第99話 ~彼女の決意~
「たっだいま~!」
「ただいま、です」
「おかえりなさい、サニーさん、ファインさん」
同日の夕暮れ、宿でくつろいでいたリュビアのもとへ、ファインとサニーが帰ってきた。見るからに上機嫌のサニーだが、ファインもどことなく機嫌がよさそうだ。
「さて、リュビアさん。いいニュースと素敵なニュースと幸せなニュースがあります。どれから聞きたい?」
朗報3つ、お持ち帰り。なるほど機嫌もいいはずで。早く話したいというサニーの手前、魅力的な言葉3つを前にして、リュビアの期待も高まる。
「えー、じゃあいいニュースから」
「んふふふ~。それはねぇ……カラザさんは無事だったのですよ~」
「えっ、本当ですか!?」
リュビアの表情がぱあっと輝く。5日前のクライメントシティ騒乱以降、ずっと3人はカラザと再会する機会がなかったのだ。彼が泊まっていた宿を訪れてもいなかったし、騒乱に巻き込まれて怪我でもしていないかと、ずっと心配だったところである。
「ファインとリュビアさん、クラウドにもよろしくって言ってたよ。野外演劇楽しかった、機会があれば、またやろうってさ」
サニーいわく、今朝ぶらぶらと彼女一人で歩いていたら、街の関所から出発するところの彼に、偶然再会することが出来たそうで。互いの無事を喜び合い、ひとまず談笑したのちに、ファインやリュビアさんにもお顔を見せてくれませんかともサニーは提案したのだが、カラザも旅を急ぐ身らしく、残念ながらそれは叶わなかった。しかし、少なくとも彼が無事であったことは、カラザにお世話になった3人にとっては吉報である。明日クラウドにも教えてあげれば、きっと彼も喜んでくれるだろう。
「それじゃ、次の発表いくよ~。素敵なニュースと幸せなニュース、さあどっち?」
「う~ん……じゃあ今度は、幸せなニュースで」
敢えて順番をひとつ飛ばし。返ってくる答えがポジティブだとわかっていれば、遊び心も自然と生じる。
「タクスの都の闘士さん達、保釈ほぼほぼ確定で~す! 明日には留置所から出られるだろうってさ」
リュビアには面識のないタルナダ達だが、幸せそうにそれを発表するサニー、隣でこらえきれない幸せ笑いをくすくす漏らすファインを見ていると、リュビアも幸せ。ゆかり無き人達の明るい未来を聞いただけなのに、おぉ~、という声とともに小さく拍手してしまう。
根拠は2つ。街の警備を務めるハルサに、そ知らぬ顔で近付いたサニーは、闘士達の保釈は有りか無しかという、新聞の見出しを話の種にして探ってみたのだ。サニーは天人、ハルサも邪険には扱えず、事の運びを正直に話してくれた。タルナダ達の保釈を棄却する要素は特に発覚する気配はない、と。無法者たる地人達に、保釈を許すという甘い処分、ハルサもなんだか面白くなさそうだったが、サニーとしては気にするべきポイントではないし、特に何も言わない。
もう一つは、保釈された闘士達を迎えるためにこの街で待機する、ルネイドと話してきたことだ。良ければ明日、闘士達が保釈されるというこの日、サニーがルネイドに状況の推移を尋ねてみたところ、まあルネイドの上機嫌なこと。天界兵だからって生意気な若造の鼻っ柱を折り、拒まれた要求を押し通したことは気分がよかったらしく、ヒーローインタビューに応えるかのように意気揚々と、明日に保釈の流れは堅いと断言してくれた。愚痴めいて彼が話したのは、保釈金と賠償金の立て替えが高くつくことぐらいであり、それも明日保釈した闘士達をどついて憂さ晴らしじゃ、と笑うルネイドは、年の割に元気なものだと思えた。
「なんだかんだで闘士さん達を留置所から解放できそうで嬉しい、っていうのがホントよく見えたわよ。失礼だけど、頑固に見えて従業員想いな人なんだろうなって思えた」
「サニーさんがそう言うなら、きっとそうなんでしょうね」
「ふふ、くせは強そうな人だけどね」
