マリアとのお茶会
### 4-6 マリアとのお茶会
訓練場での作業が一段落した頃——夕暮れの光が、ギルドの窓から差し込んでいた。
「ミユキちゃん、疲れたでしょ?」
マリアが、明るい笑顔で声をかけてきた。
「お茶しない? 近くに美味しいカフェがあるの」
「いいですね。行きましょう」
ミユキは微笑んで答えた。
◇
二人がギルドを出ようとすると——
「……気をつけろ」
レオンの低い声が、後ろから聞こえた。
マリアは振り返り、肩をすくめる。
「もう、レオンは心配性ね。大丈夫よ」
レオンは無表情のまま——だが、その目には、わずかに懸念の色が浮かんでいた。
◇
繁華街の一角に、可愛らしいカフェがあった。
木製の看板には「冒険者の憩い処」と書かれている。
中に入ると、温かみのある内装が目に入った。木製のテーブルと椅子、壁には冒険者たちの記念品が飾られている。魔導ランプの柔らかい光が、店内を優しく照らしていた。
「ここ、冒険者仲間がよく使うの」マリアが説明する。「店主が元冒険者でね」
「素敵なお店ですね」
二人は窓際の席に座った。
窓の外には、夕暮れの町並みが広がっている。
「ハーブティーと……ケーキもいっちゃう?」マリアがメニューを見ながら尋ねる。
「はい、いただきます」
◇
しばらくして、温かいハーブティーとベリーのケーキが運ばれてきた。
ハーブティーの香りが、心を落ち着かせる。
マリアは一口飲んでから尋ねた。
「さっきの魔法陣の最適化、あんなに高度なこと、お金取らないでいいわけ?」
「え、ええっと、いちおう協力者ってことなので……」
言われてみれば報酬については考えていなかったミユキである。侯爵令嬢としては良かったのか、悪かったのか、微妙なところだ。
「ギルマスったら、うまいことやったわね。でも、もうあんなに色んなヤツらにほいほいやってあげちゃダメよ。あなたの能力なんだから。レオンも言ってたでしょ、安売りするなって」
「え? そんなこと言ってましたっけ?」
「言ってた言ってた。ま、一緒にお茶するぐらい仲良くなった相手なら別だけどね……。つまり私のこと! ね、私の弓もこんどやってね!」
「あ、そうだ! そういえばマリアさんの弓! 後で見るって言ってたのに! すいません、すっかり忘れていました」
「いいっていいって、大人気だったものね」
「申し訳ないです。次回しっかりやらせてもらいますね」
この場でやってもよかったのだが、さすがに喫茶店で弓をもち出すのは問題があるだろう。
「ふふふ、約束よ!」
マリアは軽快に笑う。そして興味深そうに尋ねる。
「で、あれ。具体的にどうやってるの?」
ミユキはティーカップを置き、説明を始めた。
「ええっと、魔力の流れを整理して、無駄を省くんです」
そして——つい、前世の知識が口をついて出る。
「プログラ……魔法陣って、ふつう、入力、処理、出力の三つで構成されてます」
慌てて言い直す。
「その処理部分に、無駄な条件分岐やループがあると効率が落ちるんです」
「へえ!」マリアは目を輝かせた。「そういう考え方があるのね」
「私、魔法はそれぞれこんな形! って感覚で使ってたから……そんな風に論理的に考えたことなかったわ」
◇
マリアはケーキを一口食べてから——少し遠い目をした。
「私、実はスラムの出身なの」
ミユキは少し驚いて、マリアを見つめた。
「貧しくて、魔法なんて学ぶ機会もなかった」
マリアの声は、静かだが——その奥に、深い思いが込められていた。
「でも、ある冒険者に拾われて……」
「その人が魔法を教えてくれたの。まあ、感覚で魔法を使う方法を、だけどね」
「その冒険者さんは?」ミユキは静かに尋ねた。
「五年前に亡くなった」
マリアは、少し寂しそうに微笑んだ。
「ダンジョンの奥深くで……私を守って」
窓の外、夕日がゆっくりと沈んでいく。
「だから、私は強くなりたいの」
マリアの緑色の瞳が、強い意志を宿す。
「もう、大切な人を失いたくないから」
◇
「マリアさん……」
ミユキは、その想いに胸を打たれた。
「あ、暗い話してごめんね」マリアは慌てて笑顔を作る。「でも、ミユキちゃんと話してたら、昔を思い出しちゃって」
「いえ、話してくれてありがとうございます」
ミユキは真剣な表情で答えた。
「私も……大切な人がいました」
心の中で、前世の兄の顔が浮かぶ。
『兄さん……元気にしてるかな』
