家族の象徴 その6
リビングで御手洗は居心地の悪さを感じていた。恐らく他の2人も同じように感じていたに違いない。やっているうちは楽しかったいたずらが、ばれたとたんにバツが悪くなり、やらなければよかったと後悔する子供のように、怒るべきなのか、非難するべきなのか、それとも許すべきなのか決めかねる、といった表情で3人を睨む田中の視線を受けて、3人は小さくなる。
「なぜこんなことをしたんだ。」
田中は、子供を叱りつける、と言うよりは子供の理解できない行動をどう扱っていいのか解らないといった口調で、小さく俯く理沙に問いかけた。
「・・・お父さんが悪いんだよ。」と呟く理沙はむくれている。
「家にも帰ってこないで仕事ばっかり。お母さんが病気になった時も、病院でお母さんがどんなに苦しい思いをしてても、帰ってこなかったじゃない。」
「お父さんは忙しいんだ。理沙にだって解るだろう?」
「わかんないよ。お母さんが死んじゃって、あたしはこの家で一人ぼっちなんだよ。」
「だからこんな馬鹿げたことをしたのか?お前たちもお前たちだ。いい歳した大人が子供と一緒になって何をやってるんだ。」
田中は、怒りの矛先を3人に向け、お前たちがそそのかしたんだろう、と声を荒げた。
まったくその通り、と心の中で呟いて、御手洗は涼しい顔をする。
あんたに怒る資格があるのか、と怒りを腹にためて五十嵐は睨みつける。
どうしてこんなことをしたんだろう、と我に返って、恵美は肩を落とした。
「御手洗さん達はあたしの為にしてくれたんだよ!お父さんに怒られることなんてないんだから。」と理沙は顔を上げて父親を睨みつけた。
「やっていいことと悪いことがあるだろう!」
反抗する娘に、田中は今度こそは父親の威厳を保つために叱りつける。
黙ったまま眼に涙を浮かべ、それでも目を離そうとしない娘の覚悟に、田中は少しだけ罪悪感を感じた。今回だけは許してやろうかと、口を開きかけると、タイミング悪く御手洗が間延びした声を出した。
「あのぉ。そろそろ本題の方に入りたいんですけどぉ。」
「はぁ?」
「我々は理沙ちゃんから『心霊現象』についての依頼を受けたのでぇ。そちらの方を解決したいんです。」
「お前、まだそんなこと言ってるのか?」田中はこの期に及んでまだバカみたいなことを言う御手洗に呆れる。
「いやぁ、こっちが本業なんでね。ます、コチラを見ていただきたいんですぅ。」
御手洗はバッグからノートパソコンを取り出し、先日録画した現象を田中に見せた。
画面を見るなり田中の顔色が変わった。そこにはまさしく死んだはずの妻が映っていた。いたずらにしては手が込んでいるし、わざわざこんないたずらをする理由もないように思えるが、先ほど子供じみたいたずらをしかけた得体のしれない連中の持ってきたものを、素直に信じる気にはなれなかった。
「なんだこれは。こんなものを作って俺に見せてどうしようって言うんだ。」
「理沙ちゃんは毎晩苦しんでいるんですよぉ。」
「こんなものを信じろと言うのか。」
「まぁ、もうすぐ解りますよぉ。理沙ちゃんが寝た後に。」
「あたしがついててあげるから。お母さんに会うのはこれで最後にしようね。」
優しくほほ笑みかける恵美に、理沙は小さく頷いて、目を閉じた。寝ろと言われてすぐに寝れるかどうか自信はなかったが、ゆっくりでいいよ、と御手洗が言ってくれたので、安心して眠りにつく。
ベッドの脇には、あの時と同じようにカメラが設置されていた。
リビングでは、カメラから送られてくる画像をパソコンが受け取り、田中が半信半疑で見つめている。
「本来ならお前たちを訴えているところだ。」と御手洗を睨みつけ、「冷蔵庫を勝手に開けるな。」と牛乳を取りだした五十嵐を叱りつけた。
「大体、幽霊なんかいるわけがない。」
「ええ、その通りです。」御手洗は画面を見ながら、「幽霊なんていませんよぉ。」と笑った。
「田中さんは、『イデア』と言う言葉を知ってますかぁ?」
