037 様子がヘン
先生のお祖父さんの詩画集の自費出版はあっさり承認された。付き合いのある作家の頼みでもあるし、一般展開が必要ないということで、制作費だけが検討案件で、それもとくに営業利益をどれだけ出せとは言われなかった。ただし、新田からは「片手間でやってくださいね。仕事としては評価できませんから」と釘を刺された。
まあ、そうだろう、利益は出るが、それほどじゃない。進行管理とクライアントの要望をしっかり聞く。それだけだ。
というわけで、その報告とスケジュールなど諸々を雨宮先生と話さなくてはなのだが。
気まずい。
〈あなたが、ずっと心の中にいます!!〉
そう言われてしまった。
もう恋してます宣言と思う。
バキ童先生からは、先生は人間関係と経験がなさすぎて、世の中に俺しか男が存在していない世界で大いなる勘違いをしている、と言われた。
つまり、あれか。最初に見たものを親と認識する鳥だかなんだかの話?
たしかに、学生時代なんて、クラスでいちばんカワイイ子にみんな初恋するみたいな、井の中の蛙恋愛があるようだし。俺にも心当たりはある。ただし、その子がクラスでいちばんカワイイ子だったかどうかは全員にアンケートをとったことがないからわからない。
やれやれ。意識し過ぎか。
ふつうにしよう。
とはいえ、一度対面の打ち合わせをしてしまっているので、またオンラインに戻るのはどうなんだろうか。そして、業務中にオンライン打ち合わせを入れるのはどうなんだろうか。新田が「片手間といったでしょう!」とか言ってこないか。
めんどうくさい。
先日のように、休日に先生の部屋で打ち合わせがいいんだけど。作品を見せてもらいながら話ができるし、通常業務を削ることもない。新田から文句はないだろう。俺は土日なんて本を読むか、映画を観るかくらいだから、1、2時間使うのもなんでもない。それに仕事の緊張感はそれほどでもないから、休日にやっても問題ない。
よし、そうしよう。次の土曜日だ。
俺は会社のPCから先生にその旨メールを送る。
だが、その返信は俺の帰り際にやっときた。先生にしてはずいぶん遅い。
〈わかりました。お食事はどうなされますか? 買い出しに行きますので〉
あれ??
なんで?
お時間は先生の都合に合わせます、と伝えました。食事が前提なんですか。いや、打ち合わせなんですけど。
あわてて、「いえ、食事は大丈夫です。お構いなく。何時頃にしましょうか」と返す。
〈19時くらいだと早いでしょうか? 何か召し上がりたいものがありますか?〉
かみあっていないようだ!!!!
どうしよう。どうしよう。もう仕事じゃなくなってる!
返信が難しい。もう一度断ったら、とても傷つけそうな気がする。ちくしょう、お時間おまかせしますって言ったら、一日中フリーといっているようなもの。前後に用事があるフリをして、「すみません、この時間しか空いていないのですが」から入ればよかった。
詰んだ。詰んだな……。
「先生にお任せします!!!!」
と、よくわからないテンションで返信してしまった。
これは、やっぱり?
三鷹のアパートに戻る。
門のすぐ脇に二階にあがる階段がある。
右手は一階の住人にだけある小さな庭がある。左手は一階住人の玄関。こちらは庭よりも広い敷地があって、倉庫やら花壇やらがある。普段の生活において、左側は視界に入らない。
だけど、今晩はなんとなく気になって、一階の様子をうかがってしまう。
一階の住人といえば、大家である雨宮先生と、その友達の三田園裕子が住んでいることしか知らない。二階は四部屋あるが、一階には三部屋しかない。大家さんの部屋だけ倍の大きさがあるのだろう。つまりここの住人は大家をのぞいて、6人というわけだ。正直、引っ越してきてから住人は誰とも会っていない。
ちらっと、覗き込むと。
先生が表に出ている!!
俺はとっさに身を隠す。隠す必要はないと思うが、なぜか反射的に動いた。
何をしているんだ。エプロンをしていたような。まさか、俺のために作る料理を考えすぎて頭を冷やしていたのか。そういえば考え事をしていたような。
まずいまずいぞ。
ここで俺がこんなに意識してしまってどうする!
