使用人たちとの交流
### 2-5 使用人たちとの交流
魔法理論、魔法陣の勉強を始めてから、ミユキの生活は一変した。
朝は早く起き、午前中は家庭教師との授業。午後は書斎で復習と自習。夕食後もまた書斎に籠もり、魔法陣の研究に没頭する——そんな日々が続いていた。
回復してから、もう十二日が経っていた。
夜も更けた時刻。ミユキは書斎の机に向かい、羊皮紙に魔法陣のスケッチを描いていた。午前中にアルノルト先生から教わった水魔法の応用について、改良案を考えているのだ。
魔導インクの瓶を傾け、ペン先に補充する。銀色の髪が顔にかかるのも気にせず、集中してルーン文字を綴っていく。
『この処理、もっと簡略化できるはず。if文を二つ減らせば、魔力消費も……』
プログラマーの本能が疼く。バグを見つけ、コードを最適化していく快感。前世で何千回と味わった感覚が、今この異世界で蘇っている。
コンコン。
ノックの音に、ミユキはハッとして顔を上げた。時計を見ると、もう夜の十時を回っている。
「はい、どうぞ」
扉が開き、メイド長のマルタが入ってきた。五十歳になる彼女は、ミユキの幼少期から世話をしてくれている、第二の母のような存在だった。
「お嬢様」
マルタの声には、心配と愛情が混じっている。
「病み上がりだというのに、夜遅くまで書斎にいらっしゃいますね。お体が心配です」
「あ……ごめんなさい、マルタ。つい夢中になってしまって」
ミユキは羊皮紙から目を離し、申し訳なさそうに微笑んだ。マルタは溜息をつきながらも、優しく首を横に振る。
「お勉強に励まれるのは結構ですが、無理はなさらないでくださいね。奥様も心配なさっています」
「はい……気をつけます」
その時、廊下から足音が聞こえ、専属メイドのアンナが顔を覗かせた。銀のトレーに、温かい飲み物とクッキーが載っている。
「お嬢様、お夜食をお持ちしました」
「アンナ! ありがとう」
ミユキの表情が明るくなる。アンナは机の隅にトレーを置き、にっこりと笑った。
「温かいミルクティーです。マルタさんが『お嬢様にはこれが一番』って」
「二人とも、本当にありがとう」
ミユキはティーカップを手に取り、一口飲む。ほんのりとした甘みと温かさが、疲れた体に染み渡る。
「美味しい……」
「お嬢様、最近本当に頑張っていらっしゃいますね」
アンナが感心したように言う。
「アルノルト先生も、お会いするたびに『お嬢様は天才だ』って仰ってますよ」
「そんな、大げさよ……」
照れくさそうに俯くミユキ。だが、心の中では嬉しさが広がっていた。
『前世では、こんなに心配してくれる人、いなかったな……』
ゲーム会社での生活は、いつも孤独だった。深夜まで残業しても、誰も心配してくれない。むしろ「効率が悪い」と陰口を叩かれる始末。
それが今、この異世界では——家族や使用人たちが自分のことを本気で心配してくれている。
「マルタ、アンナ……ありがとう。本当に」
ミユキの声が少し震えた。二人のメイドは顔を見合わせ、微笑む。
「何を仰いますか、お嬢様。私たちはお嬢様のためにここにいるのですから」
マルタの言葉に、ミユキは涙が出そうになるのを堪えた。
◇
それから数日後の昼下がり。
ミユキは屋敷の一階を歩いていた。どこからか、良い匂いが漂ってくる。
『あれは……厨房?』
好奇心に駆られて、厨房の方へ足を向ける。普段、令嬢が立ち入るような場所ではないが、ミユキは気にしなかった。前世では自炊もしていたし、厨房という場所に親しみを感じる。
扉を開けると、中では料理長のヘルガが忙しそうに働いていた。ふくよかな体格の五十代の女性で、ヴェルナー家の食卓を一手に担う腕利きの料理人だ。
「あら、お嬢様!」
ヘルガが驚いて振り返る。
「こんなところに、どうなさいました?」
「ごめんなさい、良い匂いがして……つい」
ミユキは恥ずかしそうに笑った。ヘルガは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに優しい笑顔になる。
「あら、もしかしてお腹がへっちゃいましたか?」
「い、いえ、あ、それもありますけど……。なにか、自分でもできないかなって思って」
「まあ、お嬢様がお料理に興味を?」
「はい。前……えっと、昔から、料理って面白いなって思ってたんです」
危うく「前世」と口走りそうになり、慌てて言い直す。
「そうでしたか。では、今日の夕食の準備、ご覧になります?」
「いいんですか!?」
ミユキの目が輝く。ヘルガは嬉しそうに頷いた。
「もちろんです。お嬢様に興味を持っていただけるなんて、光栄ですわ」
ヘルガは手際よく野菜を切り、鍋を火にかけていく。その動きは無駄がなく、熟練の技が光っている。
