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人生が輝くたったひとつの方法  作者: 無銘、影虎
1 君が愛を語れ
18/31

018 ハーレム論2

 火曜日、企画会議の日だったが、楠木くすのきさんは体調不良で休んだ。

 社内チャットで新田にった副編集長の進行で企画会議は予定通りやるよう指示があった。

 仕事の関係や有給休暇などで会議がスキップされることはいままであったが、急な休みというのは知る限りはじめてだった。体調不良というのも、もしかしたらはじめてかもしれない。


 副編集長の新田さんはキャリア採用で1年前に入社したベテランで、歳は楠木さんより上だ。

 副編集長といっても明確な役割は周知されておらず、必要なポジションなのかもわからなかった。なぜなら新田さんが入社する前にその肩書きの人はいなかったからだ。

 新田さんは入社直後からどんどん企画を通し、いくつも同時進行で制作している。大ヒットはないものの〈早書き〉なうえに一定の部数が見込める著者を何人か持っているため、早くも俺の2年間の刊行点数を上回っていた。


 俺は新田さんが苦手だ。はじめて会った時はフレンドリーに会話していたが、時間がたつにつれ話をしなくなっていた。忙しくしているのを俺を含め他の部員にもこれみよがしにアピールしてくるようになった。それと、企画会議でイマイチなものを出すと、わざとらしいため息をついてくる。新人編集部員である宇佐美うさみさんなどはとても恐れているようだった。ふだん明るい彼女だが、新田さんの前では声が小さくなる。

 その日も、企画の提案している最中に、

「宇佐美さん、もうちょっと声大きくしてもらっていいですか。聞こえないです」

 いつにも増してイラついているような口調だった。

 いつもなら企画提案が終わると、楠木さんがそれぞれに意見が出るよう編集部員に水を向け、最後に楠木さんが総評する。しかし、新田さんはまず自分から講評をはじめた。

「ぜんぜん実現性がないです。この手の企画は先方企業の内諾、あるいはどういうアプローチをするか具体的な案がないなら通せません」

 きっぱりと言った。

「まあ、彼女は新人だし。その辺の難易度なんかはまだわからないかと」

 別の編集者がフォローした。

「んー、でも、ですよ。うちは新人にも目標をもたせているし、それは戦力として見ているということですからね。わからなければ聞けばいいし。時間はたっぷりあったでしょう? 宇佐美さんもそろそろ一本くらい通さなきゃ。このペースだと来期も一点も出ませんよ」

