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家族の象徴 その3



「ベッドは理沙ちゃんが使っていいよ。」

 6畳ワンルームの部屋に理沙を招いて恵美は簡単に家の説明をした。「理沙ちゃんの家とは比べ物にならないけど。」と恵美は苦笑いを浮かべたが、理沙は「そんなことありません。」と顔を赤くした。

「ホントに恵美さんの家に泊まれば、お母さん出てこないの?」毎夜襲ってくる母の幽霊の恐怖を思い出し、理沙は恐る恐る訊ねた。

「御手洗さんがそう言うんだから、間違いないよ。今日からは安心して眠れるから。ね?」


 昨日の晩、恐怖で震える理沙をリビングへ連れて行くと、御手洗はミルクを温めて待っていた。カップに温められたミルクを差し出しながら、大丈夫?と声をかける御手洗を見て、恵美は少し安心した。「なんだかんだ言っても、やっぱり心配だったんだ。」

「恐い思いをさせてごめんねぇ。どうしても確認が必要だったから。」

「何とかならないんですか?」理沙の肩を優しくさすりながら恵美が訊ねる。

「この事象はすぐには解決できないよ。もっと情報を集めないと。」と御手洗は首を振った。

「でも、このまま放っておけません。」

「じゃあ、」恵美が珍しく強く訴えるので、御手洗は「ホントは良くないんだけど」と少し逡巡した後「家から離れれば、恐らくお母さんが出てくることはないと思うよぉ。」と小声で呟いた。

「じゃあ、あたしの家に泊まらせます。」

「いやぁ、だって理沙ちゃんは未成年だよぉ。お父さんの許可がないとまずいよぉ。」

「あたしお父さんに連絡します。」と理沙が手を上げる。

「じゃあ決まりね。」恵美は理沙を後ろから抱きしめながら「あたしがちゃんと保護します。」と強く言い切った。

御手洗は何も言えず、ガリガリと頭を掻くしかなかった。



 オフィスビルが集まる一画で御手洗は意外と小さいなと、理沙の父が経営する全国展開の居酒屋チェーンの本社ビルを見上げていた。入口を見ると、確かに見覚えのある居酒屋の名前が書いてあるので、ここで間違いはない。

 少し離れた所から御手洗は正面を見張ることにした。車のエンジンを切り、時計を見ると、時刻は夜の8時を過ぎている。

理沙からもらった父親の写真を見て、尾行する対象を確認する。張り込みは時間との戦いだ。長期戦を覚悟してコンビニでおにぎりも買ってある。何時間でも待つつもりで目を凝らしていると、理沙の父親、つまり田中社長がひょっこりと正面玄関から現れて、御手洗は拍子抜けした。

「おにぎりが無駄になっちゃったなぁ。」と愚痴を零しながらも、長期戦をまぬがれて安堵したことは言うまでもない。

 田中が駐車場に停められた高級車に乗り込むのを見て、御手洗も車のエンジンをかける。すぐにでも後を追えるようにギアを入れ、田中の車が動き出すのをじっと待っていたのだが、田中は一向に動き出そうとはしなかった。

 しばらくするとその理由が明らかになった。遅れて出てきた若い女性が助手席に乗り込んだのだ。社内で一言二言会話を交わすと、田中は車を発進させる。

「やっぱり、悪い方の予想って当たっちゃうんだよなぁ。」

 嫌な気持ちを押し殺して、御手洗も続いて車を発進させた。

 田中の車は解りやすい高級車だったので見失うことはなかった。後をつけるだけなら方向音痴でも問題はない。田中の後ろをつかず離れず追っていくと、田中の車はとあるホテルへと入って行った。御手洗には一生縁のなさそうな、高級ホテルだ。

