初日の授業——魔法理論
### 7-5 初日の授業——魔法理論
朝の鐘が鳴り響く。
学園の一日は早い。朝の六時に起床の鐘、七時に朝食、八時には最初の授業が始まる。
ミユキは制服に身を包み、クララと一緒に教室棟へと向かった。
「ミユキ、初めての授業だよ! めっちゃドキワクだよね!」
クララが弾んだ声で言う。彼女は朝からテンションが高い。
「そ、そうですね……」
ミユキは『朝から元気だなあ』と思いながら、低血圧ぎみに頷いた。
教室棟は白大理石造りの三階建てで、各階に魔法陣式のエレベーターが設置されている。ミユキたちの教室は二階だ。
廊下を歩くと、すでに多くの生徒たちが集まっていた。みんな制服姿で、それぞれに個性的な装飾を加えている。ブローチ、リボン、髪飾り……。貴族の子女らしい華やかさだ。
「あ、あれがリリアーナさんだよね」
クララが小声で言った。
視線の先には、ふわりとした金髪の可愛らしい少女がいた。リリアーナ・ローゼンベルク——昨日の入学式で特待生代表として挨拶をした主人公だ。
彼女は教室の隅で、一人で本を読んでいる。周囲の貴族令嬢たちは距離を置いている。平民出身の特待生——異質な存在として見られているのだろう。
『ゲーム通りの展開』
ミユキは内心でそう思った。
そして、緊張する——。
『最初の授業の直前。ここでイザベラは取り巻きと一緒にリリアーナに絡んでくるんだよな』
『でも、私は、彼女をいじめる悪役令嬢イザベラにはならない』
改めて心に誓う。
◇
八時になり、教師が入ってきた。
厳格そうな女性だった。年齢は40代半ばだろうか、黒髪を後ろできつく結い上げ、鋭い瞳で生徒たちを見渡している。黒いローブを纏い、胸元には王立学園の徽章が輝いている。
『よし、少なくとも授業開始前のイジメイベントは回避!』
ミユキは心の中でガッツポーズをした。
教師が教壇に立ち、声を上げた。
「皆さん、おはようございます。私は魔法理論を担当するアーデルハイト教授です」
女性教師らしい、金属質なハイトーンのよく通る声だ。
教室がしんと静まり返る。
「王立魔法学園高等部では、魔法の理論的基礎から実戦応用まで、幅広く学んでいただきます。魔法は感覚だけで扱えるものではありません。論理的な理解があって初めて、真の力を引き出すことができるのです」
教授は黒板に向かい、チョークを取る。
ではなく——指先から光が放たれ、空中に魔法陣が描かれた。
おお、と教室中から感嘆の声が上がる。魔法陣の陰に隠れ表情は見えないが、教授はきっとドヤ顔……いや、ほくそ笑んでいることだろう。
「これが魔法陣です。魔力を形に変える設計図、と言ってもいいでしょう。魔法陣は魔力の流れを制御し、望む結果を現実に具現化します」
空中に描かれた魔法陣は、六芒星を基本とした複雑な幾何学模様だ。中心から外側へ、魔力の流れを示す線が伸びている。ノード、接続線、条件分岐……。
ミユキは教授の描く魔方陣を真剣に観察する。
この世界に転生して三年。魔法陣を研究し続けてきたが、見れば見るほど、プログラミングとの類似性を感じる。魔法陣は一種のプログラムコードなのだ。
「魔法陣には、いくつかの基本要素があります。魔力の入力部、処理部、出力部。そして条件分岐と繰り返し構造。これらを組み合わせることで、様々な魔法を構築できます」
教授が説明を続ける。
生徒たちは真剣にノートを取っている。中には首を傾げている者もいる。理論は難しい、と感じているのだろう。
『でも、プログラミングを知っていれば……理解はそこまで難しくない』
ミユキは内心でそう思った。
『プログラミング言語も実際に動かしたほうが理解が速い。ここでは魔方陣を自分で動作させられるのだから、皆も実験したらすぐ覚えられると思うのだけれど……』
◇
「では、この魔法陣を見てください」
教授が新しい魔法陣を空中に描いた。
今度は少し複雑だ。六芒星の中に、さらに細かい紋様が組み込まれている。魔力の流れを示す線が幾重にも重なり、まるで回路図のようだ。
「これは初級火魔法『火球』の魔法陣です。シンプルに見えますが、実は多くの構造が組み込まれています」
教授は指先から伸びる光で魔法陣の各部を指し示す。
