家族団欒の夜
### 2-13 家族団欒の夜
回復から六週間が経った夜。夕食後、ヴェルナー家の家族はいつものように暖炉の前に集まっていた。
暖炉の火が揺れる音だけが静かに響く。温かく、穏やかな時間。
◇ 六週間の軌跡
ミユキは暖炉の火を見つめながら、この六週間を振り返っていた。
最初の朝食——家族が回復を喜んでくれた温かさに、涙が出そうになったあの日。
マルタとアンナが夜遅くまでお夜食を用意してくれて、ヘルガと一緒に厨房で料理をしたこと。
姉のソフィアが社交界での心得を、兄のフリードリヒが護身術を教えてくれた日々。
父と一緒に領地を巡り、人々の暮らしに触れた経験。
母と過ごした静かな刺繍の時間——「困ったときは一人で抱え込まないで」と言ってくれた優しい言葉。
そして、庭師のオットー、執事のセバスチャン、幼馴染のエドワードとセシリア——たくさんの人々が、自分を支えてくれた。
『あの頃の私は、戸惑っていた。この世界で生きていけるのか、家族として受け入れられるのか、不安だった』
でも今は違う。
『ここが、私の居場所だ。この家族が、私の家族だ』
六週間という時間は、ミユキの心を確かに変えていった。
戸惑いから、希望へ。
不安から、喜びへ。
そして今——確かな決意へと——。
◇
「今日の訓練は大変でしたよ」
フリードリヒが笑いながら話し始める。
「騎士団の副団長殿が直々に指導してくださったんですが……あまりの厳しさに、他の見習いたちが次々と倒れていって」
「あら、あなたは大丈夫だったの?」
カタリーナが心配そうに尋ねる。
「もちろんです。最後まで立っていたのは僕だけでした」
フリードリヒは胸を張る。その様子を見て、ソフィアが微笑む。
「相変わらず頑張り屋さんね。でも、無理はしないでね」
「姉上こそ。社交界で忙しいでしょう?」
「ええ。最近、新しい侯爵令嬢が社交界デビューしたの。とても聡明な方で、お話ししていて楽しいわ」
ソフィアが嬉しそうに語る。社交界での出来事、新しい友人の話、流行のドレスのデザイン。
ミユキは姉の話を聞きながら、自分もいずれ社交界に出る日が来ることを考える。
『学園入学の前に、社交界デビューがあるんだっけ……』
少し緊張するが、姉がいるなら大丈夫だろう。そう思えた。
「ミユキ、お前の研究はどうだ?」
父エルヴィンが優しい声で尋ねる。
「はい。魔法陣の最適化理論は、だいぶ形になってきました。あとは実証実験を重ねて、実用レベルまで引き上げたいと思っています」
ミユキは専門的になりすぎないよう、簡潔に報告する。
「そうか。アルノルト先生からも、お前の才能は素晴らしいと報告を受けている」
エルヴィンは満足そうに頷く。
「我が家の子供たちは皆、優秀だな」
エルヴィンが珍しく笑顔を見せる。普段は厳格な表情が多い父だが、こうして家族と過ごす時間には、柔らかい表情を見せる。
「あなた、照れてるわね」
カタリーナが夫をからかうように笑う。
「照れてなどいない」
エルヴィンは慌てて表情を引き締めるが、すぐにまた笑みがこぼれる。
家族の笑い声が、暖炉の音に混じって邸宅に響く。
◇
ソフィアが立ち上がり、ミユキの隣に座る。
「ミユキ、学園に入ったら、本当の友達を見つけるのよ」
「本当の友達……ですか?」
「ええ。社交辞令だけの友達じゃなくて、心から信頼できる人。そういう人を、大切にしてね」
ソフィアはミユキの手を優しく握る。
「お姉様も、学園でそういう友達に出会えたの。だから、あなたにもきっと」
「姉様……ありがとうございます」
「姉上ばかりずるいぞ。俺からも言わせてくれ」
フリードリヒが少し拗ねたように割り込む。
「ミユキ、もし学園で護身術が必要になったら、いつでも呼んでくれ」
「よ、呼ぶんですか?」
「ああ。いつだって駆けつけるからな! それと、俺が教えた技、忘れるなよ。それと、もし剣を持つことがあれば、基本だけは覚えておけ」
フリードリヒは照れくさそうに笑う。
「騎士の兄として、妹の身を案じるのは当然だからな」
「兄様……ありがとうございます」
ミユキは涙が出そうになるのを堪える。
『この人たちは……本当に私を大切にしてくれている』
前世では一人暮らしで、誰も心配してくれる人はいなかった。兄の隼人だけが、たまに様子を見に来てくれたぐらいだ。
でも今は違う。
父も、母も、姉も、兄も。そして使用人たちも。
みんなが自分を大切にしてくれている。
「ミユキ」
カタリーナが優しく娘を呼ぶ。
「はい、お母様」
「最近のあなた、とても楽しそうね」
ミユキの心臓が跳ねる。
『まさか、前世持ちって気づかれてる……?』
