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家族の象徴 その1

舞台となる探偵事務所は、実際の探偵業とは全然違います。

本職の方、探偵業に詳しい方は、温かい目で見てやってくださいまし。

お願いいたします。



「御手洗さん、ちゃんと仕事してくださいよ。」

 財布を持ってこそこそと事務所を出て行こうとする御手洗みたらいを捕まえて恵美えみはあからさまなあきれ顔を見せた。時計の針は9時5分前を指していて、さっきまで御手洗が座っていた机の上には資料の類は一切なく、代わりに雑誌が一冊開いた状態で乗っている。仕事のスケジュールを書き込む為のホワイトボードは真っ白だった。

「いやだなぁ、恵美ちゃん。俺は仕事に行くんだよ。その手を離してくれないかな。」

 御手洗の嘘はバレバレだった。というのも、時計の針が8時半を指した時点で御手洗がソワソワしだしたときは、パチンコのことを考えているのだと御手洗を知る人物なら誰もが知っていた。恵美に至っては付き合いが長い分その日にどこのパチンコ屋に行こうとしているのさえなんとなく解るほどだ。

「パチンコ屋のどこで仕事があるって言うんですか。」

「新台が出たんだよ、なかなか確変率が良いらしくてさ。」

 台が呼んでるんだよ、と嬉しそうに話す御手洗を、まるで手のかかる子供のようだ、と恵美は深いため息をついた。

「今月まだ一件も依頼がないんですよ。このままだと食費も無くなります。それにあたしのお給料どうするんですか、ただ働きは嫌ですよ。」恵美は御手洗にも解るように非難の目を向けた。

「だからパチンコに行くんじゃないか。良いかい?今我が事務所には仕事がない。このままでは君の給料も払えるかどうか微妙だ。何せ今月はあと一週間しかないんだからね。そこで、本日入荷の新台で君の給料を稼いで来ようとしているんじゃないか。これは私の善意なんだよ。」御手洗はネクタイを正し、整然と自論を展開した。

「出来ればそのパチンコ資金で払って欲しいんですけど。」

「だめだよぉ。これがないとできないじゃないか。」手放すもんか、と御手洗は財布を両手で握りしめた。

「じゃあ、御手洗さんはあたしがアパートの家賃が払えなくて追い出されてもいいって言うんですか?光熱費も払えなくて、暑いのにエアコンも使えず、食べる物もなくて我慢しながら蒸し風呂状態の部屋の中で熱中症で倒れてもいいって言うんですか?電気も使えなくて電話もかけられない私がそのまま発見が遅れて死んでもいいって言うんですね。」

 強い口調で迫りくる恵美に御手洗はたまらず首をすぼめた。恵美は必死だった。御手洗をちゃんとした社会人にすることに使命を感じているとでも言いたげだ。

 御手洗にしてみれば大きなお世話だったが、恵美が一度決めたことは絶対に曲げないことも知っていたので、今日は行けないな、と早々にあきらめていた。

「朝っぱらから何やってるんですか、外まで丸聞こえですよ。」

 半開きのドアを全開にして屈託のない笑顔が入口に立っていた。

「もう、五十嵐君からも言ってあげてよ。」

 恵美は突然現れた五十嵐いがらしに戦友を得たと、気勢を強めたが、五十嵐はニヤニヤと笑みを浮かべて「主に聞こえてたのは恵子さんの声だけどね。事務所の経済状況をあちこちにアナウンスしてましたよ。」と指を恵美に向けた。

 恵美は自分が大声で主張した内容を思い出し、口を塞いで赤面した。顔から火が出る思いだった。

「おはようございます。お二人とも。」五十嵐はとってつけたように挨拶をした。

「ああ、おはよう。五十嵐君。今日は講義は休みかい?」

「僕には大学のつまらない講義よりも、御手洗さんの下にいた方がよっぽど勉強になるんですよ。」

「いやぁ、勉強は大事だよ。大学は君たち学生のために講義をしてくれてるんだから、ちゃんと受けなきゃだめだよ。」

「あ、良いんですか?僕は依頼人を連れてきたのに。」

 依頼人の言葉にいち早く反応したのは恵美だった。今月初めての依頼人はどこだ、と事務所内に素早く目線を走らせると、入口のそばに肩身狭く立ちつくす人影を見つけた。

「女の子?」

「そ、田中理沙たなかりさちゃん。十四歳。ほらこっちおいで。」

 五十嵐は女の子に手招きすると、恵美にお茶を頼んだ。

 キッチンでお湯を沸かしながら、恵美は落胆した。探偵事務所に来る依頼はほとんどが浮気調査かもしくは人探しだったが、それでも相手がある程度の社会人ならば、当然の報酬を受け取ることもできる。ちなみに探偵の報酬は時間によって決まっていて、尾行に費やした時間、張り込みに費やした時間、それによって得た証拠の信頼度で金額が決まっており、大体の相場は、一回の浮気調査でン十万だ。