「ここが魔力入力部。ここで術者の魔力を取り込みます。そしてこちらが変換部。魔力を火属性に変換し、形状を整えます。最後にこれが出力部。火球として放出するための制御をします」
説明は明快だった。
でも——。
『あれ?』
ミユキは眉をひそめた。以前、アルノルト先生から最初に教わった火球の魔法陣と、同じ問題点がある。
『この変換部の構造……このままでは非効率なのよね』
魔力の流れを見る。入力部から変換部への接続——そこにボトルネックがある。魔力の流れが一度停滞し、それから変換される構造だ。
『これじゃあ、魔力のロスが大きい。パイプライン処理にすれば、もっと効率的になるのに』
プログラマーの視点で見ると、この魔法陣は最適化されていない。まるで、初心者が書いたコードのようだ。
『でも……』
ミユキは周囲を見渡した。
他の生徒たちは真剣にノートを取っている。誰も疑問を抱いていないようだ。
『目立たないように、黙っていよう』
そう心に決めた。
さすがに毎度の自分の行動パターンも自分で理解している。ここは黙っているべき。そもそも目標はフラグ回避。目立たず、平穏に学園生活を送ること。魔法陣の最適化なんて、後でこっそりやればいい。
◇
「では、質問です」
教授が生徒たちを見渡した。
「この魔法陣には、実は一つ問題点があります。誰か、指摘できる者はいますか?」
教室が静まり返る。
生徒たちは顔を見合わせるが、誰も手を挙げない。
『やっぱり、教授もわかってたんだ』
ミユキは内心で思った。
これはテストなのだろう。魔法陣の問題点を見抜けるかどうか——理論的な理解力を試している。
『でも、手を挙げるわけにはいかない』
ミユキは視線を下に落とした。
ノートを見つめ、何も気づいていないふりをする。
「誰もいませんか?」
教授の声が、少し厳しさを増した。
しばらく沈黙が続く。
その時——。
チラリと横を見ると、リリアーナが手を挙げかけていた。
でも——。
彼女は迷うように、手を下ろした。
『自信がないのかな』
ミユキは思った。
リリアーナは光魔法の天才だが、理論は苦手なはず。ゲームでも、彼女は実技は得意だが、筆記試験では苦戦していた。
「本当に誰もいませんか? では……」
教授の視線が、教室を巡る。
そして——。
ミユキと目が合った。
心臓が跳ねる。
『まずい』
「そこのヴェルナー嬢」
教授がミユキを指名した。
「あなたはどう思いますか?」
教室中の視線がミユキに集まる。
クララが隣で小さく息を呑んだ。
ミユキは——逃げられない。
『あちゃー。仕方ないか……』
ミユキは立ち上がった。
「はい」
声が少し震えている。
ミユキは空中の魔法陣を見つめた。
「魔力の流れが……非効率です」
「ほう」
教授の目が細くなる。
「どのように非効率なのですか?」
「入力部から変換部への接続部分で、魔力が一度停滞しています。そのため変換効率が落ち、無駄な魔力消費が発生します」
ミユキは指で魔法陣の該当部分を示した。
「この部分を並列処理構造に変更すれば、魔力の流れがスムーズになります。具体的には、入力と変換を同時進行させることで、処理速度が向上し、魔力消費も削減できます」
「……」
教授が黙り込んだ。
教室がしんと静まり返る。
ミユキは不安になった。
『何か間違ったこと言った?』
でも——。
「正解です」
教授の声が響いた。
「完璧な回答です。ヴェルナー嬢、よく見抜きましたね」
教授の表情が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
「おっしゃる通り、この魔法陣には構造的な非効率性があります。並列した処理構造に変更すれば、魔力効率が劇的に向上します」
教授は空中に新しい魔法陣を描いた。
今度は、入力部と変換部が同時進行する構造になっている。魔力の流れが滑らかだ。
「このように、魔法陣は改良の余地があります。古典的な構造をそのまま使うのではなく、論理的に分析し、最適化する。それが魔法理論の醍醐味です」
教授は私を見た。
「ヴェルナー嬢は、魔法陣の研究をされているのですか?」
「はい……少しだけ」
ミユキは頷いた。
