建国者
建国者
「―――ここは、私の国です。」
そう言った少女の言葉は妙に軽やかで、違和感があった。
「この国には法律が2つしかありません。それさえ守ってくれれば、この国では何もかもが自由で制限なく暮らせます。」
その言葉に隠された本当の意味を私は理解できていなかった。そう、そのときはなんとも思わなかった。自由ということはどういうことか、深く考えなかった。
「一つ、私の言葉を尊重してください。これは、尊重ですから、必ずではありません。私の言葉は命令ではなく、アドバイスです。」
彼女の言った言葉の意味も考えず、単純に受け取ってしまった。
「一つ、この国では人を一人殺すことが出来ます。ですが、2人目はダメです。」
その言葉に潜む陰を、私は聞き逃してしまったのだ。「―――では、この国では、人を殺すことを許容しているのですか。」
そう、尋ねた。そのときは何の思惑もなく、それはただの確認作業だった。
「許容、とは少し違いますね。なんというか、しょうがない、というような感覚です。人は皆、何かを殺すでしょう?食べ物を食べるためにも、服を着るためにも、家に住むにしても、何かしらを殺している。」
確かに、少女の言うとおりだ。人は何かしらを殺している。かく言う自分もそういうことをよくする。生活をするならばそれは日常茶飯事であるのだが。
「だから、許容とは少し違いますが、法律で定めているのです。」
そういって、少女と僕の対談は終わりを告げた。国を出るとき挨拶はいらないそうだし、この少女と会うこともわざわざ会おうとしなければ、二度とお目にかけないだろう。そう、思っていた。少女は私の背に目をやり、
「あなたは恐らく、この国を一生出られないでしょう。」
そう、一言発したのだ。そのときの私はその言葉など聞かなかったかのように、ひたすらに平静で受け流した。
「―――あなたは、人を殺しましたね?」
温度が急に下がった気がした。その声は前聞いたときと大差ない。少女が発した言葉に動揺したわけではない。彼女の声に、表情に、震え上がった。どこまでも少女は優雅であり続けた。ここは経った今、人が殺されたというのに。ここは乾いていない血で濡れた殺人現場だというのに。
「な、なぜ・・・」
自分の声は震えていた。無様にも、自分よりもずいぶん年下の華奢な少女に対して恐れをなしていたのだ。少しでも離れようとあとずさる。
「あなたは、やってはならないことをしました。あなたの犯した殺人について、抗議が出ています。よって、あなたは死ぬことは許されないのです。」
「――――――っ!!!!!!!」
言いながら足をこちらに一歩踏み出す。たったそれだけの動作で悲鳴を上げそうになった。正確には悲鳴を出そうにも、恐怖心の方が勝り、出なかっただけである。
「私はちゃんと最初に言いましたでしょう?この国では、人は一人しか、殺せないと。」
その言葉はゆっくりと、優雅ささえ引き連れながら吐き出された。そう、どこまでも優雅に言っている。睨み付けられているわけでも、感情をぶつけられても、殴られているわけでもなく、本当になんでもない言葉。なのに、恐怖感がさらに掻き立てられる。
「人は皆、自分を殺すことしか、出来ないのですよ。」
「――――――――」
その言葉に対して自分は何もいうことができない。恐怖はすでにない。というより、通り過ぎてしまった。ただ、ぼんやりと他人事のように少女の言葉に対してそういうことだったのか、と納得するだけである。人形のようにただじっと話を聞くだけ。
「唯一の例外は、他の国民に迷惑をかけていないこと。ただそれだけですよ。抗議が出さえしなければいいのです。抗議が出ない。つまり、その人はいてもいなくても変わらない。それは空気と同じでしょう?人、じゃ、ありませんわ。」
言葉は脳に届かず、意味を持たずに耳から耳へと出て行っている。それを承知で少女はなおも言葉を紡ぐ。理解は私に求められていない。
「私の言葉はアドバイス。助言であり、忠告でもある。」
「予想通りよ。この人はこの国から出られなかった。」
少女は虚空に対して、ただつまらなそうに言う。それはそう、何度もこんなことを繰り返していて、飽きているかのような素振りだった。
「人は、自分しか殺してはいけない。でもね、死なない程度の暴力と加虐は認可しているの。あなたはこれから、ずっと、虐められ続けるのよ。」
まるで、わけがわからない子供に物事を教えるかのような言い方だった。いや、まるで、ではなく、そう、なのだ。自由という意味を、教わった、無様な子供だったのだ、私は。
「加虐に意味は無い。だって、あなたは罪人ですもの。罪人は大人しく、罪を償っていればいいの。」
そう言って、私に初めて、笑顔を見せた。綺麗な、美しい、大人の微笑だった。そして、それはまさしく、加害者の、加虐者の、狂った微笑としか言いようのないものだった。