 決して安くない金額だけに、子供に払えるわけがないことは連れてきた五十嵐にも解っているはずだった。ただ、五十嵐は超のつくお人よしで、お金にならない仕事を頻繁に持ってくるのだ。そして御手洗もどういうわけか、その話を聞いてしまうのだ。

「五十嵐君、悪いんだけどねぇ。聞こえたでしょ?さっき恵美ちゃんが主張していたうちの経済状況。今はお金にならない依頼は受けられないんだよぉ。」

 珍しく御手洗の口から現実的な言葉が飛び出したので恵美は「お?」と思った。ようやく自分の思いが伝わったのかと一瞬だけ喜ぶ。

「理沙ちゃんの依頼は通常の方じゃないんです。」と五十嵐が小声で話すのを聞いて御手洗の顔つきが変わる。あ、聞く気になった。と恵美はさっき感じた喜びを返してほしい気分だった。


「さ、話してごらん。」

 五十嵐に促されて、隣で不審な眼を隠そうともせず御手洗を睨むように見ていた女の子は恐る恐る口を開いた。

「・・・田中理沙です。この人にここならあたしの相談を受けてくれるって聞いてきたんですけど。」と理沙はぶっきらぼうに指を五十嵐に向けた。

「君の相談と言うのは?」

 御手洗が質問すると、理沙は俯き、黙り込んでしまった。うちに来る『通常ではない依頼人』の大半が、最初は同じ反応をする。すなわちどうせ本気で信じてはくれない。という諦めだ。

 恵美は湯呑にお茶を注いで、3人が向かい合って座るソファの間に置かれた安物のテーブルに静かに置いた。そして俯いたまま小さくなる、かわいい女の子を見て、仕方ないと自分自身を納得させた。

「話してごらん。御手洗さんは理沙ちゃんの話、ちゃんと信じてくれるから。」

 ああ、結局あたしもお人よしの仲間なんだ。と恵美をにやけ顔で見つめる五十嵐に、シッシッと手を振りながら恵美は自分がこの二人にずいぶんと感化されている事実をほんの少しだけ受け入れる。

「お母さんが――」と消え入りそうな声で理沙が呟くのが聞こえて、その場にいた全員が耳をそばだてた。

「お母さんが、言うんです。『お父さんが憎い』って『わたしは裏切られていた』って。毎日毎日。お父さんは仕事でほとんど家にいないし、誰にも相談できなくて。だってこんなこと、あたしにも何が何だか・・・。」

 理沙は頭に浮かんだ何かを振り払うように、強くかぶりを振った。

「失礼だけど、お母さんは・・・?」神妙な面持ちで御手洗が訊ねる。

「一年前に、ガンで・・・。」

 ここにいる全員がそれ以上の言葉を必要としなかった。恵美は理沙の隣に座り、優しく肩に手を置いた。もうそれ以上言わなくていいよ、と。

「お母さんは、君にしか見えないのかな?」

「わかりません。お母さんが出てくるようになってから、お父さんは数えるくらいしか家に帰ってこなかったし、家ではいつも一人だったから・・・。」

「ちなみに、お母さんが出るようになったのはいつ頃かな?」

 御手洗がいつになく優しく訊ねる姿を見て、恵美は驚きを隠せなかった。いつもは依頼人に対してほとんど興味を示すこともなく、ぶっきらぼうに「やることはやりますけどぉ」と嫌そうに仕事を受けるので、今回の御手洗の様子はとても新鮮に見えた。五十嵐も同じように御手洗の態度の違いに気がついたが、五十嵐は『御手洗さんってロリコンなんだ』と一人で妙に納得していた。横目でちらりと理沙の顔を覗いて、『ああ、確かに美少女だよね。』と。

「お母さんが最初に出てきたのは三カ月前です。夜寝てたら金縛りにあって、目を開けたら枕元にお母さんが立ってたんです。初めは嬉しかった。たとえ幽霊でも、もう一度お母さんに会えたから。でもお母さんはあたしの知ってる優しいお母さんじゃなかった。恐ろしい顔であたしを睨んで言うんです『お父さんが憎い。』って。それからはほぼ毎日のように・・・。」

 理沙の眼にはいつの間にか涙が滲んでいた。大好きなお母さんを亡くしただけでなく、そのお母さんが幽霊として毎晩現れ、怨念の言葉を聞かされる子供の心境を想い、恵美はいたたまれなくなった。

「どうしてお母さんが出てくるのか、そのわけを知りたいんだね?」

 御手洗の質問に理沙はコクンと頷いた。

「御手洗さ~ん。やってあげましょうよ~。」五十嵐はすでに大粒の涙を零しながら御手洗の手を取った。隣で涙をこらえていた理沙が驚いて自分の涙を引っ込めてしまうほどの号泣だ。

 御手洗は少し考えるそぶりをした後。「お金にはならないなぁ。」と自分にだけ聞こえる声で呟くと、理沙の方に向き直り「この依頼、我が御手洗探偵事務所がお受けいたします。」と笑顔を見せた。




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