兄フリードリヒと訓練場にて
### 2-8 兄フリードリヒとの訓練場にて
翌日の午後、回復してから約二週間が経過した頃——ミユキは書斎で魔法理論の本を読んでいた。
そこに、兄のフリードリヒが訪ねてきた。
「ミユキ、ちょっといいか?」
「お兄様? どうされました?」
フリードリヒは、少し照れくさそうに頭を掻いた。
「その……昨日、ソフィア姉さんがお前と二人きりでお茶会をしてただろう?」
「はい」
「姉さんは社交界のことや、ドレスの選び方をお前に教えるって言った」
フリードリヒは真剣な表情になった。
「じゃあ、俺は何を教えられるかって、考えたんだ」
「……?」
「護身術だ!」
フリードリヒは力強く宣言した。
「俺は、将来騎士になる。剣と護身術は俺の得意分野だ。だから、お前にも基本的な護身術を教えたい」
ミユキは驚いた。
『護身術……』
前世の美幸は、兄の知り合いの格闘技マニアから護身術を教わっていた。女性が一人暮らしをするなら、せめて護身術ぐらい覚えておけ、と隼人に言われて。
その記憶が蘇る。この世界の兄フリードリヒの言う通り、こちらでも学んでおいたほうがいいかもしれない。
「お兄様……ありがとうございます」
「おう! じゃあ、訓練場に行こう!」
フリードリヒは嬉しそうに、ミユキの手を引いた。
◇
ヴェルナー家の訓練場は、広大な中庭の一角にあった。
騎士見習いたちが日々鍛錬する場所で、武器庫も隣接している。
「ここが訓練場だ。俺もここで毎日稽古してる」
フリードリヒは胸を張った。
訓練場には、的や訓練用の人形が並んでいる。
「まずは、俺の剣術を見てもらおうかな」
フリードリヒは訓練用の剣を手に取り、構えた。
そして——一瞬で動いた。
シュッ、シュッ、シュッ!
剣が空気を切り裂く音が響く。
訓練用の人形が、見事に斬られた。
「おお……!」
ミユキは思わず拍手した。
フリードリヒは剣を下ろし、照れくさそうに笑った。
「まあ、まだまだ父さんや騎士団の人たちには敵わないけどな」
「凄いです、お兄様!」
「ありがとう。じゃあ次は、お前の番だ」
「え?」
「護身術の基本を教える。まずは構えから」
フリードリヒはミユキの前に立ち、手本を見せた。
「足を肩幅に開いて、重心を低く。こうすると、バランスが取りやすい」
ミユキは見様見真似で構えた。
その瞬間——前世の記憶が体を動かした。
自然と、完璧な構えになってしまった。
「……おお?」
フリードリヒが目を見開いた。
「お前……初めてなのに、その構え……完璧だぞ?」
『まずい……!』
ミユキは慌てて構えを崩そうとしたが、遅かった。
「試しに、俺の攻撃を避けてみろ」
フリードリヒは、ゆっくりとした動きで拳を繰り出した。
——そして、ミユキの体が勝手に動いた。
前世の護身術の記憶が、反射的に体を動かす。
拳を避け、カウンターの構えまで取ってしまった。
「……!」
フリードリヒは完全に固まった。
「お前……本当に初めてか?」
「あ、あの……その……」
ミユキは必死に言い訳を考えた。
「なんか……体が勝手に……」
「天才か!?」
フリードリヒは興奮した様子で叫んだ。
「反射神経が凄い! バランス感覚も完璧だ! お前、才能があるぞ!」
「え、えっと……」
「魔法だけじゃなく、体術も、きっと剣術もいける! 騎士の道も考えてみないか!?」
「い、いえ……私、戦うのは……ちょっと……」
ミユキは慌てて否定した。
『騎士はちょっと……前世ではプログラマーだったし、戦闘職は向いてない』
フリードリヒは少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。
「そっか。まあ、お前は魔法の才能があるからな。無理に剣の道を勧めるつもりはないさ」
「すみません……」
「いや、謝ることじゃない。それに、お前が騎士にならなくても、俺が守るから」
フリードリヒは力強く言った。
「もし誰かがお前に危害を加えようとしたら——俺が絶対に守る」
「お兄様……」
ミユキの胸が温かくなった。
『兄って……本当に妹を守ってくれるんだ』
前世の隼人もそうだった。いつも、美幸を気にかけてくれた。
そして、フリードリヒも同じだ。
「ところで」フリードリヒは話題を変えた。「お前、運動神経いいんだな。バランス感覚が特に」
「あ……はい。多分……」
