異世界での目覚め
## 第二章
### 2-1 異世界での目覚め
鳥のさえずりが聞こえる。
カーテン越しに差し込む朝日が、まぶたを刺激する。
「ん……」
美幸——いや、今は違う名前だ——ミユキは、ゆっくりと目を開けた。
天蓋付きのベッド。豪華な刺繍が施されたカーテン。見覚えのない天井。
「ここ、は……」
体を起こすと、違和感があった。体が軽い。小さい。そして——記憶が二つある。
一つは、志藤美幸としての二十五年間の記憶。
もう一つは、『ミユキ・フォン・ヴェルナー』としての十三年間の記憶。
「そんな……まさか」
美幸 —— ミユキは慌ててベットから飛び降り、壁の大きな姿見に駆け寄った。
そこに映っていたのは、見知らぬ、いや、ミユキとしての十三年間の記憶そのままの美少女だった。銀色のロングヘアーが朝の光を受けて輝いている。深い青紫色の瞳——まるで夜明け前の空のような神秘的な色だ。整った顔立ち。すこしやつれている気がするが、典型的な『異世界の令嬢』が、ふんわりとしたナイトウェアに包まれて鏡の中に立っている。
「嘘でしょ……本当に転生した?」
ぺたぺたとまだ柔らかい少女の頬を、小さな手でたたくミユキ。ついでにちょっと指先でつまんでみた。当然ながらデスマ中の成人女のような乾燥肌ではない。朝からみずみずしく潤い、もちもちとした感触が実に素晴らしい少女の肌だ。
「やわらかーい。可愛いー! 今世ではこのままこのお肌維持できるかなあ。この世界に化粧水ってあるのかしら?」
なんてことを考えながらミユキ・フォン・ヴェルナーのほう記憶を辿り、衝撃を覚える。
ミユキの記憶に、つい昨日前世になってしまった美幸の、デスマ中だった思い出が奇妙なほどに重なる。
「あれ? なに、これ?」
——この世界は、もしかして……
「ここ、もしかして……エタクラ?」
自分が開発していた乙女ゲーム『エターナル・クラウン』の世界設定の記憶が、ミユキの思い出にかぶさり、二重になっている。
『えーっと。まじ?』
十三歳の彼女が知りうる情報がゲームと限りなく似ている。むしろそのままと言っていい。
「まさか……本当にあのゲームの世界なの?」
ミユキの頭の中で、プログラマーとしての記憶が高速で回転し始める。
『てかまだエタクラは開発中のはず。いつの間にリリースされた? 私が死んでからけっこう時間がたっているとか? メイン張ってた私が死んでしまったら企画まるごとぽしゃりそうなものだけれど。誰が変わりに開発を進めてリリースしたんだろう?』
つい思考も早口になってしまうのは前世の彼女のクセだ。
「どどどどういうこと? いや、お、落ち着け、まだ慌てるような時間じゃない」
鏡に向けてまてまてと手のひらをあげる現世の美少女。
その姿を見て、『うわあ。やっぱ可愛いなぁ、いやこれ自分じゃん!』とパニックに陥りそうになり、今のなしという風にあげた手をぶんぶんと左右に振るミユキ。
「パ、パニックになってもバグは直らないのだ。ままままずは状況を整理……デバッグの基本じゃん……基本にもどろう……」
死ぬ直前まで開発していた乙女ゲーム『エターナル・クラウン』。その世界設定と、今の自分の記憶が似すぎている。王国の名前、王族の設定、そして——
「王立学園……攻略対象が五人……」
記憶の中に、ゲームの企画書が蘇る。第一王子アルベルト、騎士カイル、学者セオドア、商人マルコ、そして隠しキャラのユリウス。
そして、主人公の名前は——
「リリアーナ・ローゼンベルク。平民出身の特待生で、光の魔法の天才……」
ミユキは胸に手を当てて深呼吸をした。まだ開発途中だったゲームの世界。それが今、現実として目の前に、いや、自分を含めたこの世界として、存在している。
「あれ? でも、おかしいな……」
