第104話 ~大事にします~
クライメントシティ出発の前夜、サニー達はファインの実家に、3人揃って泊まり込んでいた。翌日からは天界への旅の始まり、その後はそのまま遠きホウライ王国への旅が始まるから、クライメントシティをまた訪れる機会は、随分先になるだろう。出発前夜ぐらいは、3人一緒にファインのお婆ちゃんとの時間を過ごそうと、全員一致で決めていたことだ。
「ふあ……」
朝日が昇り、カーテンの閉じた窓からうっすらと淡い光が漏れる時間帯、ファインが目をこすって上半身を起こす。3人はいずれも早起きな傾向にあり、その日によって目を覚ます順番はまちまちなのだが、最初に目を覚ますのが一番多いのはクラウドだ。一時期、ある町で仕事をしていた経験があるせいなのか、旅人暮らしの長かったファイン達に比べて、朝が早くなりやすいらしい。
「……クラウドさん、まだ寝てる」
ただ、今日はクラウドが一番遅い。目覚めたファインのすぐそばには、すやすやと寝息を立てるクラウドの寝顔がまだあった。普段はいつも頼もしいクラウドだが、こうして無防備に眠る面立ちは、彼に寄り添いがちなファインの目にも可愛く映る。それなりに人生経験を積んで、少年から男の顔立ちに変わりつつあるクラウドとて、16歳なのだから幼さもまだ残る年頃である。寝顔越しにしか見られない、貴重な彼の一面だ。
「クラウドさん、寝てますか~……」
「……んむ」
小声でぽそっと呼びかけるファインの声にも、小さなリアクションを返して、口をもごもごさせる。あっ、起こしちゃったかな、とファインが少し気を引かせるが、やや力の入っていた唇が柔らかく解けたクラウドは、またすやすやと寝息を立てて眠り続ける。起きなかったようだ。
「かわいいなぁ……」
クラウドのほっぺたをつんつんしたい衝動に駆られながら、そーっと指先を近づけるが、それをすると流石に起こしてしまうかもしれない。指先を引っ込めたり、やっぱり近づけたりしながら、クラウドの寝顔を眺めるファインだが、溢れる微笑みを抑えきれない。こうやってファインの寝顔を眺めるのが大好きな親友がいて、やってることはそのサニーさんと一緒なのだが、意外にファインも似た者同士であることに気付いてはいないのだろうか。あっちはあっちでファインよりアクセルが強いが。
そういえば、と、ふとファインも思ったが、その親友さんはどこに行ったのだろう。朝起きを競うのはだいたいクラウドとファインで、サニーは一番最後に起きることが多い。しかし彼女が寝ていた布団はからっぽだし、今日はサニーが一番最初に起きたということだろうか。ちょっと珍しいな、と思いながら、体を伸ばしながら立ち上がったファインは、サニーを探して家の中を歩きだす。
「……あっ、サニー。おはよう」
「ひゃっ!?」
お風呂場手前の脱衣所に、サニーの後ろ姿を見つけたファインが声をかけると、肩をびくりと跳ねさせてサニーが裏声。普通の声より小さめの声で話しかけたし、そんなにびっくりするとはファインも思わなかったのだが。
「サニー、それ……」
「あっ、やっ……こ、これはその、違う、違うの……えぇと……」
ただ、そのリアクションの理由はすぐにわかった。鏡の前で振り向いたサニーが、頭に花の髪飾りをつけていたのだ。ははぁん、早起きしたのをいいことに、誰も見ていないうちに髪飾りをつけてみたりしていたんだ、と。密かにでもおしゃれに前向きになってくれたサニーを見られたのが嬉しくて、悪意なくファインもくすくす笑うが、恥ずかしいところを見られたサニーは、顔を真っ赤にしてあたふたする。
「それ、気に入ってくれたんだ?」
「……まぁ、ファインがくれたものだし」
