プロローグ
この世界は間違っている。
千年前の天地大戦で勝利を収め、確かに覇権を握ったのは天人だ。だが、そんな過去の偉人の功績など、今を生きる者には関係ない。天人が幅を利かせ、地人には等しい権利も与えられないこの世界、虐げられる立場で納得できる方が稀だろう。
そんな世界を変えるため、戦い抜いた魔女がいた。あらゆる敵を圧倒する実力を持つ彼女は、やがて地人の数々を率い、纏め上げ、世界をひっくり返すための戦いに乗り出した。アトモスと呼ばれたその魔女を指導者とする反乱軍と、利権を守ろうとする天人の争いは、数年に渡り続いたのち、幾多の血と犠牲の上に幕を閉じることとなった。千年前の天地大戦と同じく、地人側の総大将の陥落を以って、長き戦いは天人の勝利として終わりを告げることになる。
天人と地人の狭間に生まれた魔女アトモスが、目の前に崩れ落ちた姿を見下ろす聖女の目は明るくない。魔女アトモスの討伐は、天人として生まれた聖女にとっても、最高の結果であったはずなのに。長年の親友を手にかけ、その命をやがて途絶えさせんとする聖女は、魔女を前に跪くように近付き、涙を流し始めている。
「……ふふ、スノウ。大変なのは、これからなのに……」
討つべき敵を討ち果たし、親友の死に溢れ出る涙を止められない聖女、スノウを目の前にして魔女アトモスは柔らかく微笑んだ。理解されぬ思想、孤独な生、傷だらけの生涯。やがて自分の死が報じられれば、多くの人々がそれを喜び、めでたいことだと言うだろう。そんな生涯の一番最後、自らのために涙を流してくれる人物が目の前にいることは、アトモスにとっては最後の救いだと思えた。
これで終わりではないことを、スノウもアトモスもわかっている。たとえ地人を率い、天人の覇権を崩すべく大規模な革命を起こそうとしたアトモスがいなくなっても、世界を変えたがる地人は絶えまい。まして、アトモスのような主導者さえいれば、憎き天人にも一泡吹かせ、踏みにじられ続けた日々を塗り替えていけると歴史が証明してくれたのだ。アトモスという頭を討ち果たしたところで、きっと世界に拡散した彼女の遺志は受け継がれていくだろう。
変革を渇望した魔女、確たる意志でそれを阻んだ聖女。長き戦いの集結と共に迎えた一つの始まりを、涙を拭った聖女の目ははっきりと見据えている。廃墟の石壁に背を預け、力なく崩れ落ちたアトモスを抱きしめるスノウの行動は、刺し違えられてもおかしくない行為。凶刃を剥くことなく、顔の横で再びすすり泣く親友スノウの声を耳にしたアトモスは、ふっと目を閉じ静かに微笑んだ。
「……私は、諦めないからね」
アトモスが口にした、最期の言葉。それは、魔女アトモスが討伐され、各地の暴徒が鎮圧されるに至り、仮初めの平穏を取り戻して数年経つ現代においても、人々の心に強く刻まれている。