第95話 ~最後まで~
「クラウドさん……!」
「あ~、ファイン……無事だったか」
サニーと二手に分かれてクラウメントシティを走っていたファインが、やっと見つけたクラウドに駆け寄る。数名の警備兵が周囲に立ち並ぶ真ん中で、彼は建物の壁に背を預け、ぐったりと座り込んでいた。見るからに立つことも億劫、そんなクラウドを初めて見るファインの表情は、出会い頭から狼狽に満ちている。
「怪我は!?」
「んっ、ぐ……この辺かな……あ、あんまり触らないでくれよ……?」
掌を近づけ、触れずに撫でるふりをして脇腹がそうだとクラウドは示す。鉄分銅を突き刺され、タルナダの蹴りをぶちかまされた衝撃を受け、中身までずたずたのボディ。迂闊にファインがクラウドに触れたら、どこに触れてもその揺れだけで傷が痛んだだろうから、はやる気持ちをファインが抑えたのは正解だ。
周囲の警備兵達も、今は医療所から担架を持ってくるように命じているらしく、それが到着したらクラウドを乗せて運ぼうという手筈らしい。地人のクラウドを天人の警備兵が、ここまで手厚く扱うことはやや珍しいのだが、あれだけ獅子奮迅の活躍で警備兵達を助けてきたクラウドとなれば、流石に天人達も雑には扱えないのだろう。
「皆さん、すみません……! 手を貸して貰えませんか……!?」
クラウドのそばから立ち上がったファインが周囲に呼びかけ、警備兵の一人に駆け寄っていく。何やら話し合って、警備兵もうなずいて、ファイン含めて4人ぐらいでクラウドを囲む。何だ何だとクラウドも困惑顔。
「えっ、ちょ……!? え……!?」
「傷の状態が見たいそうだ。あんまり動くな、体に響くぞ」
男達3人がクラウドの手を持ち上げ、服の裾をめくり上げ、クラウドの上半身を裸にする。いきなりのことでクラウドも抵抗しそうになったが、体を動かすと傷が痛むからほとんど動けない。嘘だろファインの前で裸になるのかよ、と戸惑うクラウドだが、優しめの手つきで服を脱がせる男達によって、あっという間に服を剥ぎ取られてしまった。
よーしゆっくりだ、ゆっくりだぞ、と声を掛け合う男たちによって、クラウドは仰向けに寝かされる。砂利が多いので背中の下には、脱いだばかりの服を敷かれてだ。これでいいかな、と警備兵の一人に声をかけられたファインが、ありがとうございますと深々とお辞儀して、クラウドのすぐそばで膝をつく。
う、とファインが短く声を漏らすほど、クラウドの傷は見ただけでひどい。脇腹が広範囲に渡って青いなのは、内出血によるものだろう。その中心には、鉄分銅が突き刺さった跡があり、そこ一点は肌の下で血溜まりが出来ているかのように真っ黒である。
「あ、あのさ、ファイン……あんまり見……」
「ごめんなさい、クラウドさん……! 痛いかもしれませんが、少しだけ触ります……!」
真剣そのものの声と表情のファインだが、女の子の前で上半身裸のクラウドも、別の意味で落ち着かない。真っ青になっている右脇腹、その逆の左脇腹にそっと手を添えるファインの行動に、危うく変な短い声が漏れそうになった。柔らかくて温かい女の子の手で、いきなりそんな所触らないで頂きたい。
クラウドの容態を調べるため、触れた両掌から微小な魔力を注ぎ込むファイン。傷ついたクラウドの胴体を巡った魔力が手元に帰って来る実感から、漠然とながら体内の様子がわかる。周りの男達は真っ青のクラウドの肌を見て、ひどい状態だと感じているだろうが、体の奥の様子をぼんやりと透過して把握するファインは、それ以上に顔を引きつらせている。骨は砕けて肉も裂け、そんな状態を知ってしまえば、もしも自分がこんな傷を負ったらとぞっとする。
「な、何……? 俺の体、そんなにひどいの?」
「っ……や、あの……だ、大丈夫、ですよ……?」