 車を路肩に寄せて、ハザードランプを点灯させる。身を乗り出すようにしてホテルの正面を凝視すると、田中と若い女性は寄り添うようにしてホテルの中へと消えて行った。

 さて、どうしたものかと考えていると、助手席に転がしておいた携帯が鳴った。

「御手洗さん、どこにいるんですか?色々情報仕入れましたよ。」

 携帯から五十嵐の快活な声が聞こえて、相変わらず五十嵐は仕事が早い、と御手洗は感心した。彼は探偵に向いていると思う一方、探偵業を知り尽くした御手洗は五十嵐に同じ道を進んで欲しくはないと思っていた。

「わかった。じゃあ事務所で落ち合おう。」

 携帯を切り、田中が消えたホテルを一瞥して御手洗はアクセルを踏み込んだ。


 事務所に戻るとすでに五十嵐は勝手にコーヒーを入れてくつろいでいた。コンビニの袋に入ったおにぎりを見せて、食べる?と御手洗が訊くと、五十嵐はいいです、と手で制して、それより、と目を輝かせた。

「御手洗さんの言ってた通りですよ。」五十嵐は自分の仕入れた情報が御手洗の推理にぴったりと当てはまったことが嬉しくてたまらなかった。

「さすがは御手洗さんですね。いや~勉強になるな。」

「そんなことないよぉ。俺から学ぶことなんて何もないって。」

「そんな謙遜、俺には意味をなさないですよ。」と言いながら五十嵐はポケットから手帳を取り出すと、一日の聞きこみの成果を読み上げる。

「まず、社長の田中ですけど、かなりのやり手で部下からの信頼も厚い、いわゆるできる人間であることは間違いないです。」とそこまで言って、五十嵐は、ただと付け加えて「人間関係、特に女性関係では色々出てきますね。そっち方面もやり手ですよ。」と笑った。

「田中は御手洗さんが睨んだ通り、付き合っている女性がいます。社内の噂だと、秘書の佐々木恭子だと言うのが有力ですね。」

「それはいつからなのかなぁ?」

「初めに噂が立ったのは、3年前ですね。一緒にいるところを会社の人間に目撃されてます。」

 3年前と聞いて、御手洗は顔をしかめた。

「まだ奥さんが生きているうちだねぇ。」

「はい。明らかに浮気です。その頃から肉体関係もあったと、もっぱらの噂です。」

「なるほどねぇ。続けて。」

五十嵐は快活にはい。と返事をする。

「さらに田中の家の近所に聞きこんだ結果、どうやら奥さんは浮気の事実を知っていた節があるらしいとのことでした。」

「知っていた?」

「一度だけ仲のいい友達に零したことがあるそうです。」

「五十嵐君・・・」御手洗は額に手を当てる。

「あまり派手な聞きこみはしない方がいいねぇ。」

 あまりおおっぴらに嗅ぎまわると対象が警戒してしまう。と言ってももう遅いが。

「あ、はい。すいません。」

「まぁいいよぉ。過ぎたことはしょうがない。」

「で、ですね。元々帰りの遅い田中でしたが、奥さんが病気になってからはほとんど家に帰っていないですね。葬式の時も涙すら見せなかったらしいですよ。」

 最低ですね、と五十嵐は吐き捨てるように言う。理沙ちゃんがかわいそうだ、と。

「なるほどねぇ。」御手洗は机の椅子に座り、背もたれに背中を押しつけた。

「どうもそれが『原因』みたいだねぇ。」

「僕もそう思います。」

「あとは『媒体』を見つけるだけなんだけど。」

御手洗はう~ん、と唸り、腕を組む。「それを見つけるのが一番難しいんだよねぇ。」



「あら、何?それ。」

 恵美は理沙の胸元にかけられたネックレスに指を向けた。

「これですか?」理沙は脱ぎかけたTシャツから腕を抜き、ネックレスを持ち上げる。

「お母さんの形見なんです。お母さんが死んでからは肌身離さず持ってます。」

 持ち上げたネックレスの先には指輪が揺れている。細身の指輪の中央にはダイヤが付いていて、それが結婚指輪であることは想像に難しくはなかった。

「あたしの指には合わないから、なくさないようにこうして首からかけてるんです。」

「そう・・・。さあ、早くお風呂入っちゃいなさい。出てくるまでにご飯用意しとくから。」

 毎夜、霊として現れる母を恐がりながらも、なお想い続ける理沙のけなげさに思わず涙が出そうになって、恵美はわざと明るい声を出した。この少女の為にも、早く解決してあげたいと、思いを強くする。