ふと、違和感を覚える。ヴェルナー家の次女の名前は、ゲーム内では確か「イザベラ」だったはずだ。なのに、今の自分の名前は「ミユキ」——まるで、自分の前世の本名をそのまま使ったような。
「待って……イザベラって確か……」
さあっと血の気が引く。
企画書に書かれていた設定が頭の中で再生される。『ヴェルナー侯爵家の次女・イザベラは、主人公リリアーナの恋路を邪魔する悪役令嬢として登場。最終的に攻略対象の一人から婚約破棄され、貴族社会から追放される』
「え……嘘……悪役令嬢? 私が?」
手が震える。鏡の中の美少女が、恐怖に顔を引きつらせている。
まだシナリオは実装されていなかったが、エンディングではプレイヤーの鬱憤を晴らすべく、とてつもなく無惨な結末に至るという脚注が太字で書かれていたのを覚えている。
『まずい。これ、放っておいたら破滅ルート直行じゃん……』
「で、でも、私は、『ミユキ』……。イザベラじゃない」
自分の名をゆっくり口にする。ミユキの記憶をいくら遡っても、イザベラなんて名前はでてこない。ゲームそっくりの世界でも、設定と違う部分はあるようだ。
『やっぱりゲームのままじゃないのかな』
それに、この部屋の装飾の細かさも気になる。
ゲーム開発中は予算の都合でローポリゴンに低解像度テクスチャを貼り付けた質素なモデルだったが、この部屋の装飾は細部まで精緻で、職人の手仕事の痕跡が感じられる。
カーテンの房飾りは重厚な金糸で編まれており、触れるとずっしりとした重みを感じる。窓枠の彫刻も、よく見れば花や葉の一枚一枚が立体的に削り出されている。
床に敷かれた絨毯も、足を踏み入れると柔らかく沈み込む。おそらく上質な羊毛を何層にも重ねて織られたものだろう。
家具も一つ一つが職人の手作りだ。ドレッサーの引き出しには繊細な象嵌細工が施され、椅子の背もたれには優雅な曲線美がある。
部屋の隅には大きな本棚があり、革装丁の本が整然と並んでいる。窓辺には小さなテーブルと椅子が置かれ、読書や刺繍をするのに最適な空間が作られている。
『うちのやっすいマンションとは大違い……。これが……貴族の令嬢のお部屋……』
壁に掛けられたタペストリーの刺繍も、一針一針が丁寧に施されている。ベッドサイドのテーブルに置かれた燭台の装飾も、実際に金属を叩いて成形した跡がある。
一通り部屋を見回してから、ミユキはぽすんと天蓋つきのベッドに腰を下ろす。
『どう見てもポリゴンやテクスチャーじゃない……。手ざわりまであるし。感触なんてVRでも再現できないデータをゲームに入れるわけない』
『あ! 感触と言えばほっぺ! そうそう、これこれ。ほっぺたやわらかーい』
あらためて自分の頬をぷにぷにして現実逃避をするミユキである。
「まあ、ぷにぷにほっぺは幸せよね~。とりあえず落ち着かなくちゃ」と呟いた。
と、その時——
コンコンとノックの音が響く。
「ミユキお嬢様、お目覚めですか?」
聞き覚えのある声。ミユキは慌ててベッドの上で正座をする。
「あ、はい! 起きてますです!」
「では、失礼いたします」
ドアが開き、若いメイドが顔を覗かせる。
「お嬢様……!」
メイドの少女——アンナ——は、ミユキの姿を見た瞬間、目を見開いて駆け寄ってきた。
「お元気になられたのですね! もう……本当に心配いたしました! 三日も高熱でうなされていらして……」
「三日……?」
ミユキは首を傾げた。が、すぐにミユキ・フォン・ヴェルナーの記憶が浮かび上がる。そういえば、この数日間、ひどい熱でベッドから動けなかった記憶がある。
「そっか……そんなに寝込んでたんだ」
「はい。お医者様も首を傾げるほどの原因不明の熱で……でも、今朝になって急に熱が引いて。本当に良かったです」