あまりにファインが凍りついた顔をするものだから、苦しいけどまあ命にまでは別状ないだろと思っていたクラウドも不安になってくる。珍しく不安げな声のクラウドに、はっとしたファインが、咄嗟に引きつった笑顔を作って答えた。それ絶対大丈夫ですよって顔じゃない。
「……じっとしていて下さいね?」
自分の体を、クラウドの胴体をまたぐ橋のようにして片手を着き、もう片方の手をクラウドの脇腹に近づけるファイン。きゅっと目を閉じ、念じるファインの掌が、真っ青になったクラウドの脇腹に治癒の魔力を送る。
まずは風の治癒魔力を注ぎ込み、痛みを風に乗せてやわらげる。また、同時に生命力を司る木の治癒魔力も投じて、不全の体に苦しむであろうクラウドに、遅きに失して命を落とすことがないよう活力を注ぎ込む。とりあえずこれで、目先の苦痛と死の危機は遠ざけられるのだ。
「あ……なんかちょっと楽に……」
「だっ、駄目です駄目です! 動かないで! まだ終わってません!」
痛みがやわらいできたところでクラウドが体を動かそうとした瞬間、迫真の表情でファインがクラウドを制した。叱り付けるレベルの声量に圧倒され、クラウドも思わず固まってしまう。
クラウドがおとなしくなったところで、ファインは治癒の魔術を続行だ。折れた骨、避けた肉、体内の傷、それらを繋げたり塞いだりするのは雷の魔力。離れてしまった筋肉や骨の、元の接点同士を引き寄せ合わせるのだ。体内の色んなものが、ファインの魔力によって微々たる動きを見せていることに、痛む体の奥でそれらを動かされるクラウドが、小さく苦しそうにうめいている。
「ごめんなさい、我慢して下さい……少しの、少しの辛抱ですから……」
繋ぎ合せられるべきものが近付いたことを認識したファインが、肉体を作り上げるための土の魔力と、人体の自己治癒能力を高めるためのエネルギーの源、火の魔力を注ぎ込む。触れ合っただけのクラウドの体内の傷や骨を、これによって一時的にでも接合するのだ。クラウドの苦痛を逃がすための風の魔力も投じているが、何せ他の色の魔力も同時に注ぎ込んでいるから、風の魔力の注入だけに集中できないのだ。クラウドに伴う痛みを消すにも限度がある。
「な、なぁ、ファイン……お前、大丈夫なのか……?」
「だ、大丈夫……えっ、私なにかおかしいですか?」
ずいぶん重傷のクラウドだが、彼から見たファインも大概だ。うつろな目で荒い息、彼女の顔から流れ落ちる汗で、クラウドのお腹に水溜りが出来そうなほど。話しかけたクラウドに振り向いたファインの表情なんて、三日徹夜した顔のように活力がなく、作り笑いも出来が悪すぎる。
いくつもの戦いを経た後、地中に引きずり込まれ、地力で地下空間から脱出し、ザームを探し求め、それと交戦し、さらにはトリコロールカラーの少女との一戦。この一日でそれだけ魔術を行使し続けてきたファインにとって、クラウドに満足な治療を施そうと思えば、費やす魔力が重過ぎるのだ。それでも、友達のこんな姿を目の前にしたら、今までの限界を振り切ってでも、出来る限りを尽くしたいと思うもの。一人の少女にとって、ここが本当の正念場なのだ。
「じ、じっとしていて下さいね……上手くなくて申し訳ないんですけど……もうすぐ、済みますから……」
「…………」
あるはずの痛みをクラウドが忘れてしまうのは、それだけ背負って自分に尽くしてくれるファインの、どう見ても平気じゃない作り笑顔に呑まれるから。一方で、ファインも自分の限界には敏感だ。精神力を源に発生させる魔力、それの過剰行使で限界を迎えると、ぷつんと意識が途絶えて気を失ってしまう。今気絶したら、クラウドのお腹の上に倒れてしまうから洒落にならない。飛びそうな意識を必死で保っているファインだが、心配そうに自分を見ているクラウドの顔もぼやけてきた頃から、そろそろやばいとは感じ始めている。
