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家族の象徴 その4



 御手洗はビルの前にいた。昨日も訪れた居酒屋チェーンの本社ビルを昨日と同じように見上げている。


 朝、恵美は青い顔をして事務所にやってくると、一言だけ「現れました。」とだけ呟いてうなだれるようにソファに腰をおろした。

「そうかぁ。それは悪いことをしたねぇ。」

「理沙ちゃん、あたしの家に泊まらせたのに、どうして母親が現れたんですか?」

 恵美は訊ねずにはいられなかった。昨日の現象を目の当たりにして、恵美自身、恐怖が体をつき、思い出すだけで震えてしまう。

「理沙ちゃん何か持ってたの?」

「何かって?」

「お母さんの形見・・・とか?」

 形見と聞いて恵美は目を丸くした。まさに理沙の持っていた指輪のことだったからだ。どうしてそれを知るはずのない御手洗の口からその言葉が出たのか、と。その反応を見て御手洗は確信した。

「うん。恵美ちゃんのおかげで全部解ったよ。」

「え?」想定外の言葉が返ってきて、恵美は思わず訊き返す。

「これで理沙ちゃんを苦しみから解放してあげられるねぇ。」

 訳も解らず困惑する恵美に、御手洗はニコニコと嬉しそうに笑顔を見せた。


 入口を入ると、小さいロビーの正面に受付があり、受付嬢が出迎える。

「あのぉ、社長さんに面会をお願いしたいんですけどぉ。」

「はい、アポイントはございますか?」

「いいえ、ありません。」

 飄々と答える御手洗を不審に思ったのか、受付に座る女は怪訝な表情を見せる。

「申し訳ありません、アポイントのない方をお通しするわけにはまいりませんので。」と深々と頭を下げた。

「いやぁ、理沙ちゃんのことで来ましたと、取り次いでくださいますかぁ?」

「・・・は?」

「言ってくだされば解りますから。」

 御手洗は意味ありげに笑って見せた。受付は不審がりながらも、電話を取り、内線番号を押した。

 御手洗の顔をチラチラと見ながら、一言二言受話器に向かって話すと、突然御手洗を見る受付の顔つきが変わった。それを見た御手洗は、怪しく目を光らせて

「警察の方は、勘弁してもらえますかぁ?」と小声で受付に話しかける。

 アポなしで会社の一社長と話をする難しさを御手洗は少々強引な方法で解決しようとしていた。すなわち、娘の名前を出し、誘拐を匂わせる。もちろん勘違いをされて警察に通報されると面倒なことになるので、すぐに本当のことを話すつもりだった。要は社長に会えればそれでいいのだ。

 しばらくすると、「社長がお会いになるそうです。」と怯えた目を御手洗に向けて受付が「そちらのエレベーターからどうぞ。」と案内してくれた。俺は犯罪者じゃないですよぉ、と心の中で謝りながら御手洗はエレベーターに乗り込んだ。

 5階建てのビルの最上階に到着すると、音もなくドアが開く。よく手入れされたエレベーターだな、と御手洗は感心した。

 エレベーターを降りると、左右に通路が伸びており、右側に社長室へと繋がる受付があった。

「コチラでございます。」

 胸につけられたネームプレートに『佐々木 恭子』と書かれた秘書が待合室へと案内する。御手洗は「ありがとう。」とほほ笑むと、黙って後に続いた。


「・・・理沙ちゃんは無事なんですか?」立ち去る直前に佐々木は憎しみ丸出しの目で御手洗を睨みつけると、声を殺して訊ねた。

「無事も何も、私はただの探偵ですよぉ。」御手洗は必死に笑いをこらえていたが、たまらず噴き出した。「何か勘違いをなさってますよぉ。」

 困惑した表情を見せる佐々木の後ろで、社長室のドアが勢いよく開いて、社長と言うにはあまりに若い男が飛び出してきた。田中はソファに座る御手洗を睨みつけると、威勢よく近づき、興奮した面持ちで御手洗の襟をつかんだ。

