家庭教師との授業
### 2-4 家庭教師との授業
体調が戻った翌々日。ミユキはヴェルナー家の魔法家庭教師アルノルトとの授業を再開することになった。
寝込んでしまう前の予定では、数日連続で魔法陣の集中講義を受けることになっていた。兄のフリードリヒは、ミユキが寝込んだのはきっとそれが理由に違いないなどと考えていたものだ。(幸いに口に出すことはなかったが)
病み上がりからもう二日が経ち、ミユキの熱はすっかり引いていた。それでもなお、カタリーナは「無理をしないように」と何度も念押ししていた。母親の心配は尽きないものらしい。
書斎でミユキが待っていると、約束の時間にノックの音が響いた。
「おはようございます、アルノルト先生」
「おはようございます、ミユキ様。本当に元気になられたようで何よりです」
入ってきた男性は、五十代半ばの落ち着いた雰囲気を持つ魔法使いだった。灰色に白髪が混じった髪をきちんと整え、深い緑色の瞳には知識人らしい温和さが宿っている。アルノルトは多くの著名な魔法学者に弟子入りした経歴を持ち、この地域でも有名な魔法理論家として知られていた。
「お手数をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫ですから」
ミユキは机の前に座り、教科書を整える。書斎の窓からは、ヴェルナー家の広大な庭園が見える。冬の澄んだ空気の中で、遠くの林が薄い霧に包まれている景色は、この異世界ならではの美しさだった。
アルノルトは初め、重い病気から回復したばかりの少女に、本来なら無理をさせるべきではないと判断しており、最初の授業は軽めにするつもりだった。
しかし、それはものの数分で杞憂に終わることになる。
その日の授業の内容は、基礎的な魔法陣論だった。アルノルトが黒板に魔法陣を描き、その仕組みを説明していく。
ミユキは黙って聞いていたが、その表情は真剣そのものだった。前日、書斎で独学した内容が、今まさに目の前で展開されているのだ。アルノルトが描く魔法陣の一筆一筆を、彼女の瞳が追っている。
「この光の魔法陣は、最も基本的なものです。魔力を光の形に変換する、単純な構造をしています」
アルノルトが説明しながら、中心部の入力口から外縁部の出力口へと指を這わせる。
「とはいえ通常、この構造式を理解するには数週間かかりますが……」
「先生」
ミユキが静かに手を挙げた。
「はい、どうぞ」
「この魔法陣について、質問してもいいですか?」
「もちろんです」
ミユキは立ち上がり、黒板に近づいた。そして、魔法陣のある部分を指差す。
「昨日読んだ古い理論書の魔法陣と比べて、この魔法陣は……とても効率的に設計されていますね。この部分での魔力の流れがシンプルで、無駄な分岐が削除されています」
「なん、ですと?」
アルノルトは驚きを隠せなかった。病み上がりの少女が、たった一日の独学で、魔法陣の設計思想の違いを見抜いている。
「そ、その通りです。これは十年前に改良された新型の魔法陣で……お嬢様、昨日一日独学されただけで、ここまでご理解なされたんですか?」
「魔法陣の構造自体は論理的ですから、理解しやすいんです」
ミユキは当然のように答えたのだった。
◇
そして、二日目の授業。
アルノルトは前日より時間をかけ、複雑な火の魔法陣を黒板に描いた。光の魔法陣より三倍は込み入った構造である。
「これは中級の火魔法陣です。温度制御のための条件分岐が複数含まれており……」
「先生、質問です」
またもミユキが手を挙げる。
「この部分の分岐構造ですが、昨日の光の魔法陣で学んだ構造と同じパターンですね。ということは、他の魔法陣でも同じ構造が使われているんですか?」
「……その通りです。魔法陣には、その形は変わっても『共通のパターン』が存在します。それに気づくとは……」
アルノルトは内心で舌を巻いた。通常、この概念を理解するには数ヶ月かかる。前日に見せられたミユキの才能は夢ではなかったと確信したのだった。
◇
そして迎えた三日目の授業。