「魔法の研究をしているときも、領地のことを考えているときも」
カタリーナは娘の目を見つめる。
「前は悩んでいるようだったのに。今は、まるで……自分の使命を見つけたみたい」
その言葉に、ミユキは安堵する。
「はい……やっと、自分にできることが分かった気がします」
「それは良かったわ。母として、嬉しい」
カタリーナはミユキを優しく抱きしめる。
温かい。本当に温かい。
エルヴィンも、ソフィアも、フリードリヒも、みんな笑顔でミユキを見守っている。
ミユキの胸に、熱いものが込み上げる。
◇
「さあ、もう遅い。明日も早いから、そろそろ休みなさい」
カタリーナの言葉に、子供たちは素直に頷く。
「おやすみなさい、お父様、お母様」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
◇
自室に戻ったミユキは、窓辺に立って夜空を見上げた。
二つの月が空に浮かんでいる。前世の地球にはなかった光景。
『私は……この世界で生きている』
志藤美幸ではなく、ミユキ・フォン・ヴェルナーとして。
でも、それは不幸なことではなかった。
むしろ——
『前世では失っていたものが、ここにある』
家族の温かさ。
誰かに心配され、誰かに必要とされる喜び。
自分の知識が役に立つ実感。
そして——居場所。
『この六週間で、私は確かに変わった』
最初は戸惑っていた。二つの記憶に混乱し、この世界で生きていけるのか不安だった。
でも、家族が受け入れてくれた。
使用人たちが支えてくれた。
アルノルト先生が魔法を教えてくれた。
領地の人々が、自分の提案を喜んでくれた。
一つ一つの出来事が、ミユキの心を確かなものにしていった。
『もう迷わない』
ミユキは、胸に手を当てた。
そこには、確かな決意がある。
『この家族を、守る』
『この世界を、より良くする』
『プログラマーとして、魔法使いとして——私にできることをする』
前世の知識と、この世界の魔法。
その両方を持つ自分だからこそ、できることがある。
魔法陣を最適化し、世界をより便利にする。
領地の人々の暮らしを改善する。
そして——
『この世界を、バグフリーにする』
プログラマーとしての誇りと、この世界で生きる者としての責任。
その両方が、ミユキの中で一つになった。
『前世では、私は何も守れなかった』
デスマーチに追われ、孤独で、突然死んでしまった。
兄にさえ、ちゃんとした別れを告げられなかった。
『でも、今度は違う』
『今度こそ、大切なものを守る』
『もう二度と、失わない』
夜風が銀髪を揺らす。
ミユキは、強く拳を握りしめた。
この決意は、もう揺るがない。
家族が、この世界が、自分を受け入れてくれたから。
だから今度は、自分が家族を、世界を守る番だ。
『私は、ミユキ・フォン・ヴェルナー』
『志藤美幸でもあり、ミユキ・フォン・ヴェルナーでもある』
『二つの人生、二つの記憶——その全てを使って、この世界で生きていく』
窓の外、星空が美しく輝いている。
ミユキは、静かに微笑んだ。
新しい人生の、本当の始まり。
これから先、どんな困難が待っていようとも——
もう、迷わない。
『さあ、行こう。私の道を』
ミユキは、窓を閉じて部屋の中に戻った。
明日からまた、魔法の研究が始まる。
そして二年後には、王立魔法学園への入学が待っている。
新しい出会い、新しい冒険、新しい挑戦。
全てを、楽しみながら。
全てを、全力で。
『悪役令嬢になんて、ならない』
ミユキ・フォン・ヴェルナーの物語は、今ここから本当に始まる。
◇ ◇
その夜、エルヴィンとカタリーナは暖炉の前に残っていた。
「あの子たちは……本当に良い子に育ったな」
エルヴィンが静かに呟く。
「ええ。特にミユキは……何かが変わった」
「気づいているのか」
「母親ですもの。でも……」
カタリーナは暖炉の火を見つめる。
「理由は問わないわ。今のあの子が、私たちの娘。それで十分」
「そうだな……」
エルヴィンも同意する。
「セバスチャンにも、よく見守るよう伝えてある」
「ありがとう。あなたは口下手だけど……優しいわ」
カタリーナは夫の手を握る。
二人は静かに暖炉の火を見つめる。
家族の絆。守るべきもの。
この平和な日常が、どれほど貴重なものか。
そして——。
この平和が、やがて脅威に晒されることを。
今はまだ、誰も知らない。
暖炉の火が、静かに揺れていた。
**あとがき**
ここでひとまず 第二章 ー完ー となります。
続く第三章では、本作の三大要素のうち一つがようやく登場する予定です。おたのしみにー。




