第96話 ~未来が見えなかった男達~
クライメントシティを無数の地人達が襲撃する、未曾有の大騒動から2度目の朝を迎えた日のことだ。
街の中央区の西の端に設立された、歴史の長い建物。クライメントシティで悪事をはたらいたものを拘留する、留置所として知られるここは、数百年間脱獄者を許したことのない堅固な牢獄だ。外観も黒塗り、重々しくそびえるそんな巨大な建造物に、暖色の道着を纏った赤毛の少女、サニーが訪れる姿は実に場違いなもの。しかし門番に一礼した後、重く巨大な門を開いて敷居を跨いだ彼女は、留置所の玄関口に座る荒々しい男に事情を説明し、さらに奥へと歩いていく。
鉄筋造りの石の壁が延々と続く留置所の地下は、日の光など一筋も差し込まず、代わりに各所に灯された松明の火だけで照らされている。毎朝起床時間に点火して、昼間時に一度消える時間帯、火種を代えてもう一度点火すれば、消灯時間まで燃えて消えるだけの松明。時間に厳格な松明の間を通り抜けながら、サニーは目当ての男が待つ、留置所地下6階の一室へと向かっていく。
やがて当の階層まで辿り着いたサニー。この階層の警備を仕切る男に導かれて、サニーが一枚の扉の前に辿り着く。部屋番号らしき4桁の数字が刻まれ、格子状の窓がつく鉄製の扉の鍵を開けて貰い、サニーはその向こう側へ。サニーが扉の先に踏み入った直後、後ろの扉はがちゃりと閉まり、こちらからは開けられなくなってしまう。
サニーはその先へと進んでいく。そう長くない一本道を経て、突き当たりに見えてきたのは鉄格子。一枚扉からさらに隔離された、鉄筋壁の塊にくり抜かれた小さな部屋は、一人の罪人を幽閉するための孤独な空間である。
「……こんにちは」
「ん……おぉ、懐かしい顔だな」
牢屋の中でごろ寝していた男は、茣蓙の上から体を起こし、立ち上がって近付いてくる。異臭の漂う劣悪な一室に閉じ込められてなお、初めて会ったあの頃と、血色の変わらない顔でいてくれたことには、サニーも少し懐かしく感じたものだ。同時に、こんな場所での再会は望んでなかったのに、とも思う。
クライメントシティを襲撃した暴徒達に混ざる形で参戦した、タクスの都の闘技場の闘士、トルボー。何週間かぶりにサニーと再会した彼は、鉄格子の向こう側で朗らかに微笑んでくれた。
「クラウドの奴はどうなった?」
「医療所でゆっくりしてます。トルボーさんのことも心配してましたよ」
「ははは……お前らは人がいいっつーか、何と言うか……」
「…………」
鉄格子を挟んであぐら座りの二人は、方や寂しそうに男を見つめ、方やそんな目をしてくれるなと笑っている。その後、クラウド達がどうなったかを問いかけたトルボーに端を発し、サニーが少しずつ、騒動後のクライメントシティの近況を語り始めた。
街中どこもかしこも復興作業で忙しいことや、医療所がどこも満室でてんてこまいなのは、トルボーも聞いていて興味なさげだった。それよりも、特殊な体質なのかトルボーやタルナダにやられた傷の治りが早いクラウドのことや、連日彼の見舞いにファインが訪れていることなど、そういった話に興味を示してくれる。もう一人のサニーの友人、リュビアも騒動から避難していた末、特に巻き込まれず元気でいることにも、トルボーはよかったなと言ってくれる。リュビアとは面識もないはずのトルボーなのだが、サニーの友人が無事であったことを単に喜んでくれているようで、やはり荒っぽいように見えてトルボーも人が悪くないものである。
「……どうしてこんなことに、手を貸したんですか?」
ホゼも、ヴィントも、タルナダも。親しくなれたと思えた気のいい大人達が、自分達の故郷を襲撃したことは、少なからずサニーにとっては寂しいことだ。ファインやクラウドに言わせれば、ショックだったとさえ言っていいぐらいである。
他の誰に同じ質問をされたって、トルボーはまともに応えなかったかもしれない。だけど、少しうつむき上目遣いで、哀しくとも恨めしくとも見える眼差しを、この子に向けられると苦笑を浮かべてしまう。自分達が悪事に加担したことを、単に罪人めと非難するのではない瞳には、トルボーも深い溜め息をつく。
「退屈だったんだよ。でっけぇことがやってみたかった」