 場が凍りついてしまった。

 誰も何も言わない。

 正論ではあるかもしれない。いや、そうなんだろう。

 でも、正しいだけだ。

 宇佐美さんも何もいえず下を向いてしまった。

「これからなんですし、あまりプレッシャーかけないほうが……」

 沈黙に耐えられず、口を挟む。

「長谷川さんこそもう少し焦ったらどうですか? 上半期、お手伝い仕事しかしてませんよね」

 矛先がこちらにきた。

 そんなことを思っているのではないかと思ったが、はじめてはっきりと言われた。

「編集は個人プレーのようだけど、編集部での売り上げ目標は全員で達成するものです。誰かがやってくれるからいい、というのはちょっと違うでしょう」

「そんなふうには思っていません」

「じゃあ、どう思っているんです」

「実績がかんばしくないのは、……申し訳ないとは思っています」

「思ってても思ってなくてもどっちでもいいです。出してくださいよ。売れる企画を」

 思っていることが必要ないなら言葉は意味を持たない。

 また沈黙が流れる。

 編集部員の誰もがこの空気にのまれてしまっていた。

 他所よそで十分な実績をあげてきている、編集部で誰よりも長いキャリアをもつ、営業部の覚えもめでたく、最年長者であり、正論を述べている。

 たとえそれが違和感のあるくらい高圧的なものであっても、その対処法を持ち合わせている人はいなかった。

「すみませんね、ちょっとこの会社のブレストばっかりやっているような会議にあまりなれていなくて」

 新田さんの皮肉は続く。

「はい、じゃあ次」

 また大きくため息をついてそう言った。

 その日の会議はお通夜つやのようだった。


 ※  ※  ※


 午後、新田さんが打ち合わせで席を外した。共有ファイルのスケジュールに「〇〇先生mt NR」と表示されている。それを見計らって、結城さんが小声で話しかけてくる。

「長谷川さん、ちょっといいですか?」

「あ、ああ……」

 うなずくと宇佐美さんはそのままそそくさとどこかへ行く。

 よくわからないままついていく。

 非常口のドアを開けると非常階段に出る。

 正式には認められていないが、灰皿が置いてあり、喫煙者はここで一服をする。

 結城さんも俺も喫煙者ではない。

 喫煙者は数少ない。部長含めて数人。若い連中にはほぼいない。


「さっきはすみませんでした」

 宇佐美さんは出るなり言った。

 会議のことだろう。

「結城さんがあやまることじゃないでしょう」

 すぐさまそう言った。

「私、新田さんいやです」

 きっぱりとそう言った。それがいちばん言いたかったことなんだろう。

「俺も、苦手」

 そういっておどける。

「私はいやです。なぜみなさん何も言わないんですか?」

「言っていることは正しいからね」

「誰にとってですか?」

 ふだんの明るく温和な雰囲気はなんだったんだ。

 すごい剣幕だった。

「会社にとってでしょ」

「会社がよければいいんですか?」

「えっ、そりゃそうでしょ。サラリーマンだし……」

 なぜ俺が詰め寄られているのか。

「私、違うと思います」

 彼女はそう言うと少し涙ぐみはじめた。

 どうしよう。

 彼女が何を考えているかさっぱりわからない。

 雇われているんだから会社に貢献しなきゃ。趣味で本をつくるなら同人誌でいいわけだし。

 実績を出すと企画が通りやすくなるのは事実だと思う。いままでそういうのはよく見てきた。

 決裁なんて合理的なようでいて、人が見られている部分も大きいと思う。

 同じ内容なら、実績と信頼のある人に任せられる。理不尽とは思わない。

 だからこそ、やりたいことをやるためにも実績は必要なのだと思う。

 彼女はド新人だし、俺は新人とは呼んでもらえない4年目。

 考えれば考えるほど、情けなくなってくる。


「私、長谷川さんのつくった『業界紙の歩き方』がすごい好きです」

 宇佐美さんは唐突に話題を変えた。

「あの本が好きだったからここに入社したかったんです」

「そうだったんだ。知らなかった。っていうか、あれ重版かかってないし、仕上がりもイマイチだよ。本体価格も高くて売りにくいって営業からいまでも文句言われているよ」

 われながらサブカル臭の強い作品だった。一部の人が熱狂的に歓迎してくれたが、時間とコストをかけすぎて結局赤字のまま。大惨敗だ。業界紙というのは、たとえば繊維業界とか、布団業界とか、ゴム業界とか、ネジ業界とか、細かい分野でも実はそれぞれ専門の新聞があるのだ。そこでどんな記事やどんなコーナーがあるとか、そういうことをライターが面白がる内容の書籍だった。日々の生活にはなんの役にも立たない本。能力が向上することもない本、生き方に気づくこともない本。俺はそんな本が昔から好きだった。

 思わず遠い目になる。


 ふと雨宮先生の言葉が思い出された。

 〈私は人の人生を変えるかもしれない、と思って文章を書いています〉

 おおげさな、とは思わなかったが、自分はそこまで言い切れるほどのことはしていないと思っていた。

 少なくても面白雑学本が人生を変えることなんてないだろう。

 だけど、俺のつくった本が宇佐美さんの人生を変えてしまったのかもしれない(あんなに売れていない本で)。


「私もあんな本がつくりたいと思って、面接の時そう言いました」

「それ、マイナスじゃね?」

「いえ、楠木さんは笑っていました」

「それ、笑われてね?」

 宇佐美さんがぶっと吹き出す。

 やっと笑顔に戻った。

 そしてまた真剣な眼差し。

「長谷川さんが言うこともごもっともだと思います。私も否定しませんし、大事なことだとも思っています。でも、それは新田さんだけ言っていればいいんじゃないですか?」

 うーんと、どういうことだろう?

