第100話 ~人生百年~
ルネイドの居場所をサニーに聞いたリュビアは、この日の朝、自分の足で彼を訪ねていた。不意に訪れた少女が、闘技場で働きたいのですがと言ってきた姿には、ルネイドもいきなりのことで驚いただろう。抜き打ちの面接をその場で始め、労働条件や賃金などを提示してきたルネイドの言葉をすべて受け入れたリュビアを以って、二人の間で雇用契約は成立した。リュビアはこれから、タクスの都の闘技場の雑用として、泊まり込みで働く身になったのだ。
労働環境は決して良いものではない。汗臭い男達が使った部屋の掃除に、毎日山のように出る洗濯物、休憩時間も多くない。賃金だって安いものだ。そこから、闘技場の隅の下宿部屋の家賃まで小額引かれるとなれば、実入りなんか殆ど残らないだろう。しかし、どこに雇って貰ったとしても、流れ者の自分が好条件で働けるわけではないと、リュビアは最初から割り切っている。妹ととの二人暮らし、日雇い仕事で生計を立てていただけあって、芯は根っからしっかりしているのだ。
不安はもちろんあった。クラウドからも、綺麗でない身なりで働かされている少女がいたとも聞いているし、苦難を伴う可能性も覚悟している。こき使われるのは目に見えているし、後悔するほどきつい仕事であっても驚いてはいけないはず。だが、リュビアはサニーがいい人だと認めたルネイド、それがオーナーを務める闘技場に賭けた。ファインやクラウドが素敵な人達だと認める、タルナダ達のいる職場に賭けたのだ。それが彼女の決意を固めた、最後の決め手と言っていい。
甘える限り、ファイン達は哀れなリュビアを、いつまでだって養ってくれるかもしれない。だけど、それでは駄目なのだ。自分の食い扶持ぐらいは自分で稼ぎ、独り立ちしていつの日か、たとえようもない大きな恩に報いることを目指していきたい。それが働き口を決めようと決意した、リュビアの信念である。
遠き地で独りの妹を迎えに行くにしたって、先立つものが無ければ動くことも出来ない。今やどうなっているのかわからない、最愛の妹に会いに行くため、気が気でない想いを封じて着実な手順を踏む。辛辣な状況に追いやられたはずの少女が、運命に恨み言すら向けずに生きていく道を選んだ姿は、戦う力を持たない者にも得ることが出来る、確かな強さと形容できるもの。
「リュビアさんと一緒に旅した時間、楽しかったよ。またいつか、タクスの都にも寄りたいと思う」
「そしたらまた、一緒にお買い物にでも行きましょ」
ファインの少し後ろから、そうして温かい言葉を発して送り出してくれるクラウドとサニー。この人達がいたから、今の自分があるのだ。妹から引き剥がされただけでも立ち直れなかった自分が、こうして働き口を見つけようと思える心持ちに至れたのも、この人達がそばにいてくれたからだって、リュビアは信じて疑わない。
ファインの手を離れたリュビアが、後ずさるようにして馬車の乗り込み口に近付く。背を向けないのは、最後の最後まで3人の姿を目に焼き付けたいからかもしれない。それでも、馬車の入り口が近付けば、別れの言葉もなしに恩人達のそばを離れることは出来ない。
「……本当に、お世話になりました。ありがとうございました」
口にしたらもう駄目。温かかった3人との思い出が一気に蘇ってきて、掌で片目を大きく拭ってしまうほど涙が溢れてくる。釣られそうになったファインが、笑顔を崩さず見送ろうとしてくれているのがわかるから、次の涙をこらえて最後の言葉をリュビアが絞り出す。
「いつかまた、会いましょうね……!」
「はい。リュビアさんも、お元気で!」
離れてたって、ずっと友達でいて欲しくて。また会いましょうと口にしたリュビアの真意を、真正面から受け取ったファインは、近付きたかった足を堪えて手を振った。
馬車に乗り込んだリュビアを迎え、乗り込み口から顔を出したルネイドが、3人に小さくうなずく。この子は任せろ、とでも言わんその態度には、ファインはお辞儀を、クラウドとサニーも会釈を返していた。