『バイクレースの経験があるからかな』
ミユキは心の中で思った。前世では、兄の影響でミニバイクレースに出場していた。二輪車のバランス感覚が、この世界でも活きているのかもしれない。
「そういえば」ミユキは思い切って言った。「私、剣よりも……乗馬に興味があるんです」
「乗馬?」
「はい。馬に乗るのって、バランス感覚が大事だって聞きました。それに……」
ミユキは少し照れながら続けた。
「二輪……じゃなくて、四つ足の生き物と一体になって走るの、憧れるんです」
『本当は二輪のバイクが好きなんだけど……この世界にバイクがあるかどうか……』
フリードリヒは目を輝かせた。
「なるほど! 意外とお転婆じゃないか!」
「お転婆……ですか?」
「ああ! 俺も乗馬は得意だ。今度一緒に乗馬の稽古をしよう!」
「本当ですか!?」
「ああ! 約束だ!」
二人は笑い合った。
空は青く、風が心地よい。
訓練場での、兄妹の穏やかな時間だった。
◇
その後、フリードリヒは護身術の基本をいくつか教えてくれた。
掴まれた時の対処法、危険な場所の避け方、大声の出し方など——実用的な内容ばかりだ。
「これだけ覚えておけば、万が一の時も安心だ」
フリードリヒは満足そうに頷いた。
「ありがとうございます、お兄様」
「いや、こっちこそ楽しかったよ」フリードリヒは照れくさそうに笑った。「お前と一緒に訓練できて」
ミユキも微笑んだ。
「私もです」
その時、フリードリヒが真剣な顔で言った。
「ミユキ、お前が学園に行っても——何かあったら、すぐに俺に手紙を出せ——。俺が駆けつける。お前を守る。それが兄の役目だから……」
「は、はい……」
ミユキは思わず目を潤ませた。
『フリードリヒお兄様ったら、お兄ちゃんしてる、すごい』
——と、その時だった。
「ちょっと待ちなさい、フリードリヒ!」
突然、ソフィアが訓練場に現れた。
「姉さん!?」
「あなた、またミユキを独占してるわね!? 卑怯よ!」
ソフィアは怒った様子で、フリードリヒの前に立ちはだかった。
「独占って……俺は護身術を教えてただけだ」
「そういう問題じゃないの! 昨日のお茶会の仕返しでしょう!?」
「仕返しって……それは姉さんが勝手に……」
「とにかく! 今日はミユキとの時間を譲りなさい!」
「やだね! 俺とミユキはこれから乗馬の約束をしたんだ!」
「乗馬なら私も一緒に行くわ!」
「邪魔だ!」
「邪魔なのはあなたよ!」
二人の言い争いが始まった。
ミユキは、またしても置いてけぼりだった。
『……またこのパターン』
その時、セバスチャンが現れた。
「ソフィア様、フリードリヒ様。カタリーナ様がお呼びです」
「あ……」
「し、しまった……」
二人は、また母親に叱られるのを悟った。
「では、失礼します」
セバスチャンは、ミユキに目配せをしてから、二人を連れて行った。
ミユキは一人、訓練場に残された。
そして——小さく笑った。
『この家族……本当に賑やかだ』
前世の、静かすぎる生活とは大違い。
兄の隼人は、いつも仕事で忙しかった。二人きりで過ごす時間は少なく、お互いに気を遣い合っていた。
だが、今は違う。
賑やかで、時にうるさいくらいの家族。
だけど——温かい。
『ふふっ。兄って、どこの世界でも妹思いなんだ』
ミユキは、空を見上げた。
青い空に、白い雲が流れている。
『隼人兄さん……私、ちゃんと生きてるよ』
心の中で、前世の兄に語りかける。
『新しい家族もできた。みんな、温かくて優しいよ』
風が、ミユキの銀髪を優しく撫でた。
『いつか……また会えたらいいな』
ミユキは、静かにそう願ったのだった。
◇
その日の夜、ミユキは日記をつけていた。
前世の習慣を引き継いで、この世界でも日記を書いている。
『今日は、フリードリヒお兄様から護身術を教わった』
『お姉様は社交界のこと、お兄様は身を守る術——二人とも、それぞれの方法で私を守ろうとしてくれている』
『前世では、こんな風に家族に愛されることはなかった』
『だから——この家族を、絶対に大切にしよう』
ミユキは日記を閉じて、ベッドに入った。
窓の外から、月明かりが差し込んでいる。
静かな夜。
温かい家族。
新しい人生。
ミユキは、幸せな気持ちで眠りについたのだった。
**あとがき**
前回に引き続きこんどはお兄様編です。15歳のお兄ちゃん、頑張ってますね!




