021 30年後の初恋
映画の予約は自分でやった。ところが、どういうわけか、直近の予約状況を見たら、平日ばかりが埋まっていた。そんなことあるだろうか。先生に問い合わせると休日でも構わないという。
同じアパートに住んでいる人と別の街で映画を見に行く約束をした場合、現地で待ち合わせるべきか、一緒に出かけるべきか、それが問題だ。休日だし、仕事場から駆けつけるという体裁がとれない。
いや、考えるまでもなく、後者は無理だ。
先生は友達じゃない。移動中、会話をしなければならないプレッシャーもひどい。
お互い厳しいだろう。それくらいは予想がつく。
しかし、合理的なのは圧倒的に前者だ。
先生はわりと理屈っぽいところがある。
「わざわざ待ち合わせをして、お互いを探し出さなくてはならない、なぜそんな無駄なことをするのですか」
とか言ってきたりして。
どっちがいいのかわからない――。
仕事先でも「クライアント」とか言えるくらいドライな関係なら何も悩まないのだが……。
作家と編集担当であり、大家と店子の関係。こんな特殊なこと、誰にも相談できない。
そうだAIに聞いてみよう。
異性同士の作家と編集者のベストな距離感は。
《……まとめ。異性としてではなく、“信頼できるプロ”として尊重し合う関係。あえて一歩引いた距離が、信頼を長持ちさせます》
「うん、知ってた」
さらに大家と店子の関係であることを追加する。
《あいまいにせず、「今はどちらの立場で話しているのか」を互いに意識・明言する。「この話は原稿のこと」
「この件は建物の管理について」》
「でしょうね」
だめだ。質問が悪いんだな。どうしても確認作業にしかならない。だから自己啓発本は苦手だ。予定調和みたいな答えしか返ってこない。
最近は、AIをメンターのように使っている人が多いと言う。でも自分には相性が悪かった。どうしても自分が出した答えしか返ってこないような気がしている。
俺も本を読むのが好きだ。経験以上のものをもらっているとは思う。そういう意味では先生みたいに「耳年増」だし、「頭でっかち」なのかもしれない。
だからこそ、先生の洞察力に納得がいかないのかもしれない。
ということは似たもの同士? 同族嫌悪?
ちなみに、待ち合わせの件もAIに尋ねたが「プライベートで初めてなら、待ち合わせがいいでしょう」「もしくは、相手に聞いてみるのもアリでは?」と、急に友達相手みたいな口調になった。お前の距離の詰め方がわかんねーよ。
「よしっ」
俺は布団から身を起こし、PCの前に座る。
〈雨宮先生 お世話になります。明日の映画鑑賞の件ですが、用事があるので午前中には調布駅に行っています。到着されたらメールをいただいてもよろしいでしょうか。よろしくお願いします〉
距離にして10メートルも離れていない相手にメールを送る。
もちろん、用事などない。
こんなやりとりならチャットアプリのほうが圧倒的に便利だが、これも難しい。なにしろ、すごいプライベート感が強い。ふつうにIDを聞き出すことも、こちらから伝えるのも、一線を超えている気がする。いや、昨今はチャットアプリで繋がることくらいなんでもないという編集者が多い。しかし、ひきこもりのコミュ障気味の女性に対してはやっぱり無理だ。
〈わかりました。着いたらご連絡します〉
即レス。
すぐ下の、1階の右奥の部屋からこの連絡が送られているのだと思うと何かザワザワとした気分になる。
※ ※ ※
調布駅には10時過ぎには着いた。
映画は14時からだ。さすがに早すぎたかと思ったが、ひさしぶりに来たし、書店や100均なんかを覗いて、牛丼でも食べてぶらぶらとしていたら、そのうち時間になるだろう。
少し前とは違って調布駅の前は大きな広場があって開けている。自治体がなにかの募集か受付をしている簡易屋根をつけたブースがひとつあるだけだった。
アパートの位置的には三鷹か吉祥寺駅のほうが若干だけど近い。昔は吉祥寺にいっぱい映画館があったが、いまはオデオンくらいしかない。三鷹にかぎっては映画館自体がなくなってしまった。自分がよく利用するのは新宿のバルト9だが、新宿はあまりに人が多すぎる。先生の負担にしかならないだろう。
予報では午後から雨だったので傘をもって出かけた。先週までは曇り予報だったけど、降水確率はゼロ%だった。先生は本当に雨女なんだな。
今日、先生と観る映画は「30年後の初恋」だ。
あまり流行っているという話は聞かなかったけれど、それ以外は極力情報は入れていない。豪華俳優陣がキャスティングされているという謳い文句だが、だいたいの映画が、だいたいそれなりの知名度がある俳優が出ていて、豪華なのかどうかがいまいちわからない。
今回は、30年という時間軸で展開される内容なのが、若手俳優とベテラン俳優が同じ役をやるというので、すでにネタバレ感がある。まあ、逆になにもわからないままお金を払って観にくる人もいないから、当たり前のネタだしなんだろうけど。
ともかく、「今週末、映画観に行くんだ」なんてうっかり言うと「あーそれ僕も観たー。あれがねーこうなってねー。で、結局あんまり面白くなかったんだよねー」なんていうバカが結構いるので、それはもう極秘だ。
複合施設の最上階にある書店をのぞいてみる。
相変わらず、一般書のコーナーには大量の新刊と、売れ筋が混在している。これだけ新刊の返本率が高いのに、とりあえず平積みにしてくれているのはありがたいというほかにない。定番はなにもしなくても売れるから必要以上の展開は必要ないのかもしれない。だけど、ここの4割以上はほとんど売れずに返本される。