田中は聞き慣れない言葉を聞いて首をかしげた。
「なんだそれは。」
「『イデア』もしくは『イデア論』。紀元前の哲学者、プラトンの考えの基となった考え方です。哲学用語で『イデア』とは『見る』もの。もしくは『見られる』ものを表しています。」
御手洗はパソコンを指差し、このパソコン本体を見る。見られる物としてパソコンが存在する。と説明した。
「でも、『プラトン哲学』の『イデア』は少し考え方が違うんです。プラトンは『イデア』と言う言葉に、心の目で見る、物事の純粋な姿と言う意味を持たせたんです。」
突然、哲学を取り上げて訳のわからないことをとうとうと説明する御手洗に、田中は少し苛立ちを感じて
「それが一体なんだって言うんだ!」と少々声を荒げた。
「『心霊現象』はプラトンの『イデア』なんですよ。この両目では見ることのできない、物事の本質の姿。」と御手洗は両目を指差す。
「それは時々、人の『想いの力』を借りて具現化します。じゃあ、その『想いの力』とは何でしょうか?」
「そんなもの知るか。」面倒くさそうに田中は答える。
「普段現れるはずのものを、具現化させてしまうほどの強い想いですよ。」
ここで御手洗は若干目に力を込めて田中の顔をじっと見た。
「理沙ちゃんは、恐らくあなたのしていることを知っています。」
田中の顔色が変わる。まさか、と口では言いつつも、額に汗がにじんだ。
「たぶん確信はないでしょうが、心のどこかであなたのことを疑っている。もしかしたら自分と母親を裏切っていたんじゃないか?家に帰ってこないのはホントは仕事のせいじゃないんじゃないか?と。」
田中は思わず目をそらした。じっと睨みつける御手洗の瞳の奥に、理沙の想いが込められているような気がして、直視できない。
「その鬱積した想いが今回理沙ちゃんの周りで『心霊現象』として現れているんです。」
「そんなこと、信じられるものか!」
「信じるも信じないも、もうすぐ結果が出ますよ。」とそこで御手洗の携帯が鳴りだした。
受話ボタンを押して耳に当てる。「理沙ちゃん、寝ました。」と恵美からの報告を受けて、もう一度田中の顔を伺う。「さあ、画面を見ていてください。これから起こるのはまぎれもない現実です。」
パソコンの画面を見始めて、1時間も経たないうちに田中は画面に釘付けになった。目の前で起きている現象をまばたきも忘れて凝視する。
娘の周りから発生した黒い影は徐々にその姿を現し、そして妻の姿になった。信じられない、と思う一方で、この現実をどう説明する?と疑問が生じる。
「こ、これは・・・。」
画面に映る妻は、理沙を見下ろし、何かを呟いている。その度に理沙が苦しそうに身をよじる。理沙の目は見開かれ、恐怖の色が滲んでいた。
「お、おい。何とかしろ。理沙が苦しんでる。」田中は御手洗の肩を揺する。が、御手洗は慌てることもなくその手を払った。
「この現象を解決するには、理沙ちゃんの心にたまった想いを吐き出させる必要があるんですよ。」と、画面を指差し語調を強める。
「今現れているのは理沙ちゃんの想いなんです。あなたに対する疑惑や疑念が亡くなったお母さんの姿を借りて現れているんですよ。」
「理沙の、想い。」田中は耳から入った言葉を反芻するように呟いた。
そろそろ現象が現れてから十分が経とうとしていた。そろそろ終わりかな、と画面を見る御手洗の脇で、床に置いといた携帯が鳴りだした。
「もしもし、恵美ちゃん?」
「み、御手洗さん!」携帯から聞こえた恵美の声は慌てているようだった。
「おかしいんです、お母さんの幻影の様子がいつもと違います!」
「違う?」
御手洗は画面に目を凝らした。一体何が違うと言うのだろう。
「さっきからしきりに『来た』って言ってます。『あいつが来た』って。」
そう言って恵美からの連絡は突然きれてしまった。困惑気味に携帯を見る。直後、室内にチャイムの音が響いた。リビングにいた全員の顔が玄関に向く。
