家族の象徴 その2
御手洗探偵事務所の裏の仕事は、心霊現象の調査、解決。と言ってもよくテレビで見かける除霊という儀式は行わない。御手洗曰く「あれはただのパフォーマンスで、皆インチキ。」だそうだ。
そう豪語する御手洗が行う方法は、いたって現実的だ。情報収集、周辺調査、対象の人、もしくは物への張り込み。いわゆる普通の探偵業となんら変わりはない。相手が人か、そうでないかの違いを除けば。
恵美は初めて御手洗の仕事を見たときに「幽霊なんてホントはいないんだよぉ。」と御手洗が笑いながらあっけらかんと言っていたことを思い出していた。恵美が二十歳の時、自らが依頼した事件だった。
「恵美ちゃん、何ぼーっとしてんのぉ。もうそろそろ理沙ちゃんの家につくよぉ。」
運転席でハンドルと右に左にせわしなく切りながら御手洗は助手席の恵美に話しかけた。これで何回目だろう、と恵美は思った。
「御手洗さん、さっきからもうすぐもうすぐって言ってますけど、いつ着くんですか?」
「もうすぐだよぉ。この辺のはずなんだよねぇ。」
のんきに答える御手洗に恵美は大げさにため息をついた。御手洗は方向音痴なのだ。理沙に車なら三十分くらいと場所を聞いて、余裕を見て夕方出発したにもかかわらず、空はすでに真っ黒に塗りこめられていた。
「どうして理沙ちゃんを先に返したんですか?案内してもらえばよかったのに。」
「理沙ちゃんにはなるべく長い時間家にいてもらわないとだめなんだよぉ。」
「でもこれじゃ理沙ちゃんの家に着くのは明日になっちゃいますよ。」
「大丈夫だってぇ。もうすぐ着くから。」
都内の閑静な住宅街を御手洗と恵美を乗せた車は延々とグルグル回っていた。上空から見れば同じところを何度も行き来していたことだろう。
しびれを切らした五十嵐から恵美の携帯に連絡が入ったのはそれから間もなくのことだった。
「また迷ってるんでしょ?今どの辺ですか?」五十嵐も恵美も慣れたもので、恵美は現在位置を大まかに伝え、五十嵐はその住所を受けて大まかに指示する。
五十嵐の指示を聞いた恵美は御手洗を誘導した。「そこ右です。」「次の角を左、あ、左って言ったでしょ。」「もう、じゃあ次を左に入って、すぐにまた左。」
恵美と五十嵐の連係プレーでたどり着いた家は高級住宅街においても、特に大きなお屋敷だった。正面に大きなガレージがあって、格子の隙間から見える車は、女性の恵美でも知っているような高級車ばかりだった。
「おまたせぇ。」車を降りた御手洗は背伸びをしながら「すごい家だねぇ。」と感嘆の声を上げた。
「これなら依頼料、もらえないかなぁ。お父さんから。」
「もらえればうれしいですけど、あくまで依頼人は理沙ちゃんですからね。」
恵美は御手洗に念を押しながら、頭の隅では御手洗と同じことを考えていた。
「理沙ちゃんのお父さん社長なんですよ。あの有名居酒屋チェーンの。」五十嵐は誰でも一度は行ったことのあるであろう居酒屋の名前を口にした。
「ちゃんと解決できれば、報酬はもらえますよ。」と御手洗に耳打ちをして、行きましょう。と玄関に親指を向けた。
ガレージと繋がった門の前で呼び鈴を鳴らす。呼び鈴の上には黒い大理石でできた表札が埋め込んであって、ローマ字表記で「TANAKA」と書かれていた。
しばらくすると、インターフォンから理沙の声がした。「今開けますね。」
小さく電子音がして、門の鍵が外れる。恵美は唖然としていたが、御手洗は臆することもなく、門を押し開け堂々と中に入った。五十嵐が門の前で立ちすくむ恵美をからかい半分で「お金持ちだよね。」と言うのを聞きながら御手洗は別のことを考えていた。この家を見たときから感じる妙な違和感。外見は確かにとても立派な家だが、温かみが感じられない。まるで廃墟に迷い込んだかのような漠然とした不安のようなものを感じていた。
しばらくすると、重厚な木製のドアが開き、理沙が顔を出した。
「あの・・・。」
「ごめんなさい、おくれちゃってぇ。」
「いえ、どうぞ。上がってください。」
