空飛ぶ少女
放課後。私は屋上へと向かった。日はすでに沈みかけ、辺りを橙色に染め上げている。
屋上の一番端、一部だけ飛び降り防止用の高いフェンスが新しくなっている場所。そこには一人の少女が立っている。この中学校の夏服を着て、黒く長い髪をたなびかせた少女。彼女はフェンスの向こうを見ているので、顔は見えないのだがかなりの美少女である。
太郎君と一緒に昼食を食べているときには居なかった子だ。……それもそのはずで、彼女は夕方から朝日が昇るまでしか現れないという七不思議なのだから。
「空ちゃ~ん!」
私がそう叫ぶと、彼女はゆっくりとこちらを振り返る。うん、やっぱり美少女。
「あ、管理人さん。こんにちは」
控えめな、しかし凛とした声。声を聞いただけでも育ちの良さが分かる。
彼女の空という名前は、名前がないと不便だからと私が勝手に付けたものだ。本当の名前なんて、ない。この学校の七不思議になった時点で、彼女の名前は消えたのだから。
「こんちゃ! あ、お隣、いい?」
どうぞと微笑みながら、空ちゃんは少し右に動いた。
私は空ちゃんと共に沈みゆく夕日を見る。彼女は何を思いながらこれを見ているのだろう。
「今日はさぁ、太郎君のお弁当に唐揚げが入っててね、一つこっそりもらったんだけど気づいてなかったみたいでさ。いやぁ、笑いをこらえるのに必死だったよ」
私は夕日を見つめたまま、できるだけ明るい口調で話す。
「いいですねぇ。私も食べたかったです」
横を向くと、少し寂しそうな空ちゃん。その表情を見て、もっと違う話題にすればよかったと、私までしょんぼりしてしまう。
「あ、お気になさらないでいいんですよ!? 私も他の皆さんの話を聞けて楽しいですし。それに前までは考えても居なかった生活なんです、皆さんの話を聞けるというのは。私がどれだけ救われてることか」
本当に嬉しそうな彼女の表情。
「管理人が管理人さんで本当に良かったと思っています」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
そして、私はまた彼女に語り出す。この学校の裏の話、七不思議の主役たちの話を。そのことが一時的とはいえ、彼女の笑顔を作るのならば私はいつまでも話そう。
じわじわと沈む夕日を見ながら、彼女と笑い、時には怒り、話し続ける。
「……でね! 保健室の声が五月蠅くってさぁ」
空ちゃんはふふっと上品に笑いながら話を聞き、しかし夕日の方を見て顔を曇らせた。
私も夕日の方を見ると、もう夕日は頭をちょこっとだけ出すのみでほとんど山に隠れている。
「時間……ですね。今日も楽しかったです」
ああ、今日もこの時間が来てしまった。
「そんな顔をなさらないで。これは私の仕事のようなものですから。私のような、悲しい仕事をする人も居なくちゃいけないですから」
全てを悟りきった彼女の表情がやけに眩しく見える。
「さぁ、早く次のお仕事に向かってください。私もこんな顔を見られたくない」
彼女はそう言って、すっと私の方から顔を背ける。
彼女の言う通りだ。夜が来れば、私にできることなんて何もない。早く次の仕事に向かうのが効率よくて、一番良いことだって分かってる。
でも。
私はどうやっても抗えない世の中の不条理なものを感じながら、その場を去った。
昇降口に向かう私の背中を見つめる、彼女の視線を感じる。振り返りたいけど、もう彼女の綺麗な顔は全く別のものへと成り果てているだろう。彼女は、そんな自分の顔を見られることを一番嫌っている。彼女のためにも振り返ってはいけない。
私は扉を開け、中に入り、静かに扉を閉めた。後ろを振り返るが、ここの扉は擦りガラスなのだから外が見えるわけない。しかし、もう日が沈みきったことは分かる。
……ドンっ
とても遠くから聞こえる鈍い音。小さい音のはずなのにやけに大きく聞こえるのは、もう校舎内に誰も居ないからだけではないだろう。私は床に座り込んだ。
……ドンっ
彼女に恐怖心が無いわけない。それなのに、自分の境遇をちゃんと受け入れることができている。
……ドンっ
飛び降りてはあの場所に戻り、それを繰り返す。一晩中。終わりなんて見えない。それをどうして受け入れることができるのだろう。
……ドンっ
私にできることは、たった一つしかない。残りの七不思議の話を彼女に語ることだけ。私はどうしようもないものを感じながら、再び立ち上がった。
……ドンっ
トントントンと階段をゆっくり降りる。次の七不思議に会うために。彼女にその話を語るために。
私が座り込んでいた場所には数滴の雫が落ちていた。
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