自分の体でクラウドを橋のようにまたいでいた形をやめ、体を後ろに引き下げたファインは、そのまま後ろにふらついて倒れそうになる。おいおい、と警備兵の一人が後ろで腰を降ろすが、なんとかファインは自分の片手で踏み止まった。息も絶え絶えのファインは、そのままクラウドの隣に力なく寝転がる。頭の位置を、クラウドの胸と同じぐらいの高さにして、半身で手を伸ばして青くなったクラウドのお腹に添え置くのだ。
「ご、ごめんなさい、行儀悪くて……」
「いや、その……」
「そのうちサニーも来てくれますから……それまで、無理はしないで下さいね」
はしたなさでクラウドに顔向けが出来ないのか、うつむいて表情を見せてくれないファインがそれだけ言い、改めてクラウドの体に魔力を注ぎ始める。傷を癒す5色の魔力に加え、最後に水の魔力を投入だ。内出血した血の一部は、やがてクラウドの体にとっての不純物になる。それらを体から追い出すための、浄化を促す水の魔力である。最後まで意識を保つように努め、意識を失うその時まで、出来る限りを尽くそうとするファインが踏ん張るだけ、クラウドの体はより良い状態に近付く。
「……ファイン?」
だけど、ファインもわかっていたとおり、そう長くはもたなかった。開いたままの目を伏せたまま、ぷつりと意識を途絶えさせたまま気を失ったファインは、クラウドのお腹に手を添えたまま横たわる。傷が再びじりじりと痛みだす感覚は、ファインの魔力が途絶えたことの表れであり、異変に気付いたクラウドはぞっとしてファインを凝視する。
周囲の警備兵がファインの手をクラウドからどけ、ファインを仰向けに寝かせると、開いたままの目を掌で閉じさせる。まるで死体のような扱われ方だが、ファインの小さな胸が上下している様子からわかるとおり、死んでしまったわけではない。魔力の過剰生成による気絶、そのうち目覚めるよと警備兵の一人に説明されて、ようやくクラウドもほっとして息をついたものである。
「お前、幸せ者だな」
「…………」
こんな可愛らしい女の子に、ここまで尽くして貰えて。警備兵の一人が発した言葉はそういうニュアンスであり、戦い終えた傷だらけの少年に向けた、ねぎらい混じりの冗談のようなものだ。そういう軽口を叩いてくれているのはクラウドにもわかっていたが、冗談に冗談めいた口を返せないのは、笑えないぐらいその言葉尻が真に迫るものだったからだ。
あんなに顔色を悪くして、気絶するまで自分の傷を癒すために尽力してくれる友達。ファインが女の子かどうかなんて関係ない。そんな友達に巡り会えた自分が幸せ者であるのは、クラウドからしてそうですねと、軽く笑って言えないほどに貴いことだった。
やがて、別方面からクラウドを探し求めていたサニーが駆けつけ、事態は収束に向かっていった。医療所から運ばれてくる担架より先に到着する辺り、サニーもよく走って探し続けてくれたのだろう。二人並んで倒れたクラウドとファインの姿を見て、だいたいファインがどういう無茶をしたのか見て取るサニーは、何とも言えない顔で溜め息をついていた。
「お疲れ様、クラウド。本当に、ありがとう」
「……いーよ」
ファインやサニーの故郷を守るため、体をここまでして戦い抜いてくれたクラウド。そんな彼への感謝を、報いる魔力に変えることで、意識失うまで尽力したファイン。サニーだって、正直なところでは考えたものだ。自分がファインやクラウドの立場だったら、ここまでのことが出来ただろうかって。担架が来るまでの短い時間、サニーはずっとファインの頭を撫でていた。本当にお疲れ様、という想いを掌に添えるかのように。そして、本当にいい友達に恵まれたねと、幼い頃は孤独だった彼女を祝福するかのように。
長い一日、クライメントシティ騒乱の最後、二人の間に育まれた輝かしい絆を目の当たりに出来たこと。それは育ちの故郷を傷つけられたサニーにとって、その痛みにも勝る救いだった。