「少しだけ、とおっしゃいますが、その理解力は並大抵ではありません。今後の授業が楽しみです」
教授はそう言って、授業を再開した。
ミユキは席に座った。
◇
クララが小声で囁いた。
「ミユキ、すごい! 教授に褒められたよ!」
「う、うん……」
ミユキは複雑な気持ちだった。
クララの純粋な賞賛に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
『素直に喜んでいいのかな……』
一瞬少女らしい嬉しさが込み上げてくる——でもすぐに理性が働く。
『いや、待って。これは前世の知識が出ただけで……』
嬉しい反面——不安もある。
『目立ちたくなかったのになぁ……』
周囲の生徒たちが、こちらをちらちらと見ている。
好奇の視線、驚きの視線、そして——羨望の視線。
「あれが辺境侯爵の次女……」
「まだ十五歳でしょ? あんな高度な魔法陣分析ができるなんて……」
「天才少女ってやつ?」
ひそひそと交わされる囁きが、耳に入る。
ミユキは視線を下に落として、ノートに集中しようとした。
『前世の知識があるから分析できたのに、天才少女として見られてる』
『初日から記憶されてしまった……』
ミユキは小さくため息をついた。
リリアーナも、こちらを見ていた。彼女の表情は——驚きと、少しの尊敬が混ざっているように見える。
『悪い印象じゃないといいけれど……』
それでも不安は消えない。
悪役令嬢フラグ回避の第一歩は、目立たないこと。でも——ミユキはもう、目立ってしまった。
『どうしよう……』
でも、考えても仕方ない。
教授の質問に答えなければ、それはそれで印象が悪くなる。答えたことは間違いじゃない。
『うう、解答をわざと間違えたほうがよかったかなあ』
不安と少しの後悔が胸の中で渦巻く。
◇
授業は続く。
教授は黒板の空中に、さらに複雑な魔法陣を描き始めた。
「次に、中級の防御魔法『魔力障壁』の陣形を見てみましょう」
初級の六芒星の基本構造に、幾重もの同心円が重なる。魔力の流れを制御する節点が、星型に配置されている。
生徒たちは真剣にノートを取っている。
ミユキも——ノートにペンを走らせながら、魔法陣の構造を分析していた。
『入力、変換、出力……基本構造は火球と同じだけど、この多重防御層の配置が……』
でも、もう口には出さない。
一度指名されて答えただけで、これだけ注目を集めてしまった。
これ以上目立つわけにはいかない。
教授の説明は続く。
「防御魔法の要点は、いかに効率的に魔力を配分するかです。全方位を均等に守るのではなく、攻撃の方向を予測して魔力を集中させる。それが実戦での生存率を高めます」
実戦——という言葉に、教室の空気が少し緊張する。
王立魔法学園は、単なる学問の場ではない。将来、魔物との戦いや領地防衛に携わる者を育てる場所だ。
ミユキは——前世でプログラマーだった。
戦いとは無縁の生活を送っていた。
でも今は、魔法を学び、いずれは実戦にかり出されるかもしれない。
『この世界は、平和なだけじゃないんだ』
改めてそう思った。
◇
やがて、授業終了の鐘が鳴った。
教授が最後に一言。
「今日の授業はここまでです。次回は実際に魔法陣を描く実習を行います。復習をしっかりしておくように」
生徒たちが立ち上がり、教室を出ていく。
ミユキも席を立った。
クララが隣で「ねえねえ、次の授業は……」と話しかけてくるが、ミユキの心はまだ落ち着かない。
『目立ってしまった……これからどうなるんだろう』
教室を出る時、もう一度振り返った。
リリアーナは教壇の近くで、教授に何か質問をしている。
金髪が陽の光に輝いて、まるで愛らしい絵画のようだ。
主人公——この世界の中心。
『私は、彼女と敵対してはいけない』
改めて心に刻む。
悪役令嬢イザベラにはならない。
それだけは、絶対に。
廊下を歩きながら、窓の外を見る。
学園の中庭、白い建物、青い空。
平和で美しい学園。
でも——。
『このまま、平穏に過ごせるのかな』
ミユキは小さく首を振った。
初日から目立ってしまった。これからどうなるのか、まだわからない。
それでも——前に進むしかないのだ。