昨日、服飾店で買ったサニーの服の中に紛れて、サニーが自分でこれを買うと決めたものが一つある。それが、答えながらのサニーが髪からはずす、ファインの見繕ってくれたサクラソウの髪飾り。手の上の髪飾りを見てそう答えたサニーだが、照れてファインを直視しづらい目を、髪飾りに逃がしているとも言う。
「……ファインさ、サクラソウの花言葉知ってて選んでくれたでしょ」
「うん。"かわいい"、"乙女の愛"、他にも"純潔"、"可憐"。全部、サニーにはぴったりだと思うよ」
「それだけ?」
続きがあることを確信して問うサニーに、えっ、とファインが言葉を詰まらせた。これだけ並べればもう充分かな、と思っていたファインが、照れ臭くて敢えて言わなかった花言葉があるのだが、サニーはそれにもしっかり気付いている。
「えぇと……他にもあるけど……」
「何?」
「ん、ん……その……」
あっという間に立場逆転、今度は気恥ずかしくてファインがしどろもどろだ。背の高い位置からそれを見下ろすサニーがくすりと笑えば、見透かされる側のファインが、じんわり頬を染めていく。
「"青春の喜びと悲しみ"、でしょ?」
真っ赤だった頬ももう素肌色に戻り、大好きな親友を優しく見守る表情のサニー。対するファインは、一番贈りたかった一方で、口にすると恥ずかしかった想いを言い当てられ、ぴくりと肩を動かして図星の反応だ。
「ふふ、ほんと色んなことがあったもんね。出会ってから」
「……うん」
二人が出会って何年になるだろう。混血児として、子供達の輪からはじき出され、友達も作れずに一人ぼっちだったファインに、サニーが声をかけてくれた時から、二人の絆は始まった。天人でありながら混血児と仲良くしてきたサニーは、その前まで親しかった友達の何人かと縁を切っている。二人揃って白い目で見られて、何よ見返してやりましょとじゃじゃ馬ぶりを発揮するサニーに手を引かれ、ファインも乗っかり暴れてすっきりして。混血児と天人の、唯一無二の親友同士という間柄は、その数年間でいくつもの思い出を共有してきたものだ。
子供だった頃には、つらいことも多かった。努めて忘れてきただけだ。忘れられたのは、それだけこの子とこの人と、友達同士になれてよかったと思えるぐらい、楽しい日々を築いてこられたから。青春の喜びも悲しみ、それを誰より分かち合ってきたサニーに、密かな花言葉と共に想いを捧げたファインの意図も、サニーはちゃんと読み取っている。だからこれだけは、はっきりと自分の意志で買ったのだ。
「嬉しかったよ。私のこと大事な友達だって思ってくれてるの、すごく伝わってきた気がしてさ」
「……うん」
「最近さー、ファインってばクラウドにべったりじゃん? 私としては、嫁を取られた気分で寂しかったのよ~?」
嫁とか勿論冗談。今なら伝わる。もう何言ってるの、と、サニーの肩をぺしんと叩くファインだが、表情は柔らかい。愛情表現が人並み以上に熱烈なサニーだが、どこまで行っても異性じゃないし、過ぎた言葉を使っても、それは全部親友への愛情の強調だ。冗談だってわかって受け入れられる流れで言ってくれるなら、ファインにとっては本当に嬉しい言葉である。それだけ、一人ぼっちの寂しさを、身に沁みて知っているのが混血児なんだから。
「大事にするわ。一生の宝物にする」
「大袈裟だよ、そんな」
「うふふ、そうかな? でも、そんな感じよ?」
ファインの頭をくしゃくしゃ撫でるサニーの仕草は、いいから言葉どおりに受け取っておきなさい、という表れだ。これ以上何も言わなくていいの、という時に頭を撫でられることが多かったファインには、それもちゃんと伝わっている。そう表現してくれたサニーの気持ちが嬉しくて、ファインも声が小さく漏れるぐらい、笑わずにはいられなかった。
「それじゃあ、体に気をつけるんだよ」
