028 【雨宮薫】
夜の21時30分前、私はスマホを両手で持ちながら、ソワソワと部屋の中を歩き回っていた。
もう一時間ほど前から落ち着かない。
29分30秒、31秒、32秒……。
カウントダウンが始まる。
30分になった。
しかし、何も起きない。
スマホのチャットアプリにバッジがついたのは、33分頃だった。
《こんばんわ、先生!》
メッセージとともにゲームキャラクターのスタンプがひょこっとあらわれる。
《こんばんわ、春日さん》
《すみません。ほんとにメッセ送っちゃいました。しかも時間通りに》
《大丈夫です》
少し遅れましたけど。
《先週はありがとうございました》
《いえ、こちらこそ》
挨拶ばかりを入力しているのが、若干もどかしくなってくる。
《今日の新キャラガチャどうでした?》
やっと来た!
《出ました!!来ました!!お迎えできしました!》
するとスタンプが三つ、ぽんぽんぽんと現れる。
おめでとう、コングラッチュレーション、ハッピーバースデー?
ともかくお祝いしてくれる。
私と春日さんがはまっているアプリゲーム「セブンデッドストーリー」略して「セブデ」のスタンプだった。
あの日、連絡先を交換した数日後、春日光さんは、本当に連絡してきた。
私がチャットアプリを入れているのは、ただひとりの友人・三田園結子のためだった。というより、彼女に強制的に入れさせられた。といっても、彼女からチャットがくることはあまりない。毎週一度か二度共にしている夕食の件くらいだ。何が食べたいとかのリクエスト。もしくはキャンセル。
だから、春日さんは二人目の連絡先だった。
私が執筆することになっている書籍の編集担当者の知り合い、いえ「幼馴染み」。担当さんと二人でいるところを偶然に出会い、彼女は私が「雨宮薫」であることを知り、なおかつ熱烈な読者だという。
そのまま、三人で喫茶店に入ってお話をした。私は緊張でほとんどしゃべることができなかったが、快活な彼女は、どんどんと話してくれて、何度も私に感謝を伝え、時々「はい」と返事すればいいくらいの質問をしてくれた。初対面だというのに不思議と安心できた。ちっとも怖くなかった。しかも、その時にチャットの連絡先を交換までしてしまった。
担当さんが「先生、電話はちょっと……」とふだん、私が電話が苦手なことをさりげなく伝えてくれた。それで、チャットのIDを交換することになった。担当さんは「春日さん、頼むよ。俺にとっては大事な仕事相手だし、本当は遠慮してもらいたいところなんだから」と釘を刺す。まあ、普通の作家はファンにあったからって連絡先など交換しないだろう。でも私は売れっ子作家でも有名作家でもない。たまたまデビュー作がスマッシュヒットしただけだ。
それでも、私は自分に驚いている。私の知っている私はこんなことをしない。「いえ」と、わずか二文字でにべもなく断っていただろう。担当さんの知り合いということが彼女の身元を保証したのか、あるいはなにか問題があれば担当さんが間に入ってくれるだろうという安心感は確かにあった。だから、春日さんが「長谷川くんのも教えてよ」といった時、「そうですよ」と私は後押しをして断れないようにした。彼はメガネのブリッジを数回触りながら、しぶったように見えたが「まあ、俺はいいけど、本当に先生には……」と念を押した。
それでもやはりいちばんの安心感は彼女の人柄だと思う。
彼女はその後、チャットをくれた。
《雨宮先生、先日はありがとうございました!》
しかし、私がそのメッセージに気づいたのは数日後だった。そういえば連絡先を交換したな、と何気なく開いた時だ。メッセージは4件連続であった。ふたたび私への感謝と、最後は《お忙しいところ恐縮です、ご返信は大丈夫ですので!!》とあった。私は血の気が失せるという感覚が本当にあるのだと思った。私はこんなにいい人の気持ちを踏み躙ってしまった。あるいは偉そうに無視してしまったのだ。
慌てて返信しようとしたが、何を言えばいいかわからない。
仕事でのメールのやりとりはなんでもないのに。
30分は考え込んでいたと思う。その時、ふとこのチャットには「既読」表示の機能があるのを思い出した。私がいまこれを見ているのを彼女はご存知だっ!!
いえ、逆に言えば私がいまようやくこれを見たこともご存知。よ、よしっ!!
《申し訳ありません。執筆作業が続いてしまって気づくのが遅くなってしまいました》
ちょっとした嘘だが、人を傷つけないための嘘だ。
私はアパートの大家として収入はあるが、スポットでライターの仕事をしている。マニュアルの執筆やら、テレビ番組の記事やら。一度仕事をしたところから依頼がくることもあるが、やりたい時にやりたい分だけやっている。だから、追われるように執筆することはあまりない。
《そうだったんですね!! すみません、お忙しいところ》
返信がすぐに来たので、私は悲鳴をあげた。
も、も、もう私のターンッッッ!?
焦る。焦る。何を返せばいいのでしょうかっ。
《またお会いしてゆっくりお話ししたいですねー。もし、よければですけど》
私のターンじゃなかった!
どのタイミングで返せばいいのですか。
お会いする?