一瞬だけ、サニーは呆れた目をしそうになった。それはそうだ。そんな理由で故郷に攻め入られ、多くの人が傷つけられたのなら、一度好きになれたこの人のことも、見限ることにためらいがなくなる。
サニーがそう思えなかったのは、トルボーの目が真剣なものだったから。問いかけた自分に対し、飾らぬ言葉で真意を吐いてくれる人物の心模様を、単純な言葉尻だけで安く受け取りたくなくなってしまう。どういう意味ですか、とサニーが問いかける声は、非難から入る厳しい口調ではない。
「俺達は、賢く生きられなかった人間さ。この世界は天人優勢の時代、だが地人達の中にも、賢く生きている奴はたくさんいる。俺の幼馴染なんかは立派なもんで、ガキの頃から商人に弟子入りし、今じゃタクスの都でいい店を構えてる。いい女房にも恵まれて、先月も軽く冷やかしに行ってやったもんだ」
この世界は天人に対してはひどく甘く、地人に対してはきつく厳しい。仕事探しでも、社会的地位の制定でも、果ては日常レベルの買い物でも、天人を優遇し地人を軽視する傾向は如実なもの。しかし、そんな世界でも一握り、若い頃から地道な人生を歩み、大人になる頃にはそれなりの暮らしに辿り着く地人はいる。立派な大人というやつだ。
「俺はそうじゃなかった。若い頃から血の気が多くて、乱暴者だったからな。その結果、今のこういう人生になっちまったことに関しては、自業自得だと思ってるがね」
人間、若いころにやんちゃしていたつけが、大人になってから来るというのはよくあるものだ。幼い頃から勤勉に徹し、大人になる頃には平凡に見えて幸せな生活、そんな人生だって成功例の一つだろう。だってこの世界には、それにさえ辿り着けず、若き日に遊んでばかりだった自分を、今の暮らしを振り返ると共に悔いる人が少なくない。
「……それで、退屈で、大きなことを?」
「失望してくれても構わねえよ。俺達は、ホゼもヴィントも似たようなもんだ。タルナダの親分は……まあ、少し違う形で動いてくれたから、俺達と一緒に見て欲しくはないがな」
「やめて下さい」
失望してくれてもいい、という言葉には、サニーも凄く嫌な気分になった。自分の価値を落とすような卑下を発するのはとても勿体ないことだ。別に、魔が差して非道に手を染めるような行為をしたって、それが性根からくる悪意でないならサニーも見限りやしないのに。
実際その中、自分はどう見られてもいいと言う一方で、尊敬する誰かのことを自分と一緒にしないでくれと、他者を重んじることは出来る人物じゃないか。そんな人物が、己の価値を蔑むような姿を見ていると哀しくなる。きつい眼差しを返したサニーに、トルボーも小さく苦笑する。ここまで言っても、こいつは人と人の間にある見えない重さを捨てず、向き合ってくれる奴なんだなって。
「……自己弁護してえわけじゃねえが」
だから、見苦しいなとは思いつつも、本音を語ることにした。ださくて、みっともなくて、素面の口ではとても言ってこられなかった不安。それは、獄中でふと向き合えた、自分を軽んじない少女に出会えたからこそ溢れ出る、一人の男の本音なのかもしれない。
「想像してみるといい。30半ばで、働きに出れば怪我や痛みと隣り合わせの日々、それで得られる稼ぎは僅か。今さら新しい人生を探そうにも遅すぎて、闘技場という舞台を離れれば野垂れ死ぬことしか出来ない人生が決まっている。あと何年これが続く? 年を取って戦えなくなった頃の俺に、果たして金を稼ぐ手段があるのか? そういう人生がほぼ決まっている中で、俺は未来の何を楽しみに生きていけばいい?」
今はまだいい。戦えるし、同僚達と酒を飲んで楽しく語らうことも出来る。だが、10年後はどうか。あるいは5年後でもいい。年を取るごとに体が老いる実感はあるし、その都度なまらないように鍛えはする。道楽ではなく、生きるために。だけど、そんな努力でも取り返せない衰えが、必ずいつか訪れる。何年も闘士として生きてきたトルボーは、そうして老いて隠居した末、細々と生きることも長く叶わず、世を去った老人達を何人も見てきている。