アンナが心から安堵した表情を浮かべる。その顔を見て、ミユキは思い出した。
『アンナ……確か、企画会議で却下された「主人公の味方メイド」のボツキャラだったはず。なんでこの娘がこっちに、ヴェルナー家にいるんだろう? 私の名前もそうだし、ゲームの設定と食い違っているところがある?』
ゲームの内容に沿っている部分、設定の内容が変わってしまっている部分、そして、ミユキの名のように完全に設定内容から逸脱した部分。
『複数のブランチが無理やりマージされて、盛大にコンフリクト起こしてる状態じゃん。整合性チェックされてないなこれ……』
もしかしたら開発中のゲームと同様、この世界もまだ「作りかけ」なのかもしれない。
『作りかけなのに動作しているってすごいわね。ワールドデバッグ中なのかな? あ、それならもしかして、悪役令嬢設定も変更できるんじゃない?』
「……まあ、デバッグは得意分野だし。この世界で生きながら、少しずつ整合性を取っていけばいいか」
ミユキは無意識のうちにぶつぶつと考えを口に出していた。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
アンナが不安そうな表情で覗き込んでくる。
「え? あ! ご、ごめんなさい! 何でもないの! ちょっと寝起きで頭がぼんやりしてて……」
慌てて手を振るミユキ。前世のクセで独り言が多いのは、この世界では気をつけないと変な人だと思われてしまう。
「本当に大丈夫ですか? まだお熱の影響が……」
「大丈夫、大丈夫! むしろすっごく元気になった気がする!」
ミユキは笑顔を作る。アンナの心配そうな表情が、少しだけ和らいだ。
いろいろと不安や疑問は残るものの、同時に希望もある。ゲームの展開を知っている。フラグの位置も、イベントの内容も、攻略対象たちの性格も——全て頭に入っている。
「なら、回避すればいい。悪役令嬢フラグを全部避けて、平和に学園生活を送ればいいだけだ」
プログラマーとしての論理的思考が、解決策を導き出す。
『フラグ管理は得意だ。デバッグで何百回もやってきた。これは……現実版のバグ回避だと思えばいい』
そして、もう一つの決意が芽生える。
『自分が開発した世界に転生した……なら、プログラマーとしての責任がある。バグを見つけたら修正する。出来かけの世界をしっかり完成させる。ううん、より良くする。それが、開発者としての矜持だ』
「アンナ、マルタを呼んでいただけますか? 着替えをお願いしたいの」
「かしこまりました。すぐにお呼びいたします」
アンナが一礼して部屋を出ていく。その背中を見送りながら、ミユキは深呼吸をした。
しばらくして、コンコンとノックの音。
「失礼いたします」
ドアが開き、アンナとともに初老の女性が入ってくる。マルタ——ヴェルナー家に長年仕える侍女頭だ。ミユキの記憶の中で、厳しくも優しい存在として刻まれている。
「お嬢様、ご回復されたとのこと、何よりでございます」
マルタは深々とお辞儀をする。その表情には、心からの安堵が浮かんでいた。
「ありがとう、マルタ。アンナも。心配かけてごめんなさい」
自然に名前が口をついて出る。すこし焦ったが、二つの記憶が融合し徐々に馴染んできているのを感じる。
『前世では、デスマに追われて余裕がなかった。隼人兄さんにも、もっと優しくしてあげればよかった……』
窓の外に広がる青空を見上げる。
『でも、この世界では違う。ミユキ・フォン・ヴェルナーとして、もう一度やり直せる。悪役令嬢フラグは全部回避して、この世界を、自分の人生を、バグフリーにしてみせる』
「さあ、新しい人生の始まりだ。いっちょデバッグ開始といきますか」
小さく呟いたミユキの瞳に、強い意志の光が宿っていた。