前世の記憶——志藤隼人。プロレーサーの兄。
転生してから、会えなくなった家族。
『あの日の寂しさは……もう繰り返したくない』
魔動バイクに乗った夜——前世の兄を想って泣いた夜を思い出す。
『でも……前に進まなきゃ』
『兄さんも、きっと——私が前を向いて生きることを望んでる』
ミユキは、少し微笑む。
『今は、ヴェルナー家の家族がいる。セシリアやエドワードもいる』
『そして——マリアさんのような新しい友達もできた』
『兄さんへの想いは消えないけど……それを抱えたまま、前に進もう』
マリアは、ミユキの表情から何かを感じ取ったようだった。
「ミユキちゃんも、何か事情がありそうね」
「でも、冒険者は過去の詮索はしないわ」
そして——
「ただ、友達になりたいな、って思って」
マリアは、明るい笑顔で手を差し出した。
ミユキは微笑んで、その手を握る。
「私もです。よろしくお願いします」
二人の握手——そこには、確かな友情の始まりがあった。
『セシリア達幼なじみは……そう、家族の延長線上にいる友達』
『幼い頃から一緒で、魔法の研究も一緒にして』
『家族のように親しい、大切な存在』
そして——
『マリアさんは……全く違う』
『初めて、外の世界で出会った友達』
『私が自分の力で築いた、新しい繋がり』
『「家族の一部」のような友達と、「自分で選んだ」友達』
その違いは——ようやく外の世界に枝葉を伸ばし始めたミユキにとって、大きな意味を持っていた。
◇
ハーブティーを飲みながら、二人は魔法の話を続けた。
マリアの感覚的な魔法と、ミユキの論理的な魔法——対照的だが、だからこそ互いに学べることが多い。
話しているうち、窓の外はだんだんと暗くなっていった。
二つの月——グローセモントとクラインモントが、夜空に浮かんでいる。
「ミユキちゃん、これからもギルドに来る?」マリアが尋ねた。
「はい。週に一度くらいは行けたらなって思っています」
「じゃあ、会えるね」マリアは嬉しそうに微笑んだ。「また魔法の話、聞かせてね」
「もちろんです」
マリアは少し真剣な表情になった。
「それと……レオンの事だけど……」
「え?」
「あの人、無愛想だけど優しいから」マリアは小声で言った。「きっと、ミユキちゃんのこと気に入ったわ」
「そうなんですか?」
「ええ。あの人、滅多に人を認めないから。ふふふ、気を付けてね」
マリアは意味ありげに微笑んだ。
◇
カフェを出ると、夕暮れはもはや夜に近い。
「じゃあ、私は帰るわ。帰り道、魔動バイクでしょ、まだ町の閉門には間に合うけれど、もう暗いから気をつけてね」マリアが手を振る。
「はい。また来ます」
「待ってるわ」
二人は別れ、ミユキはジルバーヴィントへと向かった。
銀色の車体が、月明かりに照らされて輝いている。
『ここまで遅くなるつもりはなかったんだけれど、念のため魔導前照灯を準備していてよかったわ』
◇
魔動バイクのエンジンが、滑らかに始動する。
魔導前照灯が夜の道を照らし出す。
夜の町を走り出す——風が冷たくて心地よい。
しかし、ひとり暗い夜道を走っているミユキの心に、今日のグスタフの言葉がふと蘇ってくる。
ミユキは、ジルバーヴィントの速度を落とした。
——『お前、何者だ?』
——『お前の魔力……普通じゃねえ』
『私、自分から言ってしまった。「前世の……」って』
罪悪感が、胸を圧迫する。
『家族に話すより先に——他人に知られてしまった気がする……』
『お父様、お母様に、まだ伝えてない』
『でも、もし知られたら……怖い』
自分を娘だと信じてくれている——あの厳しく理性的な父。暖かく優しい母。
『でも……グスタフさんは詮索しなかった』
『「信用できる」って言ってくれた』
『だから……きっと、大丈夫なんじゃないだろうか』
ミユキは、夜の道を走りながら、心の中で葛藤していた。
『うーん……』
『グスタフさんとの関係を大切にしたい』
『でも、本当に大切なのは——お父様とお母様』
『いずれ、告白しなきゃいけない』
『もう時間がない気がする』
夜の道が、いつもより長く感じられた。
◇
屋敷の門をくぐると、使用人たちが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
セバスチャンの落ち着いた声が、ミユキを迎える。
だが——セバスチャンの目には、わずかな懸念が浮かんでいた。
