庭園での魔法実験と庭師オットー
### 2-11 庭園での魔法実験と庭師オットー
回復から四週間が経った頃、ミユキは書斎での理論研究だけでは物足りなくなっていた。
アルノルト先生との授業も、もはや教えることはないと言われている。魔法理論書は片っ端から読破した。魔法陣の構造は完璧に理解した。
だが——それはあくまで「理論」だ。
『プログラムだって実際に動かしてみなくっちゃ。ちゃんと動いていないと意味がない……』
前世のプログラマー経験が、ミユキにそう告げていた。
午後の陽光が差し込む庭園。広大な敷地の一角、母の薔薇園から少し離れた場所をミユキは選んだ。
「ここなら、多少派手にやっても大丈夫よね」
アンナに持ってきてもらった魔導インクと専用の羊皮紙を広げる。それから、深呼吸。
まずは基本の火魔法陣から。アルノルト先生が教えてくれた標準的な設計図を思い出す。
だが、ミユキは標準版をそのまま使わない。プログラマーの癖で、つい最適化してしまう。
「この条件分岐、もっとシンプルにできる。魔力の無駄なループもゴリゴリに削除して……それに、入力層と処理層をもっときれいに分離して……」
魔導インクが羊皮紙に流れるように文字と図形を描いていく。前世のコーディング経験が、ここでも活きる。
『威力の定義って変数化できないかな。そうすれば同じ魔法陣で小火球から大火球まで対応できる。関数のパラメータみたいにできれば……』
完成した魔法陣は、この世界で使われている標準的なものより三割ほどシンプルだった。中心部に入力層、その周囲に処理層、外縁部に出力層——簡素ではあるが構造化されたデザイン。
「理論上は……これで動くはず」
魔法陣の中心部、入力ポイントに指先を当てる。自分の中の魔力を感じ取り、ゆっくりと注入していく。
魔法陣が淡く発光した。
「いける……!」
その瞬間——。
魔法陣から放たれた火球が、予想の数倍の威力で飛び出した。
「ぶわっ!?」
庭園の芝生を焦がし、木の幹を黒く染め、ミユキの前髪をわずかに焦がして——ようやく消えた。
「ちょ、ちょっと! 出力の計算、間違えた!?」
慌てて魔法陣を見直す。構造は正しい。条件分岐も問題ない。
『あ……魔力の供給量を制御する部分、圧縮しすぎた……』
プログラムで言えば、バッファサイズの指定ミス。効率化を優先しすぎて、安全マージンを削りすぎたのだ。
『監視層がない。エラーハンドリングの機構を追加しないと……』
「デバッグが必要ね……」
新しい羊皮紙を広げ、魔法陣を修正する。今度は出力制限の部分を二重にして、フェイルセーフも追加。最外周に監視層を配置し、異常な魔力の流れを検知したら自動で魔法を停止する仕組みも組み込んだ。
二度目の実験——。
今度は適切な威力の火球が生成され、狙った場所(すでに焦げた地面)に着弾した。
「成功……!」
だが、喜びも束の間。三度目の実験で、今度は魔法陣が暴走しかけた。魔力の逆流が起き、危うくミユキ自身が怪我をするところだった。
「むぅう……なんだろう、理論通りにいかない……!」
四度目、五度目——。
試行錯誤を繰り返すうち、庭園の一角は無残に焦げ、土が黒く変色していった。
「あー、……これ、結構派手にやっちゃった……」
ふと顔を上げると、遠くから誰かがこちらを見ているのに気づいた。
灰色の作業着を着た、日焼けした老人。剪定鋏を手に、静かにこちらを見つめている。
庭師のオットー・ベックだ。
『やばい……怒られる……』
ミユキは慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「あ、あの! すみません! 庭を焦がしてしまって……」
オットーはゆっくりと近づいてきた。その足取りは重く、ミユキの心臓もドキドキと高鳴る。
彼は焦げた地面をしゃがんで観察し、それから立ち上がってミユキを見た。
「……お嬢様の研究なら」
低く、しわがれた声。
「気になさらず」
「え……?」
「この程度、すぐに修復できます。それより——」
オットーは、ミユキが広げた魔法陣の羊皮紙を見下ろした。
「面白い魔法陣ですな。従来の陣図面とは違う。独自の研究ですか?」
「あ、はい……魔法陣を、もっと効率的にできないかと思って」
「ふむ」
オットーは興味深そうに魔法陣を見つめた。そして——小さく笑った。
「若い頃、わしも似たようなことをしましてな」
「え?」
「魔法植物の成長を促進する魔法陣を研究していた時期がありました。何度も失敗して、温室を焦がしましたよ」
ミユキは驚いた。寡黙で、いつも黙々と庭の手入れをしているオットーが、なんと魔法の研究者だったなんて。
「オットーさん、魔法植物の研究を?」
「ええ。もう三十年以上前のことですが」
オットーは懐かしそうに目を細めた。