 ますますわからない。

「宇佐美さんはいろいろと考えているんだね」

 アホの子みたいなことしか言えない俺。

「そうですかね」

「うん、興味深い」

 わかった風を装う。


「長谷川さんて彼女いるんですか?」

「は?」

 非常階段で非常識なタイミングの質問。

「いませんが」

 なにか? メガネをクイっと上げる。

「なら、ふたりでも大丈夫ですよね。今度、時間もらってもいいですか。ごはん行きましょうよ」


 ※  ※  ※


 宇佐美真琴うさみまこと、某女子大出身の22歳。わが社がはじめて採用した新卒。

 出版社はわたり歩く業界といわれ、いまは崩壊しているという終身雇用が昔からない。というか、ほとんどの出版社が中小企業で、オーナー会社で、一般企業のようなキャリアパスもなければ、転職するのがあたり前といわれている。いつでも即戦力が止められており、人材育成がきわめて下手であり、ゆえに大卒の新人なんて大手以外はあまり採用しない。少し社会人経験のある若者か、出版関係で何年かバイトをしていたとか、編集制作会社での編集職を経て入社というパターンが多い。計画的な人事採用をしていないので、たいていは中途採用だ。

 わが社はその極端な例だった。しかし、昨今、一般書の読者は高齢化が進んでいる。若者が本を読まないといわれて十年以上たち、そろそろジリ貧どころの話じゃないと、若者に目をむけはじめ、だったら新卒を採用しようという、たいそうあさはかな戦略で、彼女は入社に至った。


 吉祥寺駅で降りると公園口を出て、吉祥寺大通りへ。

 そのまま井の頭公園を横目に歩いていく。

 しばらくするとジブリ美術館。

 吉祥寺は武蔵野むさしの市だが、南側はすぐに三鷹みたか市に入る。

 新しいアパートは中途半端な位置にあり、歩くと遠いが、バスで通うほどのことでもない距離にある。

 歩きながら宇佐美さんのことを考えていた。

 彼女も俺と同じように編集のイロハは楠木さんが教えていたから、とくに俺が先輩として何かをしたことはないし、日常会話もほとんどした記憶がない。彼女がやってきた数ヶ月、俺は俺のことで手一杯だった。


 だというのに、あれから連絡先を交換し、いまトークアプリでやりとりをする仲になった。自分としては急展開すぎる。これから俺は彼女とごはんの約束をして、ふたりで何を話すんだろう。その先に何かあるのか。あるような予感はする。


 考え事をしながら歩いているとアパートに着いていた。


 部屋にはまだいくつもの段ボール箱が散らばっている。

 まったく整理できていないどころか、動線も確保できていないので、部屋の中を移動するたびに適当に動かして配置が変わる。片付ける気は、あいかわらず起きない。


 午前0時。

 トークアプリにバッジがつく。

「夜分にすみません。先輩はなにが好きですか?」

 宇佐美さんは俺のことを〈先輩〉と呼びはじめた。

 はじめはからかわれているのかと思った。

 こんなに情けない、企画会議でも醜態を晒し続けている俺だけに。

「ごはん? 和食です」

 短く返す。

 次来たら既読をつけずにスルーしよう。

 同僚とやりとりする時間帯じゃない。

 いつもは寝る時間じゃないが、眠たくなってきた。

 頭の中の段ボール箱も片付いていない。


 その時、呼び鈴が鳴る。

 えっ?