今度はアルノルトが、意図的に複数の魔法陣を並べて見せた。火、水、風、土——四つの基本属性魔法陣だ。
「これらの魔法陣の共通点を見つけられますか?」
ミユキは四つの魔法陣を順番に見つめた。わずか数十秒の沈黙。
「全部同じ基本構造を使っていますね。入力部、処理部、出力部の配置が完全に一致しています。違うのは……処理部の中の、属性変換のルーン文字だけ」
ミユキは紙を取り出し、素早く図を描き始めた。四つの魔法陣から共通部分を抽出し、差分だけを並べて示す。
「つまり、この基本構造は……テンプレートのようなものですか?」
アルノルトは完全に沈黙した。彼女は今、魔法理論の最も重要な概念の一つ——『魔法陣の抽象化』を、独力で発見したのだ。
「お嬢様……その考え方は、王国の魔法学院で扱う上級理論です……」
◇
そして四日目。アルノルトは、ミユキの真の実力を測るべく、挑戦的な課題を用意した。
「今日は少し難しい課題を用意しました」
アルノルトは革装丁の古い本を取り出す。五十年ほど前に書かれた魔法理論書だ。
「これは、かつて高名な魔法使いが設計した治癒魔法陣です。当時は画期的と言われましたが……現代の視点で見ると、改善の余地があるかもしれません」
ページを開くと、羊皮紙に魔導インクで描かれた、複雑極まりないルーン文字の配列が現れた。ページ全体を埋め尽くすほどの密度だ。
「お嬢様、この魔法陣を分析してみてください。時間は……そうですね、一時間ほどで」
ミユキはその図を見つめた。
十数秒の沈黙。
アルノルトが時計を確認しようとした、その時——
「先生、これ……」
ミユキが顔を上げた。その表情には、困惑と確信が入り混じっている。
「はい?」
「デッドコードが……多すぎます」
「デッド……コード?」
聞き慣れない言葉に、アルノルトは首を傾げた。
「あ、すみません。使われないルーン文字、という意味です」
ミユキは羊皮紙を指差し始めた。
「この処理フローを追っていくと、ここで条件分岐が発生します。でも、この条件を満たすことは理論上不可能なので、この先の分岐の中には絶対に到達しません。つまり、ここから先のルーン文字列——およそ百三十文字分——は完全に無駄です」
アルノルトの目が見開かれる。
「それから……」
ミユキは別の部分を指す。
「ここのループ処理も問題です。三重のループになっていますが、実際には外側の二つで同じ処理を繰り返しています。最も内側のループだけで十分なはずです。これでは魔力の消費が三倍になってしまいます」
「ま、待ってください……」
アルノルトは自分でも羊皮紙を凝視し始めた。ミユキの指摘を確認するように、魔力の流れを一つずつ、念のためインクを付けていないペン先で追っていく。
一五分後。
「……本当だ。確かに、この部分は到達不可能です、ね」
アルノルトの声が震えている。
「それに、このループも……お嬢様、どうやってこんな短時間で気づいたのですか?」
「えっと……魔力の流れを追っていったら、自然と分かりました」
ミユキは不思議そうに答える。前世でデバッグしていた時と同じように、論理構造を追っただけなのだ。
そう言うと、ミユキは自分で紙を取り出し、改良案を描き始めた。その手つきは自信に満ちている。無駄な部分を削除し、魔力の流れを最適化し、エラーハンドリングを追加する——
描き上げた改良案を見たアルノルトは、呆然とした。
「これは……信じられない。五十年間も魔法理論家たちが気づかなかった非効率性を……」
「あ、ごめんなさい。図々しかったですね……」
銀髪の少女が申し訳なさそうに頭を下げた。だが、アルノルトは激しく首を横に振った。
「いえいえ! むしろ驚いています。お嬢様の理解力は……見たことがないほどです」
アルノルトが立ち上がり、丁寧に一礼した。
「正直に申し上げます。これほどの理論的思考力を持つ魔法使いは、この地方どころか、王国全体でも稀です。お嬢様は、真の天才です」
それは、単なるお世辞ではなかった。実際に、この数日間の授業を通じて、アルノルトはミユキの才能の本質を理解していた。