『お嬢様の表情が……いつもと違う』
「ただいま、セバスチャン」
ミユキは微笑んだが、その微笑みには——何かが欠けているようだった。
玄関に入ると、母のカタリーナが心配そうに駆けつけてきた。
「ミユキ、無事で何より。暗くなっても戻らないから心配していたのよ」
その青い瞳は、安堵に満ちている。
「それで、どうだったの?」
「遅くなってすみません。とても良かったです」ミユキはすこしだけ固い微笑みで答えた。「冒険者ギルドと協力関係を結びました」
◇
その時——二階の書斎から、父のエルヴィンが降りてきた。
「ほう、ギルドと協力、か」
その声には、わずかな驚きと——そして、満足の色があった。
「グスタフに会ったのか?」
「はい。オットーさんの紹介で」
「グスタフは信用できる男だ」エルヴィンは頷いた。「昔、何度か世話になった」
「お父様も冒険者と関わりが?」ミユキは少し驚いて尋ねた。
「ああ。領地防衛には冒険者の協力が不可欠だ」
エルヴィンは、真剣な表情でミユキを見つめた。
「ギルドとの関係を深めるのは良いことだ」
「ありがとうございます」
「だが、無理はするな。こんなに遅くなるようなら、その場で冒険者に依頼してかまわんから、この館へ知らせをよこすようにしなさい」
父の声には、娘を想う優しさが込められていた。
「はい、すみません。お父様……」
「何かあれば、すぐに言いなさい」
「はい……」
受け答えはいつも通りだ。だが、父と母は、ミユキの微笑みの裏側に潜む違和感を、確かに感じていた。
◇
自室に戻ったミユキは、ベッドに座り、あらためて今日の出来事を振り返った。
『冒険者ギルド……想像以上に面白い場所だった』
グスタフの豪快さ、レオンの鋭さ、マリアの明るさ——みんな、それぞれに魅力的だった。
しかし——
『グスタフさんは、私の「異質さ」に気づいてた』
『でも、詮索しなかった。信用してくれたんだ』
『レオンさんも、鋭い人だった』
『マリアさんは……良い友達になれそう』
窓の外を見ると、二つの月が輝いている。
『でも……』
『でも…………』
ミユキの心は、完全には晴れていない。
『私は、グスタフさんに……転生者だってことを、半ば認めてしまった』
『でも、お父様とお母様には、まだ話してない』
『この秘密を、あの人たちより先に、他人に知られてしまった』
『怖い』
ベッドに横になり、固く身体を抱きしめながら、ミユキは自分の心と向き合っていた。
『いずれ、告白しなきゃいけない』
『それは、分かってる』
『でも、もし……受け入れてもらえなかったら?』
『もし、領地の人たちに知られたら?』
不安と恐怖が、心を占める。
『でも……グスタフさんは信用してくれた』
『だから——きっと、大丈夫だって、そう信じたい……』
『でも……保証があるわけじゃない……』
『私ったら、「でも」ばっかりだ……』
ミユキの思いは、ぐるぐると出口のない悩みに巻き込まれ、長く続いていた。
◇ ◇
その頃——
町の宿屋の一室で、マリアは小さな魔導具を取り出していた。
通信用の魔導具——手のひらに収まる小さなもの。
魔力を注入すると、淡い光が灯る。
だが——マリアは、それをじっと見つめたまま、動かなかった。
『報告……すべきよね』
いつもなら、すぐに通信を開始するのに——今日は、躊躇していた。
『ミユキちゃん……いい子だったな』
『……報告しなきゃ』
マリアは、一瞬だけ躊躇する——だが、すぐに魔導具に魔力を注入した。
「報告を」
低い、機械的な声が聞こえた。
「ヴェルナー侯爵家の次女、ミユキ・フォン・ヴェルナーに接触しました」
マリアの声は、いつもの明るさとは違う——任務報告の声だ。
「どうであった」
「……普通の、良い子です」
マリアは淡々と答えた。
「魔法陣の最適化能力は確かに高いですが……特に危険な様子はありません」
組織の声は、冷たく命令する。
「引き続き監視を続けろ」
「……分かりました」
通信が途切れる。
マリアは、長いため息をついた。
窓の外を見つめる——二つの月が、静かに輝いていた。
胸の奥に、小さな痛みが広がる。
『ミユキちゃん、明るくて、純粋で……私を友達だって言ってくれた』
『そんな子を、監視してる……?』
マリアの心に、疑問の種が芽生えた。
『私、間違ってるのかな……?』
その問いかけは——まだ答えを見つけられずにいた。