「お嬢様、お口に合わない料理はございませんか? 何か特別にお作りしたいものがあれば、仰ってくださいね」
「え……あ、実は……」
ミユキは少し迷ったが、思い切って言ってみることにした。
「こんな料理を作ってみたいんです」
ミユキは厨房の隅にあった紙切れを借り、簡単なスケッチを描き始めた。卵を溶いて、薄く焼いて、中にご飯を包む——オムライスの作り方だ。
「卵で……ご飯を包む?」
ヘルガが興味深そうに覗き込む。
「はい。ふわふわの卵で包んで、上にソースをかけるんです。甘酸っぱいトマトソースがよく合うと思います」
「これは……斬新ですわ!」
ヘルガの目が輝いた。料理人としての好奇心が刺激されたようだ。
「お嬢様、よろしければ、今すぐ試してみましょうか?」
「本当ですか!?」
こうして、厨房での実験が始まった。
ヘルガは手際よく材料を準備し、ミユキは前世の記憶を辿りながら手順を説明していく。卵の焼き加減、ご飯の味付け、ソースの作り方——
ケチャップはないようなので、トマトソースを使うことにした。
「火加減は弱めで、卵が半熟のうちに……」
「なるほど、こうですか?」
ヘルガがフライパンを火にかける。この世界の厨房では、かまどに魔法陣が刻まれており、魔力を注入することで火力を調整できるようになっている。
卵液を流し込み、菜箸で優しく混ぜ始めるヘルガ。だが——
「あっ!」
突然、火力が強くなった。卵の底面が一気に焦げ始める。
「しまった! 火の魔法陣が……!」
ヘルガが慌ててかまどの火を止めようとするが、魔力供給用の魔法石が固着してしまっていてうまく取り外せない。魔法陣が暴走しているようだ。
「ヘルガさん、魔法陣を見せてください!」
ミユキが素早くかまどに近づく。かまどの側面に刻まれた火力調整の魔法陣——複雑なルーン文字の配列が、微かに赤く発光している。
『これは……条件判定ミスだわ! 魔力の上限チェックの判定値がおかしい!』
プログラマーの目が、一瞬で問題を見抜いた。
「お嬢様、危ないです!」
「大丈夫です!」
ミユキは指先に魔力を集中させ、魔法陣の一部に触れる。そして——
「バグ、発見!」
魔力の流れを読み取り、暴走している箇所を特定。指先で空中に新しいルーン文字を描き、その場で魔法陣に上書きする。
ミユキの編み出したデバッグ魔法——アルノルト先生との授業で理論は学んでいたが、動作中の魔法陣に対しての実践は初めてだ。でも、プログラムのバグ修正と同じ。論理構造を理解していれば、できるはず。
ミユキが描いた修正用のルーン文字が、かまどの魔法陣に吸い込まれていく。
瞬間、暴走していた火力が落ち着いた。魔法陣の発光が安定し、穏やかな炎に戻る。
「え……?」
ヘルガが呆然とミユキを見つめた。
「今、お嬢様……魔法陣を、その場で修正なさったんですか?」
「あ、はい……魔力制御の上限チェックが抜けてたので、追加しました」
ミユキは当然のように答える。プログラマーにとって、バグ修正は日常業務だ。
「そんな……普通、魔法陣の修正には数時間かかるのに……」
ヘルガの声が震えている。
「アルノルト先生が仰っていた『お嬢様は天才だ』という言葉……本当だったのですね」
「え、えっと……焦げちゃった卵は、もう一回作り直しましょうか」
『もう、先生ったら、ヘルガさんにまで……』
ミユキは照れくさそうに話題を変えた。
◇
気を取り直して、二度目の挑戦。
今度は修正された魔法陣のおかげで、火力が完璧にコントロールできる。
「火加減、ちょうどいいですね」
「ええ……お嬢様のおかげです」
ヘルガは感動した様子で、卵を丁寧に焼いていく。
「はい、そうです! それで、ひっくり返して……」
今度は完璧に、黄金色の卵がふわりと返る。中にケチャップライスを包み、形を整える。
二人で協力して、初めてのオムライスが完成した。修正された魔法陣のおかげで、卵の焼き加減が完璧だ。トマトソースが良い香りを放っている。
「まあ……これは美しいですわ」
ヘルガが感嘆の声を上げる。
「試食してみましょうか」
二人でスプーンを握りしめ、一口ずつ味見をする。
「……っ!」
ヘルガの目が大きく見開かれた。
「これは……美味しい! 卵のふわふわ感と、トマトソースの酸味が絶妙ですわ!」
「本当ですか! 良かった……」
ミユキも安堵の表情を浮かべる。前世の味を、この世界でも再現できた。
そして何より——魔法陣のデバッグが、実際の生活で役立つことを実感できた。
「お嬢様、これは素晴らしいレシピです。今晩の夕食に、お出ししてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです! でも……驚かれないかしら」