私は想像しただけで緊張が最高潮になる。なぜだろう、一度会っているのに。
無理だ。そう思ってしまった。そうだ、二人きりだからだ。それは、無理だ。まだ早い。というか、永遠に無理な気がする。
《なんて、ずうずうしいですかね》
ひぃっ。私のターンがまわってこない!!
ち、ちがう。私が返信しないせいだ。
《よろしくお願いします》
私は思わずそう返してしまった。何が? 何がよろしくなんだ。なんだ、これ。
すると、「ヒョコン」という音がして、大きな絵が出る。
スタンプ、というやつだ。
かっこいい女性キャラに「よろしくお願いします」の文字が。
……「セブデ」のキャラクターだった。
《すみません! 間違えました! 文字で打ったんですが予測変換でスタンプになってしまいました》
予測変換でスタンプ? ちょっとよくわからなかったが、何か胸がぞわぞわとする。
私は急いで入力する。
《セブデ、お好きなんですか?》
《え? 先生もやってらっしゃるんですか?》
《ええ、少し》
これも嘘。これは照れ嘘。人を傷つけない。なんなら少し課金している。イベントや最新情報、CVの特番もすべてチェックしている。
《ウソみたい!! すごい嬉しい!!》
それからまた「セブデ」の別のキャラが同じ感情で現れた。
私はまた誰もいない部屋で短い悲鳴をあげる。
《いいですね、スタンプ!》
彼女の入力の早さに負けてはいけないと思い始めた。このゲームのことなら、私はなんだって語れる。
《先生って推しキャラいます》
いるいるいるいるいる!!
※ ※ ※
幸せな時間だった。
思わず1時間くらいチャットをしていた。
最後の方には、
《先生、ちょっとどこじゃないじゃないですか!》
とバレてしまった。
でもいい、自分の好きなものを話すのがこんなに楽しいことだとは知らなかった。
春日さんは電話で話したがったが、さすがに私にはハードルが高すぎたので、今日と同じ曜日の同じ時間なら今日のようにチャットするのは大丈夫と伝えた。「忙しい」を装って。本当なら、いつだって大歓迎だ。まあ、ユウコがうちに晩御飯を食べに来る日は不都合といえば不都合なので、都合を伝えるのは嘘じゃない。
《楽しみにしています!!》
私も。
※ ※ ※
それから、週に一度、彼女と「セブデ」の話題で盛り上がる至福の時がうまれた。
今日で三度目。すっかり、「セブデ」が前提になっていた。
先週は私の推しキャラの別スタイルが実装されることが予告されていたので、春日さんはガチャ引きを祈ってくれた。しかし、その日のために貯めたガチャコインはあっさりと溶けてしまった。私は特別な日にしか課金をしないが、今日はとりわけ特別な日だと思って、五千円ばかりを課金する。この程度では出ないことが多い。しかし、これ以上は一線を超えてしまう。
お願いっ!
これはガチャ以上の願いが込められていた。そして、わずか10連で「推し」はやってきた。
私は何に感謝すればいいのかわからなかった。
《本当に良かったですね》
春日さんも推しのとき以外は課金しないそうだ。そして、近々、実装がありそうだからと、今回はスルーしていた。そうして、いつも通りに情報交換、ストーリーについての考察など、彼女の言うとおりチャットであることがもどかしい感じだ。ちなみに、私は早く返信できるようにチャットをPCのほうから入っていた。
《ところで、先生 長谷川くんって最近どうしています?》
そう言われてみれば、連絡がない。そろそろミーティングのタイミングだと思うのだが。
映画に行った週明けに簡単なお礼メールがあったくらいだ。
その旨を伝えると、
《先生も連絡とっていないんですか……》
「も」ということは春日さんもということだ。そう、春日さんは担当さんと連絡をとっている。それは当たり前だ。連絡先を交換したんだし、そもそも知り合いだし、幼馴染だし。私なんかよりずっと近い。週一でしか連絡をとらない私なんかより、頻繁にやりとりしていたのだろう。
何か、唐突に私だけが置いて行かれたような気になる。
《もともと、レスはあまりないんです。最初の連絡も「よろしく」くらいの素っ気ないもので》
それを聞いて少し胸をなでおろす。
《私は昔のこと、もっと話したかったんですよ。長谷川くんほとんど憶えてないから思い出させてやろうかと》
思い出、か……。
《それで電話で少し話さないって、強引に》
《話せたんですか》
あまり聞きたくない気がした。
《ぜんぜん、うわの空で、から返事》
《そうですか》
《私、本当に再会できてうれしかったのに。もっと話したかったのに》
私が、こんなことを異性から言われたら、卒倒してしまうかもしれない。つまり、彼女の思いに。
今度は私がうわの空になっていたかもしれない。
《電話越しにわかるんですよ。なにかすごく深刻というか、辛そうというか》
今度は私に彼女の感情が流れてくる。「文字越し」に。
《心配なんです。もし仕事で会うようでしたら、様子見ていただけませんか》
《わかりました》
そのあとはまた「セブデ」の話に戻っていつも通りだった。
私は何かモヤモヤとするものを抱えながら、手に入れた推しキャラの最新スタイルを最速で育成しようと、スマホをいじりだした。