「まったくお前らは……!」
「いててて、暴れるなよ爺さん。狭いんだぞ」
大きな馬車だが、闘士達数名を乗せて馬車の中はぎゅうぎゅう詰め。3頭の馬に引かれて走り出したものの、平坦な道の上でよく揺れるものだ。荷物が重いと馬車の荷台は、揺れの弾みが如実になる。
「お前らはうちの闘技場では欠かせん人員なんじゃからな! 誰一人残さずそうじゃ! それがわかったら二度とこんなふざけた真似をするでないぞ!」
「だから痛てーっての、やめろやめろ」
闘技場の代表者たるタルナダの頭をぼかすか杖で殴り、他の闘士をルネイドが威嚇する。前科者になった闘士達だが、それを莫大な保釈金を払ってでも外界に迎えようとするんだから、ルネイドだって闘士達の人格を買っているのだ。そもそも従業員を解放するため、家のひとつやふたつ買える金を投げ捨てる行為は、どう考えたって経営理論から言って割に合ってなどいない。
トルボーは昔から暴れ者で、健全な社会の中で生きていくのに向いていない奴だ。だけどその昔、繁華街で地人の老婆を邪魔だと突き飛ばした天人を見て、無関係の立場から飛びかかって殴り飛ばしたトルボーの生き様は、その場に居合わせたルネイドも見ていて悪くない気分だった。その後投獄されて数ヶ月の懲役暮らしだったトルボーだが、そんな奴に闘技場に来ないかと声をかけたあの日のことを、今でもルネイドは悔いてなどいない。
酒癖の悪いトルボーが、ヴィントと意気投合して仲良くなったのは良いことだと思っている。よく飲むくせに決して悪酔いせず、酒の席で酔いつぶれた奴がいれば、必ず肩を貸して家まで送ってやろうとするヴィントだからだ。
闘技場に働きにくる奴なんて、荒っぽくて気が短い奴が殆どである。若い奴はそれがなお顕著で、気に入らないことがあればすぐ暴れる奴も多い。そんな奴らに出っ張った腹太鼓の一芸を見せたりして笑わせ、あるいは酒の飲み方を教えたりして、若い闘士に慕われるホゼみたいな男だって、尖った奴らの多い闘技場には欠かせない存在なのだ。
闘技場の奴らに短気な連中が多いのはルネイドにもわかる。それしか生き方を見つけられなかったからだ。不器用だから闘技場に来たのであって、そんな奴らが思うがままに、望み描いた人生を好きなように叶えられる見込みは少ない。夢や希望はどこにあるのか。それを若者達に、一つのゴールとして見せてくれるのが、闘技場で最強の名を冠するタルナダという人物だ。
誰よりも強くなれば、誰よりも稼げる。そうした夢を現実像の下で見せてくれる中、若い衆にも酒を振る舞い、お前らも頑張れと激励してくれる親分こそ、闘技場で光なき日々を生きる者たちの希望。自分の強さで稼いだ金を独り占めせず、閉塞した未来を恐れる若者の味方をして、ねぎらいと息抜きのために金を使うタルナダがいるから、今でも闘技場はいい形で回っている。
経営者は一人ですべてを定められる。同時に、数多い雇い子達の幸せを背負っている。それは、一人で叶えられるものではない。地人多きタクスの都にて、自営業で巨万の富を築いたルネイドが成功してきたのは、彼がそれをちゃんとわかっているからだ。
「リュビア! 言うておくが、お前も女だからって容赦はせんからな! ビシビシいくから覚悟しておけよ!」
「はっ、はいぃっ!」
現場では厳しい経営者様だけど。ルネイドが出払っている現在の闘技場は、超怖いオーナーがいないということで和気藹々としているだろうけど。それでも、安い賃金で働く少女や従業員が、ルネイドのやり方に異を唱えて出て行ったりしないのは、確かに怖いがしっかり闘技場を経営しているその手腕を、上司として信頼しているからだ。
ルネイドだって天人で、地人への当たりはきつい方。それでも不器用な若者なりの苦悩を想像で補い、手厳しくもその働き口を絶やさぬようにする、彼のような人物がいるからこそ、この世は上手く回っている。