「お嬢様が研究に熱心なのは、良いことです。失敗を恐れず、試行錯誤を続けること。それが研究者の本分」
「でも……庭を……」
「構いません。むしろ、お嬢様の実験の場として、この一角を使ってください」
「本当ですか!?」
「ええ。ただし、条件がひとつ」
オットーは真面目な顔で言った。
「実験の前には、必ずわしに声をかけてください。安全のため、見守らせていただきます」
「はい! ありがとうございます!」
ミユキは嬉しさのあまり、深々と頭を下げた。
その後、オットーは焦げた地面に特殊な魔法植物の種を蒔いた。
「この『再生草』は、傷んだ土壌を浄化し、一週間ほどで元に戻してくれます」
「すごい……そんな植物があるんですね」
「魔法植物は奥が深いですよ。お嬢様の魔法陣研究と組み合わせれば、面白いことができるかもしれません」
オットーはそう言って、懐から小さな本を取り出した。
「これは『魔法植物図鑑』の写本です。わしが若い頃に書き写したもの。よろしければ、お嬢様に」
「いただいても良いんですか?」
「ええ。どうせわしは老い先短い。知識は若い世代に引き継がれるべきです」
ミユキは大切に本を受け取った。ページをめくると、色とりどりの魔法植物のイラストと、詳細な説明が記されている。
『これは……貴重な資料だ』
「オットーさん、本当にありがとうございます」
「お礼には及びません。それより——」
オットーは再びミユキの魔法陣を見た。
「この魔法陣、出力制限の部分に改良の余地がありますな。よろしければ、わしの知識を少しお伝えしましょうか」
「ええっ! ぜひ、お願いします!」
オットーは羊皮紙に簡単な図を描いた。
「魔法陣は、こう考えるとよい。受容、変換、発現、そして調律。四つの層で構成されるべきです。お嬢様の魔法陣には、調律の層が薄い」
「四つの層……!」
ミユキは目を見開いた。アルノルト先生の教えとは表現が違うが、層というのは彼女の考えに近い。
それはまるで、ソフトウェアアーキテクチャの層構造のようだ。
「調律層は、魔法陣全体を見守り、異常があれば介入します。人間の体で言えば、免疫システムのようなもの」
『エラーハンドリング層……try-catchブロックだわ!』
その日から、ミユキとオットーの交流が始まった。
午後になると、ミユキは庭園の実験エリアで魔法陣の試作を繰り返す。オットーは黙って見守り、時折的確な助言を与える。
寡黙だが、その知識は深い。魔法植物だけでなく、古い魔法理論にも精通している。
ミユキは以前、厨房であったかまどの暴走を思い出す。
古典的な魔法は攻撃魔法から進化してきた。安全を考慮することは二の次だったのだろう。
もしオットーの言う免疫システムが一般の魔法陣につかわれていたならば、かまどの暴走のような事故は起こらなかったかもしれない。それだけ彼の理論は先進的だったのだ。
『それがまさか魔法理論の専門家ではなく庭師をしているなんて……。』
『こんなところに魔法の先生がいたなんて驚きだわ。人は見かけによらないっていうけれど、本当ね』
◇
ある日、ミユキが複雑な魔法陣の設計に悩んでいると、オットーがこう言った。
「お嬢様。魔法陣は『生き物』のようなものです」
「生き物……ですか?」
「ええ。完璧に設計しても、実際に動かすと予想外の動きをする。それは魔力が『流れる』ものだから。水の流れのように、予測しきれない」
『プログラムでいえばランタイムエラーのこと? ううん、それより、魔力が『流れる』ものってほうが重要ね……予測しきれない流れ……』
ミユキは目を輝かせた。
「だから、実験が大切なんですね」
「その通り。理論だけでは見えないものが、実験で見えてくる」
オットーの言葉は、ミユキの研究に新たな視点を与えた。
プログラマーとしてのミユキは、コードを「完璧」にしようとする癖がある。バグを全て潰し、エラーハンドリングを完璧にする。
だが、魔法は違う。完璧な設計図があっても、魔力という「生きた」エネルギーを扱う以上、予測不能な要素が残る。
『だったら……エラーが起きることを前提に、柔軟に対応できる構造にすればいい』
それはまるで、例外処理を組み込んだプログラムのように。
『そして、威力や範囲を「変数」として扱えば……一つの魔法陣で複数の用途に対応できる。よく使う処理は「関数」として独立させて、再利用可能にする』
ミユキの頭の中で、プログラミングの概念と魔法理論が融合していく。
これが後に「プログラマブル魔法陣」と呼ばれる、革新的な魔法体系の基礎理論となる。
ミユキの魔法陣設計は、オットーとの交流を通じて、一段と進化していった。
「オットーさん、また明日もよろしくお願いします」
「ええ。お嬢様の研究、楽しみにしております」
寡黙な老庭師は、そう言って静かに微笑んだ。
夕日が二人の影を長く伸ばし、再生草の若葉がそよ風に揺れていた。