『このお嬢様は……古い魔法陣の欠陥を完全に見抜いている。まるで、何百年も研究してきた魔法理論家のように』
アルノルトの頭に浮かんだ考え。だが、それは半分しか正しくない。
ミユキの心の中では——
『先日見た古い魔法陣と同じ。でたらめに継ぎ足された結果、スパゲッティコードになってる。デバッグして最適化すれば、もっとずっと効率的になる。プログラマーなら当然の作業だわ』
本人は全く自覚していない。この世界の魔法使いたちが何百年もかけて試行錯誤して作り上げてきた魔法陣を、ミユキはプログラマーの視点から理論で修正しているのだ。
家庭教師との授業は、その後も続いた。毎日、新しい魔法陣が提示され、その都度、ミユキはそれを一瞬で理解し、さらには改善案まで提示していく……。
一週間後——
アルノルトはミユキの両親に経過を報告することになった。教え子であるミユキを交え、応接間で、並んで座るエルヴィンとカタリーナの前へ向かう。
「実は、この一週間のお嬢様の成長速度に、私も非常に驚いております」
アルノルトは丁寧に説明した。ミユキの魔法理論への理解力の異常さ。一度見た魔法陣を完全記憶する能力。そして、それを論理的に分析し、改善案を提示できる才能。
「嘘でもお世辞でもなく、お嬢様は魔法理論の天才です。このままでしたら、お嬢様は数年のうちに、この国の最高級の魔法使いになられるでしょう。いえ……もしかすると、それ以上かもしれません」
アルノルトの言葉に、応接間に沈黙が下りた。
カタリーナが微笑みながら、ミユキを見つめた。その視線には、何かを納得したような光があった。
「そうですか。ミユキは本当に変わったわね。あの熱が下がってから……まるで別人のように」
その言葉に、ミユキの心臓がドキリと跳ねる。気づかれている? だが、母の表情は穏やかなままだ。
「でも、それもミユキらしいわ。熱で寝込んでいる間、何か悟っちゃったのかしら?」
「あ、あぅ、あ……。そ、そうかもしれません」
言葉につまりつつも、なんとかごまかそうとするミユキ。
一方、エルヴィンは満足そうに頷いた。
「そうか。ミユキ、お前は本当に優秀だな。ヴェルナー家の誇りだ。その調子で研究を続けるんだ」
「はい、お父様」
ほっとするミユキ。
師匠のアルノルトは深く一礼した。
「今後も、お嬢様の才能を最大限に伸ばせるよう、全力で指導させていただきます」
◇
その夜の夕食時。
兄のフリードリヒが、訓練から戻ってきてミユキの顔を見るなり言った。
「ミユキ、なんか急に賢くなった? アルノルト先生、すごい興奮してたぞ」
単純に驚いたようだ。
「えっ? そう……かな?」
ミユキはごまかすように笑った。
「かなじゃなくて、絶対だろ。あのいつも静かな先生が『お嬢様は天才です』って言って駆け回ってたぞ」
「そんな大げさな……」
「本当だぞ。みんな聞いてたんだから」
姉のソフィアが優しく笑った。
「でも、素晴らしいことじゃない。ミユキが自分の才能を開花させたのよ」
ミユキは自分の変化が、どれほど異常なものかを、周囲の反応で改めて認識した。でも、同時に——この家族は、その異常さを排斥するのではなく受け入れてくれていることに喜びを感じる。
前世ではよく、バイクの運転もプログラミングも、技術に関わることは女のやることじゃないなんて影で言われていたものだ。
それがどうだろう、ここではとても暖かく肯定されている。
そして感じる充足感。
『プログラミングの知識が、こんなに役立つなんて……。この世界で、私は何ができるんだろう』
ミユキの心には、新たな目的が芽生え始めていた。この異世界で、プログラマーとしての知識をどう活かすか。その答えを、一つずつ見つけていく喜び。
書斎での長い夜。魔法陣の研究に没頭する少女の姿は——完全に集中し、没入状態に入ったプログラマーのそれだった。
**あとがき**
その才能、ある意味チート能力を周囲に見せ始めるミユキです。
これからどうその才能を異世界で生かしていくのか、乞うご期待。
(この流れだと…… 最初に作りだす生産系チートアイテムはエナジードリンクになっちゃうかも?(笑))