「保釈されたって言っても、タルナダさん達もこれから大変だよなぁ」
「別に無罪放免ってわけじゃないしね。借金もてんこ盛りだし」
カラスが鳴く夕暮れ、宿への帰り道を歩く3人だが、保釈された闘士達の先を思えば、心配な想いも先立つ。あくまで刑期を満了したわけではないし、また何か良くない行動を起こしたら、今度は保釈の余地なく刑務所に放り込まれるだろう。やったことがやっただけに、今後も自粛生活を強いられるのは当たり前だが、酒好きの皆さんだとわかっているから、嫌えない知り合いとしては色んな意味で心配になるものである。トルボー辺りが特に。
また、クライメントシティをぶっ壊して回った罪科に対する罰金や、怪我をさせた兵に対する賠償金やら諸々、保釈された闘士達に義務付けられる支払いも多いわけで。それは保釈を望んだルネイドが立て替えてくれたわけだが、無担保無利子と仮定してもそれなりの金額であり、保釈された闘士達はルネイドにたんまり借金する形になった。どうせ闘技場以外の場所で働くつもりもない連中だから、飼い殺し人生の始まりだとかではないが、やっぱり返済を進めるにあたって減給はされるわけで、これからの生活は苦しくなるだろう。
やっぱり罪を犯した身、巡りの良い幸運から塀の外に出られたにしても、背負うべきものを伴うのは仕方のないことだ。自分がまいた種とはいえ、保釈されても今まで以上にカネのない生活が外に待っているだけだとわかっているぶん、死刑でもよかったのにとやけっぱちなことを言うトルボーの気持ちは、ファイン達もわからぬではない。
「でも、外に出られただけでも最悪じゃなかったと私は思いますよ?」
「……まあ、そうだな」
それでも、あの年で十数年も服役するよりは、まだ光ある未来があるはずだ。50歳前後で刑務所から出て、衰えきった体で闘技場で働くことも出来ず、そこからの人生をどう歩いていけばよかったのか。十字架背負って生きていく人生は確かに重いが、それでも陽の下を歩ける限りは、まだささやかな幸せに辿り着ける未来を見つけやすいはずである。
「ファインが言うと重みがあるわよね~。娑婆はいいなぁって……」
「っ、こら!」
慌ててファインがサニーの口を押さえにかかった。血相変えて、過去を暴かれることを防ごうとするファインの手首を握り、ぷはっとサニーが押さえられた口を自由にする。
「聞いてよクラウド、この子ってさ……」
「やめてっ、やめてっ、恥ずかしいからあっ! クラウドさんに教えるのはやめてえっ!」
そう言えば昔は不良だって聞くファインだが、留置所にでも突っ込まれたことがあるのだろうか。別に嫌がるなら本当に明かすつもりはないが、話してやろうかなという空気を醸し出して、サニーがファインを慌てさせる。よっぽどそれがクラウドには知られたくないのか、今日のファインは必死である。後ろからサニーに抱きついて、肌を離さないようにして後ろから口を塞ごうとするファインから、サニーもばたばた引き剥がそうと暴れている。まあ仲のよろしいことで。
「ファインってさぁ、ホント昔どんな子だったわけ?」
「知らなくていいですっ! ただの不良ですっ!」
「いや、仕方ない部分もあるんだけどさ。言葉遣いがいちいち……」
「だめだめだめえっ! 絶対に喋っちゃだめえっ!」
若い頃には色々あるものだ。未熟な頃には人は過ちを犯すし、後年それを恥ずかしく思うこともある。そうしていくつもの失敗を繰り返し、大人になっていくことは、決して間違った道のりではない。恥じる過去を秘密にしたくなるほど、昔の自分の行動を悔いることが出来るなら、今の自分は同じ過ちを犯さない。それが人が成長していくということであり、それは人が十年後に生きている限り、何歳でも変わらないことだ。
人生は、やり直せる。世界は誰にでも等しく厳しく、誰にでも等しく優しい。