「誰か来た。」と確認するように五十嵐が呟く。
恵美の目は信じられないものを捕えていた。終始枕元に立っていただけの母親の幻影が、スッと移動し、それと共に引っ張られるようにして理沙が起き上がる。理沙は虚ろな瞳に何も映すことはなく、視線は宙に浮いたままだ。
「理沙ちゃん!」
恵美は必死に呼びかけたが、理沙の耳に届くことはなく、母親の幻影に連れられるようにしてゆっくりと歩き出した。
現象が現れているのだから、理沙は寝ているはずだった。本来金縛りを伴って現れる現象は、本人が寝ている時にしか現れないからだ。
しかし、目の前の理沙は虚ろに目を開き、確かにゆっくりと出口へと歩を進めている。背後に自分が出した母親の幻影を連れて。
『来た・・・許さない・・・。』
母親の幻影が言葉を発するごとに空気が震え、室内の家具がガタガタと揺れた。恵美は何とか理沙の目を覚まさせようと、理沙に駆け寄ったが、恵美の手が理沙の肩に触れる直前で、強い圧力を感じて壁際まで飛ばされてしまった。
『邪魔をするな』恵美を見下ろす母親の幻影の顔は憎悪に歪んでいた。
インターフォンのカメラに映っていたのは佐々木だった。
「どうして来たんだ?」と問いかける田中に佐々木は「心配だったから。」と目を伏せた。
「あんな電話を聞いて、一人でじっとなんてしていられなくて、理沙ちゃんが心配で、何度も迷ったんだけど・・・。」
佐々木の心配はもっともだし、その想い自体は決して悪いものではなかったが
「これがホントの誘拐だったら、とても危ない行為ですねぇ。」と御手洗は言わずにいられなかった。
「帰れ、理沙は大丈夫だから。」
「嫌よ、開けて。」
「ダメだ。今日は帰れ。」
「嫌、帰らないわ。」
繰り返される押し問答に鬱陶しくなった御手洗は田中を押しのけて
「どうぞぉ、入ってください。」と言って、鍵を開けた。
「何をするんだ!」と睨む田中に肩をすくめて
「佐々木さんにも関係のあることですから、居た方がいいかもしれません。」
「義則さん、理沙ちゃんは?」
佐々木は入ってくるなり田中に詰め寄り、その視線に御手洗を捕えると、威勢良く迫ってきた。
「この・・・ケダモノ!」
罵る言葉はなんでもよかったのだろうが、誘拐犯を罵るのに適切な言葉じゃないな、と御手洗は思った。殴りかかる佐々木を余裕でかわし、田中に視線を送る。
「今回は嘘だったから良かったけど、これがホントの誘拐だったら、こんなことすると危ないですよぉ。」
「す、すまない。」田中はなぜ自分が謝っているのか解らなかったが、興奮する佐々木を後ろから抑える。
興奮して睨みつける佐々木の誤解をどう解いたらいいのか考えていると、御手洗は感じ馴れた違和感に表情を曇らせた。空気が凍りつくような独特の違和感はまぎれもなく現象が起きる前兆だった。
「御手洗さん!」恵美が2階から叫ぶ。声のした方向に目をやると、理沙の姿が目に入った。
同じ方向を田中と佐々木も見ていた。その目に同様の驚愕の色を宿して。目の前で起きている事実を現実のものとして認識でないでいる。
理沙はゆっくりとした足取りで階段を下りてくる。ぴたりと張り付くように母親の幻影を連れていた。
心霊現象を扱うようになって、だいぶ詳しくなった恵美にも今起きてることは理解ができなかった。
「御手洗さん、理沙ちゃんが・・・!」どう説明したらいいのか解らず、次の言葉が繋げない。自分の意志とは関係なく恐怖が体をつき、足の震えが止まらない。
一方で、御手洗はこの現象に一定の理解をしていた。その上でまずいことになった、と顔をゆがめる。
「理沙ちゃん、どうしたんですか?」
五十嵐も、いつものにやけた顔を今ばかりは真剣な表情に戻し、御手洗に訊ねた。
「どうやら、想いに支配されちゃったようだねぇ。強すぎる想いを制御できなくなっちゃったみたい。あれは、手ごわいよぉ。」
いつもの飄々とした口調で説明する御手洗の額に汗がにじんでいるのを見逃さず、五十嵐はのどを鳴らした。
