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人生が輝くたったひとつの方法  作者: 無銘、影虎
1 君が愛を語れ
17/31

017 【雨宮薫】

 こんなに人としゃべったのは生まれて初めてかもしれない。

 少なくとも記憶にはない。


 私はひとり言が多い。

 テレビや動画を見て独り笑いすることも多い。

 一日に消費しなければならないコミュニケーションのノルマのせいかもしれない。

 そう、独り言や文章を書く行為も立派なコミュニケーションと言われている。そして、カロリー摂取のように必要な数値もあるらしい。

 私は狩野英孝エイコーちゃんの動画を観て笑い、ときどき思ったことを雑文として書き留めて、ニュース番組に話しかけてノルマを達成している。


 しかし、最近、執筆の依頼を受けて仕事で人と話すようになり、話すために資料を読み、思わずハマって、打ち合わせという名の一方的な持論を展開する機会が立て続けにあった。

 終わったあとにはいつも罪悪感と後悔があった。我ながら興奮気味に、相手のことも考えず、ただただ恥を撒き散らしたようなもの。ああ、恥ずかしい。


 私と話すのが楽しいって……。


 人と話すのはたいてい苦痛だった。いつも軋轢あつれきしか生まない。


 なんであんなに話せたのでしょうか。自分のことではないから?


 ……。


 私は考え事をしながらなにげなく部屋の掃除をはじめる。とくに意味はないけれど、体を動かしたかった。そうでないとあれこれ考えてしまう。

 この〈大家〉の部屋は祖父が使っていた部屋。祖父は私なんかと違って社交的で住人のみなさんと積極的に交流し、時にはお世話を焼いていたようです。表札も住人が入れ替わってもすぐにわかるように〈大家〉と掲げていた。

 私を救ってくれた恩人であり、大好きなお祖父じいちゃん。4年ほど前、亡くなる時に大家の仕事を引き継いだのも、人と関わるのが嫌いな私のためだった。築年数が古すぎて建て替えや売却を不動産屋に勧められたが、私のために残してくれた。満室だったため、相続税は意外とかからなかった。


 高校から大学まで私は隣の102号室に住んでいた。お祖父ちゃんが亡くなってからは〈大家〉の部屋に移った。それからあまり部屋のものはいじっていない。片付けてしまえば、お祖父ちゃんが消えてしまいそうだったから。101号室はほかの部屋よりも大きく、私には居間兼寝室の一室さえあれば十分だった。だから箪笥の引き出しも、天袋もじっくり中身を見たことはなかった。それはそれでお祖父ちゃんを思い出してしまって苦しくなりそうだったから。


 しかし、その日は掃除、片付け、はじめてしまったら何故か止まらなくなってしまった。


 そんな時だ。それまで見たこともなかった遺品を見つけたのは。

 スケッチブックが5冊。

 パラパラとめくってみると、水彩画でいろんな種類の花が描かれていた。


 きれい……。


 色鮮やかで優しい筆使い。わりと男らしい印象のお祖父ちゃんのものとは思えない。でも、絵にはそれぞれお祖父ちゃんの名前がサインしてある。


 そうだった。お祖父ちゃんは若い頃、画家を目指していたと言っていた。だけど、結婚して子どもができてからは就職して、たまの休日に趣味で描いていると言っていた。私はお祖父ちゃんが絵を描いている姿を見たことはない。でもスケッチブックはとても古そうなものから、状態がきれいなものまである。きっと亡くなる頃まで描いていたのだろう。


 心が美しい人が描いたもの。そんな思いがよぎった。


 ※  ※  ※


 午後になって私はスーパーに買い出しに向かう。


 食材は週に一度しか買いに行かない。業務用のスーパーで買いだめをし、小分けの作り置きをし、冷凍できるものは一回分に分けて保存している。それでもひとり分だがたいした量じゃない。最近、ユウコが頻繁に私を食堂がわりにしているので、なんとなく多めに買っているが。


 ちなみに業務用のスーパーはアパートから歩いて30分と結構遠い。往復で1時間だ。だけど歩いていく。私の唯一に近い運動だから。そして、何よりすぐ近くのスーパーで住人と鉢合わせたくないから。住人はみな独居者で勤め人だから、平日の昼間に行けば会う確率はかなり低いのだが、それでも使わない。

 私は挨拶や世間話といったローコストかつ重要なコミュニケーションから苦手だ。重要とわかっていながらできない。いや、重要だからこそできないのかもしれない。関係が生まれてしまうのが怖い。

 すぐに距離を置いたり、縁を断てる間柄ならプレッシャーは少ない。

 二度と会うことがないだろうなという人に緊張することはない。


 なのに、あの人は、仕事相手で一つ屋根の下! しかも定期的なコミュニケーションを強制されている。

 追い詰められた感。とんでもない心的負担……。


 モヤモヤしながら、めんつゆと料理酒を探す。


 その時、ついいましがたまで考えていた男の顔が見えた。

 ぼさぼさ髪にメガネ、若干無表情。ボディバッグを斜め掛けにし、買い物カートを転がしている。


 ウソ、なんで?


