第5話
リーネが家の中へ戻り、グラードと二人きりになる。
「ついて来い」
短く言って、家の裏手へ歩き出す。
住居の陰に隠れるように、小さな納屋が建っていた。
家畜を入れるほど大きくはないが、雨風は防げそうな造りだ。
グラードが扉を開ける。
中には干し草と農具が置かれている。
人が寝泊まりする前提ではないが、地面よりはましだ。
「今日は、ここだ」
拒絶でも、親切でもない。
ただの判断。
「家の中には入れない。人目につく場所にも置けん」
理由は語られない。
俺は黙って頷き、納屋に入った。
背後で、グラードの視線を感じる。
警戒だ。疑念だ。
だが、それだけでもない。
「荷を出せ」
言われるまま、ポケットの中身を地面に並べる。
財布、鍵、スマートフォン。
グラードの視線が、黒い板に留まった。
左手で軽く持ち上げ、裏表を見る。
「音と光が出る」
昨日のことを思い出し、何も言わず頷いた。
「使うな。この村では」
「わかった」
それ以上追及されなかった。
「水と着替えは、あとで持って来させる」
そう言って、納屋を出ていった。
扉が閉まり、足音が遠ざかる。
一人になる。
干し草の匂いが強い。
壁の隙間から、外の音がそのまま入ってくる。
――受け入れられてはいない。
だが、追い出されてもいない。
その中間。
干し草の上に腰を下ろし、深く息を吐いた。
しばらくして、再び足音。
扉が開き、若い女が立っていた。
リーネだ。
手には、布の束と木の器。
「着替えと、食べ物」
納屋の中には入らず、差し出す。
器の中は、固いパンと薄いスープ。
「ありがとう」
そう言うと、彼女は一瞬だけ視線を上げた。
「……コウ、だったわね」
確認するような口調。
「ああ」
「この村じゃ、姓で名乗る人はいない」
事実を伝えるだけの声音。
「貴族かと思ったけど……そういう感じでもない」
観察だ。
「違う」
短く答える。
それで十分だったらしい。
「森で、変なものに遭った?」
言葉を選んでいる。
「ああ……犬みたいな形だった。でも、普通じゃなかった」
リーネはそれを聞いて、小さく息を吐いた。
「……そう」
それ以上、何も言わない。
「今日は、ここで休んで」
「村の人とは、まだ話さなくていい」
「父さんが見るって言ってる」
それだけ告げて、扉を閉めた。
再び、静けさ。
干し草の上で、スープを口に運ぶ。
温かさが、体の奥に染みていく。
――名前のない世界に来た。
いや、
名前を知らないのは、俺だけなのだろう。
ここで、生き延びなければならない。
それが、今の現実だった。




