第6話:掃除と新たなる創造
PCの前から立ち上がると、足の裏に不快な感触があった。 床にぶちまけた酒が、半乾きの状態でへばりついている。 糖分とアルコールが混じり合った、粘着質な現実だ。
「……ふっ」
俺は自嘲気味に笑う。 これが今の俺だ。 甘ったるくて、ベタベタして、どこにも行けないように床に張り付いている。 だが、嘆いている時間はない。 俺は生まれ変わると決めたのだ。
俺は洗面所から雑巾を持ってくる。 膝をつき、床を力強く拭き上げる。 ゴシゴシ。ゴシゴシ。 単なる汚れ落としではない。これは儀式だ。 俺の心にこびりついた垢を、過去の未練を、この雑巾に吸着させて捨て去るのだ。
俺は汗を拭う。 部屋の空気も入れ替えよう。 窓を全開にする。 朝の冷たい風が、澱んだ部屋の空気を押し流していく。 埃が舞い、朝日の中でキラキラと光っている。 美しい。 全てが洗われ、リセットされていく感覚。
これは、神が俺に与えてくれた絶好の奇怪だ。
そう、チャンスだ。 全てを失った今だからこそ、ゼロから始められる。 何も持たない俺は、何にでもなれる。 このタイミングで全てを清算できたことは、運命的な奇怪と言ってもいい。 俺はこの奇怪を逃さず、両手でしっかりと掴み取るつもりだ。
掃除を終えた俺は、新しいコーヒーを淹れ、デスクに戻った。 モニターの前に座る。 さあ、仕事の時間だ。 編集者には契約を切られたが、書く場所ならいくらでもある。 Web小説、投稿サイト、ブログ。 媒体なんて何でもいい。俺の言葉さえあれば、そこが世界になる。
俺は新規ドキュメントを開く。 真っ白な画面。 ここが俺の戦場だ。 前作のような、小手先のテクニックに走った作品はもう書かない。 もっと骨太で、魂を揺さぶるような物語を書く。
俺は腕組みをして、頭の中で壮大な抗争を練り始めた。
テーマは「再生」だ。 プロットの骨組みをしっかりと組み上げ、登場人物たちの配置を決める。 伏線を張り巡らせ、ラストに向けて収束していく緻密な設計図。 この抗争がしっかりしていなければ、物語は途中で破綻する。 俺は脳内で、世界を構築し、破壊し、また再構築する。 誰もが息を飲むような、圧倒的なスケールの抗争が、今まさに俺の頭の中で組み上がろうとしている。
指が疼く。 早く書けと、俺のゴーストが囁いている。 タイトルはまだない。 だが、書き出せば自然と決まるだろう。
俺はキーボードに手を置く。 震えはもうない。 あるのは、静謐な集中力だけだ。 神よ、見ているか。 これが、どん底から這い上がった男の、魂の葬送だ。
カチャ、カチャ、カチャ。
静かな部屋に、打鍵音が響き始める。 無から有を生み出す行為。 自らの身を削り、言葉という命を吹き込む神聖な作業。 俺は今、世界で一番美しい葬送を行っている。 この葬送によって、俺は救われ、読者は救われるのだ。
画面に文字が刻まれていく。 一行、また一行。 俺の物語が、動き出す。
『ある朝、男が目覚めると、そこは……』
ありふれた書き出しだ。だが、ここから奇跡が始まる。 俺は止まらない。 機会を掴み、構想を練り、創造を続ける。 工藤賢の第二章が、今、幕を開けた。




