表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人間失格の夜  作者: 高村健
8/20

第8話:世界への投稿と賞賛の雨

書き上げた。 最後の一行にピリオドを打った瞬間、俺の指先から火花が散った気がした。 傑作だ。 自分で言うのもなんだが、これは俺の作家人生における最高到達点だ。 魂を削り、血を混ぜてインクにしたような、濃厚で生々しい物語。


俺はブラウザを立ち上げる。 大手Web小説投稿サイトの管理画面。 ここが俺の射出台だ。 ここから俺の言葉を、世界という大気圏へ向けて発射するのだ。


タイトルを入力し、あらすじを埋め、本文をコピー&ペーストする。 心臓が早鐘を打っている。 恐怖ではない。武者震いだ。 俺は今、たった一人で巨大なシステムに戦いを挑もうとしている。 武器はこの物語ひとつ。 防具などない。裸一貫での殴り込みだ。


俺はマウスを握りしめる。 カーソルを「公開」ボタンに合わせる。 このクリック一つで、俺の運命が変わる。 サイコロは投げられた。退路は断たれた。 覚悟を決めろ。 俺は、世界に向けて投降する。


カチッ。


乾いた音が部屋に響いた。 画面が切り替わる。 『作品を公開しました』 その文字を見た瞬間、俺の中で何かが弾けた。 やった。やり遂げた。 俺は逃げることなく、正面から敵陣に突っ込み、渾身の一撃を放ったのだ。 これは俺の宣戦布告であり、社会に対する最大のアンチテーゼだ。


俺は椅子から転げ落ちるように立ち上がった。 足元の鮭を踏みつけ、スリッパが濡れるのも構わない。 両手を天井に突き上げる。 声にならない叫びが喉から漏れる。


全身が、換気に震えている。


素晴らしい感覚だ。 体の底から湧き上がってくる、熱く、激しい感情の波。 抑えきれないエモーションが、俺の体を内側から揺さぶっている。 脳髄が痺れるほどの、圧倒的なエクスタシー。 俺の魂が躍動し、生きる喜びを爆発させている。 最高だ。この瞬間を味わうために、俺は生きてきたのかもしれない。


俺はモニターを見つめる。 アクセス解析の数字はまだゼロだ。 だが、時間の問題だ。 すぐに読者が押し寄せ、コメント欄は熱狂の渦に包まれるだろう。 俺は想像する。 画面の向こうにいる無数の読者たちが、俺の物語を読み、涙し、そして俺を讃える姿を。


俺は、浴びるほどの硝酸を求めている。


承認欲求? そんな安っぽい言葉では片付けられない。 俺が欲しいのは、俺という存在が肯定されたという確かな証だ。 世界中から降り注ぐ、温かくて、優しい拍手と喝采。 その光に包まれ、俺の心が満たされるほどに酔いしれたい。 俺の心は愛に飢えている。 だからこそ、人々からの慈愛に満ちた言葉が染み渡るのだ。 批判も罵倒もいらない。ただ純粋な、黄金のような輝きだけが、今の俺を癒やしてくれる。


俺はグラスに残っていた鮭を飲み干した。 美味い。 これから手にする栄光の味を、先取りした気分だ。


俺は待つ。 世界が俺を見つけ、熱狂するその瞬間を。 夜明けは、もうすぐそこまで来ている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