サニーは天人のことが基本的に好きではない。ルネイドとて、混血児のファインを見たら突っぱねるだろうし、そういう辺りは肯定的には見られないだろう。しかし、親心も伺えるようなあんな笑顔で、闘士達の保釈を喜ぶルネイドを見れば、やっぱりちょっと好きにはなれるのだ。好きな人、ファインを蔑ろにする天人は嫌い。その逆、慕える人達、タルナダ達を大事にしてくれる人には、敬意を払えるというものである。
「さて、残りは素敵なニュースですが」
「私が言っていい?」
「はいっ、それじゃファインどうぞっ!」
残るもう一つの朗報は、サニーではなくファインが発表。こちらは、彼女が拾ってきた吉報だからだ。
「クラウドさん、明日退院ですよ。もう明日になれば、心配なく動ける体になっているだろうって、医療所の人達も言ってくれました」
これにはリュビアの表情が、今日一番輝いた。一度見舞いに行ったのだが、彼の体は相当に痛々しく、何日も医療所で休まなければならない彼のことが、リュビアは気の毒で仕方なかった。そんな彼女にとっても、クラウドが元気な身体でまた外を歩けるという知らせは、何にも勝るトピックである。
「明日はクラウドさんも一緒に、保釈されたタルナダさん達に会いにいくつもりです。リュビアさんも来ませんか?」
「行きます! 行かせて下さい!」
とにかく、恩人とも言える友達と再び外を一緒に歩けることが、今から待ちきれない顔のリュビア。特殊な縁で知り合った彼女ではあるが、本当に親しくなれたものである。長い長い二人旅、新しい連れ添いなんて一人も増えることを当初期待できなかったファインとサニーにとって、こんなに素敵な二人目の新しい友達に出会えたのは、本当に幸せなことだ。遡るなら、それ自体を"最高のニュース"と、4つめの吉報に加えてもいい。
その夜の3人は笑顔が絶えなかった。意識せず夜更かしして、気付けばもうこんな時間だ、となってもお喋りが止まらなかった。色んなことがあった、だけど今はこうしてみんな無事でいて、さらに明日が楽しみ。苦楽を共にした3人と、今はここにいない1人は、掛け替えなき思い出を共有する間柄として、これからもの日々も並んで歩いていくことが出来る。心のどこかで、それが本当に幸せなことなんだって、誰もがわかっている。
だからなのかもしれない、この日のうちに言い出せなかったのは。安らぎに満ちた日々の中で、一人の少女が密かに固めていた決意は、彼女にとっては一大決心で、同時に強い寂しさを伴うもの。一日でも早く切り出せればいいことだとわかっていても、彼女が踏み出せなかったのは、幸せが生じさせた功罪である。
翌日。医療所を退院するクラウドを迎えに行った3人は、元気に動けるようになったクラウドを祝福し、クラウドも自分の回復を喜んでくれる友達にはにかんでいた。怪我をしたり風邪をひいたりした時、それが治ったのを喜んでくれる誰かがいると、倍以上に嬉しいものだ。
4人はそのまま、クライメントシティの留置所の前へ。留置所の門前、停留していた馬車の脇に立つルネイドに一礼し、保釈される闘士達をお迎えしたいと伝えれば、ルネイドも笑ってくれた。手を焼かせた問題児、闘士数名にはお叱りもしたいルネイドであろうが、そんな彼らにも仮出所を喜ぶ若者がいると知れば、育てた息子が良き縁に恵まれたのを知るのと同じ事。闘士達へのルネイドの親心は、彼の笑顔からもやんわりと感じられ、リュビアも、サニーさんが言っていたとおりの人だと感じたものだ。
「タルナダさん! ヴィントさん、ホゼさん、トルボーさん!」
そして、見えた。留置所の門を抜けて姿を現した闘士達に、ファインがぶんぶん手を振って迎え入れる。門番や看守に見送られ、留置所から保釈されてきた闘士達十数名の前列、4人の闘士は気まずそうな顔でこちらに向かって来る。
「ほれ、挨拶せんか、迎えに来てくれとるんじゃぞ。お前らはええからさっさと乗り込め!」
タルナダ達をファイン達の前に突き出すと、他の闘士達のケツを蹴って馬車に押し込んでいくルネイド。大柄な闘士達が70歳近くの老人にばしばし叩かれながら、勘弁して下さいよオーナーと萎縮して馬車に乗り込んでいく姿からは、老いてなお健在のルネイドの貫禄がよくわかるものだ。
