『午前中だけの嘘』
男の名前は、真壁修一。
つい昨日まで、社長だった。
いや――正確には、「潰れた会社の元社長」だ。
三月三十一日。
会社は、あっけなく終わった。
引き金になったのは、ひとつの“投資話”だった。
資金繰りに行き詰まったとき、差し出された救いの手。
高利回り、短期回収、確実性――どれも胡散臭いはずだった。
だが、背に腹は代えられなかった。
結果は、言うまでもない。
金は消え、相手も消えた。
名前だけは覚えている。
――桐生誠。
(……俺は、あいつに潰された)
怒りもあった。
だがそれ以上に、自分の愚かさが堪えた。
従業員に頭を下げ、会社を畳み、
空っぽになった夜、真壁は路地を歩いていた。
そこで、老人を見つけた。
倒れている。
「……放っとくか」
口に出したが、足は止まった。
「……いや、やめだ」
肩を貸し、ベンチまで運び、水を渡す。
「すまんな……」
「別に。暇だからな」
嘘だった。
本当は、何もかも失って、どうしようもなかっただけだ。
老人は、じっと真壁を見ていた。
「礼をせねばな」
「いらないよ」
「では、忠告をひとつ」
あの目。
どこか、底が見えない。
「明日――四月一日。午前中だけ、嘘をつけ」
「……は?」
「そうすれば、未来がひらける」
真壁は苦笑した。
「俺は、嘘に騙されて全部失ったんだぞ」
「だからじゃ」
老人は静かに言った。
「今度は、お前が“使う側”になれ」
それだけ言い残し、去っていった。
気がつくと、真壁は公園のベンチで目を覚ました。
四月一日。
半信半疑のまま、試す。
「俺は……金なんか持ってない」
通りすがりの男が、妙に恐縮して頭を下げた。
「失礼しました……!」
「……やっぱりか」
嘘と本当が、逆になっている。
“嘘”が現実を動かす。
真壁は、息を吐いた。
「だったら――」
スマホを取り出す。
震える指で、かつての取引先に連絡を入れる。
「うちの会社は、潰れてません」
嘘だ。
だが、反応が変わる。
止まっていたはずの話が、動き出す。
さらに。
「資金は問題ありません」
「追加発注も対応できます」
嘘を重ねるたびに、現実が少しずつ塗り替わる。
頭の片隅に、あの名前が浮かぶ。
――桐生誠。
(あいつは、ずっとこういうことをしてたのか……)
違う。
あいつは、ただ騙していた。
自分は、現実を“変えている”。
だが、その境界は、ひどく曖昧だった。
スマホの表示。
11時58分。
「……あと少し」
そのとき、悲鳴が響いた。
「誰か! 子どもが落ちた!」
池の中でもがく、小さな影。
真壁の足が止まる。
――泳げない。
昔から、どうしても無理だった。
(無理だ……)
逃げようとした、そのとき。
ふと、思う。
(あいつなら、どうする?)
桐生誠。
人を騙して、金を奪って、逃げた男。
(……違うな)
真壁は、歯を食いしばった。
自分は、ああはならない。
スマホ。
11時58分。
まだ、間に合う。
真壁は、叫んだ。
「俺は泳げる! でも、その子は助けられない!」
――嘘だ。
次の瞬間、体が動いた。
水に飛び込む。
腕が、水をかく。
足が、自然に動く。
「……なんだよ、これ……!」
泳げている。
まるで、最初からできたみたいに。
子どもを掴み、岸へ引き上げる。
「あ…だいじょ…』
と言いかけて、ハッと気がついた…12時を過ぎていなければこの子は…。
「いや…あかん!」
と慌てて言い直した。
騒ぎの中、スーツ姿の男たちが駆け寄る。
「坊ちゃん!」
空気が変わる。
一人の男が、真壁に向き直る。
「あなたが……?」
「……たまたまです」
男は深く頭を下げた。
「私は、あの子の父です」
差し出された名刺。
そこに書かれていた社名に、真壁は息を呑む。
――自分の会社の元請け。
そして、その陰で無理な条件を押し付け、
結果として資金難に追い込み、
最後に“桐生誠の話”に飛びつかせる状況を作った張本人。
「……皮肉だな」
思わず漏れる。
男は静かに言った。
「何か、ありましたか」
真壁は一瞬だけ迷い――そして、首を振った。
「いえ」
もう、嘘は使えない。
だが。
「関係ありません」
それは、本当だった。
11時59分。
そして、12時00分。
世界が、元に戻る。
数日後。
応接室。
真壁は、男と向かい合っていた。
「あなたの会社の件、調べさせてもらいました」
男は、ゆっくりと言った。
「……桐生誠、ですか」
真壁は黙って頷いた。
「現在、別件で拘束されています」
その言葉に、ほんのわずか、肩の力が抜けた。
「正直に言います」
男は続ける。
「我々にも貴方に無理難題を押し付けてきた責任があります」
そして、契約書を差し出した。
「やり直しませんか」
帰り道。
公園のベンチに、あの老人の姿はなかった。
ただ、風だけが吹いている。
真壁は、小さく呟いた。
「……あんたの言う通りだったよ」
嘘で未来は動いた。
だが――
最後に選んだのは、自分だった。
ポケットの中で、スマホが震える。
画面にはニュース。
“詐欺師・桐生誠、逮捕”
真壁は、それをしばらく見つめて――
静かに、ポケットにしまった。
同じエイプリルフールに描いた作品で、詐欺師桐生誠に騙された男が、午前中についたウソで再生する話を書きたかったんです。