 私は素早く踵を返し、すぐさま最適なスニーキングポイントに入る。

 完全なステルス状態に入ると、ターゲットを再度確認する。

 間違いない。彼だ。担当さんだっ。


 私は彼が移動するたびに常に死角になるよう位置を変える。

 担当さんは何を買いにきたの? いや、そんなことには興味はない。

 なんでこんなところにいるの? いや、それも別にいい。

 あれ、私はなんでここにいるんだっけ?


 ガツッ。お尻に何かがあたる。うしろにいた人のカートだった。当てられたのではなく、私の不注意だ。

 なにしろ中腰で前方を見ながら不審な後退をしていたのだから。


「す、すみませんっ!」

 とっさに謝る。

 相手はおじいさんだったが、さほど気にせず、会釈だけした。


 ふと視線を戻すと、担当さんのメガネが光っていた。

 しかし、一瞥しただけでまた買い物に戻っていった。よかった、気づかれていないようだ。


 いまのうちに撤退しよう。そう思ったが、すでにカゴにはキャベツ半玉、豚肉お得用パック、牛乳1本、ヨーグルト2パックなどが入っている。あわててレジに向かう。誰も並んでいない、いまだっ!

 しかし、タッチの差でさっきぶつかったおじいさんが右コーナーから差し込んできた。

「はっ!」

 思わず声に出る。早くして早くして。レジの人!

 永遠に感じたレジ待ちが終わると、手当たり次第に商品をショッピングバッグに突っ込み、早歩きで店を出た。もはや競歩。


「あの、すみません!」

 うしろから声をかけられる。え? 私? なんで? いやな予感しかしない。私は振り向かない。

「たまねぎ、落としましたよ」

「え、ああ、はい……」

 振り返れば奴がいる。

 たまねぎ持った奴がいる。

「あ、ありがとうございます」

 私はうつむきながらたまねぎを受け取る。

 おそるおそる顔をあげると、それはもうガン見されていた。


「あのー」

「はい?」

「雨宮先生?」


 オワタ。


 ※  ※  ※


「すぐにはわからなかったですよー」

「そ、そうですか」

「いつもお面なので」

「たしかに」

「でも、先生の声が聞こえるなと思って。耳になじんだ声だなと思って。そしたらはじめてお会いした時を思い出して」

「そうでしたか」

 無自覚か。主人公なのか。

「先生も三鷹みたか市なんですね」

「どうしてそれを!?」

「いや、スーパーって近くに行くものじゃないんですか?」

「でしたら、あなたはなぜこんなに遠くまでっ」

「自転車で来ているんです。ここ安いので。えっ? なんで遠くから来たってわかるんですか? 確かに最寄りのスーパーではありませんが」

「え、あ、手に鍵を、鍵をもっているからです。自転車、または自動車で来たと思いました」

「あー、なるほど。観察力ですね!」

「それではこれでっ」

 私はきびすを返す。

「あー先生、荷物重いでしょうから途中まで俺の自転車のカゴに積んでいきましょうか?」

 なんでそんな提案をサラッとできるんですか。これだからパリピはっ。

 この流れだと、家はどっちですかという質問になり、同じ方向だということになり……。

 頭をフル回転させる。

「いえ、近くですから」

「そうですか。それにしても、先生のお顔ひさしぶりに拝見しました」

 朗らかに、なんでもない世間話のようにそんなことを言う。

「そっかー三鷹に住んでいらっしゃるから吉祥寺きちじょうじで待ち合わせだったんですね」

 どうでもいい世間話をたたみかけてくる。

 いや、たいていの世間話はどうでもいいこと。

 だから私にとっては難易度が高すぎる。

「ええ。そうです」

 落ち着いた、なんでもないように、冷静に答える、という演技をしてみる。

 そうだ、これは世間話じゃない、打ち合わせだ、仕事だ。そう思い込む。

 すると、ふしぎと落ち着いてきた。

「担当さんはずっと三鷹にお住まいで?」

 最近引っ越してきたのは知っている。これもお芝居。

「いえ、最近引っ越してきたばかりなんですよ」

「そうでしたの」

 なぜかマダム口調。でも余裕が出てきた。

「あ、すみませんね。プライベートなのに話しかけちゃって。でも、難しいですよね。休日に仕事相手と鉢合わせると挨拶したほうがいいのか、しないほうがいいのか」

「休日?」

「今日は祝日ですよ」

「そうでしたね。私、勤め人でないものでそのへんの感覚が」

「ははは、そっか。そうですよね」

 屈託なく笑う。

 私も同調して笑う。

 あれ、世間話ができてる?


「じゃ、俺、帰りますんで。また、お打ち合わせよろしくお願いします」

 小さく手をあげてから駐輪場のほうへ歩いていった。


 担当さんの一人称はいつも〈わたし〉だった。さっきは〈俺〉と言っていた。


 いつもと違った。


 私はいつもと違う道から帰った。

 1時間もかかったようだが、あっという間だった。

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