬される大人に成長してきたということだ。
「……いいですね、そういうのって。私も大人になった時、自分を誇れるような人になりたいな」
思わずぽつりとそう呟いたファインの気持ちは、年の近いサニーやクラウドにもよくわかる。今の自分に自信がないうちは、人は未来の自分に希望を賭けたくなるものだ。今は駄目でも数年前の自分はきっといい自分に、そうして悩みながら歩んでいく日々は、多くの若者が一度は通る道のりである。
「天は自らを助く者を助く。今の自分を高めることを忘れなければ、きっと大丈夫さ」
「まだまだお前は若いんだ。そうして悩みながら育つうち、いつのまにか立派な人間になってるもんだよ」
大切なのはそれを目指し続ける意志だと、二人の成功者はファインの背中を押してくれた。先人の温かな言葉を受け取って、はいとうなずくファインの決意もまた固くなる。素直に自分達の言葉を受け取ってくれる若者の姿には、テフォナスとハルサの表情も綻ぶもの。
「ねえねえ、テフォナス様、ハルサ様。もっとお話聞かせて下さいよ。天界兵になってよかったこととか、そこで出会えた尊敬する人のお話とか」
天人であるはずのテフォナスとハルサが、混血児のファインに優しく接してくれるのは、差別され続けてきた親友を長く見てきたサニーにとっても嬉しい。だから彼女も、相手が気分よく話せるであろう話を積極的に振る。天人嫌いをほぼ公言済みのサニーが、こうして天界兵様と楽しく語らう様が、お偉い様に媚びるためのものでないことは、クラウドにも見て取れる。
特に会話に混ざることなく、4人の輪を眺めているだけのクラウドだが、温かい空気の中にいるだけで彼は満足。ささやかかつ、歴史の中には刻まれない短い時間でも、やはり和とは人の心を安らかにさせるものだ。
やがて一行は天界都市カエリスの中心、大きな塔の根元に辿り着く。大仰な門の前に立つ門番に、天界兵テフォナスが顔を利かせれば、門番も一礼して塔への入り口を開けてくれる。中庭を横断し、大きな塔の中に入ってからは、ひたすら階段を上っていく。吹き抜けの高い塔の螺旋階段を手すり沿いに上るにつれ、遠のく地上が、自分達が空に近付いていくことを教えてくれる。高所恐怖症の人にとっては、ちょっと耐えられそうにない光景だが。
「旅で歩き慣れているとは思うけど、この階段上りは疲れないかな?」
「大丈夫ですよー。元気と体力が取り柄ですから」
余裕の笑顔で応じるサニーと同じく、平気ですよとうなずくファインとクラウド。クラウドはともかく、子供みたいな体つきのファインもが、十何階ぶんの階段を上り続けても涼しい顔をしているのが、ある意味テフォナスやハルサにとって意外だったりもするけれど。人は見かけによらないというか、やっぱり長いこと旅をしてきたら、体もそういうふうに強く育つのだろう。
「こんだけ階段上っても平気な脚っつったら、だいぶ引き締まってそうだなぁ」
「こらこらハルサ様、目線がやらしいですよ」
下衣越しにサニーの脚をじろじろ見つめるハルサに、サニーはしっしっと手を振る。確かにハルサの言うことはクラウドにもわかるけど。クラウドはファインの生脚を一度見たことがあるが、線も細くて華奢なものだったし、今にして思い返しても、旅向きの強い脚には見えづらいものだった。流石に触ったことはないけれど、触れたら案外張りがよかったりするのだろうか。
「あっ、クラウド。あんたもスケベ妄想してる?」
「してねーよっ。何の話してんだ」
ちょっとあの時のことを思い出しただけで、それを見抜いてつついてくるサニーの目ざといこと目ざといこと。自分の下衣をくいくいとつまみ、女の子の脚でも見たいのかしらとからかってくるサニーの行動には、お前その観察眼を少しは控えろよとクラウドも言いたくなる。
「まー私はともかく、ファインの脚は見ても旅向きには見えないわよ。柔らかいしね」
「こらっ!」
すすっとファインに近付いて、後ろから太ももを撫でてきたサニーの手が空を切る。殺気を感じたファインが素早く一歩前に出たのだが、逃げなかったらタッチされていただろう。この親友は油断してると、男だったらひっぱたいてもいいレベルのセクハラを、当たり前の顔してやってくるから困る。
「私はともかくって、お前さんの脚はムキムキかい?」
「まー失敬なこと仰いますね。ちゃんと絞って細くしてますし、日にも焼けてない真っ白な脚ですよ?」
「そういう脚は見せてこそ価値を持つもんだぜ。ちらっとでもいいから見せてくれよ」
「駄目でーす。女の子の体を見ていいのは惚れさせた男だけなのでーす」
さらしや下着の下は勿論として、普段人前には見せない脚さえ、いつか恋した男の前でなきゃ晒さないと決めているようで。誰にでも気さくで開放的に見えても、やっぱり心は女の子で、貞操観念はしっかりしているものだ。そのくせ親友の大事な体をすぐお触りにいく節操の無さは考えものだが。
こうしてお喋りしていると、ただ歩き続けて上るだけの、長い階段の時間もすぐ過ぎる。いつの間にか、吹き抜けから見下ろせる地上が霞むほど高くまで来たファイン達だが、やがてやっとの天井が近付いてきて、階段のゴールに一枚の扉が見えてくる。
「さあ、この先だ。いい眺めだと思うよ」
微笑ましく4人の会話を聞きながら歩いていたテフォナスが、紋章の描かれた扉の真ん中に掌を当てれば、ぼんやりと紋章が光を放つ。一般人を通すことなきよう、封印を施された扉がそれによって鍵を開き、天界兵とその同伴者を、向こう側へと歓迎する。
少し屋内の階段を上った後、さらにある一枚の扉を開けば、塔の頂上に辿り着く。子供が走り回って遊ぶには狭く、しかし数人の人がまばらに集まることは出来る広さ。何も無いカエリスの塔のてっぺんで、目に見えるものと言えば、上を見上げて雲ぐらいのものだ。
テフォナスとハルサに導かれ、その真ん中へと歩いていくファイン達。床に描かれた大きな紋章の中心に5人が集まると、テフォナスが目を閉じて祈るように念じ始める。天界と地上の往来を許された、天界兵の特別な魔力に呼応し、紋章が淡い光を放ち始める。
「わ、わ、体が……!」
「慌てることはない。天界に導かれるまま、身を任せていればいいよ」
ファイン達の体がふわりと浮き、ゆっくりと空に向かって昇っていく。超常的な出来事に、凄い凄いとはしゃぐサニーと、初めて宙に浮く感覚に目を白黒させるクラウド。空を飛び慣れた身でありながらも、自分以外の力で空に浮かされる感覚は初めてのファインが、一番戸惑って落ち着きを失っている。体を動かすとその身も揺れ、思わずそばの宙を浮くクラウドに、ぴとりとファインが寄り添う形になる。
「す、凄いですね……これが、天界の導く力っていうことなんでしょうか……」
「そうみたい、だな……」
クラウドの肩をきゅっと握り、離れていく地面を見下ろして息を呑むファイン。女の子に密着なんてされるとどぎまぎするクラウドも、この時ばかりは目先の出来事に意識を奪われ、ただファインの言葉に共感するばかりだった。
地上に立つ者を天界へと導く、カエリスの塔。その頂上の紋章に秘められた魔力により、初めての天界へと招かれる3人は、未知の世界へのわくわくを禁じ得なかった。
 