「はい。ありがとうございました」
「また来ます! おいしいご飯、またご馳走になりに来ますね!」
「いってきます、お婆ちゃん」
ファインのお婆ちゃんに見送られ、実家を後にするファイン達。待ち合わせの時間まで、ある程度の余裕を持っての早い出発だ。一晩の宿を貸してくれるばかりか、服を繕ってくれたりまでしたお婆ちゃんに手を振って、天界への旅の前路へと歩いていく。
「おめかし服、持って行かなくてよかったのか?」
「天界の王様に会うんだから、おしゃれしていけばいいのに。せめて天界に入る前に着替えるとか」
「やーよ、荷物が増えるでしょ。それに私、やっぱりこれが自然体だし」
昨日服飾店で買った、サニーのおめかし用の服の数々だが、それらはファインのお婆ちゃんが預かってくれている。またここに来た時に着ようね、と約束し、クライメントシティにまた来た時の楽しみを残す形に出来た。買うだけ買って、しばらく埃をかぶる形になるのは勿体ないが、旅人暮らしなので着続けない限りはそうなってしまうものだ。着ずに持ち歩いてもサニーの言うとおり、確かに荷物になる。
それでも、赤毛の頭にぽつんと咲いた、サクラソウの小さな髪飾りは新しい連れ合いだ。これに関しては、似合ってるぞとクラウドが褒めても、そうでしょそうでしょと普段どおりの気軽さでサニーも喜ぶだけ。昨日のように、過度に恥じらう仕草もないのは、それだけ気に入っているからだろう。おしゃれとか度外視で、親友のくれたプレゼントを肌身離さず身につけていたいだけだから、これは動機からしてベクトルが違う。
普段、道すがら歩く時は、3人で何でもないような話をしながら歩くものだ。だが、今日は少し3人の間に沈黙の時間が出来やすい。それは、話を切り出したり広げたりするサニーが殆ど喋らず、髪飾りを指先でちょくちょくいじっているからだろう。有名人サニーを知る街の通行人の多くが、あのお転婆があんなのつけてるなんて珍しい、という目で見ているが、どうやらサニーはそれにすら気付いていない模様。そこまで夢中になるほどのお気に入りらしい。
「よっぽど気に入ってるんだな、それ」
「えへへ、超気に入ってる。欲しい? だめよ?」
「俺が欲しがるわけないだろ」
あり得ないようなことを言って、返事に困ることを言ってくるぐらいには。クラウドとの話を終えて、一人でまた髪飾りいじりをし始めるサニーは、彼女にしては珍しく、自分の世界にこもりっきりである。
「……また、来ようね」
そんな幸せいっぱいのサニーに近付いて、ぽそっと言ったファインの言葉で、サニーもその指先を止める。すぐそばを歩き、ちらちらと見上げてこちらの顔を窺ってくるファインの態度に、サニーも柔らかく微笑みを返す。楽しかった思い出がいっぱいのクライメントシティ、母に出会うための旅が終わったら、またみんなでここに来て、いっぱい遊びたいものである。
「リュビアさんも一緒に、ってことよね?」
出来れば、5人で。出会えたファインのお母さんや、新しい友達リュビアと一緒に、クライメントシティを歩きたいという行間を読み取ったサニーの言葉に、ファインは小さくうなずいた。言わずにそこまですぐに察してくれるサニーだから、ファインもどこか嬉しそうだ。
「……ふふ、またいつか、みんなで来ましょ♪」
やがて何分かも歩けば、テフォナス達との待ち合わせ場所に辿り着く。それより先に、3人だけの時間で結び付けられた約束は、きっと何よりも大きかった。小さな小さな誓いを共有した3人が、柔らかく笑い合えたその時間もまた、再びこの地を訪れる日を楽しみにさせてくれる思い出に変わっていく。
ずっとこの絆が続いていけばいいのに。3人の誰もが、この日はっきりと感じていたことである。




