魔法の分析
### 2-3 魔法の分析
朝食後、ミユキは自室で休むように言われたのだが、じっとしていられる性分ではなかった。三日も寝込んでいたのだから、むしろ体を動かしたい気分だった。
とはいえ、まだ本調子ではないのも事実。激しい運動は避けるべきだろう。ならば、座ってできることを——そう考えたミユキは、書斎に向かうことにした。
「お嬢様、どちらへ?」
廊下を歩いていると、アンナが追いかけてきた。
「書斎に行こうと思って。魔法の本を読みたいの」
「お体は大丈夫ですか? まだ無理なさらない方が……」
心配そうな表情のアンナに、ミユキは微笑んだ。
「大丈夫よ。本を読むだけだもの。アンナ、お茶を持ってきてくれる?」
「はい、すぐにお持ちします」
アンナが一礼して去っていく。その後ろ姿を見送りながら、ミユキは心の中で呟いた。
『アンナ……没キャラだったはずなのに。この世界では普通に存在しているのよね……』
違和感はあるが、今はそれよりも確かめたいことがあった。
書斎は屋敷の二階にあり、壁一面に本棚が並ぶ広々とした部屋だ。窓からは庭園が見渡せ、午後の柔らかな光が差し込んでいる。
ミユキは魔法理論の基礎書を数冊取り出し、大きな机に広げた。革装丁の重厚な本。ページを開くと、古い羊皮紙に手書きされた魔法陣の図が目に飛び込んでくる。
「さて……」
最初のページを捲る。
そこには、複雑な魔法陣の図が描かれていた。幾何学的な円と線の組み合わせ、ルーン文字が密集している。魔導インクで描かれたその図は、非常に精密だ。
魔法陣をざっと俯瞰して、線を指で辿ってみる。
その瞬間——
「……え?」
ミユキの瞳が大きく見開かれた。
魔法陣の構造を指で追ったその時、脳内でスイッチが入ったような感覚を覚える。プログラマーとしての本能が、激しく反応した。
「これ……完全にフローチャートじゃない!」
思わず声に出してしまう。
魔法陣の構造は、プログラミングのフローチャートそのものだった。中心の入力部——魔力を注入する部分。そこから複雑に分岐し、処理を経て、最終的に外周の出力線から魔法効果として放出される。条件分岐、ループ構造、変数の概念——全てが、前世で何千回と見てきた論理構造と完全に一致している。
ミユキは夢中でページを捲り始めた。
ページを次々と開く。基礎魔法陣、中級魔法陣、上級魔法陣。
どれも同じ。入力、処理、出力。論理的な体系が貫かれている。
ただし——
「あれ? これ……おかしくない?」
プログラマーの目は、すぐに問題を見つけた。無駄なループ、冗長な条件分岐、エラーハンドリングの欠落。何世代にもわたって継ぎ足されたであろう魔法陣は、構造的には「スパゲッティコード」そのものだった。
「これって……開発者たちが試行錯誤を重ねてきたせい?」
前世で、何度も見た光景だ。仕様は正しいのに、実装が最悪なコード。動くには動くが、無駄が多く、バグの温床になる。数多くのプログラマーが関わり、無秩序に改造されたプログラム。
『これは……世界中の魔法使いが、長い間ずっと非効率で不完全な魔法陣を使っているってこと?』
そして、閃いた。
『もし、これを最適化できたら——』
魔力消費を格段に減らせる。発動速度も上げられるし、安定性・安全性も向上するだろう。古い魔法陣に隠れているバグを修正すれば、もっと強力で安全な魔法が使える。
プログラマーにとって、バグだらけのコードを見るのは耐え難い。最適化できる余地があると知ってしまったら、黙っていられない。
「この魔法陣、デバッグできる!」
声が弾んだ。
前世で何度も見て、実際に行っていた光景が蘇る。バグだらけのコードを一行ずつ読み解き、問題を特定し、修正していく。その作業を、魔法陣に対して行えるということだ。
そして、すべての魔法理論書の巻頭に書かれている——
【この世界の全ては魔法でできている】