「貴様、娘に何をした!」

 ともすればすぐにでも殴りかかりそうな田中を、困惑を隠しきれないまま佐々木が止めに入る。

「社長、落ち着いてください。」

「何が目的だ!金か?」

「いやぁ、落ち着いてくださいよぉ。」

 落ち着き払った御手洗の態度が田中の神経を逆なでしたのか、みるみる顔が赤くなる。

「娘に何かしてみろ、貴様を殺してやる!」興奮した田中から近距離で飛ばされる唾を鬱陶しく払いながら、御手洗は「そんなに心配なら、ちゃんと家に帰ってやれ。」と声を低くした。目を丸くする田中を今度は御手洗が冷たく睨みつける。

「手を離してくださいますかぁ。私はただお話をしに来ただけなんですからぁ。」


 ようやく離されたシャツの皺を伸ばし、ネクタイを直す御手洗を、田中は得体のしれない男の正体を見極めようと、舐めるように視線を這わせる。

「自己紹介がおくれましたぁ。わたくし、御手洗探偵事務所、所長の御手洗と申します。」

 内ポケットから名刺を取り出す。受け取った名刺と御手洗を交互に見比べて田中は「探偵?」と上ずった声を出した。「探偵がなぜ理沙を・・・?」

「先日、我が事務所に依頼が入りまして。ご依頼人はお嬢さんの理沙さんです。」

 理沙からの依頼と聞いて、田中の顔が一瞬青くなったのを御手洗は見逃さなかった。

「た、探偵が一体何の用だ。」田中は慌てて取り繕う。佐々木は黙って御手洗を見つめていた。

「ご依頼内容は、現在自宅で起こっている『心霊現象』についてです。」

 二人は顔を見合わせ、心霊現象?と二人同時に声を上げる。

「現在、理沙さんは毎晩現れるお母さんの霊に悩まされています。」

 神妙な面持ちで心霊現象を語る御手洗に、田中はたまらず噴き出した。

「何を言ってるんだお前は、新手の詐欺か何かか?子供の理沙は騙せただろうが、俺を騙せると思うなよ。」

「いやぁ、嘘じゃないんですけどねぇ。」

「帰ってくれ、俺は忙しいんだ。」田中は受け取った名刺を投げ捨てると、手で御手洗を追い払う。「佐々木君、こいつを追い出してくれ。」

「かしこまりました。」佐々木は田中に一礼すると、御手洗を出口へと押しやる。

「このままでは、理沙さんが危ないんですよ。」

「お帰りください。」

「いいんですかぁ?お嬢さんが危険な目にあっても――」

 否応なく御手洗は閉めだされてしまった。曇りガラスでできたドアの向こうに二人のシルエットを見ながら「これは手ごわいなぁ。」と呟く。


 仕方なくすごすごと退散する御手洗を曇りガラスの向こうで田中はその背中が見えなくなるまで睨み続けた。

「・・・どういうこと?」佐々木は怪訝な顔で呟く。

「俺たちの関係が理沙に気付かれたのかもしれん。それで探偵などという得体のしれない人物を寄こしてきた。」田中は先ほどの御手洗の顔を思い出し、苦々しく顔をゆがめる。

「一体何のために・・・?」

「さあな。許せないのかもしれん。」

「でも、さっきの探偵『心霊現象』がどうとかって言ってたわよ。」

「ああ、胡散臭いやつだ。何かしらの方法で俺をゆする気かもしれん。お前も気をつけろよ。」

「理沙ちゃんのことはどうするの?」

佐々木は社長室に戻って行こうとする田中の袖をつかみ、訴えかけるような目を向けた。

「どうするって、何が?」

「あたしたちのこと、いつ話をするのかってことよ。いつまでも隠れて付き合うのは嫌なの。」

「まだ早いよ。理沙にはもう少し時間が必要だ。」

 もう少し我慢してくれと、なだめるように田中は佐々木の唇に触る程度のキスをして社長室へと戻った。



