ファースト・コンタクト その5
道中は原付に二ケツでやってきた。警察もいなければ車ともすれ違わなかった。しいて言うことがあるなら、二ケツをするのがはじめてだったということ。あとはそのはじめてが女の子だったことがすこし誇らしかったことくらい。
店先に駐輪すると、さきに降りたなるみはじっと店内を凝視していた。
「なにかいいものでも見つけた?」
鍵をポケットに入れながらたずねる。なるみはふるふると首を振ると、
「はいるのははじめて」
見たことはあるが、入るのは今日がはじめて。そういうことだろう。
「使ったことないんだ?」
首をたてにふる。もしかしたらコインランドリーを利用するのがはじめて、というよりも洗濯をするのがはじめて、なのかもしれない。ふとそう思いたずねると、やはりこれも首をたてにふった。
自動ドアをくぐり中に入る。ドラム式の洗濯機や乾燥機が海賊船の大砲がごとくならんでいる。最寄の洗濯機に百円玉を三枚入れると海水でぬれた服をどさどさと入れた。
「こんなかに入れて? ――あ、やっぱ別のほうがいいか」
年頃の女の子だったら、そこいらの男の服といっしょに洗われるのは嫌がりそうなものだ。が、なるみは「なんで?」という顔をすると、ぼとりとビニル袋から服を出す。と、
「あれ、なんか入っぱなし」
制服の胸ポケットに手を入れるとしわしわになった小さな手帳が出てきた。
ばたん、とふたを閉め、開始のボタンをおす。間をおいて水が出始め、ぐおんぐおんと洗濯機が揺れ始めた。
――生徒手帳か。
ようこう、と読むのだろうか。やけに画数が多くて難しい漢字が二文字による高校のものだった。
ぺりぺりとめくるが中身はやはり水浸しで何も読めない。まあいちおう、となるみのほうを向いて、
「もうだめだけど、新しいの発行してもらうまでは持っておいたほうがいいよ」
はい、と手渡そうとすると、こちらを向き、
「――うごいてる」
洗濯機を指差しいった。
「うん? ああ、今洗ってるからね」
おー、という顔で覗き込むと、なるみはその場から動かなくなった。
本当に動かない。覗き込む姿勢から微動だにしない。
することもないので備え付けのイスに座り、直立不動のなるみを観察することにする。
――しかしまああれだ。
なるみを勢いで保護したはいいが、本当にこれでよかったのだろうか。はっきりいってこんなところで油売ってないで警察に送り届けるのが一番正しい気もする。たぶんふつうならばそうしたと思う。それでも何かが警察なんかにわたしたらいけないような、そんな気にさせたのだ。
だから、責任をもたなくてはいけない、と一博は思う。
いつかは聞かないといけないことなのだ。
たぶん、それがいまだと思うのだ。
「なるみってさ――」
ふい、とこちらを向く。緊張を必死で押し殺しながら、なるみという少女にメスを入れていく。
「両親は心配してないの? ほら、こんな真夜中に出歩いててさ」
言った。まずは遠まわしにせめてみることにする。一番あたりさわりのない聞き方だとは思う。
「それとも友達の家にとまるって行ってきたとか」
これにどうでるか、と待ち構えてみると、明後日な方向に回答が飛んでいった。
「佐伯ならいるよ」
――誰?
「それは、――親戚のおじさんとか?」
ふるふる、と首をふる。
「ぜんぜんちがう人」
――すこし話を整理しよう。
おそらく両親はいない。しかし、親戚でもなんでもないが、佐伯という人物がなるみをやしなってくれている、ということだろうか。
「その佐伯、って人がなるみの世話してくれてるの?」
こくり、とうなずく。
「ちょうせいっていって、いっぱい注射するから、きらい」
調整。
注射。
医者のたぐいだろうか。
なるみの言葉を直接的ではなく、曲げたとらえ方にはなるが、すこしずつ全貌が見えてきたように思う。おそらくこうだ。
両親はもうなるみの生活にはほとんど関わっていない。それは死別なのか、まだ生きているのかはわからない。そして今なるみの生活の中心にいる人物が、話に出てきた「佐伯」さんという人。おそらく医者なのだろう。きっと、なるみは注射や薬など「きらい」なことばかりの病院から逃げ出してきたのだ。
――やはり、なるみは病気なのだろうか。
「あのさ、なるみは、」
「まって!」
うっ、と押し黙った。あのなるみが大きな声をあげた。その驚きと剣幕から思わず萎縮してしまった。
――やはりなにか禁句があったのか。
それがどの部分なのかはわからない。しかしまずは謝ろう、と立ち上がったそのとき、
突如として一博の視界が暗転した。
「うわっ、なに停電!?」
暗闇に放り込まれ一博はひとり慌てふためく。電気が遮断されたことにより店内の備品はすべて停止し、光だけでなく音までもかき消された。
一博が口を閉じれば音を放つものはなくなる。そのなか、足音が反響して聞こえる。
「なるみ! 動くと危ないから電気がもどるまでの間じっとしておいたほうが――」
パッ、と。何事もなかったかのように店内を明かりが満たした。
よかった。電気が復旧したみたいだ。洗濯機きっと止まってるよ。あーあ、また百円いれないといけないのかなあ。
と、言いかけてそれをのどに押し戻した。
胃が逆流を起こしそうになった。
最初に気づいた異変は、なるみがどこにも見当たらなかったこと。どこにいったのだ、と立ち上がったところで、自分の服が海で水没させてしまったはずの服を着ていることに気づく。
そして、外ではギラギラと太陽が照り付けていた。腕時計は午前十一時をさしている。
――約六時間の記憶が、すっぽりと消えていた。
むしろ自分ははじめから海など行かずに、仮眠をとるためここで夜を明かしたのだ、と思いたかった。
ふと、そのときなるみに渡しそびれた手帳を、まだ右手に握ったままであることに気がついた。
頭がおかしくなってしまったのではないか、と危惧していた一博は安堵の表情を浮かべ手帳をめくっていく。
そして、最後のページ。そこには持ち主を証明するための顔写真等の個人情報が記載されていた。
栗色の肩にまでかかる髪にすこし幼さを残す顔立ち。年は一博よりもひとつかふたつ下であろうか。とても笑顔が特徴的で、活発そうな、
まるで見たこともない少女の顔写真と、滲んだ名前が記載されていた。
自動ドアをくぐり下界に足を踏み出す。夏が空から降り注いでいる。むわっ、とする空気を思いっきり吸い込み、
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」
空に向けて、はるか上空を飛ぶ飛行機を落とす勢いで叫んだ。
犬の散歩をしていたおばちゃんが目を丸くしてこちらを見つめ、犬は何事だとしっぽをふりながら吠え出した。犬につられるようにセミがじわじわと声を張り上げ、世界に夏を満たして行く。空ではなおも飛行機は飛び続け、一筋の雲が空を二分していく。
飛行機雲がゆっくりと夏の空を描いていく。
一博の夏がはじまる。