033 自費出版(2)
「自費出版ですか」
「はい。祖父の作品をきちんと残したいのです」
「なるほど」
俺は顎に手をおき、少し考えてみる。
「あの、できますでしょうか……」
「ああ、はい。出版社はわりとどこでも自費出版は受けています。ただ表立ってはやっていないですね」
「表立って?」
「力を入れているところは、〈本つくりませんか?〉とか〈あなたの作品が書店に並びます!〉とかWebサイトでガンガン告知しています。ウチはそうではありませんが」
「あまり積極的ではないと……?」
「そうですね。力を入れているところはそれ専用のスタッフがいるくらいですし、しっかりと事業として行なっています」
「やはり、そういうところにお願いした方がよかったのでしょうか……」
「いえいえ、そんなこともありませんよ。ウチがやっていないのは、看板がつよくないというか……」
「看板ですか」
「ああ、えーと、ウチは誰もが知っている会社じゃありませんし、自費出版を事業化できるほどじゃないんですよ」
「みなさん、有名なところから出版したいと?」
「そういうことですね。といってもどこから出ようが実際のところ自費出版は自費出版ですからね。市場で売れるなんていうのはウソ……あっ」
うーん。あれ。これは話しにくいな。自分の会社をディスることになるし、自費出版をやっている他社をディスっていることにもなる。
「つまり、自費出版は夢をエサにした集金システムということだと言いたいのですか?」
困ったな。先生は勘がいい。その通りとしかいいようがない。
自費出版――個人出版、タイアップ出版などいろいろ呼び方はあるが、要するに著者本人に制作費を出させる出版スタイルは、昔からある。そこには著者の思いがいろいろある。社会に警鐘を鳴らしたいだとか、自分の文才を世に問いたいだとか、自分の経歴をアピールしたいだとか。いずれにしろ、出版界においての「無名」の人々だ。出版社はその手伝いをしますよとい言う。なんだったら、その持ち込みの原稿を褒める。もちろん、お世辞だ。本当に売れると思っているなら、著者から金なんかとらない。
自費出版は、製作費が出るので、出版社にはあまりリスクがない。あるとすれば、「返本」と「在庫」だ。どんな本でも返本されるが、どこのウマの骨が書いた本などよっぽどのことがなければ売れない。どころか、書店に置いてすらもらえない。自費出版を事業化しているところは、わざわざ金を払って書店に並べている。著者に対してのサービスだ。業界を知らない人は、「面白い本を書いたら売れる」と単純に思っている。高齢者に多い。ところが実際には置いてもらうことからハードルが高い。売ってさえくれないのだ。
そして次に在庫が問題になる。つくったはいいが、出荷されもしない。在庫には保管料がかかる。置いておくだけで金がかかる。結局、組み立てが甘いと赤字になる。
以前、ウチの会社でも長年付き合いのある売れっ子作家からいつもとはまったく毛色の違う趣味全開の持ち込みの企画があった。
「いやいや、〇〇先生にいくら読者がいても、これを買うのはその100分の一もいない」
というのは、会議をやる前からわかっていたが、いちおう会議にかけられ、正式にリジェクトされた。
「そもそも誰が読んで面白いのか」
「ブログでいいのではないか」
などと、率直な意見がどんどん飛び交うようになった。
編集担当者は断る方便を一生懸命名考えていたが、「いつもとジャンルが違うので、難しいです」という言葉を伝えたようだ。
すると、著者が制作費は自分で出す、もちろん印税はいらない、と言い出した。
そうなると、微妙に話は変わる。
制作費というのは、クリエイターに支払うもの以外であれば、印刷費、製本代、流通・保管費用のことである。これを負担してもらえるなら、通常の出版に比べてリスクは下がる。著者にはいちおうネームバリューがあるなら、書店に働き掛ければ、置いてもらうことはできるだろう。それでもまだリスクはある。返品のリスクだ。出版社側に金銭的な負担がない自費出版でも、返品がガンガンあったなら、流通費用もかかるし、もっと大きなところでは以降の取引で問題になる。トータルでの実績が下がるのだ。売れない出版社の本はどんどん置いてもらえなくなる。しかし、この時は著者とのお付き合いが優先され、あっさりと会議は通った。案の定、売れはしなかったが、そこそこの成績で、ごく一部で話題となり、会社としても満足だった。
そんなわけで、自費出版に慣れていない会社では、著者に多めに負担させるか、流通を制限することになる。
前者であれば事業化しているところのほうがサービスはよいので太刀打ちはできない。必然、後者を選択することになる。
「書店さんから注文があれば、ふつうに販売することは可能になります。一般的な本と同じです。ただ、店頭で並べてもらうのはほぼあきらめてください」
俺は申し訳ない気持ちで言う。とはいえ、よく知らない素人を騙すようなことはしたくない。自費出版を専門にする会社が以前あったが、結局はほとんどが破綻していて、のこり一社だけが生き延びている。いまは大手が少し手を出したりするくらいだ。
大枚をはたいてくれれば、それはすんなり受け入れられるだろうし、俺の成果として評価されるかもしれない。会社に売上を立てるのはいつだってサラリーマンの最も崇高な業務だ。
だが、しかし。
「いえ、販売はしなくていいんです。数十部つくっていただけたら」
先生は言った。
そういうこともある。記念品として本をつくる。
これなら会社にはまったく負担がない。全数納品で実費を負担してもらったら、あとは制作費名義のぶんだけ売上だ。
ただ、世に出さないなら、同じことは「印刷所」でもできるし、そのほうが安上がりになるかもしれない。
それを言うべきか、どうか。
言うべきか、どうか。
うーむ。
「本のかたちにするなら、いまはいろいろなサービスがあるみたいですね」
先生は俺の考えを見透かしたかのように言ってくる。
「そ、そうなんですよ……」
「でも、できれば長谷川さんに編集をしてほしいのです」
なるほど。たしかにそれは印刷製本のサービスにはないのかもしれない。あったとしても、客の要望を聞く営業マンくらいかもしれない。正直そのへんはよくわからないが。
「お願い、できますか?」
ずっと俺が何かを逡巡しているのに気を使っているのか、先生はどことなく不安げだった。
頼りにされているのだから、バシッと引き受けたい。
しかし、会社で承認されるだろうか。
いくら損は出ないといっても、たいした売り上げにはならないだろうし。そもそも本業がいまいちな俺だとかえって通らないかもだし。お付き合いで通った作家先生ほどの実績が雨宮先生にはないし。ちゃんと事業化かしている専門のところでやつたほうがいいかたちになるかもしれない。
無理に引き受けても、お互い、得はないかもしれない。
それにしても、相手を傷つけず、うまく断る方法というのは難易度が高い。
その時、先生と目が合った。
〈いっしょにがんばりましょう〉
あの時の声が聞こえる。
そうだ。
その言葉で俺はふっきれた。いや、生かされたといっていい。
何気ない言葉だったかもしれないが、俺を動かした。
たった、それだけで、いまうまくまわりはじめている。
ぐだぐたと悩んでいたら、また元の自分に戻りそうだった。
そんなのは、嫌だ。
「まかせてください! いっしょにがんばりましょう」
「はい!!」
先生の表情と言葉ははじけるように光り輝いて世界の色を変えたようだった。
しかし、世の中に出さない本の編集は何をやればいいのだろうか?