ふつーだ。ふつー。なんでもない、これまでを取り戻すんだ!
俺はさっと飛び出して、
「あ、先生。こんばんわ!」
すごくハキハキした挨拶。ふつーじゃない俺。
そして、それ以上に動揺している先生。
口を抑え、もじもじとしだす。
「お、お、おかえりなさい!!」
これまたいつもにない絶叫のようなあいさつ。
そして、そのまま駆け込むように部屋に入ってしまった。
事態が悪化している気がしてならない。
だめだ。先生は〈はじめて見た男に恋をする〉ヒヨコなんだ。バキ童先生曰く。
この魔法をすぐに解かなくてはならない。
次の土曜日までに、作戦を。
……いや、どうすれば?
※ ※ ※
「は? 傷つけないで俺をあきらめてほしいってこと!?」
春日ヒカルは不快感をたっぷり込めて言った。
水曜日の夜21時。
吉祥寺のコメダ珈琲。先生とはじめてあった場所だ。
春日からの誘いはさんざんはぐらかしていたが、結局こういうことになった。
こんなことを相談できる友人をもたない俺は春日を選ぶしかなった。
「縮めて言うとそんな感じになってしまうけど、そんな言い方はかんべん」
俺は春日に手を合わす。
「長谷川くん、最低よ。何様よ」
「やっぱ、そうなるのかな」
「人をフッたことないんでしょ?」
「……」
たしかにそうだが、なんでそう思うのだろう。
俺は女性に告白されたのは一度だけ。学生時代、よく知らない下級生だった。名前だけ、学校行事の関係でかろうじて知っていた。あのとき、その場の空気に押し込まれて、OKをした。我ながら流されやすいというか、ほとんど何も考えていなかった。だからだろうか、彼女はたった二週間で別れを切り出してきた。そのときも俺は「わかった」と言っただけだった。肩の荷が下りたとさえ思った。彼女には本当に申し訳ないと思った。自分なりに彼氏になる努力や、彼女のいいところを探そうと頑張ってみようとは思ったのだが、なにしろそれは恋とは違う、作業だったのかもしれない。
「傷つけずにフるなんて無理よ。それがしたいのは自己満足でしょ? 自分が悪者になりたくないからでしょ」
「きびしいよ、春日」
「実際のところ、フッたほうが悪いなんてもちろんないわよ。でも、長谷川くんは自分を悪いやつと思ってしまう。だから、これは長谷川くんの問題でしかないわよね」
「そうなんだけど、それだけでもないんだ」
「何それ。彼女をどうしても傷つけたくないってこと?」
「そう。それは俺の自己満足ではなく」
「そんなことってある?」
春日は小倉あんトーストを口にほおばりながら言う。
いい食いっぷりだ。
「なら、最小限のダメージに留める手しかないわね」
「どういう?」
「まあ、彼女いるんですっていうのが、いちばん無難。なら仕方ないでしょ」
「いないんだけど」
「嘘でもいいのよ」
「嘘はちょっと……」
「ああ、ウラをとってこようとするのね。最悪そういうこともあるかもね」
「うーん……」
「なら私と付き合っていることにすればいいじゃん」
「は?」
「いいよ。別に」
「それも嘘じゃん」
「ホントでもいいよ。長谷川くんが嘘つきたくないなら、その件が片付くまで本当に付き合えばいいじゃん」
「……春日は彼氏いないのか?」
「いないわよ」
「だからといって」
「いいのよ。お試しだと思えば。いい感じならそのまま付き合えばいいし」
それはもう、えっ? 俺のことそんなふうに見てたの?
「そんな感じなのか、いまの子は……」
「同い年だろうが! でもふざけてはいないよ。長谷川くんと付き合ったらどんな感じだろうと想像しても、悪くない気はしてる。幼馴染だし、ずっと仲良しだったし」
それを俺は覚えていないのだが。
「もしかしたら、好きだったかも。ちっちゃい時」
相談が 悩みを増やす 夏の風
一句できた。