玄関を入ると広々としたロビーが3人を出迎えた。まるでホテルのようだ、と恵美は自分の家と比べて人生の不公平さを呪い、正面に飾られた西洋の甲冑がカッコイイな、と五十嵐は好奇心任せに甲冑を触った。
「お父さんは、今日もいないのかな?」
御手洗が訊ねると、理沙は力なくコクンと頷いた。
どうぞ、と通されたリビングは、ダイニングと一続きになっていて、大開口の窓から広い庭が見えた。
「あれ、夕食?」恵美は微かに漂う香りをたどり、テーブルの上に置かれたカップラーメンにたどり着いた。これだけの豪邸に住んでいて、夕食がカップラーメンなんて、と思ったが、母が亡くなって事実上一人残された十四歳の少女が、自分一人で料理をするのは難しいのだと同情に近い感情が湧きあがった。
「理沙ちゃんいつもこんな夕食なの?」五十嵐が訊ねる。
「うん。夜は一人だから、コンビニのお弁当か、カップラーメン。」
「だめだよ、育ち盛りなんだからもっと栄養のある物食べないと。背も大きくならないし、胸も大きくならないよ。」と恵美は自分の胸を強調して言ったが、五十嵐も御手洗もその言葉に信憑性を感じなかった。
「なによ二人とも。あたしこう見えても結構あるんですからね。」と胸を突き出す。
「そうは見えないけど。」五十嵐は恵美の胸をじっくり見て、やっぱり小さい。と頷いた。
「人の胸を――」と声を荒げながら腕をふるい「じろじろ見るな!」と言いながら五十嵐の頭をはたいた。そのスイングがあまりに豪快で、理沙が目を丸くする。
恵美は「一緒に料理しよう。あたしが教えてあげる。」と理沙に向き直り、笑顔を見せた。
「いってぇ・・・。恵子さんて意外と力あるんですね。」
頭をさすりながら目がチカチカする、と零す五十嵐に「恵美ちゃんを怒らすと恐いよぉ。」と御手洗は子供じみた脅しをかける。
「そこ、聞こえてますからね。」
恵美は地獄耳だ。と五十嵐と御手洗は眼だけで合図した。
「おいしい!」
理沙は恵美特製の『簡単野菜炒め』を一口入れるとあふれんばかりの笑顔を零した。
「おいしいでしょ?隠し味に砕いたコンソメを入れるのがミソだよ。」
「恵子さん料理うまいんですね。」と、五十嵐は依頼人の家で遠慮というものを知らず、早々にご飯をお代わりしている。
「五十嵐君はよく食べるねぇ。」
「御手洗さんが小食すぎるんですよ。」
「俺は普通だと思うけど。」
「男だったらお代わりしないと。」
「それにしてもおいしいねぇ。恵美ちゃんの料理は。」
「あたし料理だけは自信あるんです。」皆からほめられて恵美はふふんと鼻を鳴らした。
「話それてますよ。」
「こんなに賑やかな夕食は久しぶり!」
3人のやり取りをポカンと見ていた理沙があはは、と軽快に笑った。
互いに一度だけ目を合わせて3人は同時にほほ笑んだ。目の前の少女の笑顔があまりにかわいかったからだ。
「寂しいんでしょうね。こんな広いうちに一人で。」
食事が終わり、キッチンで恵美と楽しそうに後片付けする理沙を見て五十嵐がぽつりと呟いた。
「なるほどねぇ。」御手洗はうんうんと頷く。「ちょっと見えてきたよ。」
「今日はずっといるから、安心しておやすみ。」
理沙がベッドに入るのを確認して、恵美は優しく声をかけた。部屋を出る際、理沙が小さく「ありがとう。」と呟くのが聞こえて、恵美は少し後ろめたさを感じる。
理沙の部屋にはカメラを設置させてもらっていた。部屋全体を撮れるようにドア付近に一台。理沙の姿を捕えるためにベッドの脇に一台。それと部屋の温度を測る為のサーモグラフカメラを一台の計三台。それぞれが電波を飛ばして、リビングに設置したパソコンに映像を送る仕組みだった。
母親の霊を確認する為のカメラ。その為、もし現れたとしても理沙の部屋に行くことはできない。そのことを理沙に告げることもできなかった。
「俺たちが助けに来てくれると思うと出ないかもしれないよぉ。」と御手洗が言うからだ。
「どういう意味ですか?」と恵美は訊ねたが、含み笑いをするばかりで御手洗は答えなかった。
「理沙ちゃん、寝ました。」リビングに戻り、御手洗に報告する。