「ご家族は喜ばれますわ。特に、お嬢様が考案なさったと聞けば」
その夜の夕食。
食卓に並んだオムライスを見て、家族全員が驚きの声を上げた。
「これは……何だ?」
父のエルヴィンが興味深そうに見つめる。
「オムライスというものです。ミユキ様が考案なさいました」
ヘルガが誇らしげに説明する。
「ミユキが?」
母のカタリーナが驚いた表情でミユキを見る。
「えっと……はい。前から、こんな料理があったらいいなって思ってて……」
照れくさそうに言うミユキ。
フリードリヒが一口食べて、目を丸くした。
「うまい! 卵がふわふわで、ソースも美味い!」
「本当! ミユキ、これすごいわ!」
ソフィアも感動している。
エルヴィンとカタリーナも試食し、満足そうに頷いた。
「ミユキ、お前は料理の才能もあるのか」
「魔法だけじゃなく、お料理も……本当に、この子は」
カタリーナが微笑みながら、ミユキの頭を優しく撫でる。
「でも、無理はしないでね。お勉強も大切だけど、体が一番大事よ」
「はい、お母様」
ミユキは家族の温かさに包まれながら、心の中で思った。
『前世では、こんな風に家族で食卓を囲むことなんて……めったになかった』
会社のデスクで、マンションの一室で、一人でコンビニ弁当を食べる日々。それが当たり前だと思っていた。
でも今、ここには——自分を心配してくれる家族がいる。温かい食事を作ってくれる料理人がいる。夜遅くまで勉強していると、お夜食を持ってきてくれるメイドがいる。
『やだ。幸せすぎる……。この世界……。本当に来て良かったのかもしれない』
そう思えた瞬間だった。
◇
その日の夜、ミユキが書斎に戻ろうとすると、廊下でアンナと出会った。
「お嬢様、また勉強なさるんですか?」
「うん……まだ、やりたいことがあって」
「お嬢様は本当に頑張り屋さんですね」
アンナが微笑む。
「でも、無理はしないでくださいね。私たち、お嬢様のこと、いつも心配してるんですから」
「ありがとう、アンナ」
ミユキは心から感謝した。
「アンナも、マルタも、ヘルガも……みんな、本当に優しいわね」
「それは、お嬢様が優しいからですよ」
アンナの言葉に、ミユキは少し驚いた。
「私が……優しい?」
「はい。以前よりもっと、周りの人のことを気にかけてくださるようになりました」
アンナは嬉しそうに続ける。
「厨房でヘルガさんと一緒に料理を作ったり、私たちに『ありがとう』って言ってくださったり……お嬢様、変わられましたね。とっても良い方に」
アンナの笑顔が眩しい。
「そう……かな」
ミユキは少し照れくさそうに笑った。
「アンナ、これからもよろしくね」
「はい! お嬢様のために、私、頑張ります!」
アンナの明るい笑顔に、ミユキも笑顔で応えた。
書斎に向かう足取りは、以前より軽かった。
魔法陣の研究も大切だけれど——この世界で出会った人たちとの繋がりも、同じくらい大切にしたい。
そう思えた夜だった。
◇
翌朝、ミユキが朝食の席に着くと、マルタが嬉しそうに報告してきた。
「お嬢様、昨日のオムライス、使用人たちの間でも大評判でしたわ」
「本当ですか?」
「ええ。みんな『お嬢様が考えた料理だ』って、喜んで食べておりました」
ヘルガも厨房から顔を出して、笑顔で手を振る。
「お嬢様、また新しい料理、教えてくださいね!」
「はい、もちろんです!」
ミユキは元気よく答えた。
その様子を見ていた母のカタリーナが、優しく微笑む。
「ミユキ、あなた本当に変わったわね。使用人たちとも、もっと親しくなって」
「そう……ですか?」
「ええ。前は……もっと、距離を置いていたのに」
カタリーナの言葉に、ミユキはハッとした。
『そうか……元のミユキは、貴族令嬢として、使用人と距離を保っていたのかも』
でも、前世の自分は庶民……平民だった。使用人と貴族という区別よりも、人と人としての繋がりを大切にしたい——そう思っている。
「お母様、私……みんなと、もっと仲良くなりたいんです」
「それは素敵なことよ、ミユキ」
カタリーナは娘の頭を優しく撫でた。
「でも、気をつけてね。貴族社会では、使用人との距離感も大切だから」
「はい……気をつけます」
ミユキは頷いたが、心の中では——
『でも、私は私のやり方でいきたい。この世界で、自分らしく生きるために』
そう決意を新たにした。
使用人たちとの温かい交流。それは、ミユキにとって——異世界での新しい生活の、大切な一部になっていった。
**あとがき**
前回、エナドリ作るかもとかあとがきに書いておりましたが、実際には普通にオムライス作りになってしまいました。すいません><
エナドリ登場はもっと後になりそうです(汗