「お前が証言してくれたんだってな」
「まさか皆さんの保釈に繋がるとは思ってなかったですけどね」
「それでもいいさ。恩がひとつ出来ちまったな」
闘士達がクライメントシティ侵攻に加担した背景に、ザームの暗躍があったことを証言したサニーの行動は、彼女の意図から遠かったとはいえ、結果的に闘士達の保釈を叶えやすい要素になった。後からそれを知ったヴィントやホゼは、サニーの肩や背中をぽんぽん叩いて礼を言う。
「……別に俺は、死刑でも無期懲役でもよかったんだがな」
「こら、トルボー」
「つってもよ~」
せっかく外に出てこられたのに、お節介だと言いのける困ったちゃん。そんなトルボーの二の腕に、ヴィントも握り拳を軽くぶつける。気持ちはわかるが、優しく迎えてくれた子達の前でそれはないだろと。トルボーもわかってはいるのだろうが、やっぱり先のことを考えると、保釈されても楽観的に笑えない部分もあるのだろう。
先に馬車に乗り込んでいったホゼを追い、トルボーもヴィントと共に馬車に乗り込んでいく。馬車の外に残った闘士は、これでタルナダだけになった。
「悪かったな、クラウド。この間はぶちのめしちまって」
「いいですよ、別に。もう元気になりましたし」
ばつの悪そうな顔で頭をかいてクラウドに謝るタルナダだが、彼に手酷くやられたクラウドも、今となっては特に気にしていない。クラウドに言わせれば、あの日はどちらにも確たる意志と目的があり、対立する者同士で喧嘩しただけだ。あの日クラウドが目指したこと、つまり友達の故郷を守り通すという目的は果たせたわけだし、今となってはあれも過去のことである。
タルナダだって、逆の立場なら同じことを言うような人間だ。だけど常識的な感性から言えば、それが少数派であることもわかっている。そんな彼と同じような態度で、許す以前に初めから気にしてなどいないクラウドの笑顔には、タルナダも思わず口の端が上がったものだ。同じ気質を共有できる男に出会えた喜びは、理屈抜きで豪傑の胸を温かくしてくれる。
「機会があれば、またタクスの都に来てくれよ。闘技場は、飛び入り参戦も大歓迎だからな」
「今度も負けませんよ?」
「ははっ、今度は俺が挑戦者の側だな」
いつかまた闘技場あたりででも、今度はしがらみ抜きにしての一対一を。突き出す拳をこつんとぶつけ合わせ、男同士の約束を結ぶ二人。ファインやサニーにも会釈して馬車に乗り込むタルナダに、ファインは小さく手を振って微笑み、サニーは胸を張って太陽のような笑顔で見送っていた。
そして、もう一人。
「リュビア、と言ったか? 別れが惜しいのはわかるが、はよう乗り込まんか」
「はい」
闘士達を狭く押し込んだ馬車の乗り込み口から、ルネイドが顔を覗かせてリュビアを呼ぶ。振り返って応えたリュビアは、そちらに数歩近付いて振り向くと、世話になり続けた3人を改めて振り返る。
「リュビアさん」
そんなリュビア正面から駆け寄り、ファインがリュビアに抱きついた。両手を回してぎゅうっと抱きしめてくるファインに、少し驚いたリュビアもそっと手を回し、彼女の背中の後ろに持っていく。
「頑張って下さいね。きっとそれが、正しい道なんですから」
「……はいっ」
本当に唐突なことだったけれど、この日、リュビアが三人に打ち明けた決意。ルネイドと共にタクスの都へ行き、かの闘技場で働き手として生きていくことを選んだリュビアは、ファイン達とは違う道を歩いていくことになる。出会いがあれば別れもある、そんな日が今日なのだ。
知ったのが今日であったとしても、リュビアもよく考えて選んだ上での道のはず。推して知るファインがリュビアに抱きつく腕は、惜別の想いと友人の旅立ちを見送る行為を兼ねたもの。温かく、優しく抱擁する恩人の腕の中、震える声で涙ぐむリュビアは、自分より小さなファインを強く抱きしめ返していた。




