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家族の象徴 その5



 田中はデータの修正を終え、全ての書類に目を通し、疲れた体を労わった。窓の外に目をやるとすでに日は落ち、のっぺりとした暗闇が窓にはりついている。

 机の上に散らばった書類をまとめ、帰り支度を整えて、背広の上着を片手に社長室のドアを開けると、すでに佐々木が待ちきれない様子で待合室のソファに座っている。

「なんだ、声をかけてくれればよかったのに。」言いながら佐々木の肩に手を回す。

「社長の仕事を邪魔する秘書はいないわ。」佐々木は田中の腕に顔を寄せながらうっとりとした顔を見せた。

「じゃあ、行こうか。」と佐々木を立たせたところで、田中はポケットの中の振動に気付いた。携帯に着信が入ったらしい。携帯を取り出すと、着信画面に「理沙」の文字が浮かんでいた。佐々木に待っててくれと手で合図をして、携帯の受話ボタンを押す。

「もしもし、理沙か?」娘からの電話は珍しいな、と少しの煩わしさを覚えた。

「もしもしぃ。田中さんですかぁ?」

 携帯から聞こえてきたのは、娘の声とは似ても似つかない男の声だった。

「だ、誰だお前は。」

「あれ?今日お会いしたはずですよぉ。」飄々と答える男の声に聞きおぼえがある。

「お前、昼間の探偵か?どうして娘の携帯を持っている?」

「いやぁ、田中さんが悪いんですよ。昼間にお伺いした時に取り付く島もなかったので、仕方なく実力行為に出させてもらいましたぁ。」

「な、ど、どういう意味だ!」

「そのままの意味ですよぉ。娘さんの身柄を預からせていただいてます。俺の言うことを聞いてもらわないと、娘さんにあんなことやこんなことしちゃいますよぉ。」

 携帯の向こうで笑い声が聞こえる。少なくとも2人の男の声がした。

「ふざけるな!」

「ふざけてねぇよ。」男は一瞬間をおいて、飄々とした声から一転、低くドスの効いた声を出した。

「いいか、これは遊びじゃねぇんだ。俺は、言うことを聞かないと娘を殺すと言っている。」

 男は慣れているようだった。脅しの言葉にも真実味がある。田中は冷や汗が背中を伝って流れるのを感じた。

「いいか?警察には知らせるなよ。もし警察の気配を感じたら、迷わず娘を殺す。娘を守りたいなら、一人で家に来い。」

「う、家って、どこだ。」

「あんたの家だよ。早く来ないと――」男の言葉が途切れると、すぐに悲鳴が聞こえた。恐怖に怯え、絞り出すような悲痛な悲鳴だった。

「わ、解った。警察には知らせない。一人で行くから娘には手を出すな。」

「そう、それでいい。早く来いよ。俺は暇だから、あんまり遅いと暇つぶししちゃうよ。」

 男の笑い声と共に電話が切れた。

 血の気が引く思いで、力なく田中はソファに崩れ落ちた。佐々木が慌てて手を差し伸べる。

「どうしたの?まさか・・・。」

「あいつだ、昼間の、た、探偵だ。」口の中が乾いて田中はうまく言葉が出なかった。

 佐々木が慌てて携帯を取り出すのを見て、急いで制止する。

「警察はダメだ。理沙が人質に取られている。」

「でも、何とかしないと、犯人の要求は?」

「わからん。とにかく家に来いと、それしか言わなかった。」

 とにかく、と田中は気を強く持ち立ち上がる。「俺はすぐに家に帰る。恭子はいつものホテルにいてくれ。」



 広いリビングは4人の笑いで包まれていた。五十嵐は腹を抱えて涙まで流している。

「御手洗さんて、演技上手なんですね。」理沙は感心した面持ちで、御手洗を見つめた。

「いやぁ、ホントは苦手なんですよぉ。今だってホラ。」と御手洗が見せた手は小刻みに震えていて、理沙は思わず噴き出した。

「御手洗さん、かわいい。」と可愛らしい笑顔を見せる。

「演技で言えば恵子さんの悲鳴は絶品でしたね。間近で聞いて、演技だと解ってても恐くなりましたよ。」五十嵐は、歌舞伎の合いの手のように笑みを称えた。

「高校の頃は演劇部でした。地元では結構有名だったんだから。」

「さぁて、次の作戦だよぉ。」御手洗は手を叩いて、全員を立ち上がらせる。

「どうするの?」

理沙が訊ねると御手洗は「お父さんには少ぉし反省してもらわないとねぇ。」と怪しく目を光らせた。



 急いでいる時ほど、信号には捕まるもので、必死に車を飛ばしたが田中が家に着いたのは電話があってから1時間後だった。

 急いで車から降りて、門の鍵を開けようとするが、慌てている為かなかなかうまくいかない。犯人と理沙がいるはずの家は明かりが一切点いていなくて、田中の焦りをさらに強くする。