と言う言葉が心をくすぐってくる。
「世界が魔法でできているなら、世界だってデバッグできるってことじゃない!」
『これが、あの神様の言っていた「祝福」なの……かな?』
その時初めて、ミユキは自らの使命に気づいた。
神は言った。『君には幸せになってほしい』と。『前世の知識が役立つように祝福を施す』と。
その祝福の意味は——プログラマーとして、この世界を完成させること。
『自分が開発に関わったゲームの世界なら、開発者として——この世界をバグフリーにする責任がある』
ミユキは再び本に集中した。
ページを捲るごとに、新しい発見がある。入力、処理、出力。全てが論理的に構成されている。
『if文。for文。変数のスコープ。継承まで……この世界は本当にプログラムされた世界なんだ』
前世でゲームのコードを書いていた時と同じ感覚。パズルのピースがぴたりと嵌まっていく快感。
興奮が抑えられない。
「ミユキ……?」
ノックの音と共に、母カタリーナの声が聞こえた。
ミユキはハッとして顔を上げる。いつの間にか、かなりの時間が経っていたようだ。窓の外の光が、少し傾いている。
「あ、お母様……」
扉が開き、カタリーナが優しい笑顔で入ってきた。その後ろには、心配そうなアンナと、老執事セバスチャンの姿もある。
「アンナからお茶をお持ちしたと聞いたのだけど、ずっと返事がなかったそうよ。夢中になりすぎていたのね」
見ると、机の端に紅茶のカップが置かれている。すっかり冷めてしまっている。
「ごめんなさい……集中しすぎて」
「いいのよ。でも、まだ病み上がりなのだから、無理はしないでね」
カタリーナがミユキの額に手を当てる。母親らしい優しい仕草だ。
「熱はないようね。よかった」
「はい、もう大丈夫です」
カタリーナは、開かれた魔法の本に目を向けた。
「魔法理論の本……こんなに難しい本を読んでいたの?」
「はい。すごく……面白くて」
ミユキの言葉に、カタリーナは少し驚いた表情を浮かべた。
「あら。前は魔法の勉強、あまり好きではなかったのに」
その言葉に、ミユキはハッとする。
そうだ。ミユキ・フォン・ヴェルナーの記憶では、魔法の勉強は得意ではあったが、そこまで夢中になるタイプではなかった。むしろ、姉のソフィアの方が魔法に熱心だった印象がある。
『まずい……転生したことがバレる……?』
心臓がドクンと跳ねる。
しかし、カタリーナは優しく微笑むだけだった。
「成長したのね。あなたが自分の興味を見つけたのなら、お母様は嬉しいわ」
「お母様……」
「でも、今日はもうお休みなさい。夕食までまだ時間があるから、少し横になっていて」
「はい……」
カタリーナに促されて、ミユキは書斎を後にした。
自室に戻る廊下を歩きながら、ミユキは今日の発見を整理していく。
仕様にない部分やボツ設定だったはずのアンナの存在など、今日一日体験しただけでも乙女ゲーム『エターナル・クラウン』と食い違う部分がいくつか見つかっている。もちろん、ミユキの名前など、直すべきでないだろう変更点もある。
『ゲームなら仕様は絶対だけれど、仕様に従うだけじゃきっとダメ……』
プログラマーとして、美幸はバグフリーなコードを目指してきた。不具合を許さず、常に最適化を追求する。たとえ不可能なことであっても、それを信条としてきた。
そんな彼女の心に、先ほど読んだ魔法書の巻頭書き——【この世界の全ては魔法でできている】——が、勇気をあたえてくれる。
『せっかく世界の中にいるんだったら、私がこの世界をデバッグする。プログラマーとして、世界に責任を持つ』
自室のドアの前で立ち止まり、深呼吸をする。
部屋に入り、ベッドに横になる。頭の中では魔法陣の構造が次々と展開されていく。
『明日から本格的に勉強しよう。この世界の仕組みを完璧に理解して……そうすれば、きっと』
目を閉じると、まだ見ぬ可能性が広がっていた。