「ホントに大丈夫なの?」ベッドに入った理沙は念を押すように訊ねた。

「御手洗さんが言うんだから、大丈夫だと思うけど。もし何かあっても、あたしがいるんだから、安心しておやすみ。」恵美は理沙を安心させるために優しく微笑むと、部屋の明かりを消した。

「おやすみ、恵美さん。」

「おやすみ、理沙ちゃん。」


 理沙が寝息を立てるのを確認して、恵美自身は一度も使ったことのなかった客布団を床に敷いて横になる。時刻は夜中の1時を指していた。

「昨日は2時頃に異変が始まったんだよね・・・。」

 一度は閉じた瞳をもう一度開けて、恵美は2時までは起きていようと決めた。

 ベッドの脇に座り、静かに寝息を立てる理沙を祈るような気持ちで見つめた。今日こそは理沙に安らかな眠りを、と。

 カチカチと時計が立てる音意外、何も聞こえない静かな部屋に低く絞り出すようなうなり声が聞こえ始めたのは、やはり2時前だった。うかつにもうとうとしていた恵美は、理沙の苦しそうな声で目を覚ました。

 慌てて理沙に目をやると、昨日と同じように汗を掻き、顔をゆがめている。

「どうして?家から離れれば大丈夫なはずなのに。」

 御手洗の言っていたことをすっかり信じていた恵美は、目の前で起こり始めた現象が信じられなかった。とにかく何とかしないと、と理沙を起こそうと身を乗り出すと、理沙の周囲の空間が歪んだように感じる。急激に気温が下がり始め、夏だと言うのに、吐く息が白くなった。

 まずい、と思った時には遅く、すでに理沙の周囲の歪みは黒い影へと変化を始めている。

「理沙ちゃん!起きて!」必死に理沙に呼び掛けるが、黒い影に阻まれて声は理沙には届かなかった。やがて黒い影は理沙の枕元へと移動を始め、徐々にその姿を現す。

 写真で見た優しく微笑む理沙の母。現れたソレはその面影を残しているものの、恵美の眼にはまるで別人のように見えた。青白い顔には憎しみに満ちた赤い瞳がぼんやりと浮かんでいる。

『憎い・・・あいつが憎い』

 母親の幻影は醜く唇を歪め、恨みの言葉を呟いた。その声は耳で聞くと言うよりも、体に直接響いてくるような声だった。

 未だ理沙が目覚めていないことが恵美には救いだった。さっきまでと違い、母親の幻影が現れてからは汗も止まり、すやすやと眠っている。

『裏切られた・・・あいつを許さない。』

 恵美は今見えているものは本当は存在していないのだと、自分に言い聞かせる。

「金縛りを伴って現れる現象は、他人には干渉しないんだよぉ。」と御手洗が言っていたことを思い出し、気を強く持った。今自分にできることは、母親の幻影がどうして現れたのかを見極めることだ、と理沙の枕元で恨みの言葉を並べる母親をじっと睨んだ。

『殺してやる・・・わたしだけいなくなるのはおかしい・・・あいつも道連れに・・・。』

 母親の幻影が何を憎んでいるのか恵美には解らなかった。

「どうして憎んでいるの?誰を憎んでいるの?」気がつくと疑問を口にしている。

『憎い・・・殺して・・・やる…。』

 時間にして十分もなかっただろう。終始恨みの言葉を口にしながら母親の幻影は黒い影へと姿を変え、やがて闇に消えて行った。徐々に気温も元に戻り始める。何事もなかったように静まる部屋に理沙の寝息が聞こえた。

 恵美は理沙の髪に触れ、静かに眠る少女が苦しまなくて良かった、と安堵のため息を吐いた。




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