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人生が輝くたったひとつの方法  作者: 無銘、影虎
プロローグ はじまりはいつも雨
9/31

009 長谷川薫

「……それが、会ってくれた理由ですか?」

 おそるおそる尋ねる。

「はい。そうです。それだけです」

 即答。そしてその表情に歓迎の色はない。

 もう、ここからの関係構築は無理だろう。


 だけど、少し安堵あんどがある。

 この乗り気でないミッションから降りられる。

 失敗は俺のせいじゃない。


 そう思うと、ある意味気が楽になった。


「そうじゃなかったら、メールもスルーですか?」

 多少の解放感から遠慮なく聞いてみる。少し表情もヘラヘラしていたかもしれない。


「すみません、スルーです」

 ストレートな物言い。それはそれで社会人として失礼な気がする。

 なら、こっちも。


「では先生は出版することに興味はないと?」

「はい、ありません。あの本はなかば強引に書かされたものです」

「そうでしたか」

「ですが、担当さんには興味があります。私と同じ名前のあなたが、どんな方なのか」

「じゃあ企画に興味をもっていただいたんじゃないんですね」

「……そうです」


 物書きってやっぱり変わっている人が多いんだな。ここまでずけずけという人とは仕事したことないけど。

 あとで楠木さんに顛末てんまつを報告して、「そあいうこともあるわよ」と慰められて、二人で笑い話として共有しよう。うん、それは楽しそうだ。


「そう……でしたが、企画にも興味がでてきました……」

 先生が少し躊躇ためらいつつも、そんなことを呟いた。


「え?」

 あまりにもナチュラルな「え?」を出してしまった。


「恋愛経験のない私が、恋愛をテーマにして書く、その考察と分析でっ!」


 先ほどとはうってかわって大統領就任演説のような堂々とした宣言。

 聞くに聞けないセンシティブな話題だったのに、わざわざむこうからの経験ゼロ宣言。


 こんなに美人なのに……。

 心の中でコンプライアンス違反を消化する。


「あなたのために書きます」


「は?」

 あまりにもナチュラルな「は?」を出してしまった。

「……で、では書いていただけると?」

 うっかり、そう言ってしまう。それはそれで仕事としては成果だ。楠木さんにも褒めてもらえる。


「書きますが、あなたの企画では書きませんっっ」

 先生は俺を肯定しているのか否定しているのか。

 大パニックだ。


「どゆこと?」

 心の中でつぶやいたつもりが、声に出た。もう口が閉まらない。いや、塞がらない。

「あなたの企画の強みは、著者の経験、人柄、プロフィール頼みだからです」

「なるほど」

 知ってるし、さっきもその話をした気がする。


「しかも、なんなんですか。このタイトル?」

 先生の興奮はおさまらない。


 ――『人生が輝くたったひとつの方法(仮)』


「えーと、いろいろ研究したんです」

 正直、SNS女性人気を獲得している、いわゆる信者の多い、イケてる著者ならこれでもいけると思うんだけど、そうじゃない先生には合わない。合わないのはわかってて書いた。


「却下します。ダサいです」


 はい。わかってます。自分もこういう本って誰が買うんだろうっていう苛立いらだちをもちながら、心を無にして書いたんです。


「それに嘘くさいです」


 意見が合いますね、先生。自分もそう思ってます。この手の本のタイトル、自分にまったく刺さらないんです。でも売れてるのは売れてるんです。


「臭いです」


 え? 実際に嗅覚を刺激していたの? そんなことある?


「息をするように世間をあざむく腐った大人の臭いがします」


 ドキリとした。


 俺が仕事のスキルだと思っていたこと。それは本当のところ自分でも受け入れられていない。でも、それがスキルではなく「妥協」だったこと、封印していた想いだった。

 実際の職場では、ある程度通じていた。自分が好きなことを形にする。それが編集者だと思っていた。だけど、「自分だけが面白い」は仕事にならなかった。正確にいうと、その「面白い」が何人いるかで商売が成立する。だから市場だのを見て仕事をする、という方向にシフトチェンジをすることになった。POSデータを見て、ここに漁場があるから釣り糸を垂らす。魚が少ないところに糸を垂らすのは勘違いしている新人のやることだ。なんて、、、。


 そんな俺が「腐った大人」?

 鋭利な鉄に胸を貫かれる感覚があった。


「もう、かんべんしてください」

 社交的な軽口ではない、ナチュラルな言葉。


「経験至上主義のパリピをたたきつぶします」


「え?」

 あまりにもナチュラルな「え?」を出してしまった(2回目)。

 いやいや、パリピって誰? え、俺?

 どうやら、盛大に敵対してしまったらしい。

 なのに、いっしょに仕事するの?


「でも、どうやって書くんですか……?……あの、恋愛経験ゼロだとさすがに……」

 もう失礼ではあるが、正直に言った。


「恋だの愛だのを書いたものはたくさんあるでしょうっっ」

 先生の興奮はおさまらない。声は大きくないが周囲を警戒させるほどの鋭い攻撃的口調。

 マジ、苦手。

 先生、俺は一緒にいて落ち着ける人と一緒にいたいです。

 たぶん、この考え多数派ですよ。


「あ、分析なさって、お書きになると」

 あほか。そんな本、前代未聞だ。どうやって宣伝するんだ。

『恋愛系自己啓発本を読みまくって、恋愛したことがない私がたどり着いた究極の恋愛論』みたいなタイトルで誰が買うんだ。


「そうです。ちなみに私はそういうものが嫌いでこれまでまったく触れてきていません!」

 なんてことを告白する。経験ゼロなうえ、コンテンツとしても避けて通ってきたのか。

 もう企画としては崩壊している。


〈それはオファーする相手が間違っているわ〉  

 という楠木さんの声が聞こえる。


「いや……無理しないでください」


「いいえ、私はあなたを必ず屈服させます。最高の恋愛指南書を書きますっ」


 ※  ※  ※


 思いもかけない展開になってしまった。先生は研究のために、まず2週間必要だとおっしゃられた。

 必要な資料はこちらで用意しますと申し出たが、なぜか断られた。

 自分の手を借りるのが嫌なのだろうか。資料の購入は会社の経費なので別に俺の負担はないのだが。


 この報告は楠木さんにとっていいものなのだろうか、悪いものなのだろうか。

 それだけが、とても気になる。

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