「じゃあ、本当に誘拐しちゃいましょうよ。」五十嵐はいたずらを企む子供のように、目を輝かせて御手洗を覗いた。

「いやぁ、それはまずいよぉ。」

「でも理沙ちゃんのお父さんに家に帰って来てもらわないと。」恵美は理沙の肩を優しく抱いている。まるで愛しい兄弟を守る姉のようだ、と御手洗は思った。

「なるべく穏やかに事を運びたいよねぇ。」

「それじゃいつになるのか解りませんよ。」五十嵐は誘拐に一票、と手を上げる。

「理沙ちゃんの為にも今日中に解決です。」と恵美も手を上げた。

「あのねぇ、何かあったら責任をとるのは俺なんだよぉ?」

「いいじゃないですか、警察にお世話になるの初めてじゃないんでしょ?」

「お世話になる前提で話さないでほしいなぁ。ダメだよ。犯罪は。」

「犯罪にしなければいいじゃないですか。」と普段は倫理や道徳を一番大事にする恵美すらも誘拐作戦を推す。

「理沙ちゃんの為なら、ちょっと警察にお世話になるくらい、ドンと来い!くらい言えないんですか?」と御手洗を非難する始末だ。

「恵美ちゃん、頭冷やそうよぉ。警察にお世話になるのはまずいってぇ。」

 御手洗は二人に攻められて、泣きたくなる思いだった。

「猪狩さんに事情を説明すれば、大丈夫ですって。」

 恵美はこの事務所に勤めてから知り合いになった刑事の名前を上げる。

「猪狩さんは、恐いんだよぉ。」刑事生活三十年以上のベテラン刑事の猪狩を思い出して、御手洗は背筋が寒くなる。鬼を絵に描いたような強面の猪狩刑事だ。

「大丈夫ですって、要は警察に知られなきゃいいんだから、理沙ちゃんに協力してもらえばいいんだし、狂言ですよ、狂言。」

 五十嵐は『狂言』と言う言葉をよほど気に入ったのか、何度も口にしてはしゃいだ。

「とにかく、ダメなものはダメ。子供の前で『誘拐』だとか『警察にお世話になる』だとか言うもんじゃないよ。道徳上よろしくない。」

「解りましたよ。」と五十嵐は叱られた子供のように肩を落とす。ようやく諦めてくれたかと、胸をなでおろす御手洗をよそに、五十嵐はすぐに立ち直り「理沙ちゃんに決めてもらいましょう。」と指を立てた。

 突然意味不明な決定権を押し付けられた理沙は、「へ?」と素っ頓狂な声を出して、五十嵐と恵美を交互に見渡した。

「狂言誘拐でいいんだよ、理沙ちゃん。」

 五十嵐はこれしか方法がないとでも言いたげに、理沙の正面に周り「理沙ちゃんの協力が必要なんだ。」と手を合わせた。

「理沙ちゃん。」困惑する理沙の後ろから優しく腕をまわしていた恵美は覆いかぶさるように顔を近づける。

「理沙ちゃんはお父さんのこと、好き?」

「え?」急に質問された理沙は一瞬目を丸くしたが、すぐにその表情は曇り、ゆっくりと俯いた。

 やがて俯いたまましっかりとした口調で「あんな奴、嫌い。」と吐き捨てるように言う。子供ならではの憤りを込めた言葉はその場にいた全員の心に同じ感情を抱かせるだけの力を持っていた。

「そうだよなぁ。僕も嫌いだ。」と五十嵐は何度も頷き「子供を放っておく親は、親失格だ!」と若干芝居がかった口調で拳を突き上げた。

「じゃあ、お父さんをギャフンと言わせてやろうよ。」

 恵美が明るい声でそう言うと、理沙は驚いたように顔を上げた。「どうやって?」

「ね?御手洗さん。」と目配せをする恵美に、御手洗はガリガリと頭を掻いて

「仕方ないなぁ。みんな子供なんだから。」と零した。

「でも、罪は犯さないようにするんだよぉ。」と二人に言い聞かせるその顔に誰よりも子供じみた笑みが浮かんでいることを、本人だけ知らなかった。




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