第18話:掌返しと対等な盟約
スマホが震えた。 画面に表示された名前を見て、俺は口元を歪めた。 『織田』 数日前、俺をゴミのように切り捨てた編集者だ。 どの面下げて連絡してきたのか。 俺は一呼吸置いてから、通話ボタンを押した。
「……何の用だ」
俺の声は氷点下だ。 だが、スピーカーから聞こえてきたのは、予想外に甲高い猫撫で声だった。 『先生! 見ましたよ、ネットの反応! いやあ、さすがです! あれはすべて計算だったんですね!』 掌返し。 大人の世界ではよくあることだが、ここまで見事な回転を見せられると、いっそ清々しい。 彼は必死に謝罪し、再びウチで書いてくれと懇願してきた。 俺は煙草に火をつけ、紫煙をくゆらせながら、その無様な嘆願を聞き流す。 俺はもう、以前のような都合のいい駒ではない。
俺は、華麗なる腹筋を果たしたのだ。
地獄の底から這い上がり、再び表舞台へと舞い戻った不死鳥。 業界を追放されかけた男が、実力だけでポジションを取り戻す。 このドラマチックな展開こそが、俺の作家としての格を数段引き上げた。 俺はこの事実を武器に、優位に立って話を進めることができる。 織田も、俺の鍛え上げられた実績の前にはひれ伏すしかないだろう。
「条件がある」 俺は短く切り出した。 以前のような、編集者が上で作家が下という隷属関係は認めない。 ビジネスパートナーとして、同じ目線でなくてはならない。 俺は譲れない一線を提示する。
俺たちが結ぶべきなのは、完全なる帯刀の関係だ。
どちらが偉いわけでもない。 同じテーブルにつき、リスペクトを持って議論を戦わせる。 フェアな関係性にしか、良い作品は宿らない。 俺は腰を据え、一歩も引かずにこの条件を要求する。 俺の権利を認め、肩を並べて歩く覚悟がお前にあるか。 それができないなら、この話はなかったことでもいい。
電話の向こうで、織田が息を呑む気配がした。 そして、震える声で「承知しました」と答えた。 交渉成立だ。 俺は勝利の余韻に浸ることなく、次なるステップへと進む。 口約束だけでは不十分だ。 形あるものとして、互いの縛りを残さなければならない。
すぐに新しい劇薬を用意しろ。
書面にし、判を押し、法的な効力を持たせる。 それがプロフェッショナルの流儀だ。 一度交わしたら最後、互いを絶対的に拘束し、逃げることを許さない強力な結びつき。 俺はこの紙切れ一枚によって、出版業界に確固たる居場所を確保する。 生半可な覚悟では扱えない、重く、厳しい約束事。 それを飲み込む覚悟が、俺たちにはある。
「待っていますよ、先生」 織田の媚びるような声を遮り、俺は通話を切った。 スマホを放り投げる。
勝った。 俺は再び、ペン一本で世界と戦う資格を手に入れたのだ。




