ハッピーエンドはまだ遠く
「姫様、おはようございます」
「おはよう……」
王女のアリスは侍女に声をかけられて、大きく欠伸をしながら起き上がる。そして、一つ大きく深呼吸すれば、寝ぼけ眼はなくなった。
「ねぇ、ライアンはいるかしら?」
自らの護衛騎士の名前を出すと、侍女は微笑ましそうに笑った。
「ええ、扉の外におりますよ」
「呼んでちょうだい」
「着替えましたら、呼びましょう」
「…………あ」
アリスの顔が赤くなった。今の自分は夜着姿なのだ。この格好でライアンの前に出るわけにはいかない。
「それとも姫様、ライアン様に襲われたいのでしたら、もっと薄い夜着に着替えましょうか?」
「そんなこと、言ってないっ!」
侍女のからかいの含んだ言葉に、アリスは絶叫したのだった。
※ ※ ※
「お呼びと伺い、ライアン参りました」
アリスの着替えが終わり、朝食が並び始めた時点でライアンを呼ぶ。
いつでもどこでも堅苦しいこの男は、それを証明するかのような、片膝をついたキッチリした礼をする。
「ライアン、朝食は食べた?」
「は。無論でございます」
「……あ、そう」
アリスの勇気のいる渾身の誘いだったが、あっさり振られた。不満そうに唇を尖らせたが、膝をついてうつむいているライアンは気付かない。
「ライアン、まだ食べられるわよね?」
「は?」
驚いて顔を上げたライアンに、アリスは満足そうに笑った。
「食事、たくさんあって食べきれないから。あなたも一緒に食べてちょうだい」
向かい側の椅子を指し示すと、ライアンは笑えるくらいの動揺を示した。堅苦しい男のこういう姿は、なかなか貴重だ。
「い、いえ。臣下たる私めが、姫様と同じ席に着くわけには……」
「あら、王女の私の命令がきけないの?」
アリスが切り札を切れば、ライアンは困り果てたように周囲を見回す。しかし、近くにいる侍女たちはそっぽを向いて見て見ぬふりだ。
その様子を見て、ライアンは大きくため息をついて立ち上がった。指し示された椅子に、大人しく座る。
「最初からそうしなさい」
「……姫様、こういうことに、命令を持ち出さないで頂きたい」
「いやよ。せっかくあなたを従わせることができる権力があるのに、使わないなんてもったいないじゃない。――ほら、食べなさい」
アリスが食事を示せば、ライアンは素直に手を伸ばす。伸ばしながら、愚痴のように言った。
「小鳥が怪我をしてると言っては木に登るし、犬が流されていると川に飛び込むし。そういうことを自分でやらずに、命令して欲しいのですが」
「し、しょうがないでしょ! 体が勝手に動いちゃうんだから! 大体、どっちもやる前にあなたに止められたじゃない!」
「当たり前です。そんな危ないことを主君にやらせる部下は、どこにもおりません」
ライアンのなんとはなしの言葉に、アリスの食事の手が止まった。そのまま手が膝に置かれる。
「姫様?」
「ライアンは……私が姫だから、守ってくれてるだけ?」
「……姫様?」
ライアンの窺うような呼びかけに、アリスは思わず本音を言ってしまったことに気付いて、大慌てで手を振った。
「な、なんでもないわっ! ライアン、今日街の視察に行くから、付き合いなさい!」
「……承知致しました、姫様」
強引に話を切り替えてビシッと指を指せば、ライアンはどこか硬い表情ながらも、頭を下げたのだった。
※ ※ ※
街中の視察。
最初はお忍びだったのだが、母たる女王にバレてからは、“視察”という名目で街に出ることを許してくれている。
「ねぇライアン」
「は」
「後ろにいないで横に来て。ちゃんと私をエスコートしてちょうだい」
「……は」
命令という名の文句を言えば、渋々な返事ながらも言われたとおりに横に立つ。
これも最初はなかなか頷いてくれなかったのだ。「護衛が横に立つなどあり得ません」とか言い張って。
アリスは、ライアンを見上げる。
こうして並んで立っていると、ライアンは頭一つ分は大きい。
(いつからだろうな)
堅苦しいだけで面白みのなかったこの男に、惹かれてしまったのは。カタブツで生真面目すぎても、それでもこの男の側が一番居心地がいいのだと、知ってしまったのは。
(でも、私は王女だから)
この想いは、外に出してはいけない。母の命令で、いつかは顔も知らぬ男の元に嫁ぐことになる。
それでも今はまだ許されるだろう。自分には相手となる男の姿など、影も形もないのだから。今くらい、この男の側にいられる幸せを感じたって。
(……それにしても、お母様は私の結婚を、どう考えているのかしら)
アリスはすでに十七歳。人によってはとっくに結婚している。だというのに、未だに婚約者すらいない。
いて欲しいわけではない。けれども、これ以上ライアンと一緒にいると、気持ちを抑えられなくなりそうで怖い。
結婚なんかしたくない。ずっとライアンの側にいたい。
でもさっさと結婚してしまいたい。取り返しがつかなくなる前に。
矛盾した想いをアリスは抱えつつ、そっとライアンを見上げたのだった。