「夜は長いからねぇ。交代で見張ろう。じゃぁ、はい。」と、御手洗はどこで用意したのか、割り箸を3本取り出した。
「先端に番号がふってあるから、ソレの順番に2時間ずつ交代で。」と言いながら二人に見えるように割り箸を持ち上げた。番号を隠すように持ち直して、シャッフルする。
せーので引いた割り箸は、恵美が1番。五十嵐が2番。そして御手洗が3番だった。
「えぇ?あたしが1番ですか?」と声を上げる恵美をよそに二人は「じゃあ、後はよろしく。」と素早くソファで横になった。
暗い部屋にパソコン画面の明かりが浮かんで不気味に部屋を照らしている。時刻は深夜1時をもうすぐ終えようとしている。
「もう、2時間交代って言ったのに・・・。」
11時から始まった恵美の見張りは1時に終わるはずだったのだが、2番目の五十嵐が一向に起きる気配がなく、飛ばして御手洗を起こそうとしたが、「五十嵐君が先だよぉ。」と拒否された。その為恵美は仕方なく見張りを続けている。
「絶対特別手当貰うんだから。」
ソファで気持ちよさそうに眠る二人を恨めしく睨む恵美の背後で、パソコン画面に映るサーモグラフィに変化が起き始めた。理沙の部屋の温度が下がり始めている。
初めは小さな変化だったが、すぐにそれは急激な変化に変わった。恵美が気がついた時にはすでに画面全体が低温を示す青で包まれていた。
「き、来た、御手洗さん、来ましたよ。」
慌てて御手洗を起こしに行く恵美をあざ笑うかのように、もう一台のパソコンにも変化が起き始めた。理沙の姿を映していたカメラにチラチラとノイズが出始める。画面に映る理沙はとても苦しそうな顔をしていた。
「御手洗さん!」いくら呼んでも起きないダメ上司に苛立ちがピークに達した恵美は、遠慮なくグーで殴った。「起きてください!」
「あ~。来てるねぇ。」殴られた頬をさすりながら御手洗は間延びした声を出した。隣で五十嵐が恐れを含んだ目で恵美を見ていたが、恵美は軽く無視する。
「金縛り・・・ですか?」画面上で苦しそうにもがく理沙を見て恵美はいたたまれなくなった。すぐにでも助けに行きたくなる衝動を必死に抑える。
「うん、典型的な金縛りだねぇ。そろそろ出てくると思うよぉ。」
御手洗の言葉を裏付けるように、画面上の理沙の目が開くと、カメラを黒い影が覆った。スッと滑るように影は理沙の枕元に移動すると、徐々にその姿を鮮明に現した。
「やっぱり、お母さんだねぇ。」理沙にもらった母親の写真と見比べながら御手洗はなるほどねぇ。と頷いた。
「何か言ってる!」画面を凝視していた五十嵐が声を上げた。
「う~ん画面上じゃ何を言ってるのかわかんないなぁ。」
「理沙ちゃん・・・苦しそう。」
「金縛りだからねぇ。」御手洗は仕方ないよ。と恵美をなだめる。
「やっぱり、ほっとけません。」
「でも――」と何かを言いかけた御手洗をよそに恵美は理沙の部屋へと急いだ。
「理沙ちゃん!」
勢いよくドアを開けると驚くほどの冷気に襲われた。8月の熱帯夜にも関わらず、この部屋だけ異常に気温が下がっている。御手洗と一緒に仕事をするようになって、幽霊が存在しないことは恵美も知っていたが、ソレが巻き起こす異常現象には、どうしても恐怖を感じてしまう。
理沙のベッドの周りはそこだけ空間が歪んだように黒く覆われていたが、恵美の気配を察してなのか、すぐに闇に溶けるように消え、それと同時に気温も元に戻った。
「え、恵美さん・・・。」ベッドから起き上がれずに理沙はかすれた声を出した。たまらず駆け寄ると全身に冷や汗をかいている。
「理沙ちゃん、あたしがついてるからね。もう大丈夫だよ。」
恵美は震える少女を抱きしめて、優しく背中をさすった。不安と恐怖から解放された理沙から鳴き声が漏れるのを聞いて、不意に昔の自分と重なる。得体のしれない恐怖に怯えていた二十歳の頃の自分。それを助けてくれたのは御手洗だった。
「今度はあたしが理沙ちゃんを助ける。」
自分の腕の中で小さく震える少女を強く抱きしめて、恵美はそう誓った。