当たり前だが、人は老いれば必ず働けなくなるのだ。そうなれば、生きるためのお金を稼ぐことも出来なくなるし、まして弱った身体で加速度的に衰弱して死んでいくのって、どんなに寂しく感じることだろう。動けて楽しみを見出せる、若い今だからこそ怖くなることだ。天人社会では、老いて仕事が出来なくなった老人には、公的機関がねぎらいの金を月一度提供してくれる制度があるそうだが、地人に対してはそんな福祉制度がないのだ。ならば若いうちから金を貯め、節制し、老後に備えればいいのか? 稼ぎはただでさえ少ない上、不満が溜まればそれを晴らすために遊ぶことも必要なのに? あるいは、不条理の世に揉まれ続ける毎日で、それを発散するために金を使うことも惜しむべきなのだろうか。それで人って、まともな精神で生き続けられるんだろうか。
自殺者は、この世界でも決して少なくない。社会の闇の苗床になるのは、必ずと言っていいほど人の心だ。追い詰められた者が暴徒と化した過程を聞くサニーは、同時に、ままならぬ世の中の無情さを想い馳せずにいられない。
「魔が差した。俺にはまだ、戦える力があった。生まれ一つで誰かが虐げられる、天人支配の時代を終わらせる武器の一つに混ざってみたかった。人を傷つける悪行であって、崇高なものじゃないのは、ザームの奴だってわかっているはずだ。それでも俺は、その想いに乗って組した」
社会的弱者に追いやられる地人の姿は、サニーだって目に余るほど見てきたのだ。身内も友人も地人のトルボーが見てきた世界は、サニーが見てきたよりももっと深く、苦しい地人の現実だっただろう。決して美化できぬ行為で以って、それを変えるきっかけにトルボーが踏み出したいとした思想は、想像で補うだけでもサニーに頭から否定できるものではない。
「罪は罪だ。俺はもうこの獄中から出ることはねえだろうし、それだけのことはした自覚がある。一度でもこうして会いにきてくれた、お前みたいな奴がいてくれただけでも、俺にとっちゃ嬉しいことだったぜ」
「……別にまだ、終身刑が決まったわけではないでしょう」
「ははは、あまり甘すぎる観測はするもんじゃねえ。希望を持たせてくれるのは温けえけどな」
トルボーだって、わかっているのだ。天人の都を大規模に侵略する行為の罪深さは、無期の懲役に値するものだって。場合によっては、死罪にすら相当し得るものだ。やがて近く、刑務所の方へ身柄を移され、30代半ばの自分が生きているうちに牢獄から出られない生涯なのは、敗れた時から覚悟していたこと。それでもこの道を選んだのが彼であり、悔いはない。
サニーの後方遠くから、拍子木を3度鳴らす音が聞こえた。面会時間はそろそろ終わり、という合図だ。その音の意味を知るトルボーも、さあ行けとサニーを促してくれる。寂しい獄中、話し相手を見送るのはトルボーにも孤独を感じさせることだろう。それがわかるだけに、サニーも立ち上がるまで数秒かかったものだ。
「……長生きして下さいね。機会があれば、また会いに来られるかもしれませんから」
「まあ、努めるよ」
気休めでもいい。そういう言葉を向けて貰えるだけで、充分自分は幸せ者だと思える。一礼して背を向けて去っていくサニーを、トルボーは彼女の姿が見えなくなるまで、安らいだ目で見送っていた。
再び訪れる静寂。茣蓙の上に寝転がり、暗い天井を見上げるトルボー。サニーの言葉の数々を思い返し、いい奴だったなとは思う一方、どうしても引っ掛かってしまう言葉もあった。
「……終身刑が決まったわけじゃない、か」
無いと思うが、やがて出所できたとしよう。老いる前に、獄中生活を終わらせられたとして。
「だとして、何すりゃいいんだろうな……俺」
未来が見えない。究極的に例えば、犯罪歴もつかず、明日出所できたとしても、帰る先は単なる元の暮らし。数十年後の燃え尽きた寂しい死を恐れながら、我が身を痛めつける毎日を生きていくだけだ。そんな人生に、どんな未来を想い描いていけばいいんだろう。
退屈、と彼が形容したのは、もっと適した言葉を使えなかったからだ。生き甲斐を見失ってしまった半生とは、確かに退屈と形容できて、しかし絶望とさえ呼べる闇である。トルボーがその二文字を使うことが出来なかったのも、無意識のうちにそれを口にすることを忌避したからだったのかもしれない。