いまでは小説をほとんど読まないので、棚を見てもなにを見ればいいのかわからない。表紙の絵がラノベのような綺麗なイラストになったのが多いなというくらいの感想しかない。ラノベ・コミックのコーナーに行くとそういう絵柄の表紙ばかりでどれがどれだか逆にわからなくなる。
雨宮先生が最近、愛読しているシリーズがある。これだけ膨大にある中から、先生はどういう基準で読むものを選んでいるのだろう。今度それを聞いてみるか。なんとなく個人的な趣味趣向を尋ねるの御法度な気がしているが(セクハラ的なこともあるし、プライバシーな事柄でもあるし)、それくらいはいいような気がしている。むしろ、そこから先生の考える恋愛の真髄のヒントが見えてくるかもしれない。
実用書のコーナーを見る。ここは自分で手がける可能性のないコーナー。大きな店ではないので高齢者向けのドリルやら、学び直しの本やら、趣味実用の技術本まで多様にささっている。平積みを見るとイラストの書き方みたいなのが多く並んでいる。このへんがいま売れているのか。
大型書店は扱っているアイテムが多すぎて、売れ筋が逆にわかりにくいことがある。中規模くらいの書店が扱っているものを見た方がわかりやすい。出版社はPOSデータという売り上げ実績を見ることができるから、わざわざ書店を見なくてもいい説があるが、POSでは見えてこないものはまだ無数にある。ただそれもベゾスのようなオンラインショップが一般的になってくると、なんとも言えなくなる。
その時、ポケットに入れていたスマホが振動する。
〈調布駅につきました〉
先生からだった。
早くね? まだ12時なんですけど。開演2時間前なんですけど。
とはいえ、これを放置していいわけがない。
〈わかりましたっ! いま駅前のパルコにある書店にいます。駅のほうに向かいます!〉
〈書店ですね。私のほうがそちらに向かいます。お気になさらず〉
うーん。これ、どうしたらいいんだろう。
※ ※ ※
10分後、先生と出会えた。
店舗に入るところにおいてあるビニール袋に雨傘を入れている。
俺がここに来た時にはポツリとした感触の雨はかなりはげしくなっているのだろうと想像できた。
書店にいるにしても、それなりに広い。どこの棚にいるとか、待ち合わせにふさわしくないので、エレベーターから見える位置に移動していた。
案の定、エレベータのドアから出てくる先生はすぐに発見できた。
目があって、すこしだけおじぎをする。
先生はこれまで見たことのないくらいのオシャな格好をしていた。
はじめて出会った時はジャケットにスカート。当たり障りのない落ち着いた服装。
打ち合わせのときはお面に気を取られていたが、それでも印象に残らない地味な服装だった。
だけど、今日はワインレッドで統一された「ちゃんとした」お出かけ衣装。
しかも帽子まで被っている。キャスケットというやつだろうか。
人に見られる帽子を被れる人はおしゃれだと誰かに聞いたことがある。誰だかは忘れだが。
ともかく、ひきこもりコミュ障先生は、予想外にキマっていた。失礼な感想だが。
正直、見惚れてしまった。ワインレッドに包まれた先生の黒髪はなんていうんだろう。ハーフアップ?
ともかく手の込んだ装い。女性のこうした準備はともかく時間がかかると聞いている。
そこまでしてくれたことに心臓が早鐘をうつ。
俺のため、なんて思ったらいけないんだろうな。女性が装うのは自分のためだと、先生も言ってた。
勘違い男にはなりたくない。
それでも、特別なお出かけみたいで、逆に緊張する。
これがデートなら、その装いに祝福の言葉を投げかけるべきだと思うのだが、仕事の場合はどうすればいいのかわからない。そもそも、これ、仕事でいいのかもわからない。
言わないと、もやもやしそうで苦しくて、30秒ほど悩んだが、昨今のセクハラ問題の件があるので、容姿についてのコメントは「しない」のが正解だと思ってやめた。正解なのかな。装ってきたのが明らかで、それが素晴らしいなら、ただ、褒めればいいのに。面倒だな、コンプラ? 俺がコンプラを理解していないだけかもしれない。だけど、思ったこと、その感情が口をついてでてきて、何が悪いと思う。相手の気持ちは大事だけど、「自分の気持ち」はその下にある工場で作られていて、欠陥商品のように弾いていかなければならないのだろうか。
いま、言いたいのは、先生はとても素敵で、美しいということだけだ。
それをうまく表現できない俺は、ただただ心の中で称賛した。
美しいものを、美しいと言えない世界なんかできれば胸を張って否定したい。俺がヘタレなのが問題なだけかもしれないが。
先生の姿に思いを巡らせていたら、しばらくお互い無言になってしまった。
先生も何か困っているようなそぶりだった。
ふし目がちになってもじもじとしている。
こんな時の先生は少女のようだった。
それにしても、映画がはじまるまで時間がありすぎる。
「早かったですね」
やっと第一声。
「遅刻は失礼なのかと思いまして」
「でも、14時からですよ。映画……」
「えっ!? でも着いたら連絡しろと」
着いたから連絡をしたのか。たしかに間違ってはいないけど。
「言いましたが、えーっと」
「すみません、上映時間を確認していませんでした!!」
え、じゃあ何を基準に出発したの?