「理沙!」玄関を開けて娘の名前を叫ぶが、声は静寂に溶け込んですぐに消えた。

 自分の家だと言うのに、中に入ることを身体が拒否する。無意識にのどが鳴り、恐怖が体を支配した。なぜか?異様だったからだ。

 家の中は暗く静まり返っている。一歩踏み出すごとに自分の足音が響き渡るほどだ。玄関のドアが閉まると妙な違和感を覚えた。

「理沙!どこだ!」

「やっと帰ってきましたかぁ。」

 ロビーに男の声が響いて、田中は身構える。辺りを見渡すが姿は確認できなかった。

「あんまり遅いから、ちょっと暇つぶししちゃいましたよぉ。」

「何処にいる?理沙に会わせろ!」

「娘さんは大事ですかぁ?」

「当たり前だ!娘が大事じゃない親がどこにいる。」


 ロビーから聞こえる父親の声を聞いて、2階でスタンバイしていた理沙は少しだけ安心した。ほとんど家に帰ってくることはないが、自分を忘れていたわけじゃなかったんだと。


「理沙ちゃんを殺しちゃいましょう。」

 御手洗は怪しく目を光らせて理沙を見つめた。その顔が冗談には見えなくて、理沙は思わず後ずさりした。

 トン、と背中が何かに当たって振り向くと、五十嵐が見下ろしていた。ポンと肩に手を置かれた、と思うと、すぐにがっちりと肩を掴まれて、理沙は身動きが出来なくなる。

「どうします?絞めますか?刺しますか?」屈託のない顔で恐ろしいことを言う五十嵐を見えげて、理沙の恐怖はさらに増していく。慌てて助けを求めて恵美に視線を投げる。

「やっぱり、絞めた方がいいんじゃない?刺すと、ホラ、血が出るでしょ?」

 恵美は理沙を気にするどころか、淡々と殺し方を提案した。しかも笑顔で。理沙はこの場に味方はいないのだと、瞬時に絶望した。さっきまで仲間だと思って楽しく笑っていた皆が、自分を殺そうとしているという事実に、うなだれ、肩を落とす。

「うん、絞殺で決まりだね。じゃぁ、理沙ちゃん。準備しよう。」

「・・・へ?」


「いい?お父さんが来ても動いちゃダメだよ?」

 恵美は理沙の首にロープを巻きながらウインクする。

「あたし、ホントに殺されるのかと思った。」と理沙はさっき3人が話していた作戦の内容を真に受けていた自分が恥ずかしくて、赤くなる。

「バカね、あたしたちがどうして理沙ちゃんを殺すのよ。」

そう言って頭をなでる恵美の手を取り、理沙は小さく「ありがとう。」と呟いた。


「娘が大事なら、なんで家に帰ってこねぇンだよ。」

 田中は突然後ろから声がして文字通り飛び上がるほど驚いた。

「き、貴様・・・!」振り返り、御手洗に指を向けるが、声が上ずってうまくしゃべれない。

「理沙ちゃんがかわいそうだとは思わなかったのか?」

「お前なんかに非難されるいわれはない!」

「違うだろ?娘を一人にして、何やってんだって言ってんだよ。」

 御手洗は思いがけず言葉に棘が出ていることに気づいて、ハッとする。思いのほか興奮していたのだ。このままでは目の前の田中を殴ってしまいそうな気がした。

「知ってるんですよぉ。あなたが家に帰ってこず、どこで何をしているのか。」

 一つ深呼吸して、口調を戻す。話しながら冷静になることに努めた。

「な、何のことだ・・・。」

「とぼけてもダメですよぉ。探偵の調査力を舐めてもらっちゃ困ります。」

 御手洗が不敵に笑みを零すと、田中は言葉が繋げず、ぐぅ、と唸った。

 しばらくうなだれたまま黙っていた田中は、観念したのか、肩の緊張を解いて

「理沙は、知ってるのか?」と訊ねた。

 そこで御手洗は大げさに天を仰いで「ああ、理沙ちゃん。」とくさい芝居をする。

「かわいそうに、あんたに裏切られた理沙ちゃんは失意のまま・・・。」

 手を広げてくるっと一回転すると、御手洗は顔を手で覆い隠して大げさに鳴き声を上げる。

 リビングの陰で見ていた五十嵐は、明らかにやりすぎだと噴き出しそうになった。慌てて口を覆う。

「やっぱり御手洗さんに演技は無理だ。」

 おいおいと声を上げて泣く演技をする御手洗を見ながら五十嵐は笑いをこらえるのに必死だった。

「おい、理沙は?理沙はどうした?」

 田中が御手洗の反応を見て慌てだしたので、五十嵐はさらに可笑しくなった。「まさか、あれで信じたのか?」と。

 御手洗は顔を右手で隠しながら、左手で2階を指差す。それを見て田中は急いで2階へと駆け上がった。


 理沙の部屋の前で田中は愕然とした。胸の上で手を組み、横になる娘の首にはロープが巻かれていて、静かに眠るように目を閉じている。

「理沙・・・?」

 恐る恐る理沙に近寄る田中の後ろ姿を御手洗はじっと見守った。

「理沙、理沙!」

 動かない娘の肩を掴み、田中は必死に揺さぶった。その目からは涙があふれ、田中の悲しみが嘘や演技ではないことを御手洗は確信する。

「娘を放っておいた罰だよぉ。」と田中の背中に最後の言葉をかけながら、そろそろこの子供じみた茶番を終りにしようと、口を開くと同時に、田中は立ち上がり、御手洗の顔面を殴りつけた。

「御手洗さん!」

 不意に殴られて倒れ込む御手洗に、隠れて様子を伺っていた恵美が慌てて駆け寄った。

「いやぁ、やりすぎちゃったかなぁ。」殴られた頬をさすりながら御手洗は苦笑する。

 憎悪に駆られた田中は、我を忘れて御手洗に掴みかかり、憎しみに満ちた眼を向けた。

「殺してやる!」と拳を振り上げる。

「お父さん、やめて!」

 振り上げた拳を叩きつける直前で、田中は後ろから聞こえた声に我に返り、後ろを振り向いた。

「理沙・・・?」




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