ゆっくりとロビーに降り立った理沙は、視線を宙に這わせている。何かを探しているようだった。
と、理沙の目が田中の前でとまる。同じように母親の幻影も田中の方へ目を向け、そして赤い瞳を大きく見開いた。
その直後、衝撃波にも似た、空気の圧力がロビー全体に行きわたり、その場にいた全員が体勢を崩した。御手洗と五十嵐はすぐに体勢を立て直したが、田中と佐々木はそのまま腰が砕け、座り込んでしまった。
『憎い・・・許さない。』
低く、腹に響く怨念の声を発して、母親の幻影は右手を上げる。理沙も真似するように同じ動きをした。するとロビーの正面に飾られていた、西洋の甲冑がカタカタと音を立てて震えだす。まずい、と御手洗が反射的に田中に駆け寄るのと同時に、甲冑は地面に立てるようにして持っていた剣を振り上げた。
バキン、と音を立てて玄関のドアに剣が突き刺さる。間一髪だった。御手洗に突き飛ばされた田中はしたたかに頭を打ち付けたが、剣が刺さるよりはましだろう。
ガシャガシャと大きな音を立てて、尚も襲い来る甲冑は武器など必要ないとばかりに、その重い拳を高々と振り上げた。振り下ろされる拳を、先ほど甲冑が投げた剣で受け止めて、御手洗は理沙に目をやった。
すっかり自分の起こした現象に心を持って行かれた理沙は、空虚な瞳を宙に浮かべ、ふらふらと立ち尽くしている。
「恵美ちゃん指輪だ!理沙ちゃんの持ってる指輪が『媒体』だ!」
グイグイと押し付ける甲冑の力に耐えながら御手洗が叫ぶ。その声を聞いて、茫然とへたり込んでいた恵美はハッと我に返り、「ゆ、指輪?」と訊き返した。
「理沙ちゃんが首から下げていた、お母さんの形見の―」
甲冑の力が強すぎて、それ以上喋れない。これはちょっとヤバい、と思った。
「御手洗さん―」御手洗の目の端に、唸るような声を上げながら入ってくる五十嵐の姿が入った、五十嵐はとあるプロレスラーのように「ダー!」と威勢のいい掛け声とともに豪快なドロップキックを甲冑にお見舞いした。頑丈なものと思って、思い切り助走をつけた五十嵐は、意外なほど手ごたえなく、バラバラになって吹き飛ぶ甲冑と共に御手洗の目の前をゆっくりと飛んで行った。
「恵美ちゃん!」
甲冑の攻撃から解放された御手洗は理沙のもとへと急いだ。バラバラになった甲冑が床の上を這うようにして集まって行く。
「指輪を理沙ちゃんから取り上げるんだ。」
「は、はい!」恵美ははじかれたように階段を駆け降りる。足の震えもそのままに、何度も階段を踏み外しそうになりながらも、理沙を助けたい思いが胸をつき、懸命に足を動かした。
厚い空気の層に立ち向かうような強い圧力を受けながら、御手洗は一歩一歩理沙へと近づき、理沙を後ろから羽交い絞めにした。背後に母親の幻影から発せられる冷気を浴びて急激に体温を奪われる。
「はやく・・・!恵美ちゃん!」
男の御手洗と違い、恵美には母親の幻影から発せられる圧力はとても立ち迎えるものではなかった。必死に進もうとするが、足は床の上を滑るだけで、一向に距離が縮まらない。
弾かれそうになるのを、なんとか耐えていた恵美は、不意に背中が軽くなるのを感じて、振り返る。
「恵子さん、僕が押します!早く理沙ちゃんの指輪を。」
五十嵐の力を借りて、恵美は一歩一歩ゆっくりと理沙に近づき、ようやく手の届く位置にまでこぎつけた。
「理沙ちゃん、ごめんね。」
そう言って恵美は、理沙の胸元からネックレスを引きちぎった。その瞬間、媒体を失った母親の幻影はあっけなく実体を崩し、溶けるようにその姿を消した。
「はぁ・・・。」
何事もなかったように静まりかえる室内に、座り込む3人のため息だけが小さく響いた。
御手洗の腕の中で理沙はゆっくりと目を閉じ、元の眠りに戻って行く。
「御手洗さん、理沙ちゃんは・・・?」
心配そうに訊ねる恵美に、御手洗は優しくほほ笑む。
「大丈夫。きっと今起こったことは覚えてないと思うよ。」