だけど、先生らしいのか。経験のなさを責めるなんてやっちゃあいけない。
「いやいや、いいんですよ。そしたら、少し時間を潰しますか。というか、ちょうど昼時なんで、ランチでもします?」
「は、は、は、はいっ!」
先生は予想通りのパニック状態だ。
なぜ洞察力にすぐれているのに、そういうのがわからないのだろう。
それにしても、なんてこった。吉野家で済まそうと思っていた昼飯を、これから著者との打ち合わせにすり替わってしまった。俺は超速攻で「ぐるなび」で検索しようとしたが、やめた。
「アレルギーとか、嫌いな食べ物教えてもらっていいですか?」
「ないです! あえて言うなら、炒めものの玉ねぎが得意ではありません! あと、あんこ……」
「それは主に中華ですね。どっちも自分とおんなじだ。あんこはランチには基本的にないですからいいですよね」
「はい」
「じゃあ……」
急いで検索する。どうせ会社が金を出す。金額なんて考えないで、土日に混み合うようなチェーン店は外す。
それでも選択肢は意外と増えない。近場でないと移動にまた困る。
あった。
「先生、お寿司は大丈夫ですか?」
「魚介類は、むしろ好きです」
「よかった。お昼からやっている店がすぐ近くにあるのですが行ってみませんか?」
「はい」
よかった。移動距離が最短で、混雑していることも少ない、お値段高めのお店。
仕事で使うには申し分ない。
一応、電話して席状況を確認する。問題ないとのことだった、むしろ、経費でいいものを食べられてラッキーと思うようにしよう。
「でも、ちょっと持ち合わせが……」
「経費ですし」
俺は俺の能力でも権力でもないのに、誇らしげに伝えた。
まあ、作家の打ち合わせ費用はよっぽどの金額じゃなければリジェクトされることはない。
金額によって会議費か交際費かに変わるだけだ。
「すみません」
「いえいえ」
そうして俺たちは一旦、パルコを出て、少し路地に入った寿司屋に入る。
客は誰もいなかった。
こうなると、板前さんに逆に気を遣う。
「テーブル席になさいますか?」
お店の人が聞いてくる。
「えっと、どうです、雨宮先生?」
「あ、お仕事ですか。いまはご覧の通りですから、どこでもお好きなところで」
「カウンターがいいです。そ、その、食べているところをあまり見られたくないので」
「わかりました」
だとしたら、カウンターのないお店は全部NGじゃないか。早く言ってくれ。というか、そんなに正直に言わないで。
それにしても空いている。
メニューを見て熟考しているのも憚られる気がしてしまう。
「先生、何かお好みはありますか?」
「いいえ、こういうところに来るのは初めてなので、どうすればいいのかわかりません……」
それは、たしかに自分も同じたった。
「もしよければ、ランチのおまかせはいかがですか?」
板前さんが話しかけてくる。
そんなのがあるのか。よく見たらメニューにも書いてある。リーズナブルな値段だし、もう、それでいい気がするが、こんな店に連れてきて、庶民的なチョイスをしていいんだろうか。それでも、ふつうよりは高いな。まあ、どうせ経費で落ちるのだし。
「それでお願いします」
先生が即答する。
「じゃあ、それ二つで」
「あいよっ」
見られたくない、という先生のオーダー通り、わりと無言で食べていた。そのぶん、味覚に集中できたが、ランチおまかせ、はかなり美味しかった。しかし、余韻に浸る時間はまったくなかった。
先生が、語り始めたからだ。
「こ、これから観る映画の話ですが」
湯呑みを持った先生が唐突にはじめた。
「え、あ、はい」
「さまざまなレビューを見ました」
「映画の感想ですか?」
「そうです。あらすじもちゃんとチェックしています」
へ?なんで? その状態で観る必要あります?
「この物語の結論を言わせていただきますと……」
「いやいやいややいやいやいやいやい」
俺は必要以上にメガネを直しながら、思わず口走る。
「観て、観てからにしません!?」
わりと当たり前のことを言った。