 心臓が止まるかと思った。それが鳴っていい時間帯じゃない。

 さらにはドアノブがガチャガチャと音を立てる。

 ホラーだ。

 対応せず、しばらく待ってみる。

 何もない。

 ゆっくりと腰をあげ、足音を立てずに慎重に玄関に向かう。

 ドアスコープを覗くが、誰もいない。

 かすかにノイズのようなものが耳をさわる。

 音を立てないよう解錠し、そっとドアを押し開ける。


「ふぁっ!」

 俺の口からへんな音が飛び出す。

 右手を見ると、人が倒れている。いや、寝ている。

三田園みたぞのさん……?」

 酔っ払って寝てしまったのか。

 寝息を立て、だらしなく股を開いている。

 部屋を間違えたのか。

「三田園さん、三田園さん」

 近所迷惑にならないよう、小声で呼びかける。

 なにかムニャムニャと返事をするが、起きてくれそうにない。

 いつから飲んでいるのだろう。どうしよう、困った。このまま放置できないし、俺の部屋に入れるわけにも行かない。

「三田園さん、立てる?」

「うーん……」

 言いながら背中を持ち上げ、肩を回して、えいっと立ち上げる。

 抵抗もなく、すっと持ち上がった。意外と軽い。その代わり手足がぶらぶらしている。

 引きずる様に階段まで運ぶが、時折、足は歩行動作をする。

 いったん腰を下ろして休憩。

 階段は危ない。このままでは降りられない。

「三田園さん、起きてください。部屋に戻りましょう」

「うーん、わかった……」

 目を閉じたまま返事はするものの、頭を俺の顔に埋める体制に仕切り直しただけだった。

 落ちない様に手で支えると、もはや抱き合っているようにしか見えない。

 実際に絡む様に密着して、彼女の体温が全身に感じられる。少し汗の匂いがする。あと酒臭い。

 体のあちこちに柔らかいものが当たる。

 俺もへんな汗をかいてきた。

「仕方ない」

 覚悟を決めた。

「おとなしくしててよ」

 俺は彼女の尻に左腕を差し込み、頭の位置を変えると立ち上がる。

 小さい子どもを抱っこするように。左腕に重心が乗り、頭を肩に寄り掛からせることで体勢が安定する。

 右手が使えるようになったので、階段の手すりが掴める。

 そうしてゆっくり、ゆっくりと、降りていく。

 階段を降りて、右に旋回すると、1階の各部屋がある。103号室は階段のすぐ脇だ。

 とりあえず、部屋の前に彼女をおろす。まだ起きる気配がない。

 どれだけ深酒したんだ。


 階段を照らすための照明は、いまや製造と輸入が禁止されることになった蛍光灯だ。

 夜の虫が集まってくる。あかりに照らされた三田園さんの体は妙に艶かしい。

 このまま放置してもいいような気がしたが、どうなんだろう。

 ここまでしておいて、外に放置するのは人としてどうなのか。

 ふと肌に水滴が落ちる。

 ポツリ、ポツリ。


 いかん、雨が降りそうだ。

 なおさら置き去りにできない。


 とはいえ、鍵がなければ部屋に入れられない。

 よく見るとバッグの類をいっさい持っていない。

 手ぶらで飲みに出かけたのか。ワイルドだな

 ホットパンツにはポケットが前後についている。その中にあるだろうか。

 前ポケットには膨らみがないが、一応、指でツンツンしてみる。硬いものはなかった。

「ちょっと失礼」

 今度は起き上がらせて、正面から自分に寄り掛からせて、上から後ろポケットを目視する。

 この体と密着するのにもう抵抗がなくなっていた。

 ポケットの片側になにかありそうだった。手を伸ばしてみる。


「だからーっhpk`{`_{K+ks@pつってるでしょうっ」


 突然、大きな声が耳元で響く。彼女の筋肉に力が入る。

 あわてて肩をつかんで体を引き離す。

 しかし、目は閉じたままで、体のこわばりもまた抜けていった。


 ガチャッ。

 奥のほうからドアの開く音。しまった、いまので不審に思った住人が出てきてしまったらしい。

 あれ、でも一番奥は大家さんの部屋では? 大家さんは、ここにいる。

 逆光で姿は見えないが、人影はまっすぐ、こちらに向かってくる。

 やがて、蛍光灯にその姿は照らされる。


 雨粒に光が反射する。

 いよいよ雨が降ってきた。


「こんなところで何しているんですかっ!」


 どこかで聞いたことのある声。


 最近、よく耳に馴染んでいる声。


「雨宮先生……?」


 次の瞬間、左頬に強い衝撃